ヘルプ 心がつなぐストーリーのレビュー・感想・評価
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小さな足音に耳をすまして
ずっと楽しみにしてました。期待通り、観て良かったです。女優陣の名演は期待以上でした。
慎ましく生きる女性が一歩踏み出した小さな足音に、耳をすました作品だと思いました。
田舎町の女主人とメイドに焦点を絞った明るい語り口で、その小さいけれど堂々とした足音を、心に響かせてくれました。
アカデミー賞を賑わした方々だけでなく、キャスティングが隅々までお見事だと思いました。
特に主演のビオラ・デイビス、慎み深い女性の笑顔に、涙に、感動でした。エマ・ストーンは、さすがに諸先輩方におされてる感じでしたが、一途な女性を好演でした。
平日の奥様方の生態には、時を超えて共感。素敵に見えて実は"近寄らぬが吉"の領域に、心細くて踏み込んでしまったこと、残念ながらありました。少々ニガかった。
苦難しか人を作れない
ストーリーの中で
恋人の存在がどうして必要なのか?
それが後で
なるほど
ルーツやアミスタッドなどの史実ベースの話とは違うので
表現は温いけれど
映画としては良く出来ていると思う。
主人公の白人の方は他人のネタで名を上げる自己顕示欲の人
主人公の黒人の方は
そう、苦労は人生を味わい深くして
人を人にする
例えそれがキング氏の様な最期であっても。
レベルの低いことで苦労するなら
高尚なことで苦労するのが得だ。
この映画の中のどの人物が自分か?
第三者として
それをしっかり確認できる人が日本に何人いるだろうか
勇気
がいる作業だ
監督の狙いは、ネガティブな黒人差別でなく、誇り高く生きるメイドたちの魅力にスポットを当てたかったのでは?
本作は後半から黒人たちが立ちあがって白人原理主義者に反撃したり、具体的に本の出版にこぎ着けるところから、ドラマが繋がりだし面白くなって、最後は涙で締めるヒューマンな良作でした。
しかし、前半は黒人メイド、エイビリーン~ストーリーテイラーに起きつつも、主役不在の群像劇にしてしまったのが惜しいと思います。しかも、ワンカットごとのカット割りが早めなので、飛び飛びの展開でストーリーが掴みづらいのです。
それでも後半、黒人差別の赤裸々な実態を手記にしてまとめた『ヘルプ』というタイトルの本が出版されて俄然ストーリーは面白くなります。何よりも黒人メイドを一番迫害したヒリーをエイビリーンたちがやり込めていく展開が痛快!
そして、黒人メイドと彼女たちが子守している白人の子供たちの親子以上の絆の深さに涙しました。
黒人差別をメインとしている本作の隠れたテーマに、本当の親子とはを問いかけているシーンが多々描かれます。
差別はさておき、メイドを雇い子育てをまかせる行為というのは、母性の機能を退化させてしまうのですね。登場する白人女性たちは、自分の見栄を競うために子供を産むだけで子育てには関心がなくなっていました。面倒なことはみんなメイド任せ。その結果知らず知らず、わが子のいたいけな感情すら気がつけなくなっていたのです。
そのことを当時のアメリカだからと特別視してはいけません。当時の黒人メイドに当たるものが、現代の公的保育制度です。確かに女性の自立のために、公的保育制度は欠かせないものなのかも知れません。けれども公的保育制度に依存すると肝心の母性が退化するリスクがあり、愛情不足なまま子供が育ってしまうことに。そんな愛情不足なまま子供が育ってしまった子供がいじめや凶悪犯罪を引き起こしてしまうことを思えば、本作を他山の石と見てはいけないのです。
赤ちゃんの時からずっと子供の面倒を見てきたメイドたち。本の出版が原因となって回顧されたエイビリーンが家を出て行くとき、彼女を引き留めようとするエリザベスの娘の懸命さには泣かされましたね。
舞台は、1960年代前半の米国では、人種差別撤廃を求める公民権運動が盛り上がる一方、本作の舞台のミシシッピ州など南部の地域によっては、逆に黒人差別を徹底させる前時代的な法案が次々と制定されていったのです。
公民権運動と、それを脅威に感じる白人たちの抵抗が交差する時代状況はさりげなく周到に織り込まれていました。でも本作は決して過去を検証するだけの作品ではありません。胸に響くのは、むしろ、いつの時代の人間にも切実な、生き方をめぐる問いかけです。 この映画が描くのは、そんな南部の町を舞台にした女たちの物語。理不尽な現実にどうすれば風穴を開けられるのか。本作では、大上段に黒人差別を糾弾しないところに好感を持てました。しなやかに黒人メイドたちの日常にドラマは密着していきます。
物語は黒人たちの置かれた境遇を、冒頭のエイビリーンのナレーションで的確に言い表します。「自分がメイドになることはわかっていた」と話す場面から物語は始まる。「母親もメイド、祖母も家事をする奴隷だったから」と。生まれた時から、人生が決まってしまうというのは、自由とチャンスを標榜しているアメリカにとって、何とも皮肉な差別でした。
そんなエイビリーンたちの暮らすジャクソンの街に、生まれ育った作家志望の白人女性、スキーターが大学を卒業して戻ってきます。そしてどこにどんな肌の色で生まれたかで社会的地位が決まる、旧態依然の故郷の状況に胸を痛め、世界を変えたいと願うのです。 そのために、不条理に耐えてきた黒人メイドたちの本音を聞き出し、本にしようと決めたのでした。
けれども当時の特に南部は、秘密結社のKKKなどアメリカの白人至上主義を唱える原理主義者がうようよいたのです。だからもの言えば、身に危険が及ぶような社会状況だったのですね。当然スキーターに話を持ちかけられたエイビリーンは、親しい友人の依頼でも躊躇するのでした。でも友人のミニーが理不尽な理由で解雇されことに大反発。何らかの復讐の手段として、スキーターの手記企画に協力することを約束したのです。エイビリーンの説得で、メイド仲間が次々重い口を開き始めます。
本作で興味深いのは、黒人メイドたちと彼女たちの雇い主の白人の対比。エイビリーンとミニーは、どんな虐げられても、メイドとしての矜持を崩さず、子供たちには愛情たっぷりに接していました。教会では生き生きとゴスペルを歌い、人間としてのバイタリティすら感じました。
それに比べて白人の雇い主たちの多くは、みんなどことなく影が薄いのです。特にミニーを解雇したヒリーは、白人の優越性を語って、黒人排撃を仲間の主婦たちに煽りますが、タカピーさだけが目立ちます。ヒリーの頑張りは、他者より優位に立つことで、自分が優れていると思いこもうとしているだけなんだというところがよく描かれていて、傑作なシーンが沢山登場します。
テイト監督の狙いは、ひょっしたら黒人差別が主眼ではなかったのかもしれません。そんなネガティブな社会問題よりも、誇り高く生きるメイドたちの優しさや絆の強さといったいかに魅力的な人間の生き様にスポットを当てたかったのだろうと思います。まぁ、できすぎた結末ではありますが、いいじゃないですかねぇ、誇りを持つ側の人間が人生を勝利に導くと確信できる内容に拍手を送りたくなります。そう信じるだけでも、損得抜きに強く生きたくなってはきますね。
それにしても、主役の控えめなエイビリーンよりも、登場するだけで注目してしまうミニーの存在感の凄いこと。その豊かに表情と共に、演じたスペンサーがアカデミー助演女優賞を取ったことを多いに納得させられました。
黒人メイドかわいそう
誰をも全面的に支持できないように描かれていてとてもいい映画だなーと思ったんだけど、一番意地悪なおばさんだけは完全な悪者なのでどうぞ憎んでくださいとなっていたのが気になった。しかし、それこそが差別の芽として我々の心に存在するものなのだと仕掛けているように思った。
差別には勇気をもって立ち向かおうという姿勢はとてもよく伝わったが、差別する側がどうすれば差別する気持ちを克服すればいいのか示して欲しかった。「自分だってされたら嫌な事は人にはするな」でいいのかもしれないが、それ以外で特効薬のような方法を教えて欲しい。
小さなガッツポーズ
映画の時代より20年も後、アメリカンフットボールの黒人の選手が、故郷の小さな教会で子供たちを励ます話をした。その帰り道に車の事故で死亡した。事故には多くの疑問があると新聞で報じられた。ハイウエィには6本ものタイヤの後が交差し、それが何キロにも続いていたとあった。事故の再調査も行われず真実は明らかにならなかった。
