灼熱の魂のレビュー・感想・評価
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連鎖の遮断
初見時には、ナワルの人生のあまりの過酷さとその運命の悪戯に呆然とするしかなかったが、ひさしぶりに再見してみると、この運命の悪戯が憎しみの連鎖を遮断するためにどうしても必要だったことがよくわかる。
キリスト教徒でありながら、(パレスチナ)難民の青年と恋に落ち身籠もったナワルは出産後、大学に進学し、難民擁護の活動に投じる。国中が混乱する中、息子を捜す彼女はムスリムを装いバスに乗り、バスが襲撃されれば十字架を手に生き延びる。そして、息子がいたかもしれない難民キャンプ襲撃の惨状を目にした彼女はキリスト教指導者を暗殺し投獄される。
一方、キリスト教系の孤児院からイスラム側の民兵組織に連れ去られた息子ニハトは少年兵として訓練を受け、凄腕の狙撃兵となる。しかし、逮捕されると洗脳され、政府側(キリスト教側)の拷問人アブ・タリクとなる。
これはもう立場の異なる人々が、問題解決に暴力でしか対応出来ないだけであって、宗教なんて関係ない。
そして、暴力は暴力を呼ぶ。
兄は父、1+1=1。衝撃的な事実。
けれど自分をレイプした絶対に許せない拷問人は、捜し求めていた愛する人との息子だった。だからこそ、ナワルは憎しみの連鎖を止めることが出来た。
ニハトもカナダにいることを彼女は知っていたのだから、はじめから双子に全てを告白してもよかったのかもしれないが、自分たちが生まれた故郷の土を踏み、母親の人生を辿ることでナワルは子供たちに理解して欲しかったのだと思う。
近年、ハリウッド大作の監督作が続いているドゥニ・ヴィルヌーヴだが、自ら脚本(脚色)を手がける本作のような作品の方が真価を発揮できるんじゃないかと個人的には思う。
悲劇の連鎖への終止符
静かなレバノンの一角地の映像から始まるこの映画。
ラジオから流れるように、レディオヘッドの曲が流れ始める。
強い眼差しでカメラを、何かを見つめる少年はすでに何かを悟っているようだ。
そして映像はカナダのシーンに映り、映画は始まる。
もうこの時点で鳥肌ものであった。
音楽は少ない。
ゴダールの映画のように、シーンごとにタイトルが表現される。
このように映像表現はスタイリッシュ。
だが、内容は壮絶だ。
母の壮絶な人生を辿る旅の先にあるものは…
レバノンでの母の人生を辿っていくごとに、見るに耐え難い映像と映画の中の事実が描写され続けていく。
それは、ニュースや書物からでは表面的にしか分からなかった、現実の中東があった。
やはり日本は平和であると今でも思う。
壮絶な母の人生を知っていく度に、背けたくなる現実を受け入れに迷いつつ進む兄弟が最後に決断したことは、揺るぎもない母の愛からである。
憎しみは憎しみしか生まない。
戦争は戦争しか呼ばない。
負の連鎖を止めるに母がした行為は
涙が止まらなかったし、言葉にならなかった。
それを受け入れた兄弟とその兄の心。
何があってもあなたたちを愛してるという
母の言葉は何よりも重い。
これほど衝撃的な映画はなかなかない。
内容はもちろん、映像・音楽まですべてのバランスがいい。
名作の1つだ。
信念とも言える魂に静かな感動を覚える
新聞の評論を読んでみにいこうと思っていてつい見そびれていた。
双子の姉弟に残された母親からの謎めいた、叙事詩のような遺言と2枚の手紙。一枚はあなたたちの兄へ、もう一枚はあなたたちの父親へ。この手紙が手元に渡ったとき、遺言は完成し、すべてが動き出す。反発する弟を尻目に、姉は母の人生を追い始める。
母親が生きてきた人生は灼熱という言葉ではとても表せない。熱く激しく、壮絶。その人生で生きた魂には、すべての出来事、歩んだ奇跡、感情などのなにもかもが深く刻まれた皺のように確かなものとして、くっきり浮かび上がっている。生き別れになった、愛する恋人との息子を探す母。それは運命なのか宿命なのか、翻弄され、最終的にどこへ行き着くのか見当もつかない。
2本あると思いこんでいた糸が次第に1本につながっていくさまは圧巻であり、見応えがあった。最後にわかる事実は重苦しいが、すべてを受け入れた姉弟のすがすがしい表情に希望を感じた。
母親の愛が…
素晴らしいの一言。
母親が亡くなり遺言を公証人が双子に読み上げるシーンで始まり、双子が兄と父を探しに出る。
姉弟が母の過去をたどり、母の時代に遡る展開を繰り返しながら物語は進んでいき、少しずつ複数の糸が繋がっていく。
そして緊張感のあるヒューマンサスペンスは衝撃的なラストを迎える。
全ての過去と現在がリンクした時、観客を母親の『愛』が優しく包み込み、その『愛』に胸を打たれる。
この衝撃的なラストに導く物語の進め方が実に素晴らしく、まさに圧巻。
戦争の中にある複雑で重い問題を映し出しながらも家族の愛、母性愛をしっかり描きだせていた事で『重さ』が物語により一層深みを与えていた。
