「天秤に乗せた復讐ともう片方に乗せていたもの」コロンビアーナ R41さんの映画レビュー(感想・評価)
天秤に乗せた復讐ともう片方に乗せていたもの
リュックベッソン監督が描いた「日常」への渇望
それをコロンビアという国 麻薬カルテルの国を通して描いた。
カトレアの思いは一般的な日常というものが得られないコロンビア、またはその他の多くの人の心を代弁しているようだ。
彼らの掟 服従によって得られる非日常的日常
特に麻薬関係の裏切りは即死刑
作品に麻薬は登場しないものの、実際には拷問の限りを尽くされて宙づりにして焼かれる。
そんな死体が街中につるされている「日常」
カトレアの「仕事」と「復讐」へのステップは、叔父が忠告したように稚拙で自信過剰で愚かな行為だった。
叔父とママの死
カルテルがカトレアから受け取ったメッセージの返礼
さて、
さすがリュックベッソン監督が描いた作品だけあって暴力に対する暴力へのお返し方法は想像をはるかに超えている。
トゥームレイダーのようでジェイソンボーンのようにも見えるが、ド派手な殺しの中でもカトレアという人物像が一切ぶれてない。
逃げ出せたボス、ドン・ルイスへの攻撃はまさかの犬だったが、その突拍子もない伏線を犬の餌とサメの襲撃としてうまく作っている。
何故そうしたのだろう?
ひとつはあまたある似たような作品との差別化かもしれないが、彼ら組織の価値等価を示したのではないだろうか?
ドン・ルイスの価値は犬の餌程度だということだろう。
裏切りの代償として「妻も子供も犬さえも生かしておくな」という鬼畜の掟を持つ者の価値。
また、
カトレアは両親が殺された時からすでに復讐を誓っていたが、それしか生きていく目標が持てないという悲しさを彼女はしっかりと理解している。
しかし、その系譜から許すことなどできないのだろう。
ただ、暗殺業という生活は彼女にとってストレスが溜まる。
普通の生活 彼がいる場所 見せかけだけでも欲しい癒し
本当に求めているもの
わかっていても戻ることはできないのだろうか?
FBI捜査の手
彼女はもうはやアメリカにはいられないのだろう。
バスに乗って向かうのは、もしかしたら故郷のコロンビアなのかもしれない。
どんなひどいことがあっても故郷を忘れるなと父が言い残した。
他人を虫けらのように殺しても身内に傾ける愛情の深さ。
同じ人間なのに同じに見えない悲しさ。
身内以外は敵または従属者
口先だけのファミリー
いつまで経っても変ろうとしないことで彼らの非日常的日常を作り出している。
カトレアはアメリカを去る時、彼に電話する。
3つ質問していいと。
彼はまず本名を聞いた。
そしていなくなった小鳥は戻ってくるのか尋ねた。
最後はアイラブユーの言葉。
どれもが「日常」を指し示している。
彼女が掛けている公衆電話に貼られた「いなくなった猫」の張り紙は、いなくなっても家族は探しているというメッセージだろうか。
彼女が彼女のトラウマ的に突き進んできた復讐と天秤にかけていたのは、実は「普通の日常」だったのだろう。
その事に彼女はようやく気付いてきたのだ。
だから電話した。
彼がどうしても聞きたかった本名。
君は戻ってくる気があるのかという質問に、あなたの心がいつでもオープンだったら、帰ってくるだろうと含みを持たせた。
そのニュアンスに気づいた彼はアイラブユーと答える。
彼女は一旦姿を消し、コロンビアに戻ってその土地と両親に別れを告げ、そして再び彼に会いに戻ってくるのだろう。
目的達成にかかった時間とかけがえのない家族の死
それと引き換えに出会った彼
彼女はもう日常に戻ることだけを考え始めるのだろう。
そんなメッセージをこの作品から受け取った。
素晴らしい作品だった。