麒麟の翼 劇場版・新参者のレビュー・感想・評価
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原作を凌駕する出来映え!
東野圭吾原作による前作映画「容疑者Xの献身」が原作の魅力を引き出す事が出来なかったのに比べて、本作は結果的に原作を凌駕する出来栄えと考える。そもそも原作がキャッチコピーにある「傑作」とはほど遠い出来であったことが映画化に際し幸いしている。
犯人の動機の弱さ、被疑者の言動の?、題名のこじつけ等々原作には隠し難い欠陥があり、前作の「新参者」「赤い指」と比較しても凡作と言わざるを得ない。ところが映画はそういった細部にお構いなくグイグイ引っ張っていって強引にラストまで到達させてしまう。なんとなく納得させられるのは東野圭吾のプロットが良く出来ているからだと思う。
映画が原作を上回った珍しい例だと思う。
悲しい祈りの末路は…
元々、伝説の動物である上に、希望の象徴として翼までおまけした麒麟のブロンズ像。日本の中心にこの像を建てた人は、どれだけ大きな希望を託したのだろう…。
時は経ち、麒麟像は登場人物たちそれぞれの祈りを受け止める。それぞれが悲しい背景を抱えながら。そして、殺人事件も麒麟像は見ています。
たくさんの悲しみが詰め込まれ、勇猛な姿がどこか悲しげに映ります。
祈りを込めるのは、その翼は必ず飛べると信じているから。
血を流しながら最後の力を絞って込めた祈りも、消えてはいないはずです。届くべき人の心にちゃんと届いたのだから。
ラストには、それぞれの悲しみにもすぅっと光が差し込んでくるような気がしました。
日本橋は首都高の下に隠れているけれど、麒麟像の真上に上下線で隙間が空いているのは、「空へ飛び立てるように」という建設者の人情が表れているのかも…。
加賀刑事が真相を追い求める、シリーズの最新作ですが、その着眼点にはホントに関心です。普通ならどうでもよさそうな些細な所を突き詰めるのは、なかなか容易ではありません。何気ない言葉や動作も拾い上げ、糸口を見出していきます。自分なら絶対見落としてる…。
また、加賀と松宮のやり取りも面白いです。加賀が松宮に代わりに捜査報告をさせようと後ろから突っつくシーンが好きです。
この映画ですが、原作本を事前に読んで予習。それから鑑賞しました。自分の場合、特にミステリー映画は予め内容が分かっていないと、脳内でバックして考えている間に置いてけぼりに遭い、面白さ半減というパターンが多いので…。
という訳で、原作と対比しながらの鑑賞でしたが、それはそれで違った見方ができました。
細かい所で原作と違っていたり、付け足されていたりしました。無意味だと思うものから、変更して筋が分かりやすくなったものまで、色々あります。
原作にはない中で特に好きなのは、八島・香織カップルが上京した日付を問うくだりです。これが最終的にストーリーでとても重要な役割を果たしています。シーンの中で、日本橋の監視モニターが出てきますので、よーーく目を凝らして見てください。後になって、パンフレットを見て気付きました。
もう遅い…。泣きに繋がるせっかくの大事な所を見落としました…。
麒麟の翼
面白かった。
ただ 映画の上映時間の枠では 急展開過ぎる気がしなくもないが・・・楽しめました。
1月28日テレビ放送の『理想の息子 #3』を見た人は特に笑える場面があります。
麒麟の翼には 全く関係ありませんが。
謎の欠片の繋がりが問う人命の在り方
ドラマも原作も未見のため、ジャーナリストやのになぜか茶店でバイトしている黒木メイサや唐突に現れる田中麗奈看護師、部下の溝端純平etc.テレビドラマから把握してないと接点が解りづらいサブキャラが所々現れ、やり取りに戸惑う場面は若干あったものの、事件そのものの謎を仕掛ける配置が巧く、無知な輩でも面白く拝見する事ができた。
阿部寛が劇中にて
「殺人は癌細胞みたいなもんだ」
と呟くシーンがあり、
事件を機に被害者、加害者の家族が抱えていた闇が露わとなって、更に深刻化していく。
それに連れ、黙々と真相を追う阿部寛も自身の家庭内の問題を重ね、憂うという血生臭さより、家族について考えさせられるヒューマニズムが濃くなるタッチは、『容疑者Xの献身』同様、人間の関わり方を問うサスペンスとして向かい合え、興味深かった。
容疑者のフィアンセで彼の無実を唯一叫び続ける新垣結衣の苦闘が健気で胸を打つ。
ハケン、イジメ、ネット、家庭崩壊、マスコミ報道etc.現代にはびこる問題を小気味良く絡めて、全ての欠片が組み合わさった時、事件の重大さを一同が思い知る。
あの衝撃波こそ東野圭吾作品の醍醐味であり、『砂の器』『ゼロの焦点』etc.松本清張を受け継ぐ社会派ミステリーの真打と評しても過言では無かろう。
テーマがテーマだけに、説教臭さに熱を帯びてしまうのが、難点やけど、2時間ドラマをスクリーンに映したような安易な創りのサスペンスではないと断言できる見応えである。
最後に短歌を一首
『巡る鶴 血染めの翼 日本橋 溺れて浮かぶ 穴の償ゐ』
by全竜
孝行したい時に親はナイ
東野圭吾の小説は、「容疑者Xの献身」くらいしか読んでないし、ドラマ、映画も容疑者-の他は1,2本見たかな、という程度。
ドラマ・新参者も1、2回見たくらいで、この作品のバックグラウンドはあまり知らない…。
妻(46歳、パート)、長男(私立中1年)の家族3人で、封切り2日めに錦糸町で鑑賞。
東野作品はだいたい見たり、読んだりしている妻は、見終わって開口一番、「ダメだねー」。
続けて、「原作をそのままほとんどなぞっただけ。あれならテレビで十分って感じ」と言った。
僕は、そこそこおもしろいかな、と思ったのだが、妻の指摘が正しいと思う。
監督はドラマ版の演出も手がけたTBSの社員ディレクター。
確かに、過不足ない演出で問題はない、とも思えるが、やはり映画に必要なスケール感と映像、そして芝居の深み、奥行きが足りないのだ。
具体的にどこに問題があるか、とは説明しにくいが、全体に薄味なんだよね。
確かにテレビで見ればコト足りる内容。
映画的な感動を味わえるまでには至らない、とは言えるだろう。
ただ、阿部チャン演じる主人公の父親(山崎努)の最期を巡るエピソードの部分は、親に孝行できなかった自分にはちょっと泣けたね。
映像化で原作本がバカ売れの東野先生は、ウハウハかな。
※ただし、麒麟の翼の原作本の印税の一部は震災被災地に寄付してるらしいけどね。
原作に忠実。あらすじをしっていても、最後は泣けます。
原作者東野圭吾自身が、シリーズ最高傑作と言う『麒麟の翼』の映画化作品。
原作は読んでいてその面白さは知っていたのですが、本は面白いのに映像化されるとイマイチと言う事が良くあるので、ちょっと心配していたんですが、その心配は杞憂だったようです。ここに至るまで、TV連続ドラマとTVスペシャルドラマとして、加賀恭一郎シリーズは作られていたので、杞憂だったようです。
このシリーズの肝は、やっぱり阿部寛演じる“阿部”恭一郎では無いでしょうか。この作品でも、その魅力は十分発揮されていました。かっこいいですね。
一方、溝端淳平クンですが、う~ん。頑張ってはいますが、刑事には見えない・・・。若すぎるのかなぁ。もう少し、渋さが加わるといいのかも。あと、黒木メイサも、このシリーズだと、なんか浮きませんか? 若手の二人が若干微妙です。
本での金森看護師のイメージは、もう少し年齢の高いベテラン看護師のイメージですが、田中麗奈だと、ベテランと言うよりは、主任クラスのバリバリのやり手と言う感じですね。まぁ、そう言うのもアリですかね。
新垣結衣が、可憐で強い女性を演じています。中原香織は、ガッキーで正解ですかね。
ちょっと気になったのが、TBSの制作ということで、あとで地上波放送が容易な様に(と言う意図では無いかもしれませんが)、編集ポイントが所々にあるところ。映画ではなくて、「ここでCMだな」と言う事を感じるTV的なカット割りなんですよね。全体の流れを絶ち切ってしまうようで、気になってしまいました。
最初の頃から悠人が水泳をしていることをほのめかすなどなど、原作とは違う所はありますが、それは演出上の都合と言う事でよしとしましょう。その意味では、概ね原作に忠実に作られていて、それほど違和感は感じませんでした。
原作を読んでいるので、話の筋は知っているんですが、最後はうっかり泣きそうになってしまいました(苦笑)。中々見応えのある映画です。あ~、日本橋行きたくなった!
悪くはないのだけど、『相棒』に比べてメリハリが弱い気がしました。
小地蔵の大好きな作品「いま、会いにゆきます」の土井裕泰監督作品に加えて、東野作品のなかでも一番人間ドラマの要素が濃い原作だけに、期待して見にいってきました。
けれども主演の阿部寛からはいまいち真に迫る感動を得られませんでした。
親子間の葛藤がメインのテーマであり、ラストまで犯人候補が揺らいでいく構造は、近年の『相棒』シリーズの十八番とするシナリオ。どうしてもここは加賀でなく、右京ならどんな対応をするのかという色眼鏡で見てしまいます。特にラストで犯罪の誘発する原因を作った中学教師の水難事故隠蔽について、阿部寛は色をなしてこの教師を叱り飛ばします。けれどもこれが水谷豊だったら、ラストの犯人を叱り飛ばす決めゼリフでは、もっと感情を込めて、実を打ち震えながら、観客のカタルシスをはらしてくれたことでしょう。 本シリーズは連続ドラマの日曜劇場『新参者』の続編。刑事ものでは、ヒットを飛ばしているテレビ朝日の蓄積されてきたノウハウによる重厚な空気感に比べて、雑多なドラマを手掛けるTBSの日曜劇場製作の本作では、全体の雰囲気自体に軽重の違いを感じさせます。もしかしたら監督すらミスマッチだったのかもしれません。
一定の人生経験を積むまでは刑事役を拒み続けてきた阿部寛。彼にはひょっとしたら苦手意識があるのかもしれません。本作のキモは、被害者の青柳武明とその息子悠人との親子断絶にありました。そして主人公の加賀恭一郎も元刑事だった父親に対して、同業後輩としてのコンプレックスを抱えていたのです。だから加賀は真相が明らかになるほどに、青柳父子の関係に感情移入するわけです。だからもっとお節介に、熱く武明や関係者に絡むはずです。ところが割と淡泊に阿部は演じているのですね。その辺が良くも悪くも阿部寛らしさがよく出ているのです。だれど加賀自身も、本作の象徴である「飛べない麒麟」のひとりであったことを強調した演出の方が、ぐっと観客も加賀に感情移入できたことでしょう。
加賀が控えめな分、加賀の父親の看護を担当した看護士の金森登紀子が、加賀に三回忌の開催を迫るしつこさが目立ち過ぎて、違和感を感じました。
原作ものは、どこをポイントに置いて2時間のドラマに凝縮していくのかがポイントとなります。本作はその点原作をそつなくまとめ込んでいて破綻がない秀作です。けれども『相棒』と比べても、面白味に欠ける感じがするのは、どこか一つ打ち出すところが弱かったからではないかと思うのです。『白夜行』と比べて筋を説明していく整理の仕方は、土井監督の方が数段上手いと感じます。けれどもラストの意外性や感傷においては、『白夜行』の深川栄洋監督が面白く感じたのです。
物語としてはすごく秀逸。恐らく東野圭吾原作では最高傑作でしょう。事件直後に若い不審な男が現場から逃走。その若い男八島冬樹の持ち物からは被害者が持っていた財布と書類鞄が発見されます。そして、被害者が役員となっていた金属工場を解雇されたことについて怨んでいた証言もとれるなど、動機も証拠も充分。容疑者としては充分な疑いが固まっていったのです。
しかし八島と同棲していた中原香織は、「彼が人殺しをするはずがない」と否定。加賀の粘り強い捜査によって、全く違う筋から真犯人が浮かんでいく過程は、推理ドラマとして出色の出来映えだと思います。
特に「死者の声を聞くことが、生きているものの努めだ」という同僚のドラマの転換点となるひと言は、加賀の父親に対するトラウマを解消させただけでなく、見ている方もグッと考えさせられるひと言になりました。
それと八島冬樹と中原香織が駆け落ち同然で上京したとき、東京での生活の出発点としてまず立ち寄ったのが日本橋の麒麟の像の前でした。そこで無邪気に万歳と叫ぶ若いふたりに、「ここから夢に羽ばたいていく、はずだった。」と加賀がつぶやくところは余計に涙に誘われます。
またある事件のことで、父親が期待した水泳をやめて、生きる目標すら見失いかけてきた青柳悠人が、本当の父親の気持ちを知って涙するところも感動的でした。
その父青柳武明が刺されて瀕死の重傷にあいながらも、119に通報せず、ひたすら日本橋の麒麟像に向かって事果てたことも、本編の大きな謎の一つです。武明の命をかけた息子へのメッセージ、贖罪の思い、そして微笑み。中井貴一は実にいい芝居をしていましたよ。きっと原作のラストは、涙に泣きくれる感動巨編なのでしょう。
映画というよりテレビドラマ
テレビドラマの「新参者」に特に思い入れがなければ
地上波で放映されるのを待ってもいいかも。
映画というよりもテレビドラマ。
東野圭吾作品に漂う人情味あふれる人間の機微は
実に緻密に描かれ、話の展開の構成も上出来で
役者陣も誰一人として興をそぐような
配役ではないし演技も良く 悪い点は見当たらないのだけれど……
映画ではなくテレビドラマ、
それしかいいようがない。
テレビドラマとして観たら満点です。
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