ソウル・サーファーのレビュー・感想・評価
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インスタ世代にも届く勇気と感動のストーリー!!
『ソウルサーファー』は、サーフィンの天才少女ベサニー・ハミルトンがサメに襲われ、片腕を失いながらも再びサーフィンの夢に向かって立ち上がる感動の実話を描いた映画
困難を乗り越えようとする姿勢がいかに人を強くするかを教えてくれます。
インタビューを受けたべサニーが最初は勇敢に対応するものの途中から言葉に詰まってしまう心理的なシーンもあり、考えさせられる時間となりました。
しかしながら、メディアに露出したことによって、それを見た全米の人々から、ベサニーを応援するための手紙が届きます。
当時はマスメディアが主流の時代であったため、現代と違う応援の仕方であり、インスタグラムやエックス、WebニュースなどSNSが媒体ではありません。それが結果的に、今の時代では体験できないような勇気づけをもらえ、サーフィンへの情熱を取り戻すことが出来たのではないか?と感じる機会となりました。
現在もインスタなどで自らの挑戦を発信し、多くのフォロワーに勇気を与えていることでしょう。
映画を観ていると、彼女の強さと前向きさに共感し、つい自分も何かに挑戦したくなるものでした。勇気や感動が詰まった物語です。現代のSNS時代にこそ、多くの人々に見てもらいたい作品です。
音楽も映像もストーリーも大好きです♪
数年に1回は観たくなる映画です。
ノンフィクションで逆境をチャンスに変えていくストーリーです。
冒頭の部分から大好きです。
↓
私はハワイでサーファーの両親のもとに生まれた
だからカラダには海水が流れているはず
心の拠り所になる我が家といえば
普通は壁に囲まれた建物を指すんだろうけど
私にとってそれは海
肌に太陽のぬくもりを感じる場所だ
2人の兄さんがいたおかげで私はものすごく負けず嫌いになった
それに拍車をかけたのが親友のアラナ
海でばかり過ごしてるから、ママは私たちを人魚だっていう
初めて波にのった瞬間から
プロのサーファーになりたいって思ってた
一度も迷うことなく
サーフィンは私の天職で、人生そのもの
完璧な波にのることに生きる喜びを感じる
でもパパがいうように、人生は冒険
ボードから落ちて荒波でもがくこともある
「人生はサーフィンと似ている」
『人生はサーフィンと似ている。』
作品の中のセリフです。
『大きな波に飲み込まれてしまうこともある。しかしそこで沈まずにその波に乗り,それを楽しむこと。そして,次の新しい波がくるのをじっと待つのだ。』
この作品に込められたメッセージに深く共感しました。
そして,人生の中で打ち寄せる次の波を「楽しく」乗り越えていきたいなと思いました。心に残る,すばらしい作品でした。
事実から生まれたストーリーや,サーファー独特の空気感,家族愛,音楽,映像美など,すばらしいところばかりの作品です。是非一度ご覧下さい!!
勇気をもらえる
まずなんと言っても実話というところがいい。
親友との絆や家族との絆、そしてライバルとの絆も。何があっても諦めずポジティブでフェアな考えを持つ少女。まわりの支えがあったからこそ、あんなに立派なサーファーになれたんだと思う。
気になった場面は、ファンレターなどが届くようになってから、どうして自分はこんなに知らない人から応援されているのかと言った部分。そこが自分はすごいことをした人間ではなく、普通の人間だということを表している。
片腕を失っても一流のサーファーになった理由
「ファミリー・ツリー」に続いてハワイを舞台にした映画「ソウル・サーファー」を観る。
ほぼ全編にわたり、ハワイの海が映し出される。
光を反射して波がうねり、風が吹きわたる。何とも気持ちがいい。
この映画の主人公ベサニー・ハミルトンは実在の人物だ。
片腕を失うというハンディキャップを乗り越えて一流のサーファーになった。
なぜ、彼女が大きな試練を克服できたのか?
