灼熱の魂のレビュー・感想・評価
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最後は気持ち悪さと切なさで頭おかしくなる
鑑賞後に脳がバグった。気持ち悪さと切なさで頭おかしくなる。父=息子が同一人物なんて想像できんわ。アブタレクって名前だからまさか息子とは思わなんだ...。異なる人物かと思いきや、2つの手紙の宛先が同じだったのもゾッとした。
実の母をレイプしまくって孕ませてたのは吐き気がする。しかもナワルはアブタレクが息子だと知り犯され続けたとかどんな心境なんだ...。
胸糞展開ではあるがナワルがアブタレクを攻めることもなく復讐するわけでもなく、手紙で「愛してる」と伝えたのがせめてもの救い。
宗教や民族など歴史的な背景が複雑に絡み合ってよく分からない箇所も多々ある。しかし、それらを吹き飛ばすような衝撃のラストにノックアウトされた。
ヴィルヌーブ監督の信じる心に応えたい
父と兄に手紙を渡せという母の遺言から始まるこの作品は、ヒューマンドラマやサスペンスの要素を内包しながら進むミステリーである。
双子にとっては、父親は死んでいるはずであるし、兄の存在はこのときに初めて知ることになる。
過去と現在を交互に映し出すことでこのミステリーは成立する。そうすることで、観ている私たちと、物語を牽引する視点キャラクターである双子で知っていることに違いが生まれるのだ。
つまり、例えば、父親の存在について。
かなり序盤で、兄が生まれたこと、と、同時に兄の父親が亡くなったことを「私たちは知る」。このときに、兄の父親と双子の父親が違うことが確定する。
では、まだ名前も出ない誰かが双子の父親なのだと普通は考える。
私たちは、ナワルの過去を先に観られるが、双子はまだ知らないのだとちゃんと理解しなければならない。
観ている私たちにとっては兄の父が亡くなっていることが確定しているし、双子の父親が別人であることも確定している。
しかし双子の視点では兄の父親が自分たちの父親でもあり、亡くなったと聞いていたけれど生きているのか?となっているのである。
そして、終盤に、母の足取りを追っていた姉ジャンヌの口から飛び出した捜している父親の名前は、すでに亡くなっている兄の父親の名なのだ。
双子にとってはなんら驚くことでもないだろうが、兄と双子の父親が違うと「知っている」私たちは当然、どうゆうことなのかと混乱することになる。
母ナワルが、既に亡くなり、自分が愛した男をあなたたちの父だと告げていることから、双子の妊娠が望まぬものであったこともまたここで推測できる。
映画を観ている私たちと、双子が知っていることの違いをしっかり認識できていれば、驚きのポイントが何度か訪れる。
多くの人がラストについてのみあれこれ言うが、びっくりするポイントはラストだけではないのだ。もちろん、衝撃的で悲劇的なラストではあるが。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は鑑賞者の「観る力」を信じてるんだなとつくづく思った。同監督の「メッセージ」などもそうだ。
観ながら、その時々の状況をしっかり認識できないと楽しむのが難しくなる。
世界的にも、教えてもらわないと理解できない人が増えた現代において、中々豪気な監督だなと感心してしまうのである。
現実の中東の悲劇とギリシャ悲劇の二重写しの中から浮かび上がる希望
本作は二重の意味の悲劇を描いており、監督ビルヌーブの重層的に映画を作り込む作家性がわかりやすく表れている。
第一の悲劇は、レバノン内戦の中でキリスト教とイスラム教に振り回され、恋人や子どもを無くし、拷問され、レイプによって妊娠させられた母親と、決して幸せではなかっただろうその子供たちの悲劇である。
第二の悲劇はオイディプス王のギリシャ悲劇を、上記の現代レバノンの悲劇に重ね合わせたものだ。
つまり、本作の母親は子供をキリスト教徒に殺されたと誤解し、ムスリムの一員としてキリスト教政党幹部を暗殺したため、監獄に収監されて、そこでレイプされる。しかし、その拷問人は自分の息子であり、生まれた子供たちは近親相姦の禁忌の所産だった。
これは知らぬ間に子が父親を殺し、母親と婚姻して子を設ける禁忌を犯すが、それを知った母親は自殺し、自らは両目を突いて盲目となったオイディプス王の悲劇を、現代レバノンの悲劇と二重写しにしているのである。
本作の場合、子ニハド・ド・メ=拷問人アブ・ダレクは母ナワル・マルワンに対し、精神的に殺したうえ子を孕ませる行為により、オイディプスと同様の立場に立っている。
中東映画は欧米や日本ではさほど紹介されていないし、レバノン内戦を描いた作品はもっと限られているに違いない。そんな社会に突如、宗教対立の中で平気で殺し殺される内戦の日常を描いた作品が登場したのだから、誰でもびっくりする。アカデミー賞にノミネートされたのは、そうした背景があるに違いない。
