ミッドナイト・イン・パリのレビュー・感想・評価
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偉人たちが時代を作ったロスト・ジェネレーションに憧れても、21世紀に生きる幸せ
ウディ・アレン76歳の時の巴里を舞台にしたタイムスリップもので、脚本を兼ねて演出したアレン監督の知的な会話劇とノスタルジックな映像美が魅力の、文学、絵画、映画に対する尊敬と愛着に彩られた個人的願望のファンタジー映画。それは第一次世界大戦(1914~1918)後の1920年代の巴里に集中した実在の芸術家たちを登場させて、監督の分身であるハリウッド映画脚本家ギル・ペンダーを思いのままに操り、彼らと交流させています。歴史に残る天才たちの影響を受けたであろうアレン監督が、長年の夢を叶えたような作品です。その偉人たちを数多く登場させて物語にしてしまう手腕には、深く敬服し、僅かな羨望も感じてしまいました。
真夜中の鐘の音が鳴り、シンデレラリバティの逆を行くギル・ペンダーの巴里の享楽。雨上がりの石畳の舗道を走るクラシックカーが目の前で止まり、酒に酔った人たちから誘われて着いたのが、ジャン・コクトー(1889~1963)主催のパーティー。サロンではコール・ポーター(1891~1964)がピアノ演奏の弾き語り。不思議に思って戸惑うギルに声を掛けて来た女性がゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルド(1900~1948)で、夫のF・スコット・フィッツジェラルド(1896~1940)を紹介される。コール・ポーターは1915年ブロードウェイデビューも挫折し、1920年代後半まで巴里にいたとあるので史実通りで、この時はまだ有名で無かった。代表作は1948年のミュージカル『キス・ミー・ケイト』とあるが、全く知らない作曲家と思って調べたら、その劇中歌の『ソー・イン・ラブ』が日曜洋画劇場のエンディングテーマとして使われていたことを初めて知り驚きました。中学生の頃から聴き慣れ、その重厚なメロディに映画の感動を重ねていた少年時代。モートン・グールド楽団によってラフマニノフ風ピアノ協奏曲に演奏されたものでした。そのフィッツジェラルド夫妻も1920年に結婚して、スコットが代表作『グレート・ギャツビー』(1925)で名声を得た頃パリでアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)と知り合ったようです。コクトーのパーティーを抜け出して入った酒場では、ジャズ歌手で女優のジョセフィン・ベーカー(1906~1975)と思しき黒人女性が華麗に踊っていました。黒いビーナスと称えられ、この時代を代表するセックスシンボル的美の女神です。1925年パリのシャンゼリゼ劇場で好評を博し、ヨーロッパ巡業ではセンセーショナルな反響を受けたといいます。出演映画に1927年の「モン・パリ」があり、日本でも話題になったそうですが、詳細の見聞はこれまで承知しません。続いてポリドールという酒場でスコットにヘミングウェイを紹介されるシーンでは、代表作について話すも『日はまた昇る』1926か『武器よさらば』1929の何方かでしょうが、ここでフィッツジェラルド夫妻の関係に意見を述べるヘミングウェイの話が面白い。自由奔放なゼルダに翻弄されるスコットに、もっと創作に没頭するよう3歳年下のヘミングウェイが説教するのです。そこでギルがノスタルジー・ショップを題材にした自作の小説の意見を聞きたいとお願いするも、断る台詞がいい。“君の小説は不快だ。下手な文章は不快、上手でも嫉妬で不快。作家の意見など聞くな。作家同士はライバルだ” この言葉で思い出すのが、宮崎駿氏があるテレビ番組で漫画家志望の若い女性の絵を見て欲しいと頼まれても、断固として撥ねつけたことがありました。そこには同じ創作者と認めつつも、お世辞に終わることを予想した宮崎駿氏の厳しさと優しさの両面を感じて、深く感銘したものです。芸術家はいい意味で自己評価に絶対的な自信を持たなくてはいけない。