「サラが鍵をかけたものは」サラの鍵 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
サラが鍵をかけたものは
ホロコースト関連の映画は沢山あるが近年は少々変化球気味の作品も増えた。本作もまた、そんな変化球作品だ。
ストーリーはサラを中心とした過去パートとジュリアを中心とした現代パートで構成される。
過去と現代を交互に描きながら焦点が、連行されるサラとサラの両親、納戸に閉じ込められた弟、ジュリアの妊娠、サラのその後、と変化していき、その都度面白いのだが、全体のまとまりは少々薄い。
特に軸となる最終的なメッセージがあやふやで、とらえたいように解釈できる良さはあるけれど、ただ事実だけを伝える主張のないニュース映像を観たような印象だ。
とりあえず、過去と現代があまり繋がらないことに大きな問題を感じる。
それでも、サラというキャラクターだけを見た場合、非常に興味深いものもある。
時代のうねりに飲み込まれ彼女の身近にいくつかの死があり、それはサラの非力さのせいなのかもしれないが、少なくとも彼女の過ちのせいではない。
当然、サラを責めるものはいないが、サラ本人にとってはどうだ?。あの時ああしていればあの人は死ななかった。こうしていれば死ななかったかもしれない。と、後悔を募らせる。
その後悔は次第に罪の意識として蓄積していき、サラの心を蝕んでいく。
そして、ユダヤ人であるために自らが受けた恐怖と合わさり、どれほどサラに見えない重圧としてのしかかっただろうか。
過去の出来事に対して乗り越えるべきなのかフタをするべきなのか私にはわからないが、作中で二度ほど、過去をほじくり返すな、というようなセリフが出てくるし、サラは自分の心に鍵をかけた。
少なくともフタをするかどうかの判断は本人に委ねられるべきで、他者が安易に触れていいものではないと、善意を装った第二の迫害はあるのではないかと言っているように思えた。
しかし、残された鍵で自らの扉を開けることは自由だ。