「蚊帳の外に始まり奈落の底に終わる」ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q ドリモグさんの映画レビュー(感想・評価)
蚊帳の外に始まり奈落の底に終わる
エヴァとはTVシリーズからの付き合いになりますが
序、破同様、もう二度とQを見返すことはないです。
けじめとして見ません、生理的に見られません、
感情的に見直す気力ももはや残っていません。
立ち直るのに一週間と一日かかりました。
新劇への熱意が冷めている以上、変わることのない結末を繰り返し見て重箱の隅をつつくほどの気持ちに
自分を押し上げることができません。
1回見れば十分。それ以上でもそれ以下でもない。
もう完結編の公開日も信じません、期待していません。
予告もあてにしていません。
もう誰が敵味方になっても事実を受け入れることしかできません。
残っているのはゼーレを絶対に許さないという気持ちと
新劇への惰性くらいです。
●おとし方が破の二番煎じ
●のっけから目に見える死亡フラグ
●説明不足&投げっぱなし感
●舞台展開がこれでもかというくらい単調
●シンジが話を聞かない
こんなもんか、この程度の進展、3年以上待たせに待たせて
この程度のボリューム、振れ幅だった。
破を劇場で鑑賞して以来3年と4カ月少々
まだかまだかと斜に構えてずっと待っていたQの姿がこれだ。
公開までの長い期間、新劇の公開スパン、公開された内容、商業展開、
CM特報類をふまえて新劇を評価すると
公開日までただただ長くてモチベーションが下がって仕方なかった。
3年4か月で106分。破同様、キャラクター達に対する無駄でしかない愛着が
もろ刃の剣となりつきささる。
前回はアスカ、今回はカヲル。気持ちは再び奈落の底へ。
待たせに待たされて宙ぶらりんだった疑問に対する説明は一つもない。
劇場がなくて遠出してきたファンの人たちは帰路どんな気分だったろう。
仮に次回作もこの程度のボリュームで県外まで足を運ばせられるという
のはあまりにつりあわない気がしてならない。待たせすぎで中身が少ない。
破で「アスカを殺すよりは自分が死んだ方がいい」と
自己犠牲の精神をみせたシンジ。しかし今回はそれすらない。
死亡フラグチョーカーの引き受けシーンはひどくシンジに幻滅した。
もはや自己犠牲のじの字もない。
ミサトが行くなと制止しても行ってしまう、サクラが乗るなと言っても
結局エヴァに乗ってしまう。
カヲルに頼り甘え機嫌をとってもらって心地よく転がしてもらい、
S-datを直してもらえば投げて壊す。
綾波が自分の望むように前にいた綾波のような行動や反応をしなければ
不満そうにする。
真実が知りたいといい真実を目にするも僕のせいではないと
狼狽し逃げようとする。
カヲルの制止もきかず、カヲル君が言ったから僕は槍を抜くんだと
責任転嫁するばかり。
シンジの涙は単純にカヲルの死を悼むものか、
それとも全ての責任をひとりでとらねばならない重圧に耐えきれない
無力で盲目な自分へ向けられたものなのか。そこが不可解で腑に落ちない。
カヲルがサードインパクトを阻止したのも、
ピアノでシンジを楽しませたのも、共に夜空を見上げたのも、
S-datを直したのも、爆発チョーカーを引き受けたのも、
序破Qでずっとシンジのことばかり考えて行動してきた
こと全ては徒労でしかなかったのか。どうあがいてもゼーレの思うつぼ。
破で綾波の料理会のために貧乏くじをひく立場を買って出た
アスカといい今回のカヲルといい、
人のいい、優しいキャラクターほど損をするだけではないか。
腑に落ちない、解せない。展開云々以上にシンジやゲンドウ、
ゼーレやユイへの憤りが増す映画でした
