秒速5センチメートル(2007)のレビュー・感想・評価
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センチメンタル
「なんで両想いの二人の手紙のやり取りがなくなってしまったのか。」と疑問で一杯になった作品だったが、好きだから連絡を取り合って結ばれるという現実的な関係性よりも、儚くて繊細な眩い揺らぎが宝なんだろう。
暖かくて明るいあかりちゃんの家に泊まればいいのにと思ってしまったが、雪の中、寒くて暗い二人だけの小屋が尊いという感じなんだろうか。
貴樹は遠くの何かを見ていると花苗ちゃんが言っていたが、それはあかりちゃんさえも通り越しているように思える。そして、貴樹自身も遠くを見てはいるがはっきりと何かを見ている訳ではない。そんなやさしく掴みどころがない貴樹に魅かれてしまったように思えた。
ラストは貴樹が踏切であかりちゃんとすれ違い切なくなったが、実は一番周りを振り回して自由に生きていたと思う。人それぞれの青春のほろ苦さに共鳴する作品なのかな。私は雪で電車が遅れ、期待が絶望に変わっていく想定外の状況に胸が痛くなった。
美しい映像とキレイなセリフ
映像も美しいし、セリフがキレイだった。
言葉を楽しむかんじ。
耳に心地よい響き。
「天気の子」や「すずめの戸締り」はそんなに好きじゃなかったけど、この作品は好きな感じだった。
子供の頃の約束って
その時は真剣で守れると思っても
人も状況も気持ちも変わっていく。
それぞれの人生。
とてもリアルに近い展開。
2人また出会って欲しかったけど。
踏切で2人が振り返るところは、「君の名は」を思い出した、「君の名は」は大好きな作品。
山崎まさよしさんの一番好きな曲がテーマ曲で
最後は歌詞とストーリーが重なって
切ない気持ちが盛り上がる。
実写版も観に行ってみよう。
なぜか水橋研二 でもそれ自体は嫌いじゃない
2007年公開作品
初鑑賞
監督と脚本は『ほしのこえ』『言の葉の庭』『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締り』の新海誠
『桜花抄』『コスモナウト』『秒速5センチメートル』
この作品のタイトルは「桜の花びらが舞い落ちる速度」
粗筋
『桜花抄』
1990年代前半の東京
仲良しの小学生・遠野貴樹と篠原明里
明里は小学校卒業後に栃木に引っ越すことに
中1の終わり頃今度は貴樹が鹿児島に引っ越すことに
大雪のなか列車に乗り貴樹は栃木に住む明里に会いに行く
『コスモナウト』
鹿児島の高3澄田花苗はクラスメイトの遠野貴樹に片思い
花苗は思い切って告ろうとしたが貴樹は全くのうわの空
貴樹は明里を想い続けていたのだった
諦める花苗
『秒速5メートル』
東京で社会人になった遠野貴樹は3年間付き合った彼女と別れ勤めていた会社も辞めた
貴樹は今もなお明里を想い続けていた
絵は綺麗
特に日の出前の空
だけどなぜか台詞が殆ど入ってこない
自分がヤボテンだからだろう
これは自分には向いていなかった
歌手山崎まさよしは良いよね
『One more time, One more chance』
名曲だな
チカラがあるな
たとえどんなにグダグダな展開になっても猪木(または春一番)の「1・2・3・ダー!」のような終わり良ければすべて良しと思わせてしまう締めの一発になる男っぽい強引な効果
新海誠作品にSF要素はほしい
美しければ全て許されるとはどうしても思えない
配役
遠野貴樹に水橋研二
少女時代の篠原明里に近藤好美
成人時代の篠原明里に尾上綾華
澄田花苗に花村怜美
花苗の姉に水野理紗
小説版読了後、娘の押し(推しではない)でアニメ版鑑賞。
用事があって吉祥寺へ娘と出かけた。久しぶりに吉祥寺で一緒にラーメン屋に入った。以前は武蔵野市に住んでいたので、20年以上前は良く一緒に行っていた店だ。