役者の演技も素晴らしく、なぜアカデミー賞外国語映画賞を取れなかったのか不思議です。
がつんと来るドラマ。素晴らしい
民族紛争の悲劇の実態を少し描いた作品。特に日本人にはこういった紛争に無縁すぎて、戦争と民族紛争との違いが理解できないけれどもこの映画はその理解のヒントを与えたくれる。
数奇で悲惨な運命の物語。
レバノン出身のカナダ人の老女が亡くなり、二人の子供に遺言状が渡される。実は二人には兄がいること、そして父親を捜してその二人にそれぞれ手紙を渡してほしい。それがかなったら初めて墓碑銘に名前を入れてほしいという謎めいた遺言。母親の過去を探る旅。その衝撃のドラマの数々。
エンディングで「悲劇の連鎖を断つため、沈黙は守られ、そして約束は果たされた。」という遺言の謎の言葉がでてくる。この約束とは何か。
主人公が神に誓った愛の約束である。
何があっても子供たちを愛するという約束。
陰惨で恐ろしい場面も多数登場する。
息が詰まるような情景。
涙無くしては見れない、愛の物語である。
原題名は「焼かれ尽くされた魂」
ひたすら重く、酷い映画。
原作はレバノン出身のカナダ人劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲「焼け焦げる魂」。去年日本でも初上演された。
時は現代、初老の中東系カナダ人の女性が亡くなる。彼女は自分の双子の子供たち、姉弟にも、自分の心の中を見せず生きてきた。が、二人には遺言を遺した。それは、今まで知らされていなかった家族、実の父と兄へ宛てた二通の手紙だった。彼は、その手紙を届けるため、父兄を捜すうち、母親の壮絶無比な過去を知ることとなる。
映画では具体的に描かれていないが、背景として1970年代、中東レバノンでおきた内戦をモデルしている。
宗教、民族、イデオロギーが混沌とした状態にあったなか、それらがもたらす暴力と憎悪の連鎖、そしてそこに湧き上がる人間の業をギリシャ悲劇の型を借りてあぶり出していく。
母親は自分な壮絶な過去を語ることで、子供たちの世代に悪夢の連鎖を残さないとでも思ったのだろうか。だが、結果として残されたのは、彼らの心に深く沈む重荷だけである。それはこの映画を観た観客も同様。
しかし、それでも人間は生きていかなければならない。それがまさに。人間の業、だ。
1月17日 日比谷・TOHOシネマズシャンテ
これは“老母が神に命を捧げた詫び”だ
かなり重い内容の映画である。
突然の母の死。生前、多くを語らなかった母の遺言で、残された双子の姉弟は父と兄の存在を知る。そして父と兄に宛てて遺された手紙を届ける宿命を背負ってしまう。何処に住んでいるのか? 生存しているのかさえ判らない父と兄を探す旅が始まる。
あらすじだけを読めばミステリーということになろうか。
問題は、母が生まれ育ったのが内紛で政情が不安定な中東だったということ。事の発端は今から40年前まで遡る。
日本が大阪万博でお祭り騒ぎしていた時代だ。
同じ時代に、愛するものを奪われ、命がけで子を守り、信念に向かって生き、そして自由を奪われた人々がいたことを思うと、平和が当たり前のように生きてきた身として、なにか後ろめたい気分にさせられる。
子供でさえ生き抜くために銃弾を放つ国に、双子の姉弟のルーツが隠されている。
これ以上はネタバレになるのでストーリーには触れないが、母親はどこかで真実を知って欲しかったのではないか。子供たちに詫びようにも自らの口で語るには過酷すぎて、遺言という形でしか訴える手段がなかったのだろう。そしてきっと、自分の祖国を、現実を、しっかり子供たちの目で見て欲しかったのだ。
背負った十字架を命で償おうとする強固な決意が、自らの命の灯火を消したに違いない。これは“老母が神に命を捧げた詫び”だ。
知らずに生きたほうが幸せだった
カナダ映画「アンサンドゥ」を観た。
2011年アカデミー外国語映画賞にノミネイトされたが、「イン ア ベターワールド」が受賞したため、惜しくも賞を逃した作品。
レバノン生まれのカナダ人 ワジデイ ムアワッドの芝居を デニス ヴィルヌーブが監督して映画化した。アラビア語とフランス語で映画が進行し、英語の字幕がつく。130分。全編 ヨルダンで撮影された。
ストーリーは
中東。孤児院に収容されていた男の子ばかりが集められ 軍服姿の男達によって 一人一人髪を刈られ 丸坊主にされていく。乱暴にバリカンで髪を刈られながら 固く唇をかみ締めて 不屈な瞳で男達を見つめる少年のズームアップで、映画が始まる。
カナダのケペック。フランス語圏。
ナウル マワンは弁護士の秘書を 20年近く勤めながら、双子の姉弟、ジェーンとサイモンを 育ててきた。彼女はこの弁護士のパートナーでもある。ジェーンもサイモンも もう成人して独立した。