破からの長い年月を経て早くQを待つ日から解放されたいがために
また懲りもせずに絶望するために1800円だしてしまった。
完結編、そうですらわかりもしないシン・エヴァンゲリオン公開日まで
破以上に辛いこの泥沼の気持ち持ちを整理しなければならない日々が続く。
前回の今日の日はさようならにも増してQは音楽が殺しにきている。
旧劇のカヲルの象徴ともいえる第九を新劇で聞きたくはなかった。
24話セリフと似通ったセリフ責めも聞いていて辛かった。
旧劇を知っていればいるほどセリフも音楽もカヲルの死しか
指し示していない。避けようもない死亡フラグだけ、
カヲルに待ち受ける運命は死。
展開は予期できすぎたがそれに反比例して感情がいうことをきかない。
思い入れがなけりゃ・・・こんなことには。
たかが一話キャラだと思っていたキャラクターにこれほどまでに
情がうつってしまうとは。新劇を見るまではいけ好かないキャラクター
にしか見えなかったカヲルがこんなにも大きな存在になるとは、
夢にも思いませんでした。
とてもじゃないけどグッズに手を出すだとか
カヲルの行動を浅はかだとか愚弄したり責めたりする気にはなれないししたくもない。
ポスターや特報を目にするだけで辛い、今は極力見たくない。
汚い言葉でカヲルを罵り最期を花火呼ばわりする人間が理解できない。
一言カヲルに言えるのならば精一杯の労いの言葉をかけてやりたい。
よく頑張ったね、おやすみ渚カヲル、どうか安らかに。
予想の範囲を超えた規模でこの窮地を救済してくれるか、
全てを裏切ってどん底のどん底へ葬ってくれるか。
ファンが推測できる範囲の安易なループだったりしたら、
破の分岐だとか序の前の話でQは旧だとか言ったら許せない。
我々傍観者の想像を超えた落とし前をつけてくれないと
気が済まない。
序を見た時は新たなヱヴァが始まるぞ~、でも既視感バリバリという喜。
破を見終えた絶望感はアスカを返せ、アスカはどうなったんだという憤怒、怒。
そしてQを見終わった気持ちはやるせなさと喪失感以外の何物でもない、哀。
喜怒哀楽にマッチしている。
するとシンでは大団円の楽の気持ちがくるのでしょうか?そう願いたい。
サービスという名のぬかりのなさ。記号として独り歩きしたサービス。
マリとアスカコンビ。シンジとカヲルのコンビ。
女の子チームと男の子チーム。
記号として上記がどう見えるか。考えるまでもない。
表層的な記号として媚びが見え隠れしている点も悲しい。
ヴンターに至ってはスパロボ戦艦参戦も目じゃないではないか。
ぬかりない。
破以上に鼻につく死亡フラグとサービスへのヒヤヒヤ感。
旧劇以来のアニメでは派生綾波、綾波モドキにピリピリしたものですが
今回は公開以降、派生カヲル、カヲルもどきとされるキャラクターが広めてきた銀髪ミステリアスキャラクターへの罪悪も痛切に感じました。上っ面でペラペラで表層的な軽いイメージを擦り付けられてオリジナルであるカヲルが損なわれているように見受けられる。これは悲しかった。
ヱヴァQには破以上に言いたいことが山ほどあってとぐろを巻いています。
好きな子が血祭りにあげられるのは破に続いてこれで2度目。
どうも慣れませんね。慣れたくもありません。
ありきたりではない展開で嬉しい反面、いくら時間が経っても納得いかない。
飛び散る肉片と血、だらんとした腕。決定的な死という記号が
これほどまでに衝撃的とは。
主人公碇シンジとの決定的な決別。
TVシリーズではシンちゃんに感情移入できたけれど
新劇はそうはいかない。破で違和感を感じていた主人公への
気持ちの同調が今回は完全になくなった。
というよりQではどのキャラクターにも感情移入できなかった。
今回感情移入できたキャラクターは誰だろう?