この事件を知っていたので、映画でのメイドがいかに勇気が必要だったか十分に理解できる。ストーリーもじんわりと感動が伝わり、すばらしかった。ラストでのメイドのポジティブさには涙と小さなガッツポーズをした。
同じ人間であると知ること。
ベストセラーの映画化だそうだが、実話だとしても少しもおかしくない話。
笑いながらも考えさせられる良い映画でした。
ま、明るい面に関しては他のレビュアーさんに譲るとして、ここではカタい話を(笑)。
この作品については、
「人種差別という重いテーマをライトに描き過ぎ」と言う意見を色んな所で耳にした。
が、ぶっちゃけて言わせてもらえばそういう重い映画は過去にいくらでもある訳で、
むしろこの映画の強みはその間口の広さにあると思う。
それに直接的な描写こそ無いにせよ、この映画は重い部分を省略などしていないし、
そんな描写が無くても哀しみをこちらへ伝える術を備えている。
「人種差別とフェミニズムとでは重みが違う。同列で扱うべきでは無い」と言う向きもあった。
一理あるとは思うが、
“いち人間である事の権利を否定される”という意味では両者は共通している訳で、
だからこそあの主人公たちには互いの痛みを理解できるだけの余地があったんじゃないかしら。
思うに、この映画は“人種差別”という決まり文句で問題をくくらず、
もっと広い視野から人間としての共通点を探っているようだ。
ミニマムな視点で。
無邪気な子どものように、慣習に囚われない視点で。
主人公スキーターが黒人メイド達の声を綴ろうと思い立ったのは、
歴史や道徳の授業で「人種差別反対!」と習ったからではなかった。
彼女の動機はもっと単純だ。即ち、
「自分に愛情を注いでくれた人が、どうして不当な仕打ちを受けなければならなかったのか?」
という怒りだ。
もうひとつの怒り。
「朝起きたら自分に言い聞かせなさい。『今日私は、あのバカ共の言葉を信じるのか?』」
コンスタンティンがスキーターに送ったあの助言は
恐らく彼女自身が実践していた事なんだろう。
彼女はその誇り高い言葉を、憎き白人の子に託した。
白人とはいえ、無垢な子どもに罪は無いし、
自分を慕ってくれる彼女を大切に想っていたに違いない。
人をいとおしく想う気持ち。
いとおしい人を失う痛み。
あ、それと、美味しいフライドチキンにかぶりつく時の幸福感。
そういう感情って、肌の色もヘッタクレも関係無いんよ、きっと。
悪役ヒリーの造形はややステレオタイプかと思うし、
あとパイのネタ引っ張り過ぎじゃない?とも思うが(笑)、
後ろ向きになりがちなテーマを前向きに描いた、
広くて優しい心を持つ映画だと思う。
<2012/4/8鑑賞>
秀作、しかし…
出演者それぞれが個性的な役を好演、オスカー受賞も納得、痛快なストーリーと爽やかな読後感、記憶に残る秀作です。しかし…。途中で幼少の頃にテレビで観た「ルーツ」を思い出していました。 本筋じゃないんでしょうけれど、この悪しき歴史を扱うには軽さが否めず…というよりアメリカ人の絶妙なマッチポンプエンタメ?我々日本人やドイツ人もエンタメ界では見習った方が良いのでは(笑)。
痛快!!
黒人、有色人種差別なんて、こんな島国単一民族の私たちには、とうてい想像できないと思います。
それよりこのなかで人を人として認めていく。曲がったことは曲がっているとして追及していく姿勢を持ち続けることの大事さが笑いと共にうまーく描かれています。本来ならやられたらやり返す。それのできなかった立場の人がどうやってやり返したか、もじどうりミニーは主人に対して「くそくらえ!!」と謝りのチョコレートパイのなかに糞をいれて、ことあろうか高慢ちきなヒリーに食わせてしまう。なんと、痛快なのか!!
また、そのくだりをスキーターの書く小説のなかに詳細に書かせてしまう。
こんな、胸すく快挙は無いのでは.....
笑いを手法にして全体を重くならないように仕上げ、事の重大さを観てる者の心にしみいらせてくるなんて、憎いですね。
たった一人の勇気が多くの人の心を救う!
ストーリー自体は想像していた通りだったが、終幕近く涙が止まらなかった。育ての親に対する幼児の気持ちが痛いほどわかったからだ。昔の話とはいえ、自由の国アメリカの負の側面を直視させられた。黒人メイドたちの厳しい現実。でも、すべての白人女性がそうだったという描き方をしていない点は好感が持てた。スキーターは自分自身メイドを使う側の人間だが、メイドに感謝しているし、何より一人の人間として見ている。なぜなら、彼女はメイドに愛されて育ったから。スキーターは差別する側とつきあってもいる。でも、表立って非難できる勇気は彼女にはない。彼女も元はと言えば、自分の作家としてのネタになると思い始めたことであり、何となくおかしいとは思っていたが、取材していくうちにその実態がわかっていくのだ。トイレやパイの話など面白いエピソードに事欠かないが、私が一番感動したエピソードはミリーとシーリア二人の関係だ。アメリカも変わっていくことが象徴的に描かれていると思った。
映像の美しさが、より心の闇の暗さを浮き彫りにする
この映画の主人公ユージニアはコンスタンティンと言う黒人メイドに育てられた。そして彼女は自分の幼少期の体験の記憶を、今も良き思い出として、コンスタンティンとの友情をとても大切にしているのだ。
当時の米国南部の文化としては、有る程度豊かな生活を送れる白人家庭では、皆ベビーシッターの黒人を抱えているのが普通の事なのだろう。しかし、私の日本人の感覚から言うならば、自分の最愛の大切な子供の世話を、何故自分が最も差別している嫌いな、軽蔑する黒人メイドと言う存在に、南部に住む若い白人家庭の主婦達は、実子の世話をさせるのか?理解に苦しむのだ。そして自分の子供の世話をしてくれる人に対して感謝の気持ちも、敬意も持てない人間って一体どーなの?と疑問視したくなるのだが、自分も同じ様に黒人の世話になって、育った記憶があるのなら、何故ユージニアの様な行動を普通の人はする事が出来ないのだろうか?きっと今と比べるとアメリカってかなり保守的だったのかも知れない(特に南部アメリカに於いては)と考えられるのだ。
一方、黒人は低賃金でも我慢してキツイ仕事を続けなければ、生活が成り立たないのが、今から50年程前のこの映画の舞台になっているアメリカ南部に於けるアフリカ系アメリカ人達の事情らしい。現在も平均するとどれ位白人に比べて黒人の仕事が不利な状況で有るのかは、容易に数値化出来ないが、日本で言う所の3K的な仕事の求人が多い事は確かだろうし、黒人大統領が誕生した今日でさえも、今直冷遇されている事は確かな事だろう。
人間の心の底に潜む差別意識と言うものを撤廃する事は、口で言う程に、中々容易には出来ないものだ。
つまり、この映画は人間が生きる過程で、何を大切にして、日々暮してゆくべきか、人として豊かな人生の暮らしを得るとは、どう言う事かを問うているのだと思う。
そればかりでなく、また、自分の信念を貫いて生きる勇気と誇りを持つ事、親子の愛情にしても、友人との友情にしても、他者と心を通わせる事は、時間に任せて、只黙っていたら、勝手に育つと言う訳でも無いし、血縁関係の有無によるものでも無い事を教えてくれるのだ。
人間は、決して一人では生きられないのだが、他者との付き合いにおいて、人間関係の大切さや、理解を深め合う事を解っているようでいても、案外そんな基本的な心の思いを、自分の廻りの人間に対しても、優しさや友情溢れるお付き合いを継続して生活して行く事は、案外と難しく、自分本位になり、上手く他者との関わり合いが出来ないものだ。その自己の弱さを克服し、現実に生活で、根気良く仲間を愛していくならば、必ず友情を育む事はユージニアとエイビリーンの二人の様に出来ると、教えてくれるのだ。
人として人間が一番大切にしなければならない事とは、人間の善なる側面を信じて、行動をする勇気も持って生きる事。共に進んで、誰かを愛して、信じて生きるなら、そこに無限の力が生れるのだと信じて、行動を日々実行するならば、道は必ず開けてゆく事も教えてくれる愛と希望の物語だ。私達は、常に多様な価値観の中で、日々多くの人々と関わりを持ちながら生活をしている。ユージニアの様に生きる事が今最も必要だと考えるのだ。