自己満足で終わるのが素人であり、プロとしてのプライドを持つことが大切であると訴えていたように感じました。これに似た、ウディ・アレンの作家としてのプライドが表れた会話シーンでした。ここでヘミングウェイが紹介する人が、ガートルード・スタイン(1874~1946)というアメリカ生まれの著作家、詩人、美術収集家です。1920年代はアメリカが世界経済の中枢になった黄金時代と称されるも、この巴里(フルリュース通り27番)に居を構えてヘミングウェイ始め多くのアメリカ人作家をサロンで持て成したスタインこそ、失われた世代の名付け親でした。第一次世界大戦によって、それまでの価値観が変わらざるを得なかった戦後の文化世相の名称は他に、スコットの小説『ジャズ・エイジの物語』1922からのジャズ・エイジ、そして狂騒の20年代とあります。しかし、一番有名で微かに知っていた失われた世代の本当の意味は、良く調べると迷える世代だというのです。スタインが発したとする“you are all a lost generation”のlostの意味には、迷子の、行き場のない、の意味もあると知って、納得するものがあります。アレン監督も、この時代に迷いたかったのでしょう。ギルが自分の小説をスタインに読んでもらえると興奮するシーンが印象的でした。自分を落ち着かせて戻ると、タイムスリップで現代に戻り酒場ポリドールがコインランドリーになっているのがいい。
次の日ヘミングウェイと共にスタイン宅を訪れる場面が、この映画の人物相関図の基本になるようです。ヘミングウェイは1919年カナダ・トロントの「トロント・スター」誌のフリー記者となりその後巴里に特派員として赴き、スタインと親交を得て同時代のアメリカ人作家と知遇を得て、1928年にはフロリダに戻っていますから、21歳頃から29歳まで巴里にいたことになります。演じるコリー・ストールがいい。このとき34歳で髭を蓄えた男の渋さと憂いがヘミングウェイを想像させます。車中でギルに語る戦争体験の台詞が、まるで小説を朗読するような脚本も素晴らしい。そして、キャスティングが見事に嵌った一人が、スタインのキャシー・ベイツでした。残念なのは、パブロ・ピカソ(1881~1973)を演じたマルシャン・ディ・フォンソ・ボーです。個人的にはテレビのクイズ番組で見たピカソの若い時の写真がカフカにそっくりで驚いたほど、目力のある表情が印象的でしたが、その鋭さがありません。たぶん40代半ばの髪の毛があった頃のピカソには似ているものの、存在感が芸術家らしくない印象を持ちました。これら実在の芸術家に囲まれた中で唯一創作の人物、ピカソの愛人アドリアナを演じたマリオン・コティヤールは、1920年代のファッションとヘヤースタイルが似合っていて美しい。“過去は偉大なカリスマ”の言葉でギルと話が合う会話では、イタリア人画家モディリアーニ(1884~1920)と半年同棲していたと告白します。またピカソとキュビスムを興したジョン・ブラック(1882~1963)とも関係を持ったことも匂わし、自由奔放な恋愛遍歴にギルが驚くところの面白さ。このスタイン宅の場面では、アドリアナをモデルにしたピカソの作品『浴女』の絵がスタインに酷評される物語の創作があって、現在のオランジュリー美術館の場面につながる展開の流れが上手い。
蚤の市でコール・ポーターのレコード演奏を切っ掛けにレア・セドォ演じるガブリエルと言葉を交わすシーンを挟んで、モネ(1840~1926)の睡蓮の間が映し出され圧巻です。ギルの婚約者イネスの友人であるベイツ夫妻のポールが、抽象表現主義の真の父がモネとする学説を述べるも否定して、ターナー(1775~1854)こそ先駆者と言います。印象派画家モネの睡蓮の絵を地方の展覧会で観て感動したことが想い出されますが、そのとき抽象表現主義の概念はありませんでした。それでもセザンヌやルノワールの他の印象派画家との違いは感じました。ターナーの絵画は、東京と地方の個展2回足を運んでそのロマン主義表現の美しさと迫力に圧倒されたことが今でも記憶に残ります。学説としてはターナを抽象表現主義の先駆に当てはめるのは強引のようです。このポールの蘊蓄を語らせて、ピカソの『浴女』の前でギルがタイムスリップの知識を披露するところが笑えます。モデルのアドリアナの経歴からスタインが述べた批評を語り、ピカソの絵を駄作と言いきる。しかし、この映画で扱われる、このピカソの『浴女』の詳細が分かりません。似た絵でピカソ国立美術館所蔵の『浜辺でビーチボールで遊ぶ人』1928年があり、この年の「水浴の女たち」シリーズのひとつであるようです。オランジュリー美術館に所蔵されているのでしょうか。