最近観た映画の話をして「秒速5センチメートル」の実写版を観た、レビューを書く前に新海誠の小説版を読んでいる、と言ったら(娘が好きな米津玄師より山崎まさよしの歌が良いと言ったからか)「アマゾンで見られるから、山崎まさよしの歌が良いならアニメ版を観た方が良い。歌まんまだから絶対に観た方が良い、絶対に観ろ〜!」と言われた。
へぇ、そんなにアニメ版「秒速5センチメートル」が好きだったんだ。娘の熱意はラーメンよりも熱かった。
10月21日(火)
新海誠の小説版を読了後、アニメ版を観た。
確かに主人公たちの絵は粗いが、風景の描写は秀逸だ。夕景、夜景、桜の風景、雪の風景の見事さに比べて波の表現がイマイチなのが御愛嬌か。
第一話 桜花抄
小学4年から中学1年までの貴樹と明里の話。貴樹は明里から桜の落ちるスピードは秒速5センチメートルだと教わる。中学1年の3月に雪の駅で別れる。
第二話 コスモナウト
中2の時に東京から種子島へ転校した高校生貴樹と花苗の話。花苗がいくら貴樹の事を思っても、貴樹は優しくはしてくれるが、貴樹の目は花苗を見ていない事に気づいてしまう。
第三話 秒速5センチメートル
現代(2007年)。社会人になった貴樹は働いているが、心は満たされていない。
貴樹は付き合っていた彼女とも別れ、会社も辞めてしまう。
結婚が近い明里は実家で中1の別れの時に貴樹に渡せなかった手紙を見つける。
山崎まさよしの「ONE MORE TIME, ONE MORE CHANCE 」に乗せて、貴樹と明里と花苗の姿が描かれる。
貴樹と明里のホームでの別れ。
貴樹と花苗の高校生活。
花苗との種子島空港の別れ。
婚約者と明里の姿。
貴樹と交際していた理沙の姿。
すれ違う二人の姿?
いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
こんなとこにいるはずもないのに
いつでも捜しているよ どっかに君の破片を
こんなとこにあるはずもないのに
新しい朝 これからの僕
言えなかった「好き」という言葉も
いつでも捜してしまう どっかに君の笑顔を
こんなとこにいるはずもないのに
命が繰り返すならば 何度も君の元へ
欲しいものなどもう何もない 君の他に大切なものなど
山崎まさよしの歌は昔から好きな曲だが、本作では本当に沁みる。それは新海誠の美しい画と貴樹の気持ちを代弁しているかのような歌詞がラストで見事にマッチしているからに他ならない。
貴樹は、小田急線の踏切で明里とすれ違う。
上りと下りの2本の電車が通過して行く。遮断機が上がると彼女の姿はない。貴樹は踵を返して歩き出すのである。
実写版を観て、小説版を読み、アニメ版を観て、奥山由之✕松村北斗✕新海誠のスペシャル・トーク・セッションも1時間観た。
あと鈴木史子のTHE NOVELを読んだら実写版のレビューを書く事にしよう。
実写を観てからアニメを観てほしい
アニメ版は評価が割れていたので実写から見ました。正解だったなと。
初恋に囚われ今を生きられない男が約束の日をきっかけに過去を振り返る話だけれど、約束の日じゃなくても過去ばっかり見ていたじゃないか!と女性目線で言わせていただく。
前半のモノローグに比べて後半は心情をあらわす描写が少なく視聴者に委ねられたので、踏切りでの笑みを浮かべた1歩が、前向きに今を生きるための1歩と感じられたかどうかで評価が分かれているにかなと思いました。
実写を観てからアニメを観るのがオススメ。ぐっと解像度が上がります。
成就しない初恋のノスタルジー?
実写版が人気なので予習のために観た
短いながらも背景などは綺麗だった
短編アニメーションの連作で
1話目が中学生の初恋相手に電車であいに
2話目が高校時代でサーファー女子が主人公に好意を寄せるがその恋もうまくいかない
3話目が社会人になって恋愛などもうまくいっていないまま終わる
初恋は成就しないということか?