あくまで白人が作った予定調和的な「米南部映画」
ディズニー系のタッチストーンが制作、1960年代米南部の黒人差別を糾弾するような意図をこの映画に求めるのは無理な話、原作者が舞台であるミシシッピー州ジャクソンの出身の女性、監督も女性、そして主な登場人物・俳優も殆ど女性で、男性が出る出番無し、とくれば、寧ろ「女性映画」の色合いの方が濃い。
主演のエマ・ストーンも、敵役のプライス・ダラス・ハワードも、「ヘルプ」役のヴィオラ・デイビス、アカデミー賞を獲ったオクタヴィア・スペンサーも、お金持ち夫人と成り上がったジェシカ・チャステイン(出色!)も、それぞれも個性に合った役を演じている。
だから「女性映画」としてはそれなりの出来。でもそれだけじゃ、やっぱりもの足りない。黒人差別が根底にあるのなら、それをキッチリと描かなければ、物語にも厚みが出ない。
「ヘルプ」と同じ年、同じミシシッピー州を舞台にした「ミシシッピー・バーニング」(アラン・パーカー監督、1988年)を観て欲しい。1964年、公民権運動が最高潮に達し「フリーダム・サマー」と呼ばれたその年に、実際にミシシッピーで何が起きたか、理解してから「ヘルプ」を観るのもいい。
ミシシッピー・バーニング - Wikipedia http://bit.ly/HwSiBA
この映画は、あくまでも白人が作った予定調和的な「米南部映画」である。
誇りを持って生きたい
ヒューマンドラマが好きな私にはすごく好きな作品でした。
人種差別の歴史を知り考えることができる。
人としての本当に大切なものは何か。
を考えながら観ました。
ちょっと上映時間は長めだけど内容もダラダラやマンネリは全くなく綺麗にまとまっていました。
役者さんの表情もいい。
複雑な気持ちが感じられて心が痛くなりました。
このパイを食らえ。
1950年代の作品を観ていると、人種差別を題材とした
作品が多いのに気付く。特に南部では古くから黒人を
メイドや使用人に配し、白人とは酷い差別を行ってきた。
それがどうしてそうなったのか、1964年に公民権法が
制定されるまでを描いた話なのかというと、そうではない。
もっと単純で(根深い問題なのは重々承知ですが)軽やかな
語り口の描き方をしている。庶民的でユーモアもある。
白人家庭の娘がライター志望、自分も小さい頃ヘルプさん
に育てられた経験がある女の子だ。彼女らの証言を記録し
それを纏めようとする彼女に対して、重く口を閉ざしていた
ヘルプさんたちが徐々に協力をしていく話。
並行して、一組の白人白痴妻とそこへ雇われたヘルプさんの
対話と成長が描かれる。
ここに登場するヘルプさん達は、揃いも揃って面白い。
饒舌でユーモアがあり子供に対する笑顔は一流と思えるほど。
そんな彼女らなのに、働きに対する賃金はえらく少ない。
子供を大学へやるため、前借りを申し出る彼女を前に
堂々と見下した説教を垂れる白人タカビ妻。あえなく、
落ちていた指輪をポケットにしまった彼女をすぐに警察が
逮捕する。どんなに真面目に頑張って働いたところで、
彼女たちの未来は、生まれた子供達は、同じ運命を辿るのだ。
酷い時代である…。何を持って差別が正当化されるのか。
だけど、言いたいことをハッキリと言い、家事に関しては
プロの腕前、何にも出来ない奥さんよりよっぽど重宝なのは
ヘルプさん達の方である。
そのことにいち早く気付いた、純粋な主人公と白痴妻は、
差別はおろか、彼女たちを優遇する。つまり学びを請うのだ。
彼女たちが何を考え、何を間違いで、何を正しいと思うか。
私はあの家でこんなことされた…。あんなことがあった…。と
半ば「家政婦は見た」的な世界が語られるのだが^^;
主人公はそこに人権を学び、白痴妻は家庭とは何かを学ぶ。
本来ならそんなことは、学校なり親からなり教わるものだ。
美味しいチキンの作り方を学んだ白痴妻が、ヘルプさんと同じ
キッチンで貪り合うあの表情の豊かなことったら!
知らないことは愚かなことだ。と頭でっかちの世間人は言うが
知らなくていいことなど一生知らなくていいのだ。と思う。
ましてや人を卑下するような慣例は最初からあるべきでない。
それでも(現代でも)ある種の差別は相変らず繰り返されている。
なんか人間ってそうやって、誰かを年中見下していないと安心
できない生き物なんだろうか。とすら、思える。
競争意識を持つことと、相手をイビリ倒すこととは違う。
卑怯な人間ほど、あの手この手で相手を打ち負かそうとするが、
そこに信念なんてものはないから、終いには感情で打ち負かす。
そしてそんな人間は、やっぱり最後まで変わりませんでしたねぇ。
本作で見事アカデミー賞助演女優賞を獲得したO・スペンサー。
主人公がインタビューするヘルプさんの同僚、という形だったが
彼女がまぁ魅力的で^^;可愛くて^^;面白くて^^;最高だった!
この演技ならもらって当然、と思える見事な演技を披露している。
前の家で酷い仕打ちを受け、半ばヘルプとして働くことにヤケを
起こしていた彼女だったが、自分のことを心底頼ってくる白痴妻に
次の家での彼女は(最初は旦那にバレないよう)心から相手を信じ、
彼女のために懸命に働く。上流家奥さんとして恥ずかしくないように
料理やマナーの基本を教え、子供の大切さを語り、慰め、励まし、
終いには自身の過去まで暴露する。
階級なんてクソ食らえ!(あ、言っちゃった^^;)
差別に傾倒するすべての人間にパイを食らわせたくなる作品だ。
ただひとつだけ言うと、もう少し脚本にリズムが欲しかったのと、
個々のキャラクターを広げ過ぎたため、時間が長すぎる印象がある。
心をつなぐ~という意味で、様々な取り上げ方を網羅したのだろうが
もっとタイトに絞った方が良かった気がする。全体の纏まりが悪い。
しかし女優達の演技が見事なので、そこに注目する作品ということで。
(これからはパイを食べる時、勇気が要りますね!いや、ウソウソ^^;)
笑って泣いて
“観て良かった”それが見終わって最初の感想だった。重いテーマだが、静かに淡々と笑いあり、涙ありの中で物語は進んでいく。そして考える…自分の中に差別は無いだろうか?と。映画は黒人を差別するのが当たり前だった時代、社会全体がそういった風潮で、それを見ながら育ってくれば、きっと疑問に思うことすらなかったのかもしれない。数年前の日本の喫煙者は処構わずタバコを吸い、店でも喫煙する人のほうが多かった。ところが今では立場は逆転している。ルールが変わり、人々の意識が変われば、時代は変えられるのだ。残念ながら、私の中にも差別的感情はある。好き、嫌い。国によっては下に見がちな外国人もいる。しかし、この映画で行われるのはイジメである。差別化された社会でも、相手を人間扱いしないのは、その個人の性質によるものだ。同じ人間と認めていないのだ。虐げられた人々の悔しさは想像に絶する。しかし、虐げられてきた人の方が人としては正しい。やさしい子、賢い子、大切な子。劇中出てくるセリフだか、自分たちが虐げられながらも、汝の敵を愛することを止めない彼女たちに心から拍手を贈りたかった。ヘルプ。助けるべきは間違いに気付けない白人達なのかもしれない。
テーマは重いが一級の娯楽作に
白人で作家の卵のスキーター、それに黒人メイドのエイビリーとミニーの3人によって、“ヘルプ”と呼ばれる黒人メイドたちが置かれた劣悪な環境と、それに耐える彼女たちの心の声が描かれる。
3人とも主演、助演どちらともとれる構成になっている。
60年代のアメリカ南部が舞台で、セット、衣装、車のどれをとっても、子供の頃に憧れた大国の雰囲気がよく出た作品だ。
“Jackson”という軽快な歌に乗り、大学を卒業してミシシッピに帰ってきたスキーターが面接のため“Jackson”という地元新聞社のオフィスに吸い込まれていくところから始まる。
黒人メイドを雇うことがステイタスで、しかもメイドを人とも思わず奴隷のように扱う地域。それが当たり前のこととしか見ることができない人間が多いなか、当たり前と見ることのおかしさに気づく人間たちもいる。その代表がスキーターだ。
共用は不潔だからと、トイレまで別にしようと躍起だつ若い婦人会。リーダーのヒリーの目がひきつってコワいぐらいだ。同じ上流階級の夫人ながら、その派手なファッションや鈍臭さで婦人会のメンバーから疎まれるシーリアが、慣習にとらわれない優しさでメイドに接する姿にホッとする。
婦人会の面々が、親として子にロクにトイレの躾けもできないのに、メイドたちはトイレどころか、白人の子供たちに物事の考え方を諭し、生きる道筋さえ説く。
そんな彼女らを家族として温かく接することのできない人間が、大層にチャリティー・パーティーを開くのだから、その思考は理解し難いものがある。
ただ、この作品は人種問題を政治的または歴史的な見地で語ったりはしない。白人家庭と、そこに雇われた黒人メイドの処遇を端的に表現するに留まっている。
そこが却って、話の構図が分かりやすく善悪が明確で、感情的に同意できる人物も見つけやすい。
テーマは硬いが、随所に笑いを散りばめ、明るいタッチで一級の娯楽作に仕上げたのがいい。
今なら言えることでも・・・
ケネディ大統領の葬儀が行われようとしている1963年。
今から、約50年前のこと。
場所は、南部のミシシッピ州。
ヘルプと呼ばれる黒人メイド達。
対する白人上流マダム。
自家のメイドは、見下してトイレさえ使わせないし、食事も一緒には取らないし、わずかなお金さえも貸そうとしないマダム達。
病気がうつるんだって。
そう思うなら、子供の世話なんて、とても任せられないじゃん。
食事を作らせるなんて、とんでもないことなんじゃん。
食器なんて洗わせられないじゃん。
な~んて思うけどね。
≪裕福=偉い≫と思っているそんなマダム達でも、アフリカの子供たちを貧困から救いましょうという善行はしているのだ。
自分が上にいるという優越感からか。
小さなエピソードで、各人の個性を描き出している。
皮肉の効いたシーン。
痛快なシーン。
嬉しくて思わず涙してしまうシーン。
辛く苦しいシーン。
シーリアの肌の色を気にしない心。
教授の暖かい思いやり。
それにしても、ジョニーは何て素敵な男性なんでしょう。
理不尽な差別の数々。
それでも、前を向いて歩いていこう!
そんな希望ある余韻が素晴らしい。
そう言えば、ケネス・ブラナー監督の「から騒ぎ」では、肌の色なんて関係ない配役を、とても新鮮に思ったんだった。
あれからでも、20年ほど経ちますか。
差別とは、人の心の中にあるもの。
黒人だけではなく、白人同士であっても差別はするのだから。
人間も、少しずつだけど、進歩はしているのだ。
差別するのではなく、違いを受け入れるのだと。
ミニー役のオクダヴィア・スペンサーの眼力に感服。
エマ・ストーンの意志の強い目にも好感。
重くなりがちなテーマも長尺もいい塩梅好感大!!
扱う内容は重いモノながら、
脚本と配役の良さで、笑いながらもほろりとさせられ
長尺を感じさせないどころか
まだもう少し観ていたいと思いつつのエンディング。
久々の良作です!!
凜と強い気持ちになる。
差別を受ける黒人メイド達と、一人の白人女性の勇気のお話。
…というか、それを軸とした「女性たち」のおハナシだね。
あったかくてカラッと笑えて、でもそんな爽快さの中、根深い苦しみも描かれてた。
それを通じて、観終わった後にはなんだか凜とした強い気持ちになれてたよ。
約150分もの映画だったけど、「劇中の彼女達が伝えたかったコト」を表現するには、この長さは当然。どのエピソードも必要なんだと思ったな。
敢えてちょっと意地悪な言い方をすると「群れるオンナ達」。
彼女達の、境遇も感じ方もそりゃいろいろなんだけどさ。
その姿が滑稽だったり、哀しかったり苛立たしかったり、逞しかったり…。
映画を観てそれをどう受け止めるかも…きっと人それぞれで違うんだと思うな。
ホント「いろいろ」だよね。
チキチンッ♪
心が温かくなる・・・
