秒速5センチメートル(2007)のレビュー・感想・評価
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エピローグをプロローグに
10年以上ぶり、劇場では初鑑賞。
第1話と第2話における初恋の描写は、異常なほどに当時を思い起こさせるものがある。
『桜花抄』での諸々の設定が絶妙。
物理的な距離、金銭的な負担、日常的な行動範囲なとが有機的に繋がり、説明を省いても色々と伝わる。
あの時代は世界が狭く、その中でずっと一緒にいられると勘違いしてしまう。
逆に、そこから外れた瞬間に手が届かないように感じるのもそのためだろう。
『コスモナウト』の花苗は一番好きなキャラ。
純真で、真っすぐで、でも相手を慮ってしまう優しさや年相応の臆病さもあって、率直に眩しい。
飲み物ひとつにも、「どれを選べばかわいいと思ってもらえるか」なんて悩んでるんだろう。
最後の『秒速5センチメートル』は、踏切に本当に明里がいたかも含めて空白が多い。
しかし、最後の表情で貴樹が初恋に区切りをつけられたのかな、と感じさせる演出が上手い。
きっかけなんて、案外大きくもなければ具体的でもなかったりするんですよね。
明里と離れてからの貴樹は、その後の人生を本編を終えたエピローグのように捉えていたように思う。
それをプロローグと捉え直して一歩を踏み出すラストが、切ないながら爽やか。
淡い色彩や明滅する照明、揺れる列車の連結部、雲、鳥、蛇口など、心情の投影は素晴らしいのひと言。
物足りない部分は、清家雪子版のコミカライズが秀逸なので、帰ったら読み返したいと思う。
新海誠監督が一杯詰まっている
初めて観ましたが面白かった。あかりの言葉「ねえ知ってる?」で始まる冒頭のシーンで魅了されてしまった。小説読んでPrime Videoでもう一回観た。2007年の映画だけど、既に後の名作の原型があって、今作では最後に二人は会えなかったけど「君の名は」では会えた。短いけど、細部まで心配りされた映像は、監督の魅了が一杯の映画だった。
タイトルなし(ネタバレ)
3話構成。全体で1時間だから一話20分?3話は短く感じたけども。
出てくるのは遠野貴樹と篠原明里、澄田花苗の三人だけ。エンドロールでもわかるようにスタッフが非常に少なくて、低予算で作られてると想像出来るが、その割には、映像は美しくストーリーも良いのでこの映画が高く評価されているのはよく分かる。
公開当時に鑑賞していたら高評価すると思うけど、今頃観た私からすると、やっぱりもう古い映像だと思ったので星3くらい。散っている桜の描き方が不自然に感じたし、全体的にちょっと古い。最新技術でフルリメイクできたらなぁ。
1話 桜花抄
遠野貴樹と篠原明里は同じ小学校に転校してきた。お互いに病弱で図書館で過ごすことも多かった。
やがて篠原明里は小学校卒業とともに、栃木へと引っ越しが決まる。二人は離れ離れになるが、篠原明里が手紙を送るなどして関係性は続いていた。
やがて遠野貴樹も鹿児島へ引っ越しが決まる。更に二人は離れていく。
引っ越し前に遠野貴樹は篠原明里に会うべく電車で栃木へと向かう。しかし、雪の影響でなかなか進まない。
ようやく駅に着くとそこには篠原明里がいて二人は再会する。
2話 コスモナウト
遠野貴樹は鹿児島の種子島にいる。高校時代の話なのかな?
遠野貴樹に片思いの澄田花苗。澄田花苗は告白をしようとするが遠野貴樹に気持ちがないことを悟り告白をせずに諦める。
ロケットが打ち上がる。
3話 秒速5センチメートル
社会人になった遠野貴樹。リモートワークしている。しかし、退職してしまう。街を歩いていると篠原明里に似た女性と踏切ですれ違う。お互いに振り返るが電車が走り抜けていく。電車が通り過ぎたあと、遠野貴樹の視線の先に女性はいなかった。
山崎まさよしの歌が本当に良い
気が向いたらまた見るかも。よかった。恋したくなるね!まじつらい!山崎まさよしの歌が凄く良いです。ラブラブな話じゃないです。おすすめです。13.8.12
短い時間なところもありがたい
新海誠のエモエモ映画
引っ越しで離れ離れになりながらも、お互いを思い合う男女の出会いと別れを描いた映画 正直キャラクターはあまり魅力的ではないけど、人物の細かな心理描写が素晴らしく一気に引き込まれ感情移入させられた
また、背景描写やそれを使った大胆なカメラワークがおしゃれで思わずうっとりした 何より、あったかもしれない人生の可能性の残酷さみたいなものが描かれていて、胸が締め付けられると同時に、どこかスッとした清々しい綺麗な気持ちになった
何回も見て初見では拾えなかった演出や感情を拾いたいようないい映画
最も野性味に溢れていた頃
「秒速」
「新海監督と言えば、君の名は。よりも秒速」
「でもその映画、秒速の人のやつでしょ…」
「秒速最高だろ」
「秒速みたいなの、また見たい」
「二度と見たくない」
まるで都市伝説ように、時が経っても畏怖と尊敬の間を飛ぶ「秒速5センチメートル」
まあデートムービーだと思って、映画館デートでこれ見たら呪詛も吐きたくなるだろう。
おうちデートで見ることすらおすすめできない、
「想いは想えど一方通行。執着して想い続けても、いいことなんて何もなかったね。運命の人なんて、近くにいた人ってだけだからね。でもそれはそれで生きる力を与えてくれるんだよね」(それが僕達の生きるリアルだよね)
という散文・純文学的な内容をストレートに打ち出した作品。
これを「一周回ってエンタメ」と言うのはかなりこじれた人たちの領域で、少なくともこれから世に出て行く監督が、注目のデビュー期に作るべきものではない。大衆作で十分すぎるほどのファンを獲得した後に、老境となってそのファンから信者を選別するときに作るものだ。
だが、テーマも泣ける恋愛映画のガワに見えるのも、未熟なクリエイターほどやりがちな「逆張り」や「意図的な露悪趣味」ですらなく、「作りたいものを思いきり作ったら、こうなっただけ」と思わせるから本物。
ただ、時代の文脈を語れば、本作公開は2007年だが、0年代前半の主人公が若者男性のエンタメ小説には、本作のような風味があふれていた。もし新海監督が2000年~2005年ぐらいの青春小説を読み漁っていたのなら、「それらの映画化」として問題作の意識や疑惑すらなく完走しただろう。むしろ当時最先端のトレンドに乗っていたつもりだったかもしれない。だが監督、映画と小説は当時にして客層が全然ちがうのだ。
まして結果としてデートムービーのオーラを纏ってしまったなら、ほんのり鬱になれる純文学をカップルで読み続けるようなやばい体験の強制となる。阿鼻叫喚も仕方がないだろう。
前置きが長くなったが、自分は好きである。
後の作品に比べて「必然性はないけど、こういうこともあると思うんだ。行間読んでよ」という若々しい粗さはマイナスだが、天気の子以降のような「とりあえず勝ちパターン」を意識しない豪腕は監督の作家性にあふれている。全編で60分程度なら、ダレずに見れられてむしろこれでいい。
---1話---
美しき東京に対して、地方(栃木。両毛線)をどこまでも絶望の闇の土地として描くのが素晴しい。攻めてる。「すずめの」では地方がどこもかしこも現実の10倍程度キラッキラに描かれているが、その100倍は「監督の、まごころの描写」でいい。
岩舟駅の駅員が地方らしからぬ無責任すぎる雑さ、「そうはならんやろ」と帰路途中で一晩過ごしたという展開も気持ち悪くて突っ込みどころ満載だが、いい。中学1年生男子・タカキが中学1年生女子・アカリを求める気持ちは、それぐらい気持ち悪く馬鹿らしく突き抜けていてほしいような願いがある。
---2話---
親の転勤で鹿児島の離島、種子島っぽい所に行った高校生の貴樹だが、心ここにあらず。というよりも「必ずアカリがいる東京(関東)に戻って再会する」という、ほの暗い情熱に憑かれている。同級生の女子カナエは、島の男子とは明らかに違うと感じるタカキに惚れているが、その理由が上述の通りなので叶うわけもない。タカキはアカリ以外は眼中にないゆえの天然ジゴロぷりを発揮して、知らずのうちにカナエを追い詰めていく。すごい話だ。
カナエがタカキに恋する理由は「達観していて優しくて頑張る、ひと味違う男子だから」なのだが、つまりそれは「タカキがアカリに惚れているから」なので、最初から叶う要素がない袋小路なのだ。
終盤はカナエ自身もそういうことだと気づき、ふっきれる。ここで終われば多少は救いがあるのだが…
---3話---
東京で、社会人・SEとなっているタカキ。それも、モーレツに働き続けて糸が切れ、世に倦んで失職した後。さらにアカリではない女性と3年間付き合っていたらしく、その女性から「どれだけ一緒にいても、心理的な距離が縮まらない」と別れを告げられている。
2話において「大学は東京に行く」と言っていたので、高校卒業後は上京し進学したのだろうが、学生時代に何があったのかは描かれない。
さらにアカリの方は、タカキではない男性と婚約して実家は祝福ムード、幸せの絶頂。
そして桜舞う頃に、二人は思い出の踏切ですれ違う。
タカキ曰く「今、振り向けば、きっとあの人も振り返ると、強く感じた」
足を止めるタカキとアカリ。二人の間を電車が二本すれ違い……間に何もなくなったとき、アカリはいなかった。
タカキは清々しい顔で、アカリとは逆方向に歩き出してエンド。
---つまり---
アカリ以外、誰も幸せになっていないのである。
タカキの最後の笑顔は「吹っ切れた笑顔」だが、その「吹っ切れた」というのはこの場合「世の中こういうものだと納得したことで落ち着きを得た」笑顔であり、「幸せには手が届かないと諦めたことで、ほんのり幸せに近づいた」程度。マイナスからゼロ付近に行ったぐらいの救済。アカリの、思い人と結ばれるという順風満帆な幸せとは雲泥の差がある。
もちろん、タカキはアカリを想って中学のころからずっと頑張り続け、自らの能力を高め、一端の大人になったという側面は第2話から推測できる。その側面は「アカリが、タカキを幸せにした」とも言える……はずなのだが、現時点では「世に倦んで辞職。フリーランスとしてぼんやりとした不安へ」という形なので、すんなりそうとは言えない。
種子島のカナエについては、タカキと自身のことを想って自ら身を引いたわけだが、そのタカキは東京でアカリ以外の女性と付き合っているのだ。じゃあカナエと付き合っとこうよと、フィクションのお約束的に感情をかき立てるが、現実はまあそんなものである。
描かれてはいないが、恐らくタカキは大学生の間にアカリに振られているのだろう。あそこまでアカリのために自己鍛錬できる人間が、メールでも繋がっていて、告白していないとは思えない。
付き合う前に振られたのか、付き合ってから振られたのかは定かではない。タカキの情念なら付き合った後にヘマをすることは無いと思えるので、上京したときにはアカリにすでに彼氏がいたのではないか。
「手紙の中のアカリは、なぜかひとりぼっちに思えた」と1話であるように、アカリは小学生の頃から孤独だ。駅舎のエピソードも、友人がいればあそこまでタカキを待ち続けることは無いだろう。親とも上手く行っていないのかもしれない(結婚式の祝福をしていたのは、親ではなく叔母たちだった)。心に隙間を抱えていて、優しくしてくれる男性に強く依存する女性なのだ。種子島に行った元カレよりも、側で優しくしてくれる相手に心を占められることは、人間としては「当然の選択」だ。
結果、タカキは状況的にアカリを諦めざるを得なくなり、SEとして入った会社で同僚と付き合い始めた。
しかし「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて……ほとんど脅迫的とも思えるその想いが、どこから湧いてくるのかもわからずに」猛烈に頑張ってしまっていたというのは、「アカリに会うために頑張っていた」2話の精神性の悪化だ。
難しいことを言わずとも「いい男になって、アカリを今の彼氏から自分に振り向かせたい」のだ。リビドーであり、防衛機制の昇華であり、男性にはよくあることである。
そして、その糸が切れてしまった。
頑張って頑張って心をすり減らしても、アカリは振り向かないと本能で気付いてしまったからだ。
自分の感じていた「運命の人」は、アカリが小学中学での心の隙間を埋めるための状況的選択でしかなかったのだ。恐らく「アカリが、今の彼を選んだ理由と同じ」なのである。つまり自分がアカリに感じていた運命を、今のアカリの彼氏も感じているだろうし、アカリもタカキに注いだ愛情と同質のものを今の彼氏に注いでいるだろう。これはもう、先着1名の椅子に座るのが後先かという問題でしかなくて、他の要素で覆ることはない。「いい男になって振り向かせようと頑張っても無駄なのだ」ということに気付いてしまった。
踏切でアカリはいったん足を止めている。
しかし、電車が去った後にその姿はない。
決断的に「タカキとはもう話さない」ことを決めて、去ったのだ。
それが今のアカリの、自身が掴んだ幸せを守る手段だからだ。
となると、冒頭の「今、振り向けば、きっとあの人も振り返ると、強く感じた」もタカキの独り相撲であった、つまりタカキの執着というか願望でしかなかったということが判明する。
だから、タカキの最後の笑みは「やっぱり、自分の独り相撲だったか」だ。
少年少女の頃、タカキとアカリは間違いなく運命の人だった。
だが、運命の人なんて「側にいた人」と言い換えてもいいほど、「簡単に生まれるものでしかない」……
そんなことにも気付かないで、少なくとも二人の女性を傷つけて、俺って馬鹿だなぁ……
長い長い少年時代が終わり、タカキは大人になって桜舞う東京に消えていく――
国語の入試問題で出てきそうなぐらいの純文学だ。
よほど捻くれた人しかエンタメとして受け取れないだろう。
私はこのエンタメ、大好きです。
ただ、描き方がもろもろ雑だったり、タイトルやロケットがふんわりモチーフでしかなかったり、かっ飛ばして欲しくないところをかっ飛ばしたり惜しく感じるので、好きな上で星4。
タカキの声演はハマリ役で、その良さで1.2倍ぐらいの好印象になっていると感じる。新海映画は、声優の選択ミスというのがまず無くて、安心して見られる。本人が思っている以上に、「脚本」よりも「音」に特化した才能(執着)を持っていると思う。
天気の子の結末書き換えエピソードなどは、それが悪い方向に作用してしまったようだが。
本作ラスト前のミュービックビデオ風クライマックスは、結末から振り返るとそれはまあ辛い、心に来る内容だ。
映画は娯楽タイプだけではないと言いきれる人には、ぜひ見てほしい作品。
なんだか切ない。。。
娘の影響で新海監督の最近の作品は鑑賞していますが、『すずめの戸締まり』公開直前の地上波放送を録画していたのを思い出し今更ながら観ました。
新海監督が現在のように大ブレークされる前夜の作品であると思いますが、日常を切り取ったような各カットの絵の美しさと、若い時を思い出させてくれて切なくなるストーリーはこの当時からだったんだなあと気付かされます。
静かな話の展開と、最近の新海作品のようにハッピーエンドでは決してない終わり方に、自身の若い時の思い出が重なって胸が痛くなりました。
(年末にその思い出の相手である元カノから久し振りに連絡をもらったせいかも知れませんが…。)
現在のようにみんながスマホを持っていつでもどこからでも連絡が取れる世の中も便利でありがたいのですが、昔のように手紙でお互いの気持ちを伝える不便さも今思えば味があってピュアな気持ちになれたなぁと懐かしく思い出しました。
終わり方が全然スッキリはしませんが、個人的にはこちらの作品の方がより好きです。
切ない、、、
第1話
中学生ということをよく表している。見えない大きな壁があり、それを超えることは難しい。
距離が離れてからも2人の心は離れず、2人が会うところには心温まる。どんな困難であれ、乗り越えられるような気もしてくる。この先に別れることが決まっているのが辛いものがあった。
第2話
ただただ辛い。心ここに在らずの貴樹に思いを寄せる香苗。分かっていながらも一緒にいたいと思う気持ち。徹頭徹尾思いは伝えられず、離れることも出来ず青春している。見ていて辛く切ない、、、
第3話
今だなお、心の片隅にある気持ち。ただがむしゃらに進むしかなく、その気持ちすらも薄れていく。明里は新しい人生を迎えようと進んでいき、対照的に貴樹は心ここに在らずで生きていく。正解も不正解もなく、2人がくっつくことも香苗ともくっつかない。現実的は無情で奇跡なんて起こりはしない。あの時こうすれば、、、とか思っていても戻ることは出来ず、ただ進むしかない。
なんか、とても切ない気持ちになる、、、。
タイトルなし(ネタバレ)
良い悪い、感動するしないとかそういう次元の話じゃないなあ〜ってみて思った。
見る時期によっては心臓が抉られちゃう。
以下、私の考えです。
主人公はヒロインに固執(好き)しているんじゃなくてヒロインと過ごしたあの一瞬に固執していると思った。
ヒロインの存在ではなくてヒロインを好きだった時を追っているように感じた。
仮にヒロインの存在が好きだったら手紙でもメールでも出せばいいんだけど、その瞬間を求めているから宛のない手紙とかメールを書いていたんだと思うし、それこそ追いかけている物が抽象的すぎて自分でも何を求めているのかがよくわかってなくてメールを書いては保存して未送信のメールが溜まって だからこそ第2話以降から比喩として宇宙探索がでてきているのかと思った。
第3話の最後で会えたことがトリガーでやっと主人公が1歩を踏み出せてるって思った。
成長したあの子に会うことで自分を苦しめてた原因に気づくことができたと思うし、ずっと止まってた時間が進むことが出来たと思う。
比喩的に考えると人それぞれ違う時間・時計を持っていて主人公はある意味時計がずっとあの中学生のとき(ヒロインと雪世界の田園の中でキスをしたとき)から止まっていて自分が何を求めていてどうすればいいのかも分からずにさまよっていたんだと思う。それに対してヒロインは主人公との時間を過去として捉えていたから進むことが出来たと思うし、別の人と出会って結婚したのでは無いかと思う。
だからこそ最後のシーンですれ違って終わったことがハッピーエンドなのではないかと思う。
ここでまた出会ってたら死んじゃう(笑)
関係ないけど昔すごく好きだった人思い出した、そんな映画です。
恋愛の儚さ
新海誠IMAX映画祭で、かなり久しぶりに鑑賞しました!
3話構成のバランスが良く、話によって様々な登場人物に感情移入してしまいます😭
心理描写が丁寧で素敵な作品ですね👏🏻✨
個人的には、第2話が1番好きです╰(*´︶`*)╯✨
綺麗な海・無限のような宇宙・空の描写がとても綺麗で、
東京から転校してきた遠野くんに片想いするものの、夢は叶わず飛行機で島を去ってしまうのが、本当に切ないです…
普段は優柔不断なのに、コンビニで遠野くんと同じコーヒー牛乳を選ぶのも悲しさがあとからこみあげてきます😭
ラストの終わり方は、山崎まさよしさんの曲が本当に似合っていて最高なエンディングだと思いました!
色々経験して思うこと
2〜3年間隔で視聴してて、IMAX版を見終えての感想。
学生の頃は「なんでハッピーエンドじゃないんや!明里、結婚してるし踏切におらんのかい!」ってラストに対して思ってたけど、今見ると1話のキスシーンで恋は終わってたんやな。タカキのキスシーンでの心理描写を見てるとそう思った。
2話以降のタカキは、恋心を残しつつも「側にいて幸せにしたかった。自分にそれが出来なかったとしても幸せになってほしい。だけど、明里の人生に関わる事も見届ける事も出来ない」みたいな気持ちを引きずってたのかなーって思うと腑に落ちた。
だから、ラストで明里がいなくても追いかけたり落胆したりせず、結婚指輪をしてる姿を垣間見て安堵した表情をしたんだと。
全編通して描写されるタカキの心残りや未練のような独白が踏切以降無いのも、そういった気持ちに整理がついて先に進めたからなんかなー
(ここら辺で『奇跡がもしも起こるなら 今すぐ君に見せたい 新しい朝 これからの僕』ってところで、
ァァァア!わかる!わかるよ!幸せにしたかったけど出来なかったダメな自分も、少しはマシになったよって伝えたい気持ち!ってなった笑」
とまぁ、色々経験して見方や捉え方が変わって、タカキがより前に進んでいる様な終わり方に感じた。
今のより美麗な作品に比べると、15年経った本作は見劣りするところもあるけど、それでも魅力的な描写や演出があると改めて感じた。
良い作品。
当時劇場で観れなかった自分としては、劇場での初視聴がIMAXなのは凄く贅沢な経験をさせてもらったので、関係者には感謝したい。ありがとう!
公開から15年も経過した作品がIMAXでリバイバル上映されるって、とても良いので新作を邪魔しない頻度で実施してほしいっすね
あまりにも鮮烈な経験を引きずる主人公(遠野貴樹)
2007年。新海誠の監督・脚本・撮影・編集・絵コンテ・演出を担当した。
63分の短編アニメーション映画。
題名の「秒速5センチメートル」は桜の花びらが舞い落ちる速度。
「桜花抄」
「コスモナウト」
「秒速5センチメートル」
の3編からなっている。
3編とも男性主人公は遠野貴樹。
貴樹は「桜花抄」では小学生から中1にかけて・・。
「コスモナウト」では種子島の高校生。
「秒速5センチメートル」では、社会人になっている。
私はやはり「桜花抄」が強烈に心に響きました。
東京の小学校で病弱で図書館好きだった遠野貴樹と篠原明里。
自然と親しくなります。
小学校卒業して栃木に親の転勤で行ってしまった明里。
半年後、明里から手紙が届いて2人は文通をするようになります。
中1の終わり。
今度は貴樹が親の転勤で鹿児島へ行くことになる。
「一生、会えなくなる!!」
そう思った貴樹は、3月4日、明里の住む栃木県岩舟駅まで向かい会う約束をするのでした。
ところが、3月4日。
その日は途中から雪降りになります。
雪は止むことなく降り積り、何度も何度も汽車は停車。
ジリジリした時間が過ぎます。
なんど乗り換えを繰り返して、なんど停車したことでしょう。
焦り・・不安・・空腹・・疲労。
やっと岩舟駅に貴樹が着いたのは真夜中の22時半ば。
明里は待っていてくれました。
ストーブの温もり、明里の笑顔、そして作ってくれたお弁当。
「もう閉めるよ!」
駅員さんの声に、待合所を出た2人は、人気のないホームでファーストキスを交わします。
13歳の明里。
13歳の貴樹。
農家の納屋で話しながら寝込み、まどろみ、翌朝一番列車で帰る貴樹。
「どうしたら俺は明里を守れるのだろう?」
未来は果てしなく遠かった。
そして2話と3話。
貴樹は「桜花抄」のあまりに鮮烈な記憶から抜け出せません。
明里以外の女性と交際しても、心を開けないのです。
3話の「秒速5センチメートル」はわずか5、6分の短編。
山崎まさよしの「ONE MORE TIME ONE MORE CHANCE 」の流れる5分間に
貴樹の現在が語られます。
鮮烈な初恋から抜け出せず、深い喪失感を引きずる貴樹。
チャンスはもう一度、来るのだろうか?
山崎まさよしの曲は、「ワン モア チャンス」と唄っている。
過去鑑賞
生かしつつ殺すという革新的映画
この映画において、雨や雪のなかでも月が描かれており月がとても重要視されていることがみてとれた。
子供の遠野にとっては、月はとてもきれいだが、とても遠くにあるもの、つまり明里としてみていると感じた。だから、ロケットで月にいったのかは知らないが、ロケットで宇宙に行った後に遠野は飛行機で明里の近くである東京に行ったのではないかと考えた。
また、澄田が第1章の遠野を表しているため、澄田の未来は遠野の未来ともとれるのではないかと考えた。
その結果、小説にて、澄田は遠野との恋を過去の恋であったと消化し、それを夢として表現しているため、遠野も明里との恋を完全に忘れて未来へ踏み出したのではないかと考えた。
しかしここで重要視されるのがこの映画のテーマでもある、女は過去の恋愛を重要視せず、男は過去の恋愛を大事にするということだ。
つまり、1章の主人公である遠野と2章の主人公である澄田は、どちらも転校生を好きになり、乗り物が動かなくなって、その後に同じ物を味わって最後は離ればなれになる叶わぬ恋をしているなどの共通点はたくさんある。しかし、決定的に違う事象がある、それは性別だ。
つまり、遠野は男であるために、澄田のように忘れることができたのかを疑問視することができる。
2章の始めに唐突にきれいな映像が流れる。とても映像がきれいで気がつきずらいが、ここでは月と日と里を野原から明里と遠野がみている映像だ。その後、遠野と澄田が一緒にその野原に座ってみる景色は真っ暗な景色だ。つまり、遠野にとって、明里とみる景色、世界はとても美しいことを示していると感じた。
小説には振り返った時に明里がいても気にせずにいることを決心したと書かれているが、おそらくそれは嘘であろう。なぜなら、踏切が上がるのを待っているということは、会いたいという心の表れだからだ。ただ、もし明里がそこにいて、話しかけても上手くはいかなかったであろう。なぜなら、2章において遠野の分身である澄田が示しているように、思い人がいる人との恋愛は上手くいかないからだ。
あと、主人公を表す道具として電車が使われていたが、新海誠と電車で思い出したのが天気の子において、主人公が中央線を走るところだ。新海誠は電車が主人公において重要な役割を果たしていることに気がついてもらえないことを揶揄して、天気の子の主人公に中央線沿いを走らせたのかなと勝手に想像した。
そして、この映画の一番素晴らしい部分は、ヒロインを生かしながらにして殺しているのである。
通常の恋愛映画ではオチを作るために難病をもってきたり、すごくモテる人をもってきたりファンタジー的側面があったりするがこの映画にはそのようなことは無い。つまり、世間からみて大きな事件が起こっている訳ではない普通の人の人生を切り取り、映画にできてしまっているのだ。この映画では、人間は会わないのならば死んでいることと変わらないということを利用し、ヒロインをはじめにある意味半殺しにしている。これにより、恋を100%成就できないという状況でなく、99%成就できないという状況を作っているのだ。この1%が主人公の遠野を苦しめている気持を理解できるのかできないのかで、この映画の捉え方は異なるだろう。
最高!!!!こういう恋愛映画大好き!!!!!
初めてこの作品を見た時、それはそれは絶大な虚無感と絶望感に襲われました。
当時高校生だったピュアな私はあかりが結婚することを知りつつも、踏切で振り返るだろうと信じて疑わなかったからです。(プロポーズ大作戦の影響もあるかもしれません)現実は悲しいものですが、幻影を追うことを辞められた主人公は幸せだったのだろうと思います。
非常に淡々と物語が進むのでちゃんと観てないと眠くなります(笑)目をかっぴらいて観てると、それまで積み重なった淡々とした事物の全てがラストシーンで昇華されてとても感動します。眠いなと思った人はぜひ頑張ってもう一回観てみてください(笑)
話としては、「桜花抄」が特に好きです。転校なんてしたくないけど子供は親に従うしかない。中学生にとっては東京と栃木なんて日本とアメリカ以上に遠いし、携帯が無ければ連絡も簡単には取れない。世界は大きく、自分は無力に感じる。そんな中で一世一代の大冒険として栃木に向かうも、慣れない電車と大雪による遅延。着くのかも分からず相手が待っているのかも分からない。もう帰っていて欲しいけど、待っていてほしい。そんな不安感と焦燥感がひしひしと伝わってきます。スマホがあれば乗り換えアプリで調べられるし相手に連絡だってできるけどそんなものはないのが時代ですね。
小さい頃に抱いていた感情を掘り起こされたように感じました。子供の時どう感じてたのかって大人になったら普通は忘れてしまうものなのだと思うのですが、新海監督はこういった感情を覚えていて、かつ鮮明に蘇らせることが出来るのですね。無くしたものを懐かしんでしまいました。
秒速5センチメートル
この話は受け取る人の子供の頃からの育ちで様々な感情を芽生えさせるものだ
ネット等でかつてよく言われていた「子供の頃は目立っていた」「子供の頃は勉強も運動も良くできていた」そんなかつての人気者が成長するにつれ埋没し、いずれ凡百以下な存在になる、かつて2ちゃんなどでそういった書き込みをよく見た、私もそのような(そういう思いで補正が多分に掛かったw)成長をしてきた為に、何故か最後の章の主人公の男の退職やカップラーメン放置やコンビニ徘徊の所に妙にシンパシーを覚えた、もう戻らない輝いた日々、恐らく種子島に戻ってもサーファーのあの子も見向きもしてくれないだろうな、スカしているつもりはないのに、そう見られてしまうからいつのまにかそういう態度を飼いならしてしまったから28にもなってまだ童〇だよ、そんな主人公の生のつぶやきすら勝手に想像してしまう、まさにこれはヒューマンドラマだ、一方女性の方はそれはまあソツなく「自分は不器用だ」などと男側とは逆な気持ちで過ごしていたものの、並み以上の頭と並み以上の容姿がある為に年収1000万オーバーの男と婚約、タイミングで「このまま平凡な幸せを掴んでいいのかしら?」いいんです!そういうものなんです!と自らの中の慈英が食い気味に叫ぶ、まあアレですわな「マリッジブルー」しかしそこからなんだ、映画の卒業みたいな王子なんて居ないのは分かってるし、今の相手が自己ベスト、ってのも承知の上だから、「あら???」と踏切で思った影がある少しだけいい男、しかし特に振り返ったもののクソ長い(と言っても2分だ)東京の踏切を待つまでもない、その程度の価値なんだよね、男可哀想w、でもね世の男よ、これが現実だ、ここで主人公の儚さや一途さや心弱さに必要以上にシンパシーを覚えてはいけない、何故なら彼もまた我々と同じく〇貞なのだから
岩舟駅が異次元に見える新海マジック
短編ではもったいなく、個人的には90分くらいでハッピーエンドにして欲しかったけど、なんとも切ないが、実に綺麗で心が癒される作品だ。でも、どうして1話であんなに好きだった二人なのに、別れてしまったのだろう?その辺の説明がないのが、やや消化不良気味だ。
1話と2話と短編が続き、短編のオムニバス映画かと思って見ていたら、3話で全てが繋がっていた話だったと気がついた。1話と2話で主人公の男性の名前が同じだと気づかなかったのと、2話の舞台が種子島だったので、1話で主人公が鹿児島に転校することになっていたが、かってに種子島以外の鹿児島県への転校だと思ってしまっていた(1話で、種子島に転校というセリフだったらすぐに気がついていたかもしれない)。ただ、その結果、3話になって、個人的には想定外の盛り上がり感じた。
3話のエンディングで流れる山崎まさよしの「one more time,one more chance」が、主人公の切ない気持ちを一層高めて泣きたくなるほどだ。踏切ですれ違った女性が、初恋の彼女(1話の彼女)のような気がして振り返るシーンだ。まさに、その時の主人公の気持ちを歌にしたみたいな歌詞だ。以下はその歌詞。
いつでも捜してしまう
どっかに君の笑顔を
急行待ちの踏切あたり
こんなとこにいるはずもないのに
命が繰り返すならば何度も君のもとへ
欲しいものなどもう何もない
君のほかに大切なものなど
年甲斐もなく胸キュン。
主人公たちのように、小学校卒業とともに遠く離れた町に引っ越した実体験も重なり、憧れたヒトに会いたい話したい気持ちはよく分かる。そして、ラストシーンのように、今となっては、きっとすれ違っても気づかないだろう。
ただね、確かなのは、純粋で淡い記憶は忘れられないということ。そういう記憶は、何かをきっかけに懐かしく思い出す。そんな自分だけの秘密を掘り起こす思いになる作品。
それにしても、小学生なのに、二人でバーガーショップかい? 今風の街の子だねえ。
秒速5センチメートルの成長
1話
中学の頃の他県に行く不安感に共感。
電車の開閉ボタン式という地元ネタが嬉しい
中学生男女のロマンティックな話だけど、
卒業&引越し間近で雪の日にその日に帰ってこないって、親がめっちゃ心配するよ。
そっちが気になってしかたなかった。
行ったことのない地へ向かう不安感と
待っててくれた愛しい人の安堵感に
舞い落ちる桜のように、心が激しく揺さぶられた。
2話
好きって言えないもどかしさ。青春だね。
あったね〜
中学から高卒までずっと1人の人を思っていて、結局言えず、、、
相手は自分と同じ位置でなく、
ロケットのように進んでいるように感じる。
恋愛にもサーフィンにも納得いくことができず、
サーフィンを恋愛と重ねるかのように没頭して目標を果たすが、、結局言えず。
わかるな〜切ないな。
3話
小学生からの出会いと中学生という多感な時期に、あんなドラマティックな経験をして、
そりゃ、忘れられなくなるな。
社会人になっても、思いは変わらず。
人と心の距離を縮めることができない。
思春期の思い出が印象的すぎたね。
あれを超える経験はなかなかできないよ。
早熟しすぎたのよ。
結局、秒速5センチしか進んでない主人公と
婚約までしてロケットのように進んでいた初恋相手。
2話では主人公がロケットのような存在だったのに。
人から見える自分と、自分から見えてる自分って、こう差がでるのね。
なんか恋愛したくなくなる。
こんなドギマギとか切ない感とかで、人生送るの嫌よ。
それが人なんだけど。
恋愛という感情でなく、
人と素直に向き合いたいと思った。
美しい映像美と切なさのギャップが、また切ない。
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