「原点回帰、前日譚な構成にしても、マンネリ化は避けられず。」ファイナル・デッドブリッジ kobayandayoさんの映画レビュー(感想・評価)
原点回帰、前日譚な構成にしても、マンネリ化は避けられず。
2011年10月下旬にシネマート新宿にて、3D版をレイトショーで鑑賞。
2001年に“死の運命に付け狙われる”という斬新な設定と先読み不可能な展開が話題となり、スマッシュヒットを記録した『ファイナル・デスティネーション』は、その後、『デッドコースター』、『ファイナル・デッドコースター』、『ファイナル・デッドサーキット』と続編が作られるほどの大ヒットしたホラー・シリーズとなりましたが、更なる続編となる本作が作られ、このシリーズの三作目までのファンとしては、「観ておかなければ」という気持ちで劇場へ足を運びました。
サム(ニコラス・ダゴスト)、モリー(エマ・ベル)、ピーター(マイルズ・フィッシャー)らは研修の為にバスに乗るが、橋を通りかかる直前にサムが橋が崩落し、モリー以外の乗客が死ぬヴィジョンを目の当たりにし、それをキッカケに彼らを含む8人がバスを降り、橋の崩落は現実のものとなるが、それは更なる悪夢のような日々の始まりに過ぎなかった(粗筋、ここまで)。
このシリーズは『ファイナル・デッドコースター』で完結し、前作『ファイナル・デッドサーキット』からは、前三作の焼き直しにしかならず、マンネリ化が著しくなり、本作も一作目のミステリー系スリラーに原点回帰して、ついでに前日譚の構成になり、橋の崩落シーンの件はシリーズ最大のスケールにはなっているのですが、マンネリからの脱却は出来ず、前作以上に先が読める展開になっているのが非常に残念で、橋の崩落シーンよりも盛り上がる所が無いので、見所も少なく、話も練れているとは言えないので、シリーズで最もつまらないと思います。
このシリーズの魅力の一つは登場人物の死に様で、ユニーク且つ強烈な最期を迎える瞬間を様々な予想をしながら、楽しめるシーンが沢山あり、個人的には一作目の“バスに轢かれる”、三作目の“日焼けサロン”が印象に残り、おまけに死に様のなかでスゴく恐ろしいと思わせるシーンですが、本作は、その死に様がどれもあっさりとし過ぎていて、印象に残らず、“マッサージ店”や“レーシック手術”の件は工夫次第で、インパクトを出せると思うのですが、そういうのは全く無く、シリーズ最高傑作の呼び声の高い『デッドコースター』のデイヴィッド・R・エリス監督が登板し、マンネリ化しながらも強引な力業と漫画チックな死に様を連発した前作の方が、印象に残るシーンは多く、話はつまらなくても、まだ楽しめましたが、本作はそれが無いので、92分と短くても、観ているのがキツかったです(ただし、エンディングの過去作の死に様ダイジェストだけは良かったと思います。しかし、見ていて“あの頃は良かったな”という思いが強くなり、本作の退屈さが際立ちました)。3Dもオープニング・クレジットを除けば、効果が薄く、映像としての良い点(R-18指定にしては、残酷描写も生温く、PG-12ぐらいでも十分なレイティングだと思えます)も見当たりません。
今までのシリーズはキャラクターも印象的でした。死の運命のヴィジョンを見たことで、謎や予期せぬ事態に翻弄され、一人でも多く助けるために必死に抗う主人公の姿は常に共感でき、「死の運命がなんだ。俺はそんなものは信じないぞ!」と事実と向き合わないキャラが居ても、それを受け入れたあとの物事の捉え方の変化や、死の運命を受け入れて、「俺が死んだら、アレは処分しといてくれ」と覚悟を決めていたり、疑心暗鬼になって、パラノイアにとり憑かれたようになっていても、それぞれが個性的で、キャラとして確立しているものがありましたが、本作のキャラクターにそういうのは無く、主人公は必死にならなければならない筈なのに、そうは見えず、本作で突然生まれた新設定により、関係ない人を犠牲にして、その人の分まで生きられるようになっても、そこに共感(もし、関係なかった人が健康体で、その分を何年も生きられるとしても、それを得た人は一時的に死の運命に抗うことに成功した人たちとは違って、彼らのような安堵は出来ないのではないでしょうか。生き延びるためとは言っても、関係ない人を犠牲にしたのですから。だから、ラストの結果は正解でしょう)はしづらく、三作目で声の出演をしたのを最後に登場しなくなったブラッドワース(トニー・トッド)が葬儀屋からFBIの検死官として登場するという疑問(これはラストを見れば理解できますが、同時にシリーズ第5弾で最も新しい話として観ていたのに、それが前日譚である事が明らかになる瞬間にもなります)が一時的に生まれても、一、二作目以上に役立つキャラとして登場せず、単に「シリーズでお馴染みの人物だから、出しときました」という感じが強く、居ても、居なくても変わらない存在で、三、四作目ではブラッドワース抜きで話を成立させていたのだから、トニー・トッドが再演しているのは嬉しくても、そこに今更感しか無かったので、意味のない登場だったと言えます。
自分は劇場でホラー映画ばかり観るようになった頃に『ファイナル・デッドコースター』を観ていて、それが劇場で観た最初の『ファイナル・デスティネーション』シリーズだったので、思い入れは強く、前二作はテレビ(あまりの面白さに作品の虜になりました)で、『ファイナル・デッドサーキット』は3Dと「誰が得をするんだ?」という疑問しか持てないタレント吹替版のみの上映だったので、DVDのレンタルで我慢し、本作は字幕の3D版が上映されたので、やっと、3Dとしてのこのシリーズを観られるというだけで感慨深いものがあったのですが、ただ、それだけで、酷い作品ではありませんが、観る価値は無い一作という印象を持ちました。全米では前作とは違い、興行的に失敗したようで、続編は作られないようですが、もうこれ以上は必要なく、もし、作るのであれば、シリーズの産みの親でありながら、『ドラゴンボール・エヴォリューション』で劇場映画から消えてしまったジェームズ・ウォン監督にチャンスを与えて、このシリーズに面白さを取り戻して、復活されることを願います。