「強くて弱い可憐な花」マリリン 7日間の恋 DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
強くて弱い可憐な花
英国BBCフイルムが作った映画、原題「マイ ウィーク ウィズ マリリン」を観た。 マリリン モンローをミッシェル ウィリアムズが演じて 3つのゴールデングローブ賞とアカデミー賞にノミネートされている。
全く期待しないで観たのに、とてもよかった。すごく得をした気分。良い映画を観た後の余韻が残っている。
マリリン モンローは 私が映画を見るようになった頃には もう亡くなっていて過去の人だった。ケネデイ家とのスキャンダルや、「寝るとき身に着けるのはシャネルナンバー5だけ」とか、ヘンリー ミラーと結婚するとき、「世界一の美女と世界一頭の良い男が結婚するから 世界一美しくて頭の良い子ができるわね。」と、言ったら、「世界一醜くて 世界一頭の悪い子供ができるかも。」と返されたという話が残っているだけだった。露出過剰で、セクシーだけが売りもので、ちょっとオツムの弱い女というレッテルが先行していて、、「そうではない」と弁護する人が少なかったと思う。
たくさんの歌を歌い、踊り、映画に出演して、アメリカを代表する大スターとして、死ぬまでトップスターであり続けたのだから馬鹿であるはずはない。
そんな彼女を オージー俳優で、たった25歳で死んだヒース レジャーの妻だったミッシェル ウィリアムズが演じている。「ブロークバック マウンテン」、「マイ ブルーバレンタイン」、「ドライブ」で 彼女の映画を見てきたが、とても良い女優だ。ここでは、完全にマリリンになりきっている。ヒース レジャーがそういう役者だった。一つの役を与えられると、撮影が完全に終わるまで 何ヶ月も完全に その役になりきって、自分には絶対戻らない、という徹底した役者だった。
ミッシェルが、マリリンを演じると、その肌の輝きに目を瞠る。画面に彼女が登場すると 美しくて場面が輝き始める。本当にマリリンはスターになるべくして成ったスターだったのだ、と納得がいく。
端役として、芸達者なジュデイ デッチや エマ ワトソンが出ていて、華を添えている。
ストーリーは
1956年 初夏。
30歳ンマリリン モンローは 3週間前に劇作家ヘンリー ミラーと結婚したばかり。英国のローレンス オリビア卿は「王子と踊り子」の映画制作を企画して、主演の踊り子にモンローを抜擢しアメリカから招聘することにした。そのときコリン クラークは23歳。英国の由緒ある貴族出身だが、親から自立して映画制作所で仕事を始めたばかりだった。ローレンス オリビエが監督、主演、製作するこの映画の アシスタント製作者として働くことになる。
鳴り物入りで ハリウッドからヘンリー ミラーと共にやってきたマリリンは、最初だけ歓迎される。しかし、撮影が始まると、製作者として自分の思い通りにマリリンを操縦しようとするローレンス オリビエは、短気で腹をたてて当り散らすばかりなので、マリリンはすっかり萎縮してしまう。もともとマリリンは、大スターではあったが、両親に愛されて育ったことがない。片親のもとで育ち、孤児院に入れられたり 幼児虐待にも遭っていて、自分に自信を持てないという心に傷があった。撮影は進まない。せりふの言い方から演技にまで口を出すローレンスのやり方に、マリリンは 不安感から、常用している睡眠薬が手放せない。翌日の撮影が怖くて眠れない。いったん眠ると起きられないので撮影時間が守れない。保護者である夫 アーサーも愛想をつかして帰国してしまう。
コリン クラークは偶然マリリンと夫との諍いの会話を聞いてしまい、マリリンが泣く姿を目にしていて、何とか力になりたいと思っている。ローレンスのメッセージを届けるために、マリリンのもとに通ううち、自然と心が通じるようになって、マリリンはコリンだけには会話ができるようになる。そしてコリンを通じてのみ、映画制作に関わっていくようになる。映画撮影は そんな状態で辛うじて進行していき、、、。
というお話。
舞台俳優で英国の誇り、ローレンス オリビエ卿からみたマリリンは 全くムービースターという別世界の人間だ。自分の思い通り「オツムの弱いセクシーなショガール」を演じてくれれば それで良い。事は簡単。それが 何故出来ないのかが、わからない。褒めておだてて 手のひらの上で踊らせようとするが 怖がって引っ込んでしまったり 泣いたりわめいたりして手がつけられない。アメリカのスターってなんだ? ということになる。妻のビビアン リーがローレンスがマリリンに手を出さないように監視しているのも、気に入らない。もう、ビビアン リーのヒステリーに付き合っていられない。別れ時かもしれない。そんな、ローレンスの状況がよくわかる。
いつでもパワーが人を醜くする。白黒映画の時代のローレンス オリビエ、ビビアン リーの美しさは格別だったが、年をとり、時代が変わったのに、パワーを持つようになってしまうと、もう何の魅力もない。
一方のマリリン。
常に脚光をあび カメラの前でポーズを取る大スターの顔と、自信を失って泣きじゃくる姿のギャップ。撮影所から抜け出しても「あ マリリンだ」と すぐに見つかって人々の群れに追われる。どんな時でも人に捕まれば スターとしての笑顔で、ポーズを取り、ジョークで人を笑わせる。徹底したプロのサービス精神。拍手で迎えられれば プライベートな時間でもカメラサービスをして歌まで歌ってみせる。疲れ果てて、睡眠薬に手をのばす姿が哀れだ。
そしてコリン。
古くから続く貴族の家で生まれて育った若いコリンの何の偏見や思い込みのない澄んだ目が捕らえたマリリンを、傷ついた雛を抱えるようにして、マリリンの側に立とうとする姿が とても良く描かれている。未成熟なその胸に飛び込んだマリリンの再生を見届ける 優しい目差しが 美しい英国の古城や自然とともに、叙情的に語られる。そのようにして、男は一人前の男になっていくのだろう。
その後、コリン クラークは作家でドキュメンタリーフイルム製作者になる。兄は有名な国会議員だ。40年たって、コリン クラークは「王子と踊り子」を製作したときの6ヶ月間の記録を出版した。しかし、そのなかに、1週間分の記録がない。それは今まで、誰にも語られなかった。
誰にも語られることのなかった一週間が この映画になっている。
一人の青年の成長記録として、一人の女優の生き方を表現したものとして、とても良い映画として完成している。小品だが、見て何時までも良い映画だったと思い、心に残る映画だ。