その夜回転木馬がある遊園地パーティーでジューナ・バーンズ(1892~1982)と踊り、アドリアナと再会するギル。バーンズはアメリカ出身で1920年代巴里に住み、この経験から代表作『夜の森』を1936年に発表したモダニズム文学の重要人物といわれます。夜の巴里の魅力の虜になったギルがアドリアナとデートするシーンがいい。夫スコットの浮気で情緒不安定なゼルダに未来の薬を与えるシーンでは、アレン監督の優しさを感じました。酒場でアドリアナと別れてから突然サルバドール・ダリ(1904~1989)が現れる驚き。エイドリアン・ブロディが雰囲気ピッタリです。しかもそこにマン・レイ(1890~1976)とルイス・ブニュエル(1900~1983)も登場します。レイについては、多くの画家や作家が集まったエコール・ド・パリ(パリ派)の20年代に活躍した芸術家くらいの認識でしたが、調べると写真家だけではなく画家や彫刻家、そして映画監督も手掛けた人でした。第一次世界大戦を批判するダダイスムからその派生のシュルレアリスムを体現したアメリカ人。そして、ブニュエルも1925年に巴里に移り、撮影所を出入りすることから映画監督を目指し、1929年ダリと脚本共作の「アンダルシアの犬」を発表します。
イネスの父ジョンが私立探偵を雇った夜、T・S・エリオット(1888~1965)に誘われスタイン宅では、ヘミングウェイとアドリアナがアフリカ旅行に逃亡しピカソが怒っていて、スタインからは“作家の仕事は絶望に屈せず、人間存在の救いを見いだすこと。敗北主義に陥らないで”と勇気付けられる。アレン監督の人生を振り返ると、スタインだけには分かってもらえるのではないかの願望が窺えます。婚約者家族がモン・サン=ミシェルに出掛けて一人になった週末、蚤の市で古い本を購入、そこにはアドリアナが書いたと思われる文章が残されていた。ジル・ペンダーというアメリカ人作家に惚れて、夢の中でピアスのプレゼントを貰ったとある。そこでギルがピアスを用意するシークエンスがドタバタ喜劇タッチで面白い。過去に合わせてタイムスリップに持参する可笑しさは珍しい。スタイン宅ではアンリ・マティス(1869~1954)の絵を安く購入するスタインに完成した小説を渡すギル。その後アフリカから破局して戻って来たアドリアナとデートするギルが、偶然会ったブニュエルに「アンダルシアの犬」のアイデアを伝授するところのやり過ぎも可笑しい。初キッスからプレゼントされたピアスを付けたアドリアナとギルの前に馬車が現れ、ベル・エポック(美しい時代)の1890年代に招かれて、ロートレック(1864~1901)、ゴーギャン(1848~1903)、ドガ(1834~1917)の印象派からポスト印象派の巨匠たちが現れる豪華さ。ここでアドリアナとギルが口論する時代の価値観の捉え方がいい。アドリアナが憧れるベル・エポックのゴーギャンがルネサンス期(14世紀~16世紀)こそ黄金時代と称賛し今いる現在を嘆く。アドリアナはそれでもベル・エポックに留まり、ギルは抗生物質がないのが決め手となり21世紀に戻る。現在に不満を感じても、過去よりは文明は進化している。文化だけでは計れない人間の生き方が、結局は大きいとする常識的な判断でした。それでも男も女も浮気をするのは変わらない。ヘミングウェイの洞察力から別れるギルとイネス。迷子の探偵の落ちを入れて、ギルはガブリエルと新たな再会をする。
過去に憧れても、今いる現実を楽しもうの物語の映画。
パリは美しい…!