ただ、宗教対立等の内戦の状況を知らないと、はっきり言って何が起こっているのか分からないし、衝撃の現実も延々と描かれてしまうと一本調子に感じられてしまう結果、映画としてはまとまりを欠く印象が避けられない。
また、こうした内戦の悲劇の描写は、現実のガザ地区やウクライナでの戦争の現実と比較され、その衝撃は削減されて行かざるを得ない。だから第一の悲劇の側面は、いかに衝撃的な事実でも、いかに演技が見事でも、当初は本作の強みであったろうが、やがて本作の弱点とならざるを得ない。いわゆるジャーナリスティックな映画と同様、忘れ去られていくものだろう。
その時に浮上するのが、運命劇としての第二の悲劇の側面である。人はどうして、こうした悲劇に立ち向かっていけばいいのか。オイディプスのように自殺か失明かしなければならないのだろうか。
最後のシーンで、母の手紙3通の内容が明かされる。それは、愛によって憎しみの連鎖を断った安らぎと、共生の必要性を訴えるものだった。悲劇が神の意志であろうと、運命の必然であろうと、人はかくあるべき、という思想が伝わってきて、そこはかとない希望が余韻として残る。
マグダラのマリアだね。
宗教に関係なく人間としてやってはいけない最大のタブー。
フィクションであるだろうが、このストーリーが宗教での争いに終止符打ってくれれば良いが、現在この地は混沌とした状況。
『家族の絆』『母親の愛』何ていう次元ではない。母親の気持ちが分かるような気がする。本当は殺して、自分も死ぬ事を考えなければならない。しかし、それでも、全ての者を愛している。それが出来ない。だから、自分が生きている間は『贖罪』として沈黙を守り、全てを最後に話したのだろうと思う。人類に於ける『贖罪』ととられるべきだ。この映画の状況つまり1+1=1でなくとも、こう言った現実は重くのしかかる。宗教を越えて男からの一方的な生殖行為は淘汰されなければ駄目だ。また、
従軍慰安婦問題があった無かったではない。慰安所はあったわけだから、どの民族、どの人種であれ、止めるべきなのだ。勿論、その前に戦いを止めよう!!
マグダラのマリアだね。
激しい内戦を背景に、祖母から孫娘に、そしてその子供達に引き継がれる熱い骨太の家族史的物語
ドゥニ・ビルヌーブ 監督による2010年製作(131分、PG12)のカナダ・フランス合作映画
原題:Incendies、配給:アルバトロス・フィルム
デジタルリマスターー版劇場公開日:2022年8月12日
その他の公開日:2011年12月17日(日本初公開)
明確には示されてなかった気もするが内戦の最中(キリスト教徒とイスラム教徒間の長期(1975〜1990)に渡る争い)のレバノンが舞台。
カナダ在住の双子男女の主人公達(メリッサ・デゾルモー=プーラン、マキシム・ゴーデット)は、そこで生まれ育った母親の足跡と、遺書によって存在が明かされて、指示もされ自分達の父親と兄を探す旅に出る。
母親ルブナ・アザバルは、キリスト教徒であったがイスラム教徒の夫と恋愛する。しかし夫は兄達に殺され、その後生まれた子供は、祖母により踵に印を付けられて孤児施設に預けることとなり、自分は高等教育を受けさせられる。しかし、内戦が勃発し大学は閉鎖してしまう。
内戦の描写が凄まじい。キリスト教徒達はイスラム教徒達が乗ったバスを襲撃し、女子供も区別なくバスごと油をかけて火をつけ皆殺しにする、戦禍の中で子供を探している最中に巻き込まれた母親ルブナは、自分はキリスト教徒だっと言ってかろうじて助かるが、助けようとして抱えた幼子も撃ち殺されてしまう。カナダ・フランス映画でありながら、キリスト教徒による異教徒虐殺は、あまり見たことがなく、かなり強い衝撃を受けた。
その事件後、ルブナは希望してイスラム側のテロリストとなり、キリスト教側指導者の家に子供の家庭教師として潜入し、その指導者を見事に射殺。脱出準備も無く、当然敵側牢獄にぶち込まれが、そこで歌うことで何とか正気を保ち「歌う女」と呼ばれる様になる。その牢獄で出会うのが、拷問人の若者。
踵に印が有る子供や若者の映像がふいに挿入され、ルブナの最初の子供の軌跡が説明無しでさりげなく示されるのが、映画的で上手い。
双子の主人公達は、母親がその拷問人により孕まされ自分たちが生まれたことを知る。そのショックを和らげるためか、プールで爆泳し、胎児の時の様に水中で抱擁し合う映像が、やりすぎとは思ったが、かなり強く印象に残った。
兄の行方を追っていた主人公の1人マキシムが、1+1=1となってしまったとメリッサに告げる。その意味を知り嗚咽する彼女。劇的な展開で、こちらも一緒に大きな衝撃を受けた。このことを移住先のカナダのプールサイドで知った母親ルブナは、そのショックのせいか亡くなってしまった訳だが、最後の間際には救われた境地になっていた様。
即ち、母は自分の子供たち2人が、レイブではなく、愛する人間との間で誕生したと考えられることに、救いを覚えた。そして、そのことを、子供たちにも伝えたいと思い、その強い気持ちを遺書に託した。そして、その後に長男に渡す手紙を残した。
1人の母なる女性の強い意志を持った生き様、それが世代を超えて子供達にも影響を与えていくこと。そして、その骨太の家族史的物語を戦火を背景に語って行く本映画に、強烈なエネルギーと凄みを感じた。
監督ドゥニ・ビルヌーブ、製作リュック・デリー キム・マクロー、原作ワジディ・ムアワッド、脚本ドゥニ・ビルヌーブ、撮影アンドレ・チュルパン、美術アンドレ=リン・ボパルラン、衣装ソフィー・ルフェーブル、編集モニック・ダルトンヌ、音楽グレゴワール・エッツェル、挿入歌レディオヘッド
出演
ルブナ・アザバルナワル・マルワン、メリッサ・デゾルモー=プーランジャンヌ・マルワン、マキシム・ゴーデットシモン・マルワン、レミー・ジラール公証人ルベル。
1+1=…
物語のメイン人物である双子の姉が母の遺言通りに父を探しながら母の過去を辿っていくのですが、まぁ序盤は退屈で仕方なかった。
しかも現代の娘のシーンと母の過去シーンを交互に出されても、母と娘が初めは同一人物か?と思えるくらい見分けが付かなくて、切り替わりがわかりにくかった。
中盤から見分け付くようになりましたが。
それにしても母の過去が凄まじのなんの…。
好きな男は目の前で射殺、子供は施設に入ったものの戦争やらテロやらで死亡(本当は生きてる)、派閥のお偉いさんを殺して刑務所に入れられる、しかも拷問でレ◯プされて双子を出産…。並の精神力じゃない。
辛いの一言じゃ済まないのでなんて言って良いかわかりません。
姉は自分たちがレ◯プされて産まれた事を知るんですが、それだけでも信じたくない話なのに、双子の弟が兄を捜索して知った事実が更にヤバい。
1+1=1の意味を理解した姉の反応が1番怖くてビックリした。
どんな真実が明かされるんだと考えてはいたものの私も「ああああーーーー!!!!そういう事!?うわ〜…」と予想外でしたね。
母も真実を理解しちゃったらプールで放心状態であんな顔になるよ…。
兄も双子も、知らなくて良い真実を突き付けられて誰も幸せにならない。
2人だったから持ち堪えられたかもしれないけど……父であり兄に対してどんな感情向ければいいのか…。
兄もしんどいよね…母の事を探してたのに、知らなかったとは言えまさか自分が母に拷問してたなんてね…。
唯一、母は苦しみから解放されたのかな?でも幸せではないよね。自分の子供に過去を辿らせて真実を突き付けるってなかなかえげつないなと思いました。
中東の複雑な事情が恐しくのしかかる
レバノン内戦の複雑さよ。
この辺りの事情をあまり知らないで見るとこの映画に対する印象や感情は異なるのでは?と思う。
非常に個人的でありながら非常に非個人的。
ありえない、非日常的な出来事の連鎖とも見えるが彼の地では非日常には思えない。
そして今カナダで生きる登場人物たち。これはオンゴーイングなことである。彼らの年齢父親母親の年齢。過去のことではなく今の、現代のことであることも。
タイトルは、原題は、火という意味のようだ。これも邦題が魅力的てはなく、鑑賞するのが遅れた。素晴らしい作品だ。
自分の生活、属性とはまるで違う視座で人生を考えること、そのような機会、演習するためにもみるべき。
灼熱の魂、まあそういうお方の一生をしるものだが、業火ということか。まず若い時の悲しい恋愛があり、宗教とか党派とかでないみんなのための平和を希求し新聞など文筆で戦おうとするもあまりに理不尽な内戦に、武装闘争しなければ理解されないし実現しないと、激烈な闘争をし激烈な獄中を闘い、それでも国外に逃れ子どもを育てた母。純粋数学などとむずかしそうな話が出てくるが最後は1+1という算数の衝撃。とにかく激烈な国であり激烈な事情があり激烈な生と死があり、地域社会と国際政治に挟み撃たれて平穏な人生なんて奇跡なんじゃないかとさえ思う。
個人的には、事情を飲み込めてないから仕方ないけど、入院中の、双子の命を救い親代わりに育てた人が、ヤラヤラ、おいで、と呼びかけたとき、双子には彼女と抱擁して欲しかった。そのくらい、物語、人の生きた歴史としては悲しく辛いし、強い母が最後に子どもたちに強さと愛をしっかり遺した。
ガイアの遺言
全くの初鑑賞でした。レバノン内戦をモデル・背景とした、ヒューマン・サスペンスドラマ。これは衝撃的でした。色んな意味で、もの凄い濃度。
ギリシャ神話で言うと、ガイアとウーラノス。神話の中では男女6人づつの子を産みますが、ここでは男女の双子。各々に、「父親と兄を探し出して手紙を渡せ」との、後に冷酷と判明する遺言が残されると言う。なぜ、そんな遺言を残したのか。
知らない方が良いこともある。
ってのを、一般社会的な立場からの進言だと思う訳で。1+1=1であることを、弟は調査の途中段階で推測し始めます。それは、明らかになって来た父親の身元情報からでは無く、なぜ、あの母が、こんな遺言を遺したのか?に対する疑問から。
結局、「ガイヤ」である母は、息子への愛と、双子の父親への期待=一緒に居ることが大事、の言葉を手紙に残していました。
神話のガイアは、天をも内包した世界そのものであった。その世界の中で、憎しみも恨みも、愛も全てを飲み込んで生きて行けと言う。それが、母の遺言。
宗教戦争の残虐性を、ナワルの生活を通して生々しい描写で見せながら、双子の出生の秘密に迫っていくというミステリーの建付けは、最高にドキドキした。
良かった。
とっても。
ヴィルヌーヴはプリズナーズ以降しか知りませんでした。
これは凄いです。文句のつけようのないくらい。
すっきりしないが
見応えはある。
が、極めて確率の低い「不幸な偶然」でプロッ卜が成立していて、映画の主題に結びついていない気がする。そのため、母からの手紙の中の言葉や台詞で映画のテーマ(憎しみの連鎖の遮断、共にいることが大切…)を語らせてしまっている(映画なのに)。そこが残念。
あまりに衝撃的な「不幸な偶然」はなくても良かったのではないか。何か話題作りのためのようで、すっきりしない。
(シネフィルWOWWOWプラス)
もしかしてそうなのか!?と思ったらそうだった。
愛するものを失った悲しみと、これから失わなければならない悲しみに嗚咽し、涙した。
まさかそうなのかな、でも出来過ぎだよね、と思っていたら驚愕の事実。
運命とは皮肉なり。
息子と母、なんとなく感覚的に気づくこともありえるだろうに気づかなかった。
でも弟と妹が生まれてきて愛されたことは、生まれてきて愛されなかった兄に送れるものがある。
それは愛。
それを伝えたかったのか監督。
朝露
「灼熱の魂」
原題「Incendies」
製作国 カナダ/フランス
監督/脚本 ドゥニ・ヴィルヌーブ
○原点
原作はワジディ・ムアワッド氏の戯曲「約束の血」の第2部である。
ムアワッド氏は1968年にレバノンの首都ベイルートに生まれ、8歳でレバノン内戦に巻き込まれフランスに亡命した経験があり、具体的に示されてはいないが、本作はレバノン内戦(1975-1990)がモデルになっている。
その後、ムアワッド氏は本作の舞台の一つであり、ヴィルヌーブ監督の出身地でもあるカナダのケベック州に移住した。
移民の国であるカナダでは、母国で凄絶な経験をした者が多く、自分の過去を誰にも話さぬまま墓まで持っていく事が少なくない。
余談ではあるが、ケベック州はフランス語圏でアメリカへの対抗意識が強く、本作の様にハリウッドで扱い難い題材を含む作品が生まれる地盤となっている。
○意匠
・公証人
冒頭、髪を刈り上げられるアブ・タレクがカメラを凝視するシーンは、紛争地域で繰り広げられる悲劇に対し、観客が証人になる事で第三者として関わりうることを示唆し、歪んだ世界を告発している。
・サブタイトル
各章は全て血の赤に塗り潰されているが、物語の転機には荒土の草木や女性の髪が風に揺れるという文学的肯定によりバランスを取っている。
・バス
髪を覆うスカーフと十字架、宗教の違いを皮相で見せる事に冷めた感覚があるが、我が子への想いは勿論、報復も愛によるもの。
燃え盛る炎には幾つもの愛が絡まり合っている。
・プール
魂が焼け焦げる手前で彼女を引き留めていたのは、命を宿すと同時に生まれる水である。
プールでの再会はその証左だ。
・約束
遺書を読むアブ・タレクをバストサイズで捉えていたカメラが右側にPANし、白壁に映る彼の影を捉える。
子守歌の様に、喜びと悲しみと共にあり続ける。
○弁証
18もの宗派が共存し巧妙にバランスをとりながら存続してきたレバノンはしばしばモザイク国家と呼ばれる。
坩堝ではない。
溶け合うのではなく、あくまでもモザイクである。
兄姉弟は、自分達の命が数々の罪無くして存在しないという事実に辿り着く。
もし母が襲われていなければ、収監されていなければ、暗殺を実行していなければ、同じキリスト教徒に襲撃されていなければ、子供が攫われていなければ、難民と恋に落ちていなければ、争いが起きていなければ、彼等は生まれてこなかった。
1+1=1、eiπ+1=0
貴方は誰も恨まない。祟らない。
偶然に翻弄され尽くしたかに見えた悲劇が、約束を巡る必然へと鮮やかに反転し、乾燥した大地で剥き出しにされた少年の眼差しは、湿度を帯びた緑滴る静謐な世界へ変わる。
「結果自然成」神と罪、そして世の無情は、0という愛の円環で繋がれ、そして次なる悲劇の重しは無くなった。
だからこそ、我々の一世一代、灼熱の魂。
○補完あるいは余談
・ダンテ「神曲」
・ゲーテ「ファウスト」
・宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」
下地にあるのは言うまでもなくオイディプスとアンティゴネですが、本作に自棄や陶酔は有りませんのでこれを軸に捉えるのは早計です。
また、行動劇としての潔さや歌はハムレットを想起させますが、自然な暢達さは許されておりません。
そもそも、悲劇の中の悲劇が舞台でありながら、僕の意識はある種の高揚感を感じているのです。
ですから本作には人間悲劇と神聖喜劇が混在していると解釈しました。
喜劇を前提としますと、純粋数学の静けさや大胆ながら均整のとれた構成から、先ずダンテの「神曲」が挙げられます。
次に、人の業を公証人視点で捉えてみますと、魔法少女まどか☆マギカが浮かび上がります。
しかし、鏡の国のアリスの要素は本作にはありませんので、結晶体として残るのはゲーテの「ファウスト」です。
そして悲劇ですが、僕にとって本作の悲哀は、内戦や拷問や真実ではなく、一方向の慈愛にあります。
自分は愛されていたのだという実感を生まれて初めて得た時、彼は感謝も謝罪も償いも何も出来ない無力で愚かな己を知るのです。
そういう意味で宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」は外せません。
僕は昔からブドリの妹であるネリが不憫でなりませんでした。
目の前に居る筈のブドリの視点は心象宇宙で結ばれています。
彼女の愛がブドリを捉えた事は無いのです。
どこかの映画評論で・・・
この作品をギリシャ神話のオイディプスの悲劇になぞらえた評論を読んだ気がするが絶妙だと思う。評論自体が記憶に残っていることなどこの作品以外では無いと言っていいくらい、この映画の悲劇性をよく表現できているのである(これだけでややネタバレ感ある)。
また穏やかな空気流れるカナダと中東の紛争地帯とが同じ時間の流れの延長(もしくは並行)にあるのだと感じられ、悲劇性をよく際立たせているのである。
それゆえにもう一度観るのを躊躇われる気持ちはあるが、観た事のない方には一度観てもらって感想を聞きたいと思う。
またこのクソ監督。。
知人が「評価が高い」ということで借りてきてしまった。。
ああそうなのか と、何気なく見はじめたが
序盤を過ぎたあたりで
「あれ、、何か見たことある感じだ」と感じてクレジットを見てガッカリ。
そう、前回クソ映画モドキとレビューした
脅威の好評価ミステリー「プリズナーズ」の監督と同じ監督だったのだ。最悪だ。
どうせキリスト教を蔑ろにした奴に天罰が下るんだろ?と、穿った見方をしていたら、
まあ~その通り。
ついでに言えば戦争を背景に持ってきてる分、プリズナーより更にクソ度は増している。
戦場のピアニストのレビューにも書いたが
戦争という題材は本当に平等に描こうとすれば物語にはなり得ない。必ずどちらかに感情を移入せざるを得ないような代物を下手にシリアスに描くべきじゃない。
この映画で言えばキリスト教幹部を暗殺した
主人公はまるでテロリストのような描き方で拷問を受ける。
が、逆にイスラム教の幹部を殺すことはどうなのか?イスラム教信者からすればそれもまたテロだろう。
しかし、この映画では本題が戦争ではないのでそこまでは描かない。であれば背景に戦争を持ってくるなと感じる。
【平等に見せかけた扇動】という手口は、この監督の常套手段のようで、一見キリスト教にも問題があるように見せかけつつも描き方としては実にキリスト教の聖書に沿い、キリスト教信者が思い描いている【神】を感じさせる内容になっている。
結局、プリズナー同様に映画に見せかけた宗教の広報動画でしかない。
物語としては手塚治虫の【火の鳥】の太古の日本で描かれている近親相姦と愛についての方がよほど考えさせられる。
この監督は最近だとバカウケに似た宇宙船の
メッセージを撮ってるが
そっちも表面上はSFだが内容は受胎告知、聖母マリア等を題材にしている。
完全なる宗教ヘッドだ。
クリスチャン以外で【好評価】を鵜呑みにしてべた褒めしてる連中は
仏陀降臨というありがたーいクソアニメ映画(笑)を見て、自分が見ている物がなんなのかを考えた後に
この映画がどうして【好評価】として扱われるのか?という理由を考えた方が良い。
勘違いして欲しくないのは 宗教の自由についてとやかく言ってるわけではなく
映画 という誰しもが楽しめるエンターテイメントを利用してひいきにしている宗教の刷り込みは最高にクソだということ
それは自身の宗教を邪推なビジネスレベルへと落とし入れてるだけだと。そういう見解です。
彼女こそが。
凄まじい。この作品のラストシーン、ミステリーの謎が全て解きほぐされたそのシーン、母がプールから顔を出し、「かかと」を視認したそのシーンで、その絶望と、恐怖に、劇場の観客の空気が一瞬にして完璧に凍りついた。私は鑑賞後、そのシーンを思い出し、ブルブル震えた。
ホラー映画ではない。自殺した母の謎の遺言によって、双子の姉弟が、いないはずの父と兄を探すことになる。というストーリーであるが、調べていくうちに母の壮絶な人生が明らかとなっていく。母はなぜ生き続けたのか、なぜ仕事はまともにこなせたのに母親としては最低であったのか...
exp(iπ)+1=0
ゆえに神は存在するとレオンハルト・オイラーは言った。
そんな神が、1+1=2 を 1+1=1 に捻じ曲げてしまったのだとすれば、あまりにも非情である。
曲も良い。Radioheadの5thアルバム『Amnesiac』から、
#4 You And Whose Army?
