ヴィオレッタのレビュー・感想・評価
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毒母に美貌を利用される
美しいの一言に尽きる
映像が美しい
芸術とは
飽きない。
観てて全く飽きなかった。
アナマリアという原石が本当に綺麗に美しく強く描かれている。綺麗に磨き上げてます。
出てくる装飾品も本当に美しくて、
キャンバスのような映画でした。
ただ、見た目の美しさだけじゃなく
中身のドロドロと狂った三世代の親子関係もため息ものでした。
とにかく、アナマリアのスクリーンテスト映像を観ていただきたい。圧巻です。
ただ、その実在するヴィオレッタがこの映画の監督なのですが
ちょっと綺麗に描きすぎですね。いろいろな記事などをみるともっと凄まじいかったらしいので。
今は児童ポルノなどの制限があり、そのラインギリギリだとここまでしか表現出来ないのは悔しさを感じました。
いや、この映画であることだけでも十分鬼畜なのですが。……
印象強かったのはラストですね。
そのほかも本当に誤差ですが、
逃げて、逃げて、逃げて、逃げられない、
というのがじれったく切なかったです。
おもしろかった
ビジュアルは充分!
吹き替え版がなく久々に字幕版で鑑賞
モンスターペアレントが主題
この監督さんは強い!
人が相手の意見を全否定したい時によく使う台詞。
「あなた、ちょっとおかしいんじゃない?病院行った方がいいよ!」
これを母親が娘に言う。
しかも、娘はマトモ!
おかしいのは母親と周りの大人達。
これは酷い!一種の洗脳だ。
(でも残念ながら、これは虐待あるある)
普通の大人だったら、そこから本当におかしくなる状況。
それを幼い女の子がされて、
『床にバタン!と倒れて奇声を上げる』だけなんて、まだ健全で逞しい反応だ。
母親が娘の性を食い物にする。
ただ、この物語が、そこまで汚ならしく感じられないのは肉体的な被害がない(描かれていない?)事と、
ヴィオレッタがどのシーンでも手を抜かれる事なく、美しく着飾らされていること(監督から子供時代の自分へのせめてもの憐微の情?)と、
そして、この物語が、ヴィオレッタの子供時代で終わっている点。
子供の憐れはともかく、「いい年した私の愚痴なんて誰も聞きたくないでしょ?」という、作り手の孤高を感じる。
作品の最後に「その後、彼女は……」などというテロップが入る事もない。
自伝などではそんな件もあるのかもしれないが、
映画はエンターテイメント!
それを踏まえた監督の潔さを感じる一編。
でも私生活では辛ければ、わめき散らしてもいいんだよq(^-^q)
凡庸に非凡を描くこと
1977年にモデルとなった写真集『鏡の神殿』で一躍世界的に知られることとなり、史上最年少でプレイボーイの表紙を飾った少女エヴァ・イオネスコ、しかし彼女は過激な写真集によって少女時代を失ったとして30年後、自身を被写体にして写真集を出した写真家の母親を訴えることとなる。この映画はそんな芸術とポルノ、母親と娘との関係の中で苦しんだ彼女の自伝的作品となっている。
母と娘の確執、芸術とポルノの境界、「カンヌで議論を呼んだ」というふれこみでいかにも過激な内容を想像しそうだが、全体的にはとても平凡な作りだったように思う。序盤にエヴァ(映画での役名はヴィオレッタ)が母親に命じられて服を脱ぎ始めるときは内心「おいおい自分が母親訴えてんのに人様の娘は脱がせるんかい」と思ったのだが、その後は肩すかしのように抑えた描写にとどまり、また母親にポルノスターに仕立て上げられたという苦悩も、まぁ苦しいだろうことは描いていたがイマイチパンチが足りない気がしてならなかった。なんとも踏み切れないアクセルの数々で釈然としなかったものの、しかしそこは本作のパンフレットを読むと合点がいく。
「やっと歩き始めたばかりの子供にヌードでポーズをとらせるなんてとてもできなかった。(中略)暴力だってもっと酷くできたかもしれない。映画のこういった側面を頭では理解できるけれど、実際に画面には映ってはいないの。私の限界はそこだった。自分の傷とは距離を置いているのよ。」
彼女はここで傷と表現しているが、私見としてはその傷の正体は芸術的であるということ、非凡を渇望するということとも置き換えられるように感じた。芸術家でありながらあくまで常識的な視点で芸術と距離を保ち撮り続けるエヴァ、振り返るにこの作品全体に漂う平凡な視点こそが彼女の葛藤のあらわれだったのではないだろうかとも思うのである。
30年経っても未だ乾ききっていない生傷に触れぬように映画を撮り続けたエヴァだが、それでも一つだけしっかりと掴み取り撫でさするような視点があった。それは母を見つめる娘の冷徹なまなざしである。その当時、ヨーロッパのみならず世界中に衝撃を与えた母イリナ・イオネスコへの賞賛は、現代の我々の想像をはるかに越えたものがあっただろう。しかし、娘エヴァが劇中でアンナとして描く母はそういった偉大なるアーティストとしてではなかった。そこに描かれていたのは、親からの愛情の欠落で承認欲求をむき出しにし、自分たちを理解しない人間を凡人と罵るものの、その実男に振られたならばどうしようもなく凡庸な女としての一面をさらけ出す痛々しい女性だった。そしてこの母というフィルターを通して、我々はエヴァがこの傷とどう向き合っているかを伺いすることができるのである。
驚くほどの陳腐さと凡庸さと低俗さ、芸術というのはただ崇高に輝かしいだけのものではない、それらの裏返しによって成立するものでもあるのではないか。母を厳しく描き、そしてエンドロールの寸前までその母から逃げ続け和解を拒否する少女の背中が、それを物語っているように思えた。
女優を観に行く映画
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