男は恋を引きずっていて
女は結婚をして先に進んでいるということを描きたかったのかな
3話目が結構あっさりしていて余白が多い
One more time , One more chance‼️
君の名はでブレイクする前の新海誠監督の才気が垣間見れる秀作アニメーション‼️転校生同士の貴樹と明里はお互いに思い合っていたが、小学校卒業と同時に明里の引っ越しで離ればなれになってしまう第1話「桜花抄」‼️鹿児島で高校生活を送る貴樹が同級生の花苗に思いを寄せられる第2話「コスモナウト」‼️社会人になってもどこか明里への思いを引きずってる貴樹を描く第3話「秒速5センチメートル」‼️明里と離れることで、明里への思いが永遠なことで、前に進むことが出来ない貴樹‼️そんな高木がたどり着く結末はハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか⁉️これで良かったとも思えたし、2人にキチンと再会させてあげたかったとも思うし・・・‼️桜の散る風景や雪の舞う世界を、淡い映像というか、大事な思い出を美しく思い出すような映像に仕上げてるのは、さすが新海監督ですね‼️特に山崎まさよしの名曲のサビが繰り返される第3話はホントに情熱的でホロ苦い‼️
えっまさか、、、
実写版が気になったのと、僕らの時代に新海さんが出てて、気になって先ずはアニメ版を見てみました。
新海作品は5作目の鑑賞です。
お願い。そ、そこで終わらないで!って終盤に切に願うけど、山崎まさよしとエンドロールに突入してしまう。観終わった後は胸がキリキリずーんと痛い。完全に自分の青春と重ねました。実写版も見たいな…
1話目の主人公が電車で遠出するシーン。悪天候の移動も心配になるし、一晩えっ?って色々ツッコミどころ満載なのだけど詳細が多く語られないのも余白を楽しめるし、文通が止まった理由や、あの日のお互いの手紙に何が書いてあったのか知りたいけど、結ばれない二人のやりとりや、サーファーちゃんの切ない片思いにも自分の青春を重ねる。最終章の社会人となってしまい追われる毎日にも共感する。
細かいところは詰めず、勝手に自分の青春の色んな思い出と共に観終わった後の痛みは、心の中の箱に閉じておこうと思います。
だけど久しぶりに切ない気持ちになれて、ありがとうって思います。案外、すれてないというか最近の作品よりも、手がこんでないというか荒削りな感じで意外と私の中で1番だった言の葉の庭を超えたかも!!!です。
初恋病
今度、実写化されると言う事で、あの果てしない時の流れと、宇宙の片隅で何事も無かったかの様に消えてしまった青春の1ページをどう表現してくれるのかワクワクしますが。
あれは、貴樹が中一の終わりに、雪で何度も停車と乗り換えを繰り返し、気が遠くなる様な時間と距離に心折れそうになりながらも、やっと明里と会う事が出来た。その出来事は明里と一緒に乗り越えた事と貴樹は思ったのではないかな。だから、この先も明里とは離れていても、ずっと強い絆で繋がってると思ってた。
最終的に、今、幸せそうな明里の姿を見て、そんな風に一途に明里だけを思い続けた長い年月も、一瞬の出来事と錯覚する位に最後の貴樹の表情が思わせてくれた様に思う。
無限に広がる宇宙なような距離を彷徨う少年少女
交わした思いの年月だけ別れとは辛いものである。
文通でやり取りをし続け、あんなに遅れた遠野をまってしまった明里、それなのに、明里は別の人と結婚してしまう。初恋に囚われていた遠野を置いて。これは男女の恋愛観の違いのリアルさというか、なんというか。「君の名は」から続いた3作のどんでん返し的な展開は一切なく、ただ静かに現実を描ききった作品。けっして届く事ない遠野への想いを抱く花苗、同じく明里に思いを寄せる遠野をコスモナウト(宇宙飛行士)と題するセンスに脱帽である。