#10 Like Spinning Plates
が選曲されている。amnesiacとは、「記憶喪失」という意味である。
(以下ネタバレ)
彼女が生きたのは、母親としての息子への愛と、娼婦としての拷問人への復讐のためだったのだ。
彼女は息子をずっと探し続けていた。純粋なる愛によって誕生した神からの授かりものは、一族の常習から逸脱したものであったせいで、産後すぐに取り上げられてしまう。彼女は、彼女の愛の結晶を探しにいくが、道中、キリスト教とイスラム教の過激派による抗争に巻き込まれる(このバックグラウンドは勉強不足ゆえに全く詳しくないのが恥ずかしい限りなのであるが。)。クリスチャンであることを隠しながら乗ったバスはキリスト教徒の武装勢力により襲撃され、唯一助け出そうとした少女も殺害される。そして、息子の居場所だと思わしき孤児院を探し出したときには、そこはすでに攻撃されており、孤児らは行方不明。彼女はこの世に絶望する。
そして彼女の復讐劇が始まる。彼女はこの戦争の指導者に子供の教育係を装い近づくことで、彼の殺害に成功する。政治犯として捕まった彼女は、監獄に15年も収容されるが、歌を歌い、強い眼差しで睨みつけ、決して屈することはなかった。そこで激しい怒りを売った彼女は、外から来訪した拷問人により、レイプ、孕まされ、そこで子供を産み落としたのだ。
母は、釈放後、産んだ子供と共に新たな生活を始める... 双子の子供と共に。
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母の、プールサイドで見つけたあのかかとの印を持つ男の顔を見た瞬間の感情は、想像もつかないほどのものである。もはや文章におこすことも憚られる。そして、彼女は、双子に手紙を託し、それを彼に渡すことで拷問人への復讐と、母の愛をもたらすこと、それを完遂させた。彼は、ずっと探していた母が、顔も忘れていたあの収監者だったことを知ったとき、何を思ったろう。
そして彼を赦し、全てが達成されたこの時、その命を絶って初めて母は、双子を、我が子として真に愛することができたのである。
~~~~~
オイラーは神は存在すると言った。ニーチェは神は死んだと言った。
クリスチャンであった母が、イエスから受け継いだアガペーという究極の愛の形。
皮肉にも、母から十字架を受け取った双子の姉は神とは対極の位置にあろう数学の道へ進んでいたのだが。
私は彼女の生き様にゴルゴダで十字架に打ち付けられたイエスの姿を投影せずにはいられない。
普段は無神論者の立場をとっているが、今は言おう。
彼女の生き様こそが、神の姿である。
愛と情熱の魂(1+1)=1
宗教だけでなく、いろんな思惑があり内戦が起きて敵対しながらどんどん残酷な殺し合いになっていく。
普通に愛する人が出来て子供を身ごもる事が物凄い罪になるのですね。(かの国では)
いとも簡単に愛する人を殺され、それからのナワルの人生は棘の道でした。
ジャンヌ、シモンのの姉弟は母の過去を知らない。そうでしょうこんな過去を生きている内に子供に伝えることなど出来ませんよ。
遺言の中に託された思いは許しと愛でした。
ナウルの遺言状から始まり、姉弟は母の過去を尋ねる。
次々出てくる驚愕の真実!
その間にナウルの生き様を写し、画面が忙しく変わっていく。
終末まで息を吞んで観ました。
今日再度観て1回目では分からなかったナウルの思い、辛さ強く感じました。
プールで見た足のかかとの3つに・・・どんなに恐ろしかったことでしよう。
本来であれば、あんなに会いたいと思っていた二人だから抱き合って会えた事の嬉しさ
噛みしめるはずですが、顔を見た瞬間生きて居られない程のショックですよ。
この国に生まれなければ、この時代に居なければ、他の人を愛して入ればと考えます。
もっと言うと人間とは・・・。罪?と罰?
