ヒューゴの不思議な発明のレビュー・感想・評価
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2100円は、高すぎる。
2100円払って、レビューも確認して、そうとう期待していったが、感動する場面がひとつもない。ストーリーも単純なうえに伏線が全く生かされていない。どうみても題名のヒューゴの不思議な発明と内容が一致しない。
最近見た映画では、一番残念かもしれない。期待が大きかったからかもしれないが、最近の映画は邦画のほうが感動する。
個人的見解なので参考程度にしてください。
想像力の賜物。
今作もこの邦題タイトルどうなの?という意見が多い作品。
どう考えてもファンタジーだろう、という予測を見事裏切り^^;
けっこうリアルでダークなヒューマンドラマになっている。
J・メリエスが登場するあたり、マジック的な要素が使われて、
機械人形など夢ある仕掛けも描かれるが、時代が時代であり、
この主人公がどう見ても私にはスコセッシ本人、彼が思い描く
ファンタジーという領域を感じた。彼が描くとこうなる、という。
そもそもスコセッシと子供向けファンタジーなんて、まったく
想像できなかったのだ。だから、あぁやっぱり~という納得が
今作を観てできたような気がする。豊かで幸福な子供時代を
送ってきたわけではないので、せめて子供が主役(でもないが)
というだけでも、映画という夢の世界への扉を描いただけでも、
彼には十分にファンタジー映画だと言えるんじゃないのかな。
主人公となるヒューゴだが、個人的にそれほどの思いは入らず、
彼の相棒?となるジョルジュの養女のイザベルも普通の感じだ。
今作で圧倒的に描かれるのはサイレント時代の作品、メリエスを
はじめ、映画の創成期を支えた数々の作品を披露しているところだ。
映画ファン(特にその頃の)が支持するのは、本来の映画が持つ
映像表現の意味とその素晴らしさ、ビックリ度、当時の観客が
映画に夢を抱いていた理由がハッキリ観てとれる面白さなのだ。
今でいえば3Dのような、何でも新しいものがヒットに繋がる
斬新さが必要なのと同時に、日常からかけ離れた世界に導いて
くれるという、一時の妄想空間、これが生きていく上で必要か
必要でないか、なんていう野暮は置いといて浸る時間の快楽性。
現実逃避を是とするか否とするかで心の持ち味は変わってくる。
私は映画が好きだから幾らでも妄想世界に入りたいものだが、
そうでない人間からすれば下らない金のかかる趣味に他ならない。
人間の心を豊かにするのは、必ずしもこればかりじゃないけれど、
観ることを楽しむというのは100年以上も前から普遍的だったのだ。
その事実は嬉しいし、またこうして古いフィルムにお目にかかれる
(しかもデジタル処理されて)のは新しい発見に繋がる可能性もある。
実はスコセッシはそんな活動も、無償でしているのだ。
今回のアカデミー賞で、今作とフランス映画が二手に競い合った。
そのどちらもが過去のサイレント時代の作品に敬意を表し、
改めて映画のもつ力=マジックに酔いしれようと時代を遡らせた。
映画は想像力の賜物だと私は思っている。
それが最も簡単に味わえるのが音のないサイレント映画なