「必死さと、滑稽さと。(塚本×Cocco=ドリフ)」KOTOKO cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
必死さと、滑稽さと。(塚本×Cocco=ドリフ)
コトコは、危険きわまりない世界を、常に壮絶に生きている。彼女には他者が二重に見える。出会う人々は、善意をまとって近づいてくると同時に、悪意の牙をむいて襲い掛かってくる。そんな恐ろしい世界から子供を守ろうと、彼女は外出を避けるようになり、じわじわと追い詰められていく。(二重の恐怖は、統合失調症等の精神疾患を患う人の世界観の映像化とも感じられ、興味深い。)
母子ものは、息苦しい。ヘタをすると、暑苦しい。特に、母・息子ものは。けれども本作は、大切なものを守ろうと必死すぎて滑稽になる、そんな笑いが絶妙に織り込まれていた。監督いわく、恐怖と可笑しみは紙一重であり、本作では(あの)ドリフをひそかに目指したという。なるほど、と思った。いつもに増して、恐怖と笑いのリズムが小気味良く、おぞましくも愛すべき世界に、観る者をひき付け、揺さぶる。
親ばかという言葉があるように、親の子に対するまなざしは、真剣であるがゆえに呆れや笑いを誘う。私的経験を踏まえ、ことさらそう思う。リストカットしたコトコは「赤ちゃん用」のタオルを使うまいとするが、育児中の自分にとっても、それは日常茶飯事。彼女のように「ちゃんと出来ない」と泣き崩れ、母に笑い飛ばされたこともある。当時は全身全霊で嘆いたのに、今思い出すと「ちゃんとやろう」とは何て無謀だったのだと赤面してしまう。ちなみに、わが子の最愛のおもちゃは、チラシやお菓子の包装紙だ。様々な「カサカサ」に囲まれ独自の遊びに熱中している彼を見ていると幸せを感じるが、トイレなどに立ち部屋に戻ると、あまりの雑然さにぞっとし、ゴミに埋もれた息子の姿に愕然とする。
この作品は、不気味なほど滑稽で必死な人を否定しない。もっと楽に生きればいい、頑張りすぎなくていいのだ等と、安易な救いをちらつかせたりしない。生きにくさは、誰も肩代わりできない。ただ、絶望はしなくてもいい、大切な繋がりは、どんなにか細くても奪い去られることはないと、大きすぎるひとりごとのように言い残してくれる。