テイク・シェルターのレビュー・感想・評価
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君が主人公だったらどう?
もし、自分がこの主人公のカーティスだったら、どうするだろうか?って問いが浮かんだ。愛犬に腕をかまれる、追突事故の後に襲撃を受ける、鳥の群れに襲撃される、色とオイルが混じった不思議な雨が降って、人々がおかしくなる、自分だけが雷を見る、妻が刃物のすぐ脇に立っている等
の悪夢にうなされたら。母が統合失調症を患っていることから、自分も同じ病気ではと疑いながら、第六感的に本当に起こる予知夢として感じていたら。
物語として見るのではなく、自分にも同じことが起きていたらって設定でみる体験型の映画かと。周囲から狂っているって思われるのをわかりながら、夢の生々しさから本当に起こることのように感じてならない。どんどん追い詰められながらも、理屈ではありえないことを信じる狂気のカーティス役をマイケル・シャノンが見事に演じていた。
嵐が本当にやってきて、親子3人でシェルターに避難。雨風が止んで、何事もなく自分がおかしいのを知る、或いは、酷い災害が起こっているのを確かめるのが怖いカーティス。しかし、嵐は大した被害を及ぼさなかった。自分は、精神疾患だったのだと。新しい精神科の医師から、旅行に行くことを勧められ、いつもいっていたビーチへ旅行。娘と砂浜で砂遊びしていたら、娘が嵐だって教えてくれて、沖を見たら本当に竜巻がってブラックな終わり方。彼が夢に見たことは、どこまで本当になってしまうのか。そんな余韻を残して映画は終わる。
展開が早く、内容や伏線てんこ盛りの映画になれていると、ちょっと冗長な感じ。でも、主人公体験型の映画って思えば、なかなか怖い。
ストーリーからは想像もつかないほどの映像美
サイコスリラーということで違う観点で観始めたが、のっけのワンカットからの映像の美しさに、あれあれっと期待値いきなりマックスへ。
大空や緑の大地の壮大な風景は当然のこと、図書館やスーパーマーケットの陳列等々生活感ある日常的風景も色鮮やかにきれいに撮れていたと思う。
そして映像美に引けを取らない役者陣の鬼気迫る演技も相当なみどころだ。
B級作品覚悟で観ただけに、ラストの捉え方いかんはもう問う必要を感じず、じゅうぶん満足できる作品だった。
災害系パニックムービーじゃない…だと?!
①主人公のカーティスは受動的な人間である
②不況によって短納期を求められ、カーティスはストレスを抱えている
③カーティスの母は統合失調症を患っている
④統合失調症は遺伝のリスクがある
カーティスは度重なる悪夢からやがて未曾有の大災害になるであろう嵐の到来を確信する。
しかし、前述の要素から
・カーティスは、本当に正常なのか?
・これも悪夢なのでは?
・これは統合失調症の幻覚なのでは?
・次のシーンには汗をびっしょりかいてカーティスが目を覚ますかもしれない
と真実がその場では分からずに「どっちだ?」という目で彼を見続けることになる。
しかし、家族を守るという決意と使命感に駆られて、孤独に泥臭く、必死になっていくカーティスの姿が「冷静になって欲しい」と願うと同時に、「誰か彼のこの気持ちに寄り添ってあげて欲しい」という気持ちにさせる。
妻のサマンサは賢く、現実的な人物で、カーティスの言動に戸惑いながらも覚悟を決めるシーンにはとてつもない頼もしさと気高さを感じられる。
一方で娘のナットは夫婦の判断基準、動機になる役割であって、家族の問題において常に蚊帳の外に置かれ続ける感じがある。
彼女の手術ができなくなりそうとなったときに映し出されるのはサマンサ(母)の絶望であって、彼女ではなかったりと基本的に影が薄い。
故にどこかに消えてしまいそうな不安感があるのだけど。
最後のシーンは個人的には現実だと思っている。
ナットが統合失調症で~となると、この先満足に行動できるのがサマンサ1人になるし、それでは折角繋ぎ止めて固くなった家族の絆の意味が乏しい。
カーティス1人では雑にしか作り上げられなかったシェルターは彼女のフォローがあって初めてちゃんと機能する方舟なのだと私は思った。
気を持たすだけ持たせといて、肩すかし。 最後に辻褄を合わせるために...
気を持たすだけ持たせといて、肩すかし。
最後に辻褄を合わせるためにどんでん返し。
未来を予知しても、運命は変えられないという
予知ストーリーのあるある。
ただし、突然見るようになった悪夢に 次第に追い込まれていく
主人公の描写には迫力があった。
非情なラストシーンでは 運命に絶望する一方で、どことなく
主人公が理解してもらえた安堵感も滲ませる複雑な表情を
見せていたことが 妙に納得させられて、印象的だった。
まー、退屈な映画
サイコスリラーで、
夢か現実か…
って話ですが、
淡々と淡々と少しずつ少しずつしか話が進みません。
まー、退屈な映画です。
そんな退屈の中、開始1時間35分ごろ、
必死に狂言を垂れる主人公カーティスの顔とヤツのポージング、一生懸命さに、かなりウケてしまい、
今でも思い出しては笑います(笑)
その笑いと、ジェシカ・チャステインの美貌に、0.5点ほど加点(笑)
総合評価は3点です(笑)
観なくても、よろしいかと…(笑)
30分ぐらいバッサリ切ってテンポよくした方が面白いよ。
PS.僕がウケたのは食堂のシーンです(笑)
気を揉ませるだけでしょう・・
ハリケーンとか竜巻とかアメリカでは日常茶飯事だから、誰しも不安や危機感を持っていますし、頻発地域ではシェルターを備えることは極めて当然のことでしょう。
正しく恐れるだけならスリラー映画にならないので主人公の設定を特殊化して気を揉ませます。
21世紀の今でも第六感や夢の知らせとか気にする観客は少なからずいるでしょうし敬虔なクリスチャンならノアの再来と主人公に肩入れするかも知れませんね、そんな観客心理をうまく操っていますがテクニック臭が強くて鼻持ちなりません。
二次災害として伝染病や強奪が起きることはあるだろうが毒ガスは明らかに妄想、もっともB級ホラーなら鮫が空から降ってきますし、ミストまがいの脚色は控えめな方かも知れませんね。
劇中では遺伝性の精神疾患を匂わせて主人公の不安を妄想の方へわざわざ寄せているのがどうにも不自然だし、飼い犬に必要以上に冷たく当たったり、障害のある子供を使った挙句、手術を目前にして失職したり残念な設定ばかりよくも考えたものです。やっぱり妄想だったかと思わせてのラストもいかにもの作り。悪夢か予知かで2時間引っ張るのは芸が無さすぎでしょう。
サブプライム不況と精神破壊
薬代とかビーチの宿泊料が高すぎ!けっこう金額にまつわるエピソードがありまして、精神科にかかる費用やら、娘ハンナの内耳治療費とか、もう面倒見きれませんってくらい高いです。そんな中でもシェルターを作り続けるカーティス。会社の重機を無断借用したりして、結局はクビになってしまう。ここまで来たら、もう嵐が来ることを祈るしかない!
カーティスの母親も30代で精神疾患に罹り、それ以降ずっと施設で暮らしているといった状態。悪夢を見始めてからというもの、飼い犬に咬まれたり、事故を起こしたり、不審者が現れたりと悪夢の連続。ついにはオネショまでしてしまう。雷なんて晴れてる日でも見えるし、聴こえちゃう・・・妄想的統合失調症?と医師は言うけど、妄想よりも悪夢の方が怖い。
ノアの箱舟ですか!ってくらい、取り憑かれたようにシェルターを作る。金なんて持ってたって仕方がない。犬は兄貴にあげちゃうし、あとは1週間分の食料があればいい・・・予言者のような狂気をも見せるカーティス。娘の手術費用だって、命があればこそなんだし、後回し・・・いいのか?
2009年にはエメリッヒの『2012』なんてのも公開されたし、世紀末やら不況が続くと、こうした妄言的ディザスター・ムービーも増えるような気がする。何かと不安を感じる人々の心の表れか、結局はこうして精神もやられてしまうのか。科学的根拠のないようなディザスターにはうんざりするものですが、この作品のメインは精神的なもの。さすがにラストのシーンには皮肉めいたものが感じられたが・・・どうなっちゃうんでしょ?