中東の悲劇と古典のハイブリッド
明示はされないけれど、どうやらレバノン内戦を背景に、ひとりの女性の苛酷な半生と、彼女の死後、奇妙な遺書に導かれて双子の姉弟がその足跡を辿る姿が並行して描かれる。その過程は、いかにも内戦の悲劇を描いたものなんどけれど、ラスト近くで、これはオイディプス王の悲劇を、その子供たちが自らの出自を知るという形で語り直したものでもあるんだということがわかる。なんとも大胆な構成で、切り口豊富な語りがいのある傑作。
物語の裏側
母親の突然の死。
母の遺言により、残された子は、未だ見ぬ兄と父を探す旅に出る。
(兄と父を見つけ出すまでは、自分の埋葬はしてならぬと、母親は謎の遺言を残していた…。)
兄と父を見つけようと僅かな手がかりで中東の村々を巡る。少しずつ明かされていく母親の過去。それは中東の内戦と深く暗くリンクしたものだった…。
静かに張りつめた映像は、まるでドキュメンタリーを観ているかのようだった。
「近現代の中東問題を織り込んだ骨太なサスペンス」として、非常に興味深い映画だと思った。
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だが、結末で、自分が勘違いしていた事に気付かされる。
この映画は「近現代の中東問題」だけではない。
違う次元の物語をも同時に描いていた。
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結末で提示されたもの…父・兄の秘密は、『オイディプス王』の如しであった。
そして、この映画は、ソポクレスによるギリシア悲劇『アンティゴネ』(オイディプスの娘の物語)の翻案なのだと思う。
『アンティゴネ』は「埋葬」がテーマの物語だ。
そして本作『灼熱の魂』も「埋葬」が話の端緒であった。
アンティゴネが家族を埋葬するために命を賭したように、この映画の中の娘も母親を埋葬するために奔走し血の涙を流す。
勘の良い人なら、映画の途中で、これはソポクレスから引用した物語だと気付くのかもしれない。「踵」の入墨、母親の呼名「歌うたい」など、至る所にギリシア悲劇のキーは散りばめられていたのだから。(『アンティゴネ』のセリフを引用している箇所もあったと思う。)
私自身は映画終盤まで中東レバノン内戦の話だと勝手に思っていた訳だが、『灼熱の魂』の中で、実は国は特定されていない。国を特定せず、「物語の普遍性」を保った映画だったのだと思う。
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2500年前、ソポクレスは、どんな思いを込めて、『アンティゴネ』を綴ったのであろうか。
『アンティゴネ』における「埋葬」の意とは何だったのか。
許されざる者の埋葬…それは「許しの証」であり、憎悪に慈愛が勝った証しとなる。
相手を「許す」ことによって、己の穢れた運命も初めて「許される」。
過去を許すことが唯一の希望となる…そんな悲痛な思いが込められたものではなかったか。
『灼熱の魂』の戯曲は、レバノン出身のワジディ・ムアワッドが手がけた。彼もまた、「許し」が、苛烈な中東の歴史を乗り越える希望であって欲しいという願いを、本作に込めたのであろうか。
2500年前の物語と近現代が交錯した、凄味のある映画だったと思う。
連鎖の遮断
初見時には、ナワルの人生のあまりの過酷さとその運命の悪戯に呆然とするしかなかったが、ひさしぶりに再見してみると、この運命の悪戯が憎しみの連鎖を遮断するためにどうしても必要だったことがよくわかる。
キリスト教徒でありながら、(パレスチナ)難民の青年と恋に落ち身籠もったナワルは出産後、大学に進学し、難民擁護の活動に投じる。国中が混乱する中、息子を捜す彼女はムスリムを装いバスに乗り、バスが襲撃されれば十字架を手に生き延びる。そして、息子がいたかもしれない難民キャンプ襲撃の惨状を目にした彼女はキリスト教指導者を暗殺し投獄される。
一方、キリスト教系の孤児院からイスラム側の民兵組織に連れ去られた息子ニハトは少年兵として訓練を受け、凄腕の狙撃兵となる。しかし、逮捕されると洗脳され、政府側(キリスト教側)の拷問人アブ・タリクとなる。
これはもう立場の異なる人々が、問題解決に暴力でしか対応出来ないだけであって、宗教なんて関係ない。
そして、暴力は暴力を呼ぶ。
兄は父、1+1=1。衝撃的な事実。
けれど自分をレイプした絶対に許せない拷問人は、捜し求めていた愛する人との息子だった。だからこそ、ナワルは憎しみの連鎖を止めることが出来た。
ニハトもカナダにいることを彼女は知っていたのだから、はじめから双子に全てを告白してもよかったのかもしれないが、自分たちが生まれた故郷の土を踏み、母親の人生を辿ることでナワルは子供たちに理解して欲しかったのだと思う。
近年、ハリウッド大作の監督作が続いているドゥニ・ヴィルヌーヴだが、自ら脚本(脚色)を手がける本作のような作品の方が真価を発揮できるんじゃないかと個人的には思う。
知らずに生きたほうが幸せだった
カナダ映画「アンサンドゥ」を観た。
2011年アカデミー外国語映画賞にノミネイトされたが、「イン ア ベターワールド」が受賞したため、惜しくも賞を逃した作品。
レバノン生まれのカナダ人 ワジデイ ムアワッドの芝居を デニス ヴィルヌーブが監督して映画化した。アラビア語とフランス語で映画が進行し、英語の字幕がつく。130分。全編 ヨルダンで撮影された。
ストーリーは