タイトルなし(ネタバレ)
ただ、ただ、物悲しい。だれも幸せになってないような。ネタバレするけど、最後は振り向くと思ったなあ。これは『君の名は。』とは違うなあ。映像の美しさは格別だし、ディティール描写が細かい。種子島の高校生はバイク通学が認められてるのか。
エピローグをプロローグに
10年以上ぶり、劇場では初鑑賞。
第1話と第2話における初恋の描写は、異常なほどに当時を思い起こさせるものがある。
『桜花抄』での諸々の設定が絶妙。
物理的な距離、金銭的な負担、日常的な行動範囲なとが有機的に繋がり、説明を省いても色々と伝わる。
あの時代は世界が狭く、その中でずっと一緒にいられると勘違いしてしまう。
逆に、そこから外れた瞬間に手が届かないように感じるのもそのためだろう。
『コスモナウト』の花苗は一番好きなキャラ。
純真で、真っすぐで、でも相手を慮ってしまう優しさや年相応の臆病さもあって、率直に眩しい。
飲み物ひとつにも、「どれを選べばかわいいと思ってもらえるか」なんて悩んでるんだろう。
最後の『秒速5センチメートル』は、踏切に本当に明里がいたかも含めて空白が多い。
しかし、最後の表情で貴樹が初恋に区切りをつけられたのかな、と感じさせる演出が上手い。
きっかけなんて、案外大きくもなければ具体的でもなかったりするんですよね。
明里と離れてからの貴樹は、その後の人生を本編を終えたエピローグのように捉えていたように思う。
それをプロローグと捉え直して一歩を踏み出すラストが、切ないながら爽やか。
淡い色彩や明滅する照明、揺れる列車の連結部、雲、鳥、蛇口など、心情の投影は素晴らしいのひと言。
物足りない部分は、清家雪子版のコミカライズが秀逸なので、帰ったら読み返したいと思う。
新海誠監督が一杯詰まっている
初めて観ましたが面白かった。あかりの言葉「ねえ知ってる?」で始まる冒頭のシーンで魅了されてしまった。小説読んでPrime Videoでもう一回観た。2007年の映画だけど、既に後の名作の原型があって、今作では最後に二人は会えなかったけど「君の名は」では会えた。短いけど、細部まで心配りされた映像は、監督の魅了が一杯の映画だった。
タイトルなし(ネタバレ)
3話構成。全体で1時間だから一話20分?3話は短く感じたけども。
出てくるのは遠野貴樹と篠原明里、澄田花苗の三人だけ。エンドロールでもわかるようにスタッフが非常に少なくて、低予算で作られてると想像出来るが、その割には、映像は美しくストーリーも良いのでこの映画が高く評価されているのはよく分かる。
公開当時に鑑賞していたら高評価すると思うけど、今頃観た私からすると、やっぱりもう古い映像だと思ったので星3くらい。散っている桜の描き方が不自然に感じたし、全体的にちょっと古い。最新技術でフルリメイクできたらなぁ。
1話 桜花抄
遠野貴樹と篠原明里は同じ小学校に転校してきた。お互いに病弱で図書館で過ごすことも多かった。
やがて篠原明里は小学校卒業とともに、栃木へと引っ越しが決まる。二人は離れ離れになるが、篠原明里が手紙を送るなどして関係性は続いていた。
やがて遠野貴樹も鹿児島へ引っ越しが決まる。更に二人は離れていく。
引っ越し前に遠野貴樹は篠原明里に会うべく電車で栃木へと向かう。しかし、雪の影響でなかなか進まない。
ようやく駅に着くとそこには篠原明里がいて二人は再会する。
2話 コスモナウト
遠野貴樹は鹿児島の種子島にいる。高校時代の話なのかな?