人間を描きたいのか、そうではないのか、
個人評価:2.7
シェルターを心の闇と壁と見立てた、暗喩として描いているのか。それとも現実に起こり得る未曾有の大災害に対して、我々への啓示として描いているのか。
いずれにしても、全く掘り下げれておらず、弱々しい脚本。
素晴らしい女優ジェシカ・チャステインも、まったく特性を活かしきれていないキャラクター設定。
残念な作品と感じる。
見るのがしんどかった
「精神」が題材とは思わず、見るのがしんどかった。もっと直接的な自然現象が起こるのかと思ってた。
たしかにスリリングだし、胸に迫る恐怖があるのは確かだが、おもしろくは見れなかった。精神疾患をエンタメ的に楽しむには、内容的に違和感のある設定。
要するに面白くはない、ってこと。ラストも中途半端に混ぜ返し、結局なに?全編で積み上げたストーリーはなんだったの、という。
というわけで、評価しなかった派です。完成度はありますが。
「木」と「風」の映画
この映画では、いたるところで画面上に「木」が登場し、必ずといっていいほど「風」に揺られている。
ちらりと見える窓の外や、外にいる登場人物の頭上の木の枝。建物の上の星条旗。
少なくとも、全体の7割以上は何かが風に揺れている。
それは、観ている側がよく注意しないと気付かないほど、細かいところまで。
木が入りこむように設計された構図を見ても、これは監督の意図したものと思って間違いない。
風に揺れる木を撮りたいが為に、主人公の家の周囲に木を設置したということだ。
では、この「風」は何なのか。
もちろん、嵐を畏怖の対象として描いた作品なのだから、不穏な雰囲気を出すため、または終盤でシェルターに入るきっかけとなる嵐の前兆を現していたと考えるのが普通だろう。
だが監督は、主人公がシェルターから出てきた、安堵するべき場面でも木を風で揺らしている。
これがロケ地の環境による偶然の産物かは定かではないが、これはおかしい。
全体を通して明らかに「揺らしすぎ」なのだ。
恐らく監督は、嵐の恐ろしさや人間の心理だけを撮りたかったわけではなく、何かを美しく揺らしたかったから「嵐の前触れ」であるこの映画を撮ったのではないだろうか。
だからこそ、ラストシーンで嵐に対峙する主人公の妻の髪すらも風で揺らしたのだろう。
すべては「風」の為に撮られている。
嵐という自然災害を扱った作品なのだから、当然といえば当然なのだが、これはどこか他の災害映画とは違い、珍しく「風」という細部への丁寧さを感じた。
個人的に、主人公が「仕事をクビになった」と告白し、妻が平手打ちをして部屋を出ていくまでの過程でカットを1度も割っていない事に好感を持った。
余談だが「ラストは今までどおり主人公の夢オチ」という意見を目にしたが、わざわざ嵐の前兆である黄色い雨を、主人公ではなく妻に体験させたのは、夢オチだと誤解されないように監督が配慮したからだと思うので、恐らく夢オチとかではなくただのバッドエンドではないだろうか。
それもまた、前述した「揺らしたい」ものを考える過程で生まれた結末だと思えてならない。
カーティス一家の心象風景と捉えるか、予言的中と捉えるか?ラストの解釈が面白い。
カーティス(マイケル・シャノン)は奥さん:サマンサ(ジェシカ・チャステイン)と娘と三人暮らしなんですが、ある時から、未曾有の災害に襲われる悪夢に悩まされ始める。で、悪夢を何回も見る内に、幻覚とか幻聴にも悩まされる。これって予知夢じゃない!?恐怖に包まれたカーティスは、地下シェルターを作ろうと決意。そう、ノアの箱船状態ですね。
必死にシェルターを作るカーティスに、周りも段々と引き始めるんです。でもサマンサだけは、優しく接する。けど、悪夢に取り憑かれたカーティスは仕事もままならなくなり、とうとうクビに。保険を失って、一人娘の耳の手術も受けられなくなる。で、サマンサもとうとうぶち切れて、カーティスを平手打ち!
けどサマンサは、カーティスを許すんですよねー。許しちゃうんですよんねー。夫婦二人で、乗り越えようとか言ってー。偉すぎます!
そんな時に、嵐到来。「やっぱ俺の言った通りやん!」と、シェルターに逃げ込む三人。でも数時間経つと、外は静かに……?あれ、嵐たいしたことなかったんだねー(笑)
サマンサが外に出ようというのに、拒否するカーティス。ガスマスクまでつけて出ようとしないカーティスを、優しく説得するサマンサ。
「扉を開けて」と。
「貴方が開けないと意味がない」
なるほど!シェルター=カーティスの心なのか!と。メタファーなのか!そうなのか!ここで一気に、献身的なサマンサが、根気強く誇大妄想癖の旦那の心を開いたよ-!!っていう感動的な夫婦愛の物語になる。サマンサ偉いよー。私には、できないよ。
さて、カーティスはカウンセリングに通い、新たなスタートですよ。心機一転、家族三人で旅行に行くことにする。ビーチで遊ぶ三人。すると、遠くに竜巻が見え、黄色い雨が降る。大きな嵐がやってくる……!!