あつぎの映画館kikiへレイニーデイインニューヨークを観に行った際、
こちらの映画のポスターのデザインに惹かれたが
映画館で観るのはスケジュールが合わず。
最近Blu-rayを手に入れたのでやっと鑑賞できた。
ジヴェルニーのモネの庭から始まり、
パリの景観と耳心地のよい音楽、
コメディタッチな内容に惹き込まれる。
雨の日はどうしても憂鬱に感じてしまうが、
レイニーデイニューヨークと共にこの映画も
ロマンチックで素敵だなと思わせてくれる。
現代から1920年代に遡り、
アーティスト達との交流から
魅力的な女性アドリアナとの出会い、
さらにベルエポックの時代のパリまで…
もっと19世紀〜20世紀初頭のパリの文化や歴史的背景を深く知りたくなる映画だった。
一言で言うと月並みだがパリにとても行きたくなった。
主演のオーウェン•ウィルソン、
「君に読む物語」のレイチェル•マクアダムス、
アドリアナ役のマリオン•コティヤール、
アーティストを演じる俳優の演技にも引き込まれたが、
特にレア•セドゥの笑顔がとても可愛かった。
レイニーデイを観てから観たためか、
やや展開は読めたものの
最後はハッピーな未来を想像させる終わり方で良かった。
ウディ•アレン作品は個人的に観ていて
とても心地良く感じるため、
彼のスキャンダルは非常に残念…
黄金時代?
『古きよき日本』
年齢を重ねると、よく使う言葉だが、いつの時代も、どこの国でも昔を懐かしみ「あの頃は良かった」と愚痴るものなんですね
でも本当の黄金時代は今!
なんとも哲学的なテーマを雨のパリを舞台に考えさせる映画だったとは……
時、あたかもオリンピック
雨が似合うパリで行った雨の開会式になぜか縁を感じた
この映画は、前にも観たのだけど、後半からラストを観ていなかったのか、ただの忘却なのか、抜け落ちてた
そんな中でダリが自己紹介する場面は、面白くて記憶に残っていたけど、素敵なHAPPY ENDだったんですね
実際に、現在パリに住むとしたら、家賃だけでも高過ぎて夢のまた夢
シャワーもチョロチョロ
お湯もまともに出ず、
エレベーターもなく、
クーラーもなかなか稼働しない
そして渋滞の街でもあるパリは、今も昔も愛の街・恋の街・芸術の街、世界中が憧れる街でもあるんだよね
出来ることなら、もう1度訪れてみたい
そう思わせる映画でした
めちゃ個人的にオペラから考察したミッドナイトインパリについて
ガチ普通の一般人の個人的な見方の一つとして読んでいただけたら〜。そして全部個人的な意見で解釈です。
このレビューでは予告編やエンドロールで印象的だった音楽「天国と地獄」についてなんか色々言ってます。
さて、ミッドナイトインパリ自体を鑑賞したのは2020年、恵比寿のガーデンプレイスの映画館でアンコール上映されていたときでした。
芸術好きにはたまらない世界の映画……芸術家たちの出てきたときの興奮は素晴らしいものだったし、個人的にエンドロールの「天国と地獄」が衝撃的だったし……全体的に満足していました。
そして今、なぜ私はこれを書いているのか……。もう2021年も暮れですよ。
ええ、私的にこの映画のポイントは音楽です。そう、印象的だった「天国と地獄」!!予告編やエンドロールで使われてましたね!これが気になったからです!
まず音楽の「天国と地獄」について軽く説明します。「天国と地獄」はオッフェンバックのオペレッタ《地獄のオルフェ(天国と地獄)》の楽曲です。オペレッタ、つまり喜歌劇ですので明るく笑えるストーリーが展開されています。
この《地獄のオルフェ》は、ギリシャ神話の《オルフェオ》を違った角度から捉えたストーリーになっています。
まず《オルフェオ》について説明します。こちらは竪琴の名手オルフェオが、亡き妻エウリディーチェを冥界から引き戻すために冥界まで行き、冥界の王に妻を返すよう懇願して竪琴と歌を聞かせます。
その甲斐あってオルフェオはエウリディーチェを冥界から連れ出す許可を貰いますが、それには条件がありました。「絶対に後ろをふりかえってはならない」というものです。まあ、案の定オルフェオは振り返ってエウリディーチェはまた冥界に戻りました。チャンチャン♪(え、つらー)という訳です。
さて、これをベースにオッフェンバックの《地獄のオルフェ》についてあらすじを書いていきます。
さあ、《地獄のオルフェ》において、主人公オルフェとその妻ウリディス、不仲です。ダブル不倫してます!もうお互い開き直っちゃってます!その後なんやかんやあって妻が死に、世間体を気にした夫が天国へ妻を返すよう頼むが(不本意)、いろいろあってこの夫婦は無事、離れ離れになりました!チャンチャン♪(なんか最後みんなで「天国と地獄」に合わせて踊ってる)(←めちゃくちゃ愉快)という訳です。
詳しいあらすじはウィキかなんかに書いてあると思うので気になる方は是非〜(手抜き)
いやいやそれよりも、勘の良い方はお気づきでしょうが、《地獄のオルフェ》「ダブル不倫」してるんですよ。
ミッドナイトインパリ、思い出してください。妻はガッツリ開き直って他の男の方がマシ宣言。主人公もほかの女にうつつを抜かす。
ね?これこれこれ〜!!つまり私はここから、予告編の「天国と地獄」は、この映画の中での夫婦のあり方を暗示していた。と考察するしました。カ~~~~~!1本取られましたね。もう既に予告編で「わかる人にはわかる」じゃないですか。
そしてエンドロールは「な?この夫婦は不倫でバラバラになったやろ?」とドヤ顔するように(私にはそう感じた)天国と地獄が流れるわけです。
もうね、芸術に対するリスペクトが凄いですよ。絵画や文学だけではない、オペラ(オペレッタ)の要素もこの映画には取り込まれていたんですね。
だってミッドナイトインパリのエンディングだって、主人公目線で見ていたら「幸せになれそうな予感!」と思いますがめちゃくちゃ冷静に見たら「お互い気持ちが冷めて別の人に走って破局した夫婦」ですし。《地獄のオルフェ》とマッチしすぎ。
ま〜〜、この《地獄のオルフェ》がパリで作られた時代は確かにパリは流行の中心、世界の最先端でパリとしては外せない大事な時代ーーと、色々語りたいですが長くなりますし、話も逸れるのでこれくらいにしておきます。
自己満足女の独り言でしたー!どうもー。
いかにもウディ・アレンらしい映画
前知識なくても、見ていてすぐにウディ・アレンの映画だとわかってしまうほど、ウディ・アレン色が濃い映画。そもそも主人公がウディ・アレンの話し方そっくりである。
タイムスリップものなので、最後どういうオチがあるのかと思っていたが、オチはなかった。婚約者と別れたあと、コール・ポーターのレコードを売っていた店の女性との新しい恋の予感で終わるところがいい(ロダンの案内の女性でもよかったかもしれないが)。雨が降ってきて、雨のパリが一番と言っているので、主人公と趣味が合いそうでよいのではないか。
そういえば、ヘミングウェイが出ていたので思い出したが、ウディ・アレンの映画「マンハッタン」で、ヘミングウェイの孫のマリエル・ヘミングウェイが出ていましたね。
好きの詰め合わせ
花の都パリを舞台にしたオシャンティ映画。悩み多き脚本家が小説に挑戦するも、なかなかアイデアが浮かばず…。深夜24時の鐘がなるとクラシックカーがやってきて…というお話。役者が演じるとわかっていても、ヘミングウェイ、ピカソ、ダリ…。好きがいっぱい詰まった映画
気楽に見れる
落ちなし山なしの懐古趣味で過去のフランスに集まった芸術家・小説家を紹介する映画。テーマは「古き良き時代を思う」。で、主人公が後半にいっていたが、誰もが現実よりも古き良き時代や理想郷を思ってしまうものだと言うこと。ダリ、ピカソ、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド夫妻等の事を知っている人は楽しめるかと。見終わった後、軽くamazonのレビューを見て、映画を楽しむには背景を知っているかどうか、どこにテーマを見るかどうか、登場人物それぞれの象徴は何かを考えるかいなかで評価は分かれるのだなと感じた(自分は背景や登場人物の事をあまり知らず、物語の構造やテーマを深く考えずに見た)。
永遠の憧れ
パリってタイトルだけでワクワクしちゃう(*^^*)
ギルに起こる全ての出来事が刺激的で毎晩、夢の様✨
今作アメリカ、スペインの合作なので、パリの街、自然、建物が綺麗でフランス映画だとベタで撮さない所が随所にちりばめられてて本当に素敵💕
あと、音楽🎵
全部素敵でした(*^^*)
物語はファンタジーたっぷりでついていけない人もいるのかも💦
自分は2020年に2010年の映画で1920年にタイムスリップして更にベル・エポックの時代に、、、。
十分楽しめました👍
最後どうなるのか見物でしたが、
えっ💦
でした💦
まあ、とても摩訶不思議な夢を見たなと思って、クスっと笑いました。
※『現在』って不満なものなんだ
それが人生だから
1920年代の真夜中のパリ
主人公の婚約者(自己主張強め女子)をレイチェル・マクアダムスが演じていましたが、この作品でもお洒落でキュートでした。( が・・・。)
「戦場のピアニスト」で主演したエイドリアン・ブロディが、まさかのダリ役を 👀
20年代の真夜中のパリの酒場の賑わいや、空気感が
お洒落でした。
もしも、目の前に芥川龍之介や江戸川乱歩が現れたなら、私もテンションが上がるでしょうね。
そんな、ミッドナイト・イン・パリでした。
NHK - BS にて鑑賞
今ないものに憧れる
ちょーどお母さんの昔のアルバムを見て
お洋服可愛いな〜昔にしかない趣が素敵だな〜
この時代に行ってみたい。って考えていたところに
みたのでほんとタイムリーな映画でした
評価も高かったので楽しみに見たのですが、とにかく素敵。映像とか衣装もだし、パリの良さとか昔の雰囲気が最高でした。引き込まれる感覚。
俳優さんもみんな豪華だったし序盤からトムヒだっ!ってなって、
お洋服もやっぱりとってもゴージャスで可愛いくて
私もちっちゃいバック持ち歩きたいってなりましたw
自分がもっと出てくる有名な芸術家に詳しければもっとワクワクしたかも。ってちょっと残念。
でも誰しも好きなものや趣味はあるから、
こうやって本来会えるはずのない有名な人に会えるっていうだけで興奮するきもちがよくわかりましたね
オタク要素をすごい感じたというか…
みんな結局昔は良かった〜て思う心理にはとても納得ですね。ないものねだりじゃないけど、みんな手に入らない所に理想を思い描き続ける。私もその1人です。
多分これは永遠に無くならないじゃないかな。
だから今の自分に満足できている人はすごいです。
まあひっかかったのは婚約者がうざすぎてよく婚約までいったなって思ってしまったんですけど、www
あんな人絶対友達にもなりたくない…
知識人男も結構居るタイプだけど本当に苦手なタイプ
2人とも人の話全然聞かないやん…
それがより現実から過去への憧れを引き立たせたのかな〜とは思うけどかなり露骨だったな〜
まあでも最後の終わり方も素敵で、みて良かったです。
夢のようで現実をみさせられる映画。
でもそれでも昔の時代にいってみたいなって思いますw
お洋服とかたしかに昔流行ったものがまた流行ったりするけど、やっぱり街並とか、その街にいる人たちのファッションとか見た目は変えられないから、その時代にいないとわからない雰囲気とかありますよね〜
まあだからこそ私も今の風景や、時代を感じながら今だからこそできる事を沢山やろうと思います。
パリ愛に溢れる映画
パリをこよなく愛する映画脚本家ギルは、観光でパリを訪れたある夜、1920年代のパリにタイムスリップする。憧れの作家・画家との邂逅に歓喜しつつ、黄金期のパリの街に心酔していく中で、ギルは婚約者がいるにも関わらず過去の時代の女性と恋に落ちる。
とにかくパリの街並みを美しく魅せている。昼の活気溢れる大通りから、雨の降る物憂げな路地まで、どれもが画になる代物であり、ギルの言い分はとても良く分かる。
またそうした街の美しさに劣らず、女優陣が誰も彼も美人で華やかである。作中のパリは現代にもタイムスリップした先にも美しい女性がおり、彼女らに惹かれる男性陣との恋模様が描かれている。ギルの婚約者(彼女も美人である)がラストに言い放つ「パリは恋の街なの 大人になって」というセリフは、美しい女性と恋愛で彩られたパリを見事に表していると思う。
ストーリーはタイムスリップと恋愛を軸に軽快なテンポで進んでいく。特に歴史上の偉人たる作家・画家たちは、いわゆる「キャラが濃い」人物として書かれており、彼ら彼女らとギルのやりとりを見ているだけで話に引き込まれていく。キレキレの詩的センスのまま会話してくるヘミングウェイなどは必見である。
街並み、女性と恋愛、面白い作家たち。これらが織りなす美しさと憧れに満ちたパリの魔力が存分に描かれた作品となっている。
大人のおとぎ話
以前鑑賞したことをすっかり忘れていて、年代もののプジョーに乗り込むところで思い出した。あの時代のあの人に会いたい。それは誰もが一度は願ったことのある夢だろう。その点、こと芸術を愛する者にとってパリという街は、時間を遡るのに最適であるに違いない。その夢が叶うとしたら。しかし、主人公は土壇場で我に返り、現代に戻ることを選択する。何も教訓的な理由ではなく、至極現実的な理由で。おそらく彼は芸術家にはなれない。ただ、今の人生を楽しむことには成功するだろうと思わせるラストシーン。うーん、いいなあ。
パリの街の美しさ、ロマンティックの塊
主人公(オーウェンウィルソン)は婚約者(レイチェルマクアダムス)とパリに旅行に来てパリに住みたいと思うが、反対される。知識人とレイチェルマクアダムスがめちゃ仲良い。ワイン試飲会の後迷って、階段に座っていていると、12時の鐘が鳴り、古い車が迎えに来る。誘われたまま乗ると、主人公が好きな1920年代に戻っていた!
戻って色々恋とかして、婚約者のピアスを盗んで渡そうとしたりして、どの時代の人にとっても、黄金時代は昔なんだな、と悟る。レイチェルマクアダムスが知識人と浮気していることが発覚などして、別れる。
まあ色々あって、最後はレコード売る姉ちゃんと一緒に夜の雨の降るパリを散歩する。
めっちゃ良い
面白かった!
ずっと観たかった映画なので、観られて良かったです。
ヘミングウェイは、男らしくて意思が強そうでかっこよかったです。
ぱっと見はキアヌ・リーヴスかと勘違いしました。
パリには旅行で行ったことがありますが、私はそんなにいい街には思いませんでした。
店員さんは冷たいし、ゴミは散乱してるし…。
パリは映画や旅行番組で観てるので充分かなと思います。
この映画ではパリの美しい部分が前面に出されていて、憧れていたパリそのものです。
1点残念なのは、ゴッホが出てくると思ったら出てこなかったことです。
ロートレックと、ゴッホ、ゴーギャンは仲が良かったらしいので、ロートレックのシーンで出てくると思ってました。
冒頭にモネの庭が出て来たので、モネも出るのかな〜?と少し期待してました。
サイを描きたくてしょうがないダリが面白かったです。
また、ブニュエル監督に、ギルが助言するシーンでは、後の自分の映画に疑問を持つ様子が面白かったです。
当時の文化人たちに対して、私は勉強不足でしたので、もっと知ってる人が見たらより楽しい映画だと思いました。
大好きなレア・セドゥが出ていたのも良かったです。
私の好みではない
もう見なくていいと思ってたのに、また観たことを忘れて観てしまった…