遠野貴樹に片思いの澄田花苗。澄田花苗は告白をしようとするが遠野貴樹に気持ちがないことを悟り告白をせずに諦める。
ロケットが打ち上がる。
3話 秒速5センチメートル
社会人になった遠野貴樹。リモートワークしている。しかし、退職してしまう。街を歩いていると篠原明里に似た女性と踏切ですれ違う。お互いに振り返るが電車が走り抜けていく。電車が通り過ぎたあと、遠野貴樹の視線の先に女性はいなかった。
山崎まさよしの歌が本当に良い
気が向いたらまた見るかも。よかった。恋したくなるね!まじつらい!山崎まさよしの歌が凄く良いです。ラブラブな話じゃないです。おすすめです。13.8.12
短い時間なところもありがたい
新海誠のエモエモ映画
引っ越しで離れ離れになりながらも、お互いを思い合う男女の出会いと別れを描いた映画 正直キャラクターはあまり魅力的ではないけど、人物の細かな心理描写が素晴らしく一気に引き込まれ感情移入させられた
また、背景描写やそれを使った大胆なカメラワークがおしゃれで思わずうっとりした 何より、あったかもしれない人生の可能性の残酷さみたいなものが描かれていて、胸が締め付けられると同時に、どこかスッとした清々しい綺麗な気持ちになった
何回も見て初見では拾えなかった演出や感情を拾いたいようないい映画
最も野性味に溢れていた頃
「秒速」
「新海監督と言えば、君の名は。よりも秒速」
「でもその映画、秒速の人のやつでしょ…」
「秒速最高だろ」
「秒速みたいなの、また見たい」
「二度と見たくない」
まるで都市伝説ように、時が経っても畏怖と尊敬の間を飛ぶ「秒速5センチメートル」
まあデートムービーだと思って、映画館デートでこれ見たら呪詛も吐きたくなるだろう。
おうちデートで見ることすらおすすめできない、
「想いは想えど一方通行。執着して想い続けても、いいことなんて何もなかったね。運命の人なんて、近くにいた人ってだけだからね。でもそれはそれで生きる力を与えてくれるんだよね」(それが僕達の生きるリアルだよね)
という散文・純文学的な内容をストレートに打ち出した作品。
これを「一周回ってエンタメ」と言うのはかなりこじれた人たちの領域で、少なくともこれから世に出て行く監督が、注目のデビュー期に作るべきものではない。大衆作で十分すぎるほどのファンを獲得した後に、老境となってそのファンから信者を選別するときに作るものだ。
だが、テーマも泣ける恋愛映画のガワに見えるのも、未熟なクリエイターほどやりがちな「逆張り」や「意図的な露悪趣味」ですらなく、「作りたいものを思いきり作ったら、こうなっただけ」と思わせるから本物。
ただ、時代の文脈を語れば、本作公開は2007年だが、0年代前半の主人公が若者男性のエンタメ小説には、本作のような風味があふれていた。もし新海監督が2000年~2005年ぐらいの青春小説を読み漁っていたのなら、「それらの映画化」として問題作の意識や疑惑すらなく完走しただろう。むしろ当時最先端のトレンドに乗っていたつもりだったかもしれない。だが監督、映画と小説は当時にして客層が全然ちがうのだ。
まして結果としてデートムービーのオーラを纏ってしまったなら、ほんのり鬱になれる純文学をカップルで読み続けるようなやばい体験の強制となる。阿鼻叫喚も仕方がないだろう。
前置きが長くなったが、自分は好きである。
後の作品に比べて「必然性はないけど、こういうこともあると思うんだ。行間読んでよ」という若々しい粗さはマイナスだが、天気の子以降のような「とりあえず勝ちパターン」を意識しない豪腕は監督の作家性にあふれている。全編で60分程度なら、ダレずに見れられてむしろこれでいい。
---1話---
美しき東京に対して、地方(栃木。両毛線)をどこまでも絶望の闇の土地として描くのが素晴しい。攻めてる。「すずめの」では地方がどこもかしこも現実の10倍程度キラッキラに描かれているが、その100倍は「監督の、まごころの描写」でいい。
岩舟駅の駅員が地方らしからぬ無責任すぎる雑さ、「そうはならんやろ」と帰路途中で一晩過ごしたという展開も気持ち悪くて突っ込みどころ満載だが、いい。中学1年生男子・タカキが中学1年生女子・アカリを求める気持ちは、それぐらい気持ち悪く馬鹿らしく突き抜けていてほしいような願いがある。