そうなんです。カーティスの悪夢が現実に?え、え、え、え?で、終わり。
①え、やっぱカーティスは、ノアだったの?あれ、家族の崩壊→再生の感動の夫婦愛の話じゃなかったの?
②巨大嵐は、なんかのメタファーなの?
③てか、カーティスの病気は治ってなかった?
④カーティスの妄想が、家族を飲み込んだの?
⑤カーティス一家の心象風景なの?
激しく混乱!
恐らくは②と⑤と思われる。
大予言
悪夢で大災害発生の恐怖に駆られた男が、シェルター作りに取り憑かれていく…。
ジャンル的にはサイコスリラーとなっているが、狂気と不穏の人間ドラマだと感じた。
主人公が見る悪夢や幻覚は、夢か真か分からない不条理さを感じさせ、それを表現したCGは巧い使われ方。
「MUD マッド」も期待のジェフ・ニコルズは今後も注目の監督だ。
主人公カーティスを演じたマイケル・シャノンは、この映画の素晴らしい立役者。
「レボリューショナリー・ロード」などで危なっかしい狂気を孕んだイメージのシャノンなので、今回も相当狂った役柄かと思いきや、狂気を内面から滲み出させる抑えた複雑な演技を見せ、見事。きっとカーティスは、シェルター作りに取り憑かれていなかったら、謙虚で家族思いの好人物である事すら感じさせる。感情を爆発させたシーンは、迫真の演技で見る者を惹き付ける。
メジャー作品では「マン・オブ・スティール」のような悪役が定番になりそうだが、こういったインディーズ作品では性格俳優の道をどんどん突き進んで行って欲しい。
妻役ジェシカ・チャスティンの存在と美しさに救われる。
カーティスは果たして災害を予知出来たのか、それともただの偶然だったのか。
明確に答えを提示しない結末は絶妙。
中盤の母とのエピソードが興味深い伏線になっている。母から息子へ、息子からその娘へ…。
見ていたら、藤子・F・不二雄氏のSF短編のある話を思い出した。
著名な予知能力者が居たが、ある日突然公の場から姿を消した。弟子が訪ねると、部屋の中に引き籠もっていた。予知能力者は弟子に新聞のスクラップ記事を見せる。それには、自然破壊、大災害、殺傷兵器開発などの記事。予知能力者は言う。これだけ世界の終わりが提示されているのに、何故世界は平気な顔をしていられるんだ、と。予知能力者は孫を抱き上げて言う。もうお前に予知してあげる未来は無いんだよ、と。
この漫画のラストも、映画のラストも、いつ訪れるか分からない世界の終末を予感させるものであった。
息苦しい、目が離せない
異常気候に怯えシェルター作りに取り憑かれてしまう男、翻弄される家族。
異常気象に希望の持てない社会状況。見通せない日々の閉塞感は到底人ごとでは無いですが、それにしてもこの重苦しさ。
弱い者から崩れ落ちていくしかない、そんな世界にでしかあり得ないのか。息苦しく思いながらも目が離せませんでした。
追いつめられていく夫婦を演じたマイケル・シャノンとジェシカ・チャステインに見入ってしまいました。
カーティスを襲う悪夢。この手の悪夢は確かに怖くて、つらいです。
曇天のように心を覆う、ぼんやりとした不安。
鑑賞前の方々にひとつ注意。
「『アバター』『スカイライン』の製作陣が放つ……」などと宣伝されている本作だが、
くれぐれも派手なCGや大掛かりな展開は期待しないでくださいな。
CGを担当したのは確かに上記作品等を手掛けたhydraulx社、
製作者も『スカイライン』を監督したストラウス兄弟だが、
CGはストーリーを語る上での最低限の使用に抑えられている。
派手な画に頼らず、淡々と、丁寧に緊張感を煽ってゆくタイプのスリラーだ。
個人的には『AVP2』『スカイライン』を監督した
ストラウス兄弟への信頼は限り無くゼロに近いので、
「これは彼ら兄弟の監督作ではない」という点をまず強調しておきたい。
(↑面倒臭いこと言うヤツでスミマセン)
監督はジェフ・ニコルズという方。長編映画はまだ2作目だそうだが、
「2作目にしてこの完成度かよ!」って感じだ。
色んな映画祭で絶賛されたというのも頷ける。
映画のあらすじは——
「巨大な嵐と共に不吉な“何か”がやって来る」という悪夢に毎晩苛まれる主人公。
妻と幼い娘にその悪夢の事を言い出せないまま、
