「描き出されるセリフ、音楽、そして編集構成、その総てが独自の世界感に溢れて斬新で面白い!」生きてるものはいないのか Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
描き出されるセリフ、音楽、そして編集構成、その総てが独自の世界感に溢れて斬新で面白い!
人は誰しも、実際のところ自分の死期を明確には知り得ない
そして、その時期は、自分だけには、まだ先の出来事と信じて生きているものだ。
しかし、その時が、身近に迫っているとしたら?
これは、311後の今の日本人には、例え被災地で実際に暮す人々の様にとてつもない震災を体験する事が無くても、実は、自分は死に限りなく近い存在で、否、総ての生き物は死に向かって只今も、生きていると嫌でも、身体の一部に、死の影が貼り付いてしまったように私には思えてならないのだが、そんな感覚は自分だけなのだろうか?
この映画は、試写会で観たので、終映後アンケートで、ラストの衝撃についてどう思うか?と言う質問が出ていたが、むしろ私の場合は、ファーストシーンの方が衝撃的だった。あの始まりだからこそ、あのラストへの道が一つの線に繋がって行く気がした!!!
不思議・不思議・摩訶不思議な映画だった。
観終わった瞬間、言語には形容出来ずにいた。
そう直ぐ感想を簡単に言葉に、翻訳出来ない、消化されて来ない何かが、身体に、そして気持ちの中に変化を生んだ気がした。
突然、街の誰もが、次々と原因不明で亡くなっていく物語なのだが、その状況を原因究明のために刻一刻と奔走する学者や、医者、或いはマスコミのドラマにしないばかりか、人々が徐々に身近で体験し始める死を、自分だけでも回避するため、生き残るための、熾烈な逃亡劇のドラマには、決して仕立てていないところが、妙に日本ならではの、感性に訴え続ける、何かが有り、それは観る人それぞれが違う感性で受け止めるのだろうと思えるのだが・・・
M・シャマラン監督作品の『ハプニング』を思い起こす映画だったが、でも、欧米人にありがちな、原因不明と言う謎の状態でも、その謎の原因と闘うと言う有りがちな創りには、なってはいない。
映画は総合芸術であり、その時代性を捉えて表現すると言う事が、映画の一つの在り方でもあると私は考えている。
そう言う意味でも、もの凄く今の時代と、若い世代の人々の心のあり方を鋭く描いていたと思うし、大学生達の、会話について行けないでいたし、更に言えば、ついて行けないと言うよりは、理解不能と言う方が正しいのかも知れない。
音楽、セリフ、その言葉のうらにある若者の心理を理解出来ずにいる映画を観ている私でありましたが、何故か、観ていて滑稽で、身近に押し寄せる死に恐怖する人々の映画ではありつつも、大いに笑わせてもらいました!!!
かなり前の席で、笑いながら観てしまった自分です。きっとこの作品は好き嫌いの分かれる映画だと思うが、今の日本人は、境界性人格障害を患っている人々が多数いると言う説もあるが、是非、白黒はっきり出来ない部分を悪とせずに、楽しんで観て欲しい映画だ。