中東。孤児院に収容されていた男の子ばかりが集められ 軍服姿の男達によって 一人一人髪を刈られ 丸坊主にされていく。乱暴にバリカンで髪を刈られながら 固く唇をかみ締めて 不屈な瞳で男達を見つめる少年のズームアップで、映画が始まる。
カナダのケペック。フランス語圏。
ナウル マワンは弁護士の秘書を 20年近く勤めながら、双子の姉弟、ジェーンとサイモンを 育ててきた。彼女はこの弁護士のパートナーでもある。ジェーンもサイモンも もう成人して独立した。
ある日、突然ナウルが発作を起こして床に就き、やがて死ぬ。残された遺書を開いて、ジェーンとサイモンは驚愕する。遺書には 兄と父親を探し出し同封された2通の手紙を渡すように と書いてあったのだ。ジェーンとサイモンの父親は 母がカナダに来る前に 中東、ダレッシュの内戦で戦死したと聞かされていたし、兄の存在など聞いたこともなかった。母に どんな過去があったのか。
ジェーンは数学者として 事実から目をそむけてはいけない と考えて母親が生まれた土地、中東のダレッシュに向かう。(ダレッシュはレバノンと思われるが、架空の地名だ。)ジェーンは 母の古いパスポートと写真を頼りに 内戦と 血を血で洗う宗教戦争に引き裂かれた激動の60年70年代を生きた母の軌跡を追うことになる。
ナムルは ダレッシュ南部の小さな村で生まれた。伝統的なモスリムの厳しい戒律が生きる土地だ。ナムルは宗教上 許されない相手に恋をして 恋人を兄弟に殺され 恋人との間にできた男の赤ちゃんを産むが、家名を汚した罪で 家から追われ、ダレッシュの街に、叔父を頼って出てくる。
クリスチャンでリベラルな叔父は ダレッシュ大学の教授だったが、ナムルに教育を受けさせ 彼の持つ新聞社で働くように世話をした。
1970年、極右勢力がダレッシュを占拠し、大学を封鎖した。叔父達はダレッシュを捨て 北に避難する。しかしナウルは 故郷に戻り 昔自分が生んだ子どもを引き取りたいと考えて南部に向かう。しかし南部は完全に極右勢力によって占拠されていた。家は瓦礫となり、家族の姿はない。産んで すぐに取り上げられてしまった息子は 孤児院ごと 軍に連れ去られたという。
街に向かう途中 モスリムの乗客でいっぱいのバスに 乗せてもらったところ、軍に襲われて バスごとガソリンをかけられ 乗客はすべて惨殺される。辛うじてクルスチャンとして一命を取り留めたナウルは 反政府ゲリラに入る。そして極右政府の議長の家に、家庭教師として入り込み 議長を暗殺する。ナウルは政治犯として捉えられ、監獄に送られる。女囚に対する 拷問やレイプはすさまじいものだった。監守の中でも、最も残酷な男からナウルは 繰り返しレイプされ、15年間の刑期を終えるときには妊娠していた。監獄で出産をして、ナウルは 新政府の恩赦によって、産み落とした赤ちゃんとともに、カナダに送られる。
母親の歩んできた道は そのような過酷なものだった。中東の宗教戦争、対立や政治犯などについて、何も知らなかったジェーンとサイモンは、傷つく。しかし そのような中で、遂に探し出した兄と父は、、、。
おどろくべき事実が明らかにされる。
ナウルの1949-2009と、彫られた墓石の前に佇む男の姿を最後に、映画が終わる。
大変 インパクトのある映画なので、心臓の弱い人は観ない方が良い。一緒に観たオットなど、映画にあと、家にもどり 一言も口をきかずにベッドに入ってしまった。ナウルは60歳で死んだことになる。彼女の生きた60年、70年は シナイ半島、中東戦争、イスラエル進駐、パレスチナ蜂起、など、ナウルは火薬庫の上で育ったようなものだったろう。映画のようなことも、確かにあったかもしれない。
この映画の残したテーマで 考えたことは、「過酷な過去から人は立ち直れるものだろうか」、という問いと、「母は子に何を残すのか」 ということだ。私は 人は残酷な過去を忘れて 立ち直ることができる、と信じる。人は 触れられれば血が噴出すような 生傷を抱えて生きているが 触れずに生きている。忘れたふりも、立ち直ったふりをすることも上手だ。沢山の人が、そうして生きて来たと思う。ナムルの過去がどんなに残酷なものだった にしても、、、。
それと、母親が死ぬ時、子供達に何を残せるか。どんな親も 子ども達が生きてくれたことを祝福し、感謝し、自分からは1セントでも多くのものを 残してやりたいと思うのが自然だと思う。死ぬ時に自分の負債を子どもに残したい母親など居ない。その意味で、この映画は、非現実的だ。彼女が激白したことで、暴かれた秘密は、子供達にとって抱えきれないほどの痛みだ。残された子供達に それを どう乗り越えて生きろというのか。生き続けられないかもしれない。彼女は最後に 双子の姉弟の兄と父にむけて 愛に満ちた手紙を届けさせた。それが愛だろうか。復讐ではなかったか。
知らないで居る方が、ずっと幸せな場合もある。
映像が美しい。音楽とマッチして とても効果的だ。
母親の過去を探すジェーンとサイモンの「現在」と、ナウルの「過去」とが、交差しながら物語が進行する。画面が現在になると、ロックやブルースのリズムにアラビア語の のびやかな歌が響く。ナウルの過去に画面が変わると 音楽はクラシックの賛美歌に変わる。
風の音が印象的だ。砂塵と風の音、、、遠くのモスクからお祈りの声が響き渡る。映像が洗練されていて、美しい。
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