「美の渇望は生きる活力となるか?」ベニスに死す しゅうへいさんの映画レビュー(感想・評価)
美の渇望は生きる活力となるか?
ルキノ・ビスコンティ「ドイツ三部作」第2弾。
Amazon Prime Videoで鑑賞(字幕,レンタル)。
原作は未読。
アッシェンバッハがタージオに抱いた感情とはなんなのだろう。恋なのか憧れなのか崇拝なのか。そんなことを考えながら観ていた。アイドル・ファンの端くれの視点で考えると、推しを愛でる感覚と同じなのかな、などと思ったりしつつ…
生きる気力を失っていたアッシェンバッハはタージオの美しさに心を打たれ、活力を取り戻していった。それと同じかどうかは分からないが、私は推しの頑張る姿から元気をもらっているし、恩返しの意味も込めて応援しようと思っている。
アッシェンバッハが日頃追い求めていた美とは、努力と創造の果てに生み出されるものであった。しかし、老いと共に作曲も思うように行かなくなり、身も心も疲弊していた。そんな時に出会ったタージオは完成された美を持っていた。性別を超越した美しさである。うっとりするような魅力に溢れていた。
アッシェンバッハは、どんなに頑張っても辿り着けなかったものを持っているタージオに夢中になった。恋と云うより憧れに近いかもしれない。タージオに抱く想望が彼に幸せを与えると同時に、己の醜さを実感させられてしまう。タージオの崇高さに声も掛けられない。とてもプラトニックな感情である。
コレラに感染したアッシェンバッハは、キラキラと輝く海に佇むタージオを見つめながら、その生涯を終えた。明るい未来が待っていそうなタージオに対して、若づくりのための白髪染めが溶けて黒い汗になり、白粉がまるでピエロのような物悲しさを漂わせる。対比が印象的なラストシーンだった。
人生と云うものは、対比に満ちているのかもしれない。幸福と不幸。若さと老い。生と死。本作で描かれていたものは、生きている上で逃れられないものばかりだと思った。
どんな形であれ、「好き」は生きる力となる。その結末が幸せだったとしても不幸せだったとしても、愛を求めて命を燃やした日々は人生にかけがえの無いものを与えてくれる。
※修正(2025/05/27)