伝説巨神イデオン 発動篇のレビュー・感想・評価
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時代の嚆矢たりえず
ファンなら、どんなことをしても見たい映画だった。それは、この映画が製作された背景によるものだが、一番大きいのは、『ガンダム』がヒットしたこと。そして、テレビアニメが、スポンサーなしに成立しないこと。この二律背反の原則だろう。今とは事情が違うが、熱狂的な人気を得ても、商業ベースに乗らなければ、テレビシリーズは打ち切りになる。残念だったのは、おもちゃの出来が決定的にしょぼかったことだ。いったいどんな低学年が、こんな小難しいSFを見るというのか。対象年齢を上げて、大人でも楽しめるキャラークター商品が開発されていれば、人々に愛されたかもしれないのに。
当時のサンライズは、『ガンダム』の成功をもう一度とばかりに、人気の出ないテレビシリーズを早々と打ち切って、劇場公開での成功を模索する。決定的に違うのは、『ガンダム』は打ち切られながらもテレビシリーズがきちんと完結したのに比して、『イデオン』は文字通り打ち切られたことだ。最終回に用意されていたエピソードが未発表のままお蔵入りになった。内容の暗さはさておき、ファンの渇望感は最大に膨れ上がった。
そして前代未聞の、テレビシリーズ総集編と、完結編の同時公開が為された。
ここに、『発動編』が完成した。
あたりまえの話だが、普通にその一本だけを見ても全く理解できない映画になった。長いテレビシリーズを、追っかけて見ていた人のためだけに用意された、ご褒美ムービーなのだ。ただしそのクオリティは最上級。湖川友謙率いる作画スタッフの情念と、当時から厳しい要求を満たす仕事ぶりのすぎやまこういちの素晴らしい音楽、作家性を追求し始めた富野喜幸という才能がぶつかって、訳の分からない凄みが出来上がった。アニメーション映画として、あり得ないほどの出来栄えとなった。
「わけわかんないけど、なんかすごい」映画が出来上がった。
のちに社会現象となった『エヴァンゲリオン』が、この方式に倣って劇場公開作品を制作したのには、苦笑いだった。
異星人との戦いの中にも人間の真理が感じられる
真の完結編
2025年1月5日YouTubeにて視聴。
お正月にバンダイ公式チャンネルにて配信されてたので接触編と合わせて視聴。
老若男女、誰に対して容赦無く訪れる最後、もはや戦う意味すら無くしても落とし所を失い続けられる戦争、そして肉体を失い初めて和解に至る人類など人の業をこれでもかと味合わせてくれる富野監督の代表作ともいえる作品、これでも魂は救済されてる感がある分他の黒富野作品に比べると救いはある方なのかな…?
イデオンという作品全体で見ると間違いなく名作ですが接触編最後で仲間になったと思ったら本作のプロローグでいきなり退場するギジェや唐突にヒロインムーブかましたのにすぐに悲惨な最後を遂げるキッチン等TV版で死亡したキャラの扱いに関してはどうしても端折られてる部分も多いので接触編と本作だけではちょっと分かりにくい部分が出てくるので本当の意味で楽しむにはTV版視聴は必須になってしまいます、ちゃんとみると特に本作でやたらやさぐれてたシェリルさんの心境はかなり感じが変わるかと。
本作登場から時間も経った事もあり似たような結末を迎える作品も増え目新しさは少なくなったかもしれませんが40年以上前にここまでの完成度の作品が生まれていたのはやはり凄いです。
40数年ぶりに鑑賞
ドラマ史上最高の絶望感
見るつもりなかったけど、なんかYouTubeに上がっててツイ見てしまった。
子供の時にテレビ放送で打ち切られてしまったのに非常にがっかりしてたのに映画でラストをやると知って学校のなんかの催し物が横浜であって、帰りに一人で関内の映画館によって見てきたことを思い出した。
当時見た時は異星人同士の禁断の恋や、妬み嫉み、憎しみなど子供であった自分にはよくわからなかったが、今回改めて見るとなるほどと思うと同時に、これ子供向けなの?誰に向けて作ったのと思わざるを得ない。
とにかくこれほどまでに絶望感のある最終回は見たことがなく、ずいぶん長い間心の中に残っていたものだった。ラストで輪廻転生のようなエピソードをつけるが、今生きている欲にまみれた自分に肉体を失ったコスモたちの気持ちにはなれず、なんか取ってつけたような終わりに感じてしまった。
多分小学生の低学年の頃からデビルマンや漂流教室など救いのない物語にひどく惹かれることが多く、そういった物語の中ではベスト3に入るアニメだったと思う。ただ2022年のいま見ると、やはり作画や演出など残念な部分あり本来なら★5はあり得ないのだが、ノスタルジックな思いにマイナスをつける気も起こらず★5を付けさせてもらった。
見終わるとため息が出ちゃいます。
富野監督が観た感想
この映画ドットコム内の関連ニュースにある、2019年開催映画祭でイデオン上映時の富野由悠季監督によるコメントが興味深いので見てほしい。ここに引用する。