原作は60年代のアメリカ南部を舞台にした小説「ヘルプ」出版の危機に遭いながらも、監督の強い支持で原作は1130万部を越すミリオンセラーに!!ストーリィは人種差別が強く残るアメリカ南部が舞台上流階級の白人女性が、自身も黒人メイドに育てられ当たり前に生活してきたが、大学を出てふるさとの戻った時あることをきっかけに疑問を抱くようになるそして彼女は黒人メイド達の、厳しい現実を伝えようと奮闘する・・・そして協力してくれる黒人メイド達と遂に1冊の本を発行することに・・・当時の厳しい人種差別が、所々に描かれ住居はもちろん乗り物も、病院やその他諸々そして働く先ではトイレも別々にするという法案まで持ち上がっている・・当時多くの人がそうであったように高慢で黒人を見下す上流階級の白人女性達や黒人メイドの待遇、当時の習慣や風俗などしっかり描かれていて見応えがありました今回助演女優賞を受賞したオクタヴィア・スペンサーや主演女優賞にノミネートされたヴィオラ・ディヴィスの演技が素晴らしかったです!オクタヴィアのくるくる変わる瞳と情緒たっぷりの演技ずっと悲しみを心の中にしまって、静かに耐えてきたヴィオラの感情を抑えた演技も圧巻上流階級の意地悪で高慢なヒリーを演じるブライス・ダラス・ハワード、本当に憎らしくなるくらい適役下流階級出でいじめに遭うシーリアいたわりと優しさを持っている女性でジェシカ・チャスティンのひたむきな演技に心を打たれました二人の黒人メイド達と深い友情に結ばれて執筆を続けたスキーターのエマ・ストーン彼女の凛として活き活きとした演技もひかっていましたねどんな不遇にあっても諦めずに前を見て進んで行こう!人生にはいろいろなことがあるけれど、希望を持って歩んで行きたい・・そんなことを問いかけている映画です最後のラストシーンも静かで深い想いを感じました・・沢山の方に観て欲しい心が温かくなる作品です
涙の数だけ
ほんの50年まえは 肌の色がちがうだけでこれだけの格差があったと、時代を学ぶ作品。 また その時代を生き抜いた女性たちの強さ・その涙の数だけドラマがあり 友情も生まれる。
南部の上流階級に生まれたジャーナリスト志望のスキーターは、当たり前のように 黒人のメイドたちに囲まれて育ったが、大人になり 白人社会に置かれたメイドたちの立場に疑問を抱きはじめる。 真実を明らかにしようと メイドたちにインタビューを試みるスキーターだったが、誰もが口を閉ざすばかり。 そんな中、ひとりのメイドが インタビューに応じたことから、社会全体を巻き込んだ 大きな事態へと進展していく(作品情報より)。
スキーターを演じた エマ・ストーン。 良かったですよ、でも私が期待したほどではなかった。。 やっぱり どこか垢抜けないのはスキーターに合ってたけれど、演技力の点では 軽さが残る(泣ける演技が弱い)感じがしました。
スキーターのインタビューを受けるメイド・エイブリンを演じた バイオラ・デイビス。 彼女の静かな演技が すごく良かった! 目立ってはいけない・問題を起こしてはいけない。 けれど、その心の奥底に溜まった怒りを、自分を含めたメイドたちの痛みを 世の中に伝えて変えていかなければならないと立ち上がる姿(演技)に 感動。 後半にちらっと見せる笑顔が、さらに涙を誘いました。
エイブリンの友人・ミニーを演じた オクタビア・スペンサー。 彼女も すごく良かった! つらい状況でも自分を忘れず、たくましく生きる姿に 感動。 ちょっと滑稽な演技も、ミニーの人柄をしっかり表現していて 大好きなキャラクターです。
スキーターの幼なじみ・ヒリー役を演じた ブルース・ダラス・ハワード。 今回の悪役、良かったです。 努力を感じます。 実際にいたんでしょうね、こういうことをする女性が。 彼女はその後の人生で 何を学んだのだろうとそこまで考えさせるキャラクターでした。
ここで注目したい! セリアを演じた ジェシカ・チャステイン。 一見チャラいキャラクターのセリアですが、メイドさんとの一線を越えた距離感がとても可愛かった。 悲しみを心に抱えるも それを表に出さない健気なセリアを しっかり演じてました。 『The Tree of Life』では ブラピの奥さん役を、『The Debt』では 女性スパイを演じたジェシカ。 超美人ではないのだけれど、役ごとに変わる表情が とてもステキです。
スキーターのママ役、アリソン・ジャネイという女優さんも 後半に印象的な演技を見せてくれました。
あ、あとTVシリーズ『プライベート・プラクティス』でデル役を演じてた クリス・ロウェル。 エマの相手役、、役不足。。
黒人のことを “カラーピーポー(色付きの人たち)”と呼んだり、タクシーに“白人専用”など表示しているが 衝撃的でした。 146分と長ーいですが、ぜひ多くの方に観てもらって 学んでほしい作品です。
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