すっかり忘れてわくわくした気持ちで見始めてしまっただけに余計ガックシ…
タイムスリップ?して昔の偉人に会うとか…全然面白くないし興味ないし…
レイチェル演ずる婚約者と結局別れて、“雨降るパリ”が好きな女性とのエンディング…
どこが面白ポイントなんだろうか(´・ω・`)
やっぱしウッディ・アレン
良くも悪くも
といっても個人的にはキライだ。
この人の映画の特徴としてやたら屁理屈みたいなセリフの応酬、日本人にはわかりにくい例え。ストーリーも盛り上がることなく、淡々と終わる
むかしはウッディ・アレンくらいみないと、とか勘違いして何本かみたけど…しかし変わらないなこのじじい(笑)。
いつしかウッディ・アレン監督というだけで避けるようになった。
なんでこれをみたかというと、アイデアにひかれたから。よくある設定だけどね
ヘミングウェイやダリなどは日本でも有名だが、フィッツジェラルドとかはきいたことあるかな、程度。何書いた人だっけ。
とにかく、そういう著名人との交流にはあまり意味はなく、みな引き立て役にもなってないし、結局恋愛映画じゃん。
見終わったあとも、なんか…ごはんを白飯だけで食ったような、食パンを何もつけないで食ったような。
とりあえず食ったけどねーみたいな。
ああ、久々に味わうウッディ・アレン映画鑑賞後感。
劇中ずーっとかかってるいかにもおフランスな音楽もウザイ。
全く気取ってんじゃねーよアレン、勝負するかアレンじいさん?
価値観が違うってのは悪玉ですな
自分の信じたものの意見やインスピレーションしか受け入れない人間はよくいるもので自分もそういう人間だと自覚している。
"Actually, Paris is the most beautiful in the rain."
ガブリエルと上手くいくことを祈るばかりである。
可もなく不可もなく
評価が良かったので鑑賞。悪くはなかったが、面白いかと言われると普通。人におすすめまでして観てもらいたいとは思わない。
1920年代のパリにいる芸術家が出てくるが、芸術などに興味があまりない日本人だと、名前を聞いても分からない人物が多い。主人公のギルが「まさかあの〇〇に会えるなんて!」と始終驚いて興奮しているが、共感できない部分もあった。名前だけ出てくる芸術家も入れると数が多く、各々の人物はちょい役で深みは無い。
Wikipedia片手に、芸術家たちの名前が出るたび映画を止めて調べながら観た。名前を知っている人が観ると、もっと楽しいだろうと思う。
主人公ギルの憧れる1920年代のパリと、ギル周囲の現代アメリカ人との対比が、夢と現実の対比になっている。
現実では婚約者にも、その両親にも、婚約者の友人にも、空気が読めず、夢見がちで頭がおかしいと批判ばかりされているが、不思議なことに1920年代の人々はギルを批判しない。未来から来たため、ズレて素っ頓狂なことを言うギルを拒絶せず、受け入れ、共に楽しんでくれる。
過去=夢は拒絶しないのだ。これは、ギルが現実から目を背け、夢を肯定しているからそうなのだと思った。
しかし、展開が変わったのは中盤~終盤。ここだけが作中で唯一面白いと感じたところ。
1920年の魅力的な女性アリアドナとギルが、ベル・エポックのパリにタイムスリップしてしまった時。
その時代の画家たちが口をそろえて「生まれるならもっと昔が良かった。ルネッサンス時代に」と言うのだ。そして、「ぺル・エポックこそがパリの黄金期よ」と夢見がちな顔をするアリアドナに自分を重ねて、ギルは初めて自分を客観視する。
所詮どの時代に生まれても、昔が良かったと言うのだ。現代でも、1920年代でも、ベル・エポックでも、ルネッサンス時代でも。
ベル・エポックのパリに残る選択をしたアリアドナと、ギルは別れる。彼女との別れは、1920年代こそ黄金時代だと夢見る自分との別れなのかもしれない。
だが、現代に戻ったギルは、パリを愛しつつ現実にも目を向けるようになったので、別れは大きな前進なのではないかと思う。
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