---2話---
親の転勤で鹿児島の離島、種子島っぽい所に行った高校生の貴樹だが、心ここにあらず。というよりも「必ずアカリがいる東京(関東)に戻って再会する」という、ほの暗い情熱に憑かれている。同級生の女子カナエは、島の男子とは明らかに違うと感じるタカキに惚れているが、その理由が上述の通りなので叶うわけもない。タカキはアカリ以外は眼中にないゆえの天然ジゴロぷりを発揮して、知らずのうちにカナエを追い詰めていく。すごい話だ。
カナエがタカキに恋する理由は「達観していて優しくて頑張る、ひと味違う男子だから」なのだが、つまりそれは「タカキがアカリに惚れているから」なので、最初から叶う要素がない袋小路なのだ。
終盤はカナエ自身もそういうことだと気づき、ふっきれる。ここで終われば多少は救いがあるのだが…
---3話---
東京で、社会人・SEとなっているタカキ。それも、モーレツに働き続けて糸が切れ、世に倦んで失職した後。さらにアカリではない女性と3年間付き合っていたらしく、その女性から「どれだけ一緒にいても、心理的な距離が縮まらない」と別れを告げられている。
2話において「大学は東京に行く」と言っていたので、高校卒業後は上京し進学したのだろうが、学生時代に何があったのかは描かれない。
さらにアカリの方は、タカキではない男性と婚約して実家は祝福ムード、幸せの絶頂。
そして桜舞う頃に、二人は思い出の踏切ですれ違う。
タカキ曰く「今、振り向けば、きっとあの人も振り返ると、強く感じた」
足を止めるタカキとアカリ。二人の間を電車が二本すれ違い……間に何もなくなったとき、アカリはいなかった。
タカキは清々しい顔で、アカリとは逆方向に歩き出してエンド。
---つまり---
アカリ以外、誰も幸せになっていないのである。
タカキの最後の笑顔は「吹っ切れた笑顔」だが、その「吹っ切れた」というのはこの場合「世の中こういうものだと納得したことで落ち着きを得た」笑顔であり、「幸せには手が届かないと諦めたことで、ほんのり幸せに近づいた」程度。マイナスからゼロ付近に行ったぐらいの救済。アカリの、思い人と結ばれるという順風満帆な幸せとは雲泥の差がある。
もちろん、タカキはアカリを想って中学のころからずっと頑張り続け、自らの能力を高め、一端の大人になったという側面は第2話から推測できる。その側面は「アカリが、タカキを幸せにした」とも言える……はずなのだが、現時点では「世に倦んで辞職。フリーランスとしてぼんやりとした不安へ」という形なので、すんなりそうとは言えない。
種子島のカナエについては、タカキと自身のことを想って自ら身を引いたわけだが、そのタカキは東京でアカリ以外の女性と付き合っているのだ。じゃあカナエと付き合っとこうよと、フィクションのお約束的に感情をかき立てるが、現実はまあそんなものである。
描かれてはいないが、恐らくタカキは大学生の間にアカリに振られているのだろう。あそこまでアカリのために自己鍛錬できる人間が、メールでも繋がっていて、告白していないとは思えない。
付き合う前に振られたのか、付き合ってから振られたのかは定かではない。タカキの情念なら付き合った後にヘマをすることは無いと思えるので、上京したときにはアカリにすでに彼氏がいたのではないか。
「手紙の中のアカリは、なぜかひとりぼっちに思えた」と1話であるように、アカリは小学生の頃から孤独だ。駅舎のエピソードも、友人がいればあそこまでタカキを待ち続けることは無いだろう。親とも上手く行っていないのかもしれない(結婚式の祝福をしていたのは、親ではなく叔母たちだった)。心に隙間を抱えていて、優しくしてくれる男性に強く依存する女性なのだ。種子島に行った元カレよりも、側で優しくしてくれる相手に心を占められることは、人間としては「当然の選択」だ。
結果、タカキは状況的にアカリを諦めざるを得なくなり、SEとして入った会社で同僚と付き合い始めた。