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富野監督は完成後も度々見直したが、「こんなすごい映画とは思わなかった!」
「これまでのイデオンの印象は制作状況の悪さもあって、稚拙にしか見えず、作品を通しての感想はなかったが、今回は1作品として見ることができた。作画もひどい。何もかもひどいけど、『こんな話かよ』と驚いた」
「人間関係の入れ子構造が上手だなと思った。(自分自身が)経年劣化を起こしていて、だんだん、ああいうことができなくなっている。たったひとつの言葉で人間関係を結びつける。見事だな、と思った」
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一見自画自賛に尽きるとみえるが、クリエイターは直線的に成長する一方ではなくピークがあり、過去の自分をピークと認め現在の自分を劣化していると評する。
これはクリエイターにとっては最も認めがたい事であり、得難い自己批評となっている。
このように老境にして自分の業績を俯瞰して評価するまでに至った監督。
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「『(玩具の)金型を作っているから、変更してもらっては困る』と言われて、頭に来た。当時の自分の精神状態はやばかった。それを制御しようとして、うつ病にもなった。(こんな壮大な話は)一人の能力では無理。チャラチャラやっては作れない。いい経験ではあったけども、自分に能力がないことも自覚した。能力があれば、スピルバーグにもなれただろうな」
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ぜひとも今後の余生はこのような過去の苦悩を清算するべく、ロボットからもオモチャからもエンタメからさえも自由になった、本当の富野由悠季100%の作品をネットフリックスか誰でもよいのでパトロンになって作らせてほしい。
売上・評判など気にすることなく後悔なく死んでほしい。
それが彼によって映像ドラマの可能性の夢とトラウマを授けられた我々ファンのせめてもの恩返しの願いである。
富野由悠季はトミノフスキー粒子を吹き出しその無限力を開放し富野映像の因果地平へと旅立つのだ。
悲壮感MAX
当時、本当に嬉しくて嬉しくてたまらない続編映画化のニュースでした。
この頃は入場者特典でセル画がもらえたりしたものだから、徹夜で劇場前で並んだりしたのもよい思い出。(今でもありますか?エヴァとか)
汗を拭き拭き公開前日の劇場前に並んで鑑賞しに行きました。
もう40年近くも前になる作品なのね。歳取るの早い。イヤやし。
そして作品は圧巻の一言!
今になっても、映像作品であれほどまでに悲壮感のある作品には他にお目にかかったことがありません。
もう絶望に次ぐ絶望の展開で、半径50光年以内(でしたっけ?)はどこへ逃げても敵だらけとか!
ちょっと待って((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル 50kmじゃなくて50光年ですよ!←合っていますか?
その絶望(死)へ突き進む焦燥感が見事に描かれていたと思います。
なのにそんな敵を外連味たっぷりであっさりと屠り去る主人公側ロボットの秘密兵器の描写とか。ちょっとカッコよすぎますって!
そして涙すら溢れそうになってくる、敵の最終兵器の登場。ここ、本当に色々な感情がない交ぜになって、泣けるの。
あれほどまでに徹底的にボロボロにされてもまだまだ戦い続ける悲壮感に満ち満ちてるの。
妙々たる音楽の使い方が凄いの。
横に浮かぶ全高1.5kmの超巨大戦艦(!)がまるで蠅の如く見えちゃう全幅500kmの超兵器ご登場とか!
今でこそ、それを遥かに凌駕する秘密兵器もあるけれど、当時は本当にドギモ抜かれちゃったの。
なのに、ラストの落としどころはちょっとありきたりに過ぎたかな。
というか、芝居がかりすぎかな。小芝居は必要なかった感じが。
生命の種が惑星に降り落ちて、これからまた新しい知的生命体が生まれて、どうなりますかね?
くらいの描写で留めた方がよかったような気がします。
接触編…ファイナル!
接触編が、テレビシリーズの総集編ですが、接触編は、映画オリジナルの完結編です。映画館で、みたラストシーンが、ショックが大きく印象が残っています。
今、見返しても……!
33年ぶりに
理解しあえなかった人たちの結末
イデとは?
世紀の問題作(?)とされてますが、登場人物全てが死ぬことより、話の難解さがやはり問題ではないかと。
イデとは何なのか結局説明が無く終わります。
多分人々の防衛本能みたいなもんで、そのせいで宇宙全体が滅びてしまうので、「もっと考えて国際問題に取り組もう」的な話だと思ったんですが。
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