彼は私財を投げ売って避難用のシェルター作りに没頭する……。
予知夢か、ただの妄執か、自らの精神疾患を疑いながらも
シェルターを作り続ける主演マイケル・シャノンの演技が見事。
妄執でも現実でも本人からすれば恐怖である事に違いは無い訳で、
脂汗を浮かべた固い表情からはその恐怖と切迫した気持ちとがリアルに伝わってくる。
悪夢に苦しみながらも、善き家庭人であろうと努める姿にも同情を禁じ得ない。
夫の奇行に戸惑いつつ、苦しむ彼を必死に支えようとする
妻役ジェシカ・チャスティンも健気で美しい。
映画の終盤、シェルター内で彼女が夫に諭す言葉は、
思いやりと愛情に満ちていて心に迫る。
そして、映画全編を覆う、ぼんやりとした不安。
ぽつぽつ降り始めた雨粒の立てる波紋を連想させる音楽が不穏な空気を醸し出し、
網膜に焼き付くような白みの強い映像・動きを抑えたカメラが緊張感を煽る。
胸の奥底に薄い灰色の雲がかかり、徐々に徐々にその厚みを増してゆく……
鑑賞中、そんな息苦しさを覚えていた。
鑑賞後もそのぼんやり不安な気持ちは残る。
僕らの平穏な日常が、恐ろしく脆くて儚いものに変えられてしまった……そんな不安が。
終末SFとも心理スリラーとも名状し難い、複雑な余韻を残す秀作。
<2012/5/19鑑賞>
考えさせられる終わり
マイケル・シャノンが期待どおりの怪演。
じわじわとむしばまれていき、ラスト30分前のブチ切れ。キタ!
彼が恐れていたものは結局なんだったのか…あの悪夢は…そしてラストシーン。
ホッとさせられて、安心して終わり…とはいかない。
現代人がかかえる漠然とした不安示唆しているようで、あれは何だったのかと考えさせられ、不気味。十分幸せなはずなのに、どこかで不満や不安を抱き、どうにかしなければと焦ってしまい、でもどうすればいいのか答えはでない。
なんと言葉にしていいのかわからないモヤモヤ感。なにしろ不安の正体がわからないのだし…。それを映画という見えるかたちにして見せた作品。
マイケル・シャノンはクリストファー・ウォーケンに似ている。
平凡なブルーワーカー、カーティスは悪夢にうなされる。
嵐がやってきて、エンジンオイルのような粘っこい雨が全身を濡らす。おとなしい飼い犬が、突然自分に噛みついてくる。得体のしれない何者かが、耳の聞こえない一人娘を拉致する。
次第に妄想と幻覚が酷くなってきた彼は、妻に無断で嵐から自分たちの身を守るシェルターを庭先に作り始める。友人からも見放されたカーティスはだったが、ある夜、本当の嵐がやって来て……。
強迫性障害により、幻覚、妄想の世界に落ちて行く男。マイケル・シャノンの、大袈裟でない、本当に神経を病むというのはこういうことなんだな、とわかるほどのリアルな演技がコワイ。余計な恐怖描写がなく物語自体は、淡々と進むけれど、映画全編をとおして、奥歯に出来た虫歯の鈍痛のような不快感に包まれる。しかしそんな中で光っているのは、ジェシカ・ジャステイン演じる、カーティスの妻サマンサ。月並みで通俗的な話なら、夫を見捨てるところなんだろうけれど、彼女は折れそうになる心を必死に支えながら、夫のことを思い続ける。
舞台はおそらくオハイオ州。大都市からはかなり離れている田舎町。この設定もまたいい。大都市とは違って、医療機関もなく、宗教や地縁血縁の結びつきが強い土地柄で、自分の出自からおこってしまった、心の異常を自分でなんとかしようと焦るカーティスの気持ちも良くわかり、サイコな人物設定にもかかわらず、感情移入し易い。
あと幼い一人娘が、耳が不自由、という設定も効いている。最後まで不安な表情を見せない上に、手話で両親と簡単にコミニュケーションを取ることのできる存在は、主人公カーティスとは表裏である。
終盤からラストにかけ、無気味な予兆を残して映画は終わるが、ここに現代人の誰もが、心の何処かに持っている不安を象徴しているように思えてならない。
それにしても、カーティスの役柄はひと昔前なら、クリストファー・ウォーケンが演ってたね。
3月27日 銀座テアトルシネマ
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