一番好きなキャラクターであるアスカでもない、運命を変えようと
動き始めたカヲルでもない、ヴィレのクルーたちでもないし
ましてやゲンドウや冬月、ゼーレ、ユイでもない。そう、誰もいないのだ。
何度も何度でも立ち上がる碇シンジの物語、それが新劇。
脇役がいくら好きでその雄姿を見たいと願い劇場に足を運ぼうとも
これは碇シンジの物語。シンジが好きだろうがそうでなかろうが
彼の物語に付き合わなくてはならない。
いいかげんシンジのうじうじには付き合いきれなくなってきたというのが
本音だ。毎回毎回エヴァに乗る乗らない乗る乗らない。
それに巻き込むゲンドウとユイさんもどうかと思うが。
ゼーレをぎゃふんといわせるくらいの主人公の甲斐性がほしい。
お前アスカに手を引かれている場合じゃないだろ、しっかりしろ。
まるで鋼鉄の手の付けられないシンジをみているようだった。
ここまで生理的に受け付けられないシンジは初めてだ。
Qが嫌いだ、主人公碇シンジも嫌いだ。待たせに待たせる新劇の
姿勢も嫌いだ。
旧シリーズに関しても24話でカヲルを殺させシンジを追い詰め、とどめと
いわんばかりにairで量産機にアスカと弐号機を鳥葬させる。
ゼーレの用意周到さには昔からへどがでる。
アスカを傷つけカヲルを殺した新劇ヱヴァ。
そんな新劇を許さない。
よりによってお気に入りのキャラばかりがこうもひどい目にあうなんて。
破で唯一助けて無事であったはずの2番目綾波も何故か退場している。
もうわけがわからない。
型破りのラストはもう全員退場かな?監督の考えなんて思いもつかないけれど。
5か月経って、円盤が売り出されるっていうこの時期も、
Qは大好きなキャラが無残に死に至らしめられる
悪趣味な、演出だけひどく手の込んだスナッフフィルム
でしかありません。それ以上でも以下でもない。
アスカがなぜ動いていられるかもわからないまま
説明不足の消化不良状態だけが続く。
変に見る側の想像通りでがっかりする落胆じゃなくて、
精神的に蝕まれる映画。
好きなキャラが出るだけでありがたいなんて思えるほど
優しくなれません。そんな御仏の境地になんてなれっこない。
序を見始めるとき、今度はきっと希望のラストになるだろうと
信じて疑わなかった。
TVシリーズの碇ユイがいい人に違いないと刷り込みで思い込んだように。
でもそうじゃないのかもね。そう甘くはない。
本編とは反比例して記号が独り歩きする浮遊感満載の新劇ヱヴァ。
根底からバラバラにされる感覚。
Qの円盤CMが店で流れるたびに足がすくんで泣きそうになる。
でも、
半年経ってみて少し振り返りたい気持ちになっています。
大好きなキャラたちが精一杯活躍しているなら
たとえどんなに残酷な結末が待っていようとも
たとえどんなにこっぴどく血祭りにあげられて退場させられようと
その雄姿と発した言葉の一言一句とその存在全てを
見届けてあげるのがファンの務めかとも思いはじめました。
とにもかくにも、キャラの独白が多くて
最後の方にばっかり比重の多い、胸糞悪い不親切な映画でしたね。
それでもなぜかどこかが好きでやめられない。
ちょうど
庵野監督のバカヤロー!と怒りに震える自分と
辛くてもつまみぐいでいいから振替ってやりたいという鎮魂の
気持ちがぶつかりあっています。
仏のような気持ちで、振り替えたら最高ですね。
あのシーンだけはもっちのロンで、すっとばしてやりますけど。
あそこだけは勘弁だ。一生見ない。
行き場のない憤怒と気持ちの決着がどこまでいってもつかない映画でした。
・・・なーんて。カヲルのがんばりっぷりを見たら。円盤
買わずにいられるわけがないでしょ!
ところどころしか見てないけどね!
問題の退場シーンももっかい・・・3度は見たよ!もうっ!!!
・・・生き生きとピアノを楽しむカヲルの場面に戻せる。
そう、Qは、自分にとっての裏ビューティフルドリーマー。
視聴者が見たいところまで、いつでも戻せて繰り返せる。
都合のいい夢。さかのぼって破、序までさかのぼるもよし。
グッズに走るもよし。旧劇に退行するもよし。
とにかく、カヲルががんばったんだから、トラウマで
終わらせるわけにいきません。
破は、さすがにむりですが。
マリ部分だけならなんとか・・・。
なかなかなれないや。円盤、折角買ったのに。しかも高いうちに。
まぁ、カヲルが体をはってあそこまでがんばったんだから、
これくらい安いもんだよ。
シンまで、ゆっくりお休み、カヲル。