ある日、突然ナウルが発作を起こして床に就き、やがて死ぬ。残された遺書を開いて、ジェーンとサイモンは驚愕する。遺書には 兄と父親を探し出し同封された2通の手紙を渡すように と書いてあったのだ。ジェーンとサイモンの父親は 母がカナダに来る前に 中東、ダレッシュの内戦で戦死したと聞かされていたし、兄の存在など聞いたこともなかった。母に どんな過去があったのか。
ジェーンは数学者として 事実から目をそむけてはいけない と考えて母親が生まれた土地、中東のダレッシュに向かう。(ダレッシュはレバノンと思われるが、架空の地名だ。)ジェーンは 母の古いパスポートと写真を頼りに 内戦と 血を血で洗う宗教戦争に引き裂かれた激動の60年70年代を生きた母の軌跡を追うことになる。
ナムルは ダレッシュ南部の小さな村で生まれた。伝統的なモスリムの厳しい戒律が生きる土地だ。ナムルは宗教上 許されない相手に恋をして 恋人を兄弟に殺され 恋人との間にできた男の赤ちゃんを産むが、家名を汚した罪で 家から追われ、ダレッシュの街に、叔父を頼って出てくる。
クリスチャンでリベラルな叔父は ダレッシュ大学の教授だったが、ナムルに教育を受けさせ 彼の持つ新聞社で働くように世話をした。
1970年、極右勢力がダレッシュを占拠し、大学を封鎖した。叔父達はダレッシュを捨て 北に避難する。しかしナウルは 故郷に戻り 昔自分が生んだ子どもを引き取りたいと考えて南部に向かう。しかし南部は完全に極右勢力によって占拠されていた。家は瓦礫となり、家族の姿はない。産んで すぐに取り上げられてしまった息子は 孤児院ごと 軍に連れ去られたという。
街に向かう途中 モスリムの乗客でいっぱいのバスに 乗せてもらったところ、軍に襲われて バスごとガソリンをかけられ 乗客はすべて惨殺される。辛うじてクルスチャンとして一命を取り留めたナウルは 反政府ゲリラに入る。そして極右政府の議長の家に、家庭教師として入り込み 議長を暗殺する。ナウルは政治犯として捉えられ、監獄に送られる。女囚に対する 拷問やレイプはすさまじいものだった。監守の中でも、最も残酷な男からナウルは 繰り返しレイプされ、15年間の刑期を終えるときには妊娠していた。監獄で出産をして、ナウルは 新政府の恩赦によって、産み落とした赤ちゃんとともに、カナダに送られる。
母親の歩んできた道は そのような過酷なものだった。中東の宗教戦争、対立や政治犯などについて、何も知らなかったジェーンとサイモンは、傷つく。しかし そのような中で、遂に探し出した兄と父は、、、。
おどろくべき事実が明らかにされる。
ナウルの1949-2009と、彫られた墓石の前に佇む男の姿を最後に、映画が終わる。
大変 インパクトのある映画なので、心臓の弱い人は観ない方が良い。一緒に観たオットなど、映画にあと、家にもどり 一言も口をきかずにベッドに入ってしまった。ナウルは60歳で死んだことになる。彼女の生きた60年、70年は シナイ半島、中東戦争、イスラエル進駐、パレスチナ蜂起、など、ナウルは火薬庫の上で育ったようなものだったろう。映画のようなことも、確かにあったかもしれない。
この映画の残したテーマで 考えたことは、「過酷な過去から人は立ち直れるものだろうか」、という問いと、「母は子に何を残すのか」 ということだ。私は 人は残酷な過去を忘れて 立ち直ることができる、と信じる。人は 触れられれば血が噴出すような 生傷を抱えて生きているが 触れずに生きている。忘れたふりも、立ち直ったふりをすることも上手だ。沢山の人が、そうして生きて来たと思う。ナムルの過去がどんなに残酷なものだった にしても、、、。
それと、母親が死ぬ時、子供達に何を残せるか。どんな親も 子ども達が生きてくれたことを祝福し、感謝し、自分からは1セントでも多くのものを 残してやりたいと思うのが自然だと思う。死ぬ時に自分の負債を子どもに残したい母親など居ない。その意味で、この映画は、非現実的だ。彼女が激白したことで、暴かれた秘密は、子供達にとって抱えきれないほどの痛みだ。残された子供達に それを どう乗り越えて生きろというのか。生き続けられないかもしれない。彼女は最後に 双子の姉弟の兄と父にむけて 愛に満ちた手紙を届けさせた。それが愛だろうか。復讐ではなかったか。
知らないで居る方が、ずっと幸せな場合もある。
映像が美しい。音楽とマッチして とても効果的だ。
母親の過去を探すジェーンとサイモンの「現在」と、ナウルの「過去」とが、交差しながら物語が進行する。画面が現在になると、ロックやブルースのリズムにアラビア語の のびやかな歌が響く。ナウルの過去に画面が変わると 音楽はクラシックの賛美歌に変わる。
風の音が印象的だ。砂塵と風の音、、、遠くのモスクからお祈りの声が響き渡る。映像が洗練されていて、美しい。
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