まず生まれながらのサーファーであったこと。
ベサニーは、両親や二人の兄もサーファーの一家でに育つ。
歩くのを覚えるようにサーフィンに親しみ、10歳の頃には将来を期待されるサーファーになっていた。
誰よりもサーフィンを上手くなりたいという、生来の負けん気の強さ、
サーファーとして成長するという強い意志と、日々鍛錬を重ねていくという習慣が身についていたことが、最も大きい。
2つ目は、家族の愛情だ。
片腕を失い、新たな日常生活を組み立てていかなければならないベサニーのことを、
過保護にせず、彼女の意志を尊重して、
家族も新しい日常生活を作ろうとしているのが自然に伝わってくる。
ベサニーは病院を退院してすぐに海に入り、サーフィンを始めている。
家族は一緒に、サーフィンを楽しむ。
彼女はすぐに大会に出場するのだが、思うように波に乗れずに、
ライバルたちに大きな差をつけれる。
競技者の道を、一旦はあきらめ、
サーフィンから離れてボランティアなど新しい生活を始める。
家族は彼女の気持ちがサーフィンに戻るまで、待つ。
3つ目は、信仰。映画の冒頭、
サーフィンの練習を切り上げ、島の協会の礼拝に参加するシーンが描かれる、
そこでは、家族や友人、コミュニティの仲間が全員で神の前で祈りをささげ、歌を歌う。
そのような環境で彼女は育っている。ボランティアに時間を割くのも自然な行為だ。
「なぜ私にこんな試練を与えるのか」と先生に問うのだが、
先生は「この辛い経験に何か意味があると信じることが大事」と答える。
生きることについて先生とこんな会話ができるのは素晴らしいと思う。
彼女はボランティアとして、津波の被害にあったタイのプーケット島を訪れる。
そこには、津波で家族を失った人たちがいた。
ボランティアから戻った彼女は再び、サーフィンの競技者として練習に取り組み始める。
映画は、片腕を失った彼女の心の傷をことさらに強調することはしない。
むしろ淡々と競技のために、体を鍛えるところや、家での日常生活を追っていく。
主役のアナソフィア・ロブが、
負けず嫌いだが友達思いのサーファーを生き生きと演じている。
病院のベットで、サメに襲われたときに一緒にいた友人が
自分の事で心を痛めていないか案じるシーンが、
彼女の強さと優しさを表していて心に残った。
好きで好きでたまらないから。
私的にイチオシになりそうな作品で、とにかく驚いた。
ちなみにサーファーじゃない自分が、なんでこの作品に
そんな思いが入ったのかというと、身近にサーファーが
いたからなのだが、この主人公がサーフィンを心から愛し、
どんなに波が好きで好きで堪らないかが溢れ出す作りに
こちらもどうしてか…涙が溢れてきてしまったのである。
実話の映画化、しかし主人公のべサニー・ハミルトンは、
なんて愛らしく人間的にも素晴らしい女の子なんだろう。
地元や海外ではすでに有名人なのらしいが、私はまったく
存じ上げなかった。もとより彼女が人気者になったことが
片腕を失くしてからだというのだからそれもスゴイ。成績が
物語るのは、ハンデなど微塵も感じさせないライディング。
さすが両親ともにサーファーで、幼い頃から家族皆で波に
親しんできた一家というだけあり、生活の中にサーフィンが
存在する。毎日波を見て、見ては乗り、乗っては考えて、
いかにうまく乗りこなせるかを楽しむことが彼女の日常。
…しかし運命とは、本当に皮肉なものである。
私にはよく分からないが、どう考えてもバランス力が必要、
更にパドルなど、両手両腕をいかにも使うスポーツだと思う。
身体に備わってきたバランス感覚と、波乗り特有の感性を
巧く引き出すことに成功したから今の彼女があるのだと思う。
それはひとえにもふたえにも彼女を育てた両親や家族、友人
の豊かな愛情の賜物、それに感謝し、またサーフィンをする
ことに熱意を燃やす前向きな人間性にも多分に影響される。
とにかく観ていてエキサイティングな気持になれる作品だ。
思春期の女の子が、これだけの事故に遭えば心の傷は大きい。
サーファーとして大活躍を果たすはずだった、矢先の惨事。
彼女がどれほど周囲に恵まれていても、自身が相応の覚悟と
忍耐力を持ち合わせていなければ、挫折して当たり前の世界。
ところが。「好きだ」ということは、これほどまで人間を強くも
優しくもするエネルギーを生み出すということに感嘆する。
彼女がアドバイスを求めたのは、ボランティアの世界だった。
津波被害を受けた村を訪ねた彼女は、海をを怖がる地元の
子供達にサーフィンを教え始める。大丈夫。怖くないよ!は
自分への応援メッセージだったとも思える。楽しむことを
最優先に考えられるようになった彼女は、大好きな波乗りを
周囲の子供達に伝承することができるようになったのである。
…思えば彼女は、海やサメを憎んではいなかった。
比べるのはどうかと思われるかもしれないが、
日本で起きた大震災の津波被害、多くの土地や家が流されて
しまった三陸沖の住民の方々が当時インタビューに答えていた。
彼らが口にしたのは、私らは海を憎んだりしてないよ…だった。
私らの生活は海があるから成り立ってきたもの。海から沢山の
魚や海藻を獲らせてもらって生きてきたんだから、こんなことが
あっても、決して海が怖いなんて思わないよ。復興したら、
また海に帰って漁を続けるんだ…と語る姿に、TVの前で私は
涙をボロボロ流した。海が好きだから、またここに戻りたい。
自然災害とはいえ、人間には考えられない猛威力を震われて、
どこに怒りを向けたらいいのか分からない惨状でのこの言葉。
べサニーが海に向けた想いと重なる、と思った。
映画公開に向けてのインタビューで彼女がこう言っていた。
「私は片腕を失くしたことを皆に不幸だと言われるけれど、
私にとっての不幸とは一生サーフィンができないことなのよ」
映画に出られて嬉しかった、と笑う彼女が最高に美しかった。
(好きこそものの上手なれ。これからも最高のサーファーでいて)
少なくとも劇映画としては駄作
原作を忠実に再現した結果だからなのかわからないが、非常にドラマチックさに欠ける作品だった。
一応ストーリー上の起伏はあるといえばある。
たとえば序盤、サメに腕を食われた主人公が、
がんばって再び波に乗るという展開がある。(言わずもがなだが)
しかしこれが本当に、この字面通りの展開でしかない。
事故の光景がフラッシュバックすることもなくすんなり海に入り、
波にうまく乗れなくなってしまった事実も何のその、打ちひしがれる暇もなく
たゆまぬ努力でその日のうちに克服してしまう。
これで感動するのは不可能に近い。
とにかく全編に渡ってこんな調子で、物語上障害となりうるポイントは、
時には主人公の天才的頑張りで、時には納得しがたい理屈で、時にはほぼスルーされながら、なんのカタルシスもなくどんどんクリアされていってしまう。
なんなんだこのベストキッドからワックスを抜いたような味気ない展開は。
あとは謎の演出や人物描写もひどい。
前述の展開の中にあるシーンで、ベッドに横たわったとある人物がサメに襲われる悪夢を見て飛び起きる、というシーンがあるのだけど、普通、これは主人公にやらせるべきでしょ。
なぜ一緒に泳いでた友達の方なんだ。
べっどの足下から徐々にカメラが上がっていくという謎のタメ演出もあって、最終的に友達の顔が映った瞬間は、思わず「えっ!?」って言ってしまったわ…
それから主人公の親父。
娘を乗せた車にマスコミがハパラッチよろしく群がってきたとき、激怒した親父が車を爆走させてマスコミを引き剥がしたのはいい。
それが大した距離でもないのに何故かマスコミが追いかけてこないことも、今時どうかと思う「カシャ!カシャ!」みたいなカメラカメラしたカメラ音も、気になったがまあ許そう。
しかしそのすぐあとの別のシーンで、「マスコミの取材を受けよう」ってアンタ、一体どういう了見だ。
いくら交換条件で義手がタダでもらえるとはいえ、マスコミから娘を守ったさっきの親父とこのオッサンが、どうしても同一人物には見えない。
そもそも、娘はそんなに義手欲しがってたっけ?
ここはたとえば、娘が独断で取材を取り付けてきて、家族、主に親父に反発されつつも義手の必要性を切実に訴える、とか、いろいろ他に手はあるだろうに…。
最後に本当に一番腹が立ったボランティアのシーン。
大会で負けたショックでサーフィンを辞めかけるほど落ち込んだ主人公が、スマトラにボランティアに行く。
そこで、津波のトラウマで海に入ることはおろか、笑うことさえ出来なくなった少女と出会い、その少女を癒すことで主人公も立ち直るみたいなシーンがある。
いやいやいや、そんな波打ち際で水パチャパチャやったぐらいで、トラウマ受けた少女が海に入るわけないだろ。
入っちゃうんだけどね!
せめて主人公の天才的サーフィンテクに少女が魅了されて…とか(それもどうかと思うが)の展開の方がまだしもだよ。
正直、津波を舐めてるとしか思えない。
他にも色々あるけど長すぎるからこの辺で。
とにかく題名の通り、少なくとも劇映画としては駄作。
映画内で説得力を持たせる努力をきちんとしてないから、ただのご都合主義にしか見えない。
エンドロールで流れていた実際の映像を使って、ドキュメンタリーにした方が良かったと思う。
たまにはこんな映画もいい
久しぶりに観た感動作。
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50文字も文章を書けないので記号でお許しを……
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では、またね。
きっつい
サメに襲われ片腕を失くした女性の実話を描く。
腕を失くしたことをとにかくリアルに、映像的にも前面に出している。
左腕はCGで加工したらしいけど、はっきり言ってちょっと直視してるのはきっつい印象。
ストーリー自体はベタな感動物語だけど、映画としてこうして遠慮なくドーンと見せ付けられると泣けるよりは一歩引いてしまうのが本音。
ラスト、エンドロール時に本人が出てくるが正直そこが一番泣けた。こういうのはやっぱりドキュメント見た方がよかったのかも。
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