しかし「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて……ほとんど脅迫的とも思えるその想いが、どこから湧いてくるのかもわからずに」猛烈に頑張ってしまっていたというのは、「アカリに会うために頑張っていた」2話の精神性の悪化だ。
難しいことを言わずとも「いい男になって、アカリを今の彼氏から自分に振り向かせたい」のだ。リビドーであり、防衛機制の昇華であり、男性にはよくあることである。
そして、その糸が切れてしまった。
頑張って頑張って心をすり減らしても、アカリは振り向かないと本能で気付いてしまったからだ。
自分の感じていた「運命の人」は、アカリが小学中学での心の隙間を埋めるための状況的選択でしかなかったのだ。恐らく「アカリが、今の彼を選んだ理由と同じ」なのである。つまり自分がアカリに感じていた運命を、今のアカリの彼氏も感じているだろうし、アカリもタカキに注いだ愛情と同質のものを今の彼氏に注いでいるだろう。これはもう、先着1名の椅子に座るのが後先かという問題でしかなくて、他の要素で覆ることはない。「いい男になって振り向かせようと頑張っても無駄なのだ」ということに気付いてしまった。
踏切でアカリはいったん足を止めている。
しかし、電車が去った後にその姿はない。
決断的に「タカキとはもう話さない」ことを決めて、去ったのだ。
それが今のアカリの、自身が掴んだ幸せを守る手段だからだ。
となると、冒頭の「今、振り向けば、きっとあの人も振り返ると、強く感じた」もタカキの独り相撲であった、つまりタカキの執着というか願望でしかなかったということが判明する。
だから、タカキの最後の笑みは「やっぱり、自分の独り相撲だったか」だ。
少年少女の頃、タカキとアカリは間違いなく運命の人だった。
だが、運命の人なんて「側にいた人」と言い換えてもいいほど、「簡単に生まれるものでしかない」……
そんなことにも気付かないで、少なくとも二人の女性を傷つけて、俺って馬鹿だなぁ……
長い長い少年時代が終わり、タカキは大人になって桜舞う東京に消えていく――
国語の入試問題で出てきそうなぐらいの純文学だ。
よほど捻くれた人しかエンタメとして受け取れないだろう。
私はこのエンタメ、大好きです。
ただ、描き方がもろもろ雑だったり、タイトルやロケットがふんわりモチーフでしかなかったり、かっ飛ばして欲しくないところをかっ飛ばしたり惜しく感じるので、好きな上で星4。
タカキの声演はハマリ役で、その良さで1.2倍ぐらいの好印象になっていると感じる。新海映画は、声優の選択ミスというのがまず無くて、安心して見られる。本人が思っている以上に、「脚本」よりも「音」に特化した才能(執着)を持っていると思う。
天気の子の結末書き換えエピソードなどは、それが悪い方向に作用してしまったようだが。
本作ラスト前のミュービックビデオ風クライマックスは、結末から振り返るとそれはまあ辛い、心に来る内容だ。
映画は娯楽タイプだけではないと言いきれる人には、ぜひ見てほしい作品。
なんだか切ない。。。
娘の影響で新海監督の最近の作品は鑑賞していますが、『すずめの戸締まり』公開直前の地上波放送を録画していたのを思い出し今更ながら観ました。
新海監督が現在のように大ブレークされる前夜の作品であると思いますが、日常を切り取ったような各カットの絵の美しさと、若い時を思い出させてくれて切なくなるストーリーはこの当時からだったんだなあと気付かされます。
静かな話の展開と、最近の新海作品のようにハッピーエンドでは決してない終わり方に、自身の若い時の思い出が重なって胸が痛くなりました。
(年末にその思い出の相手である元カノから久し振りに連絡をもらったせいかも知れませんが…。)
現在のようにみんながスマホを持っていつでもどこからでも連絡が取れる世の中も便利でありがたいのですが、昔のように手紙でお互いの気持ちを伝える不便さも今思えば味があってピュアな気持ちになれたなぁと懐かしく思い出しました。
終わり方が全然スッキリはしませんが、個人的にはこちらの作品の方がより好きです。
全73件中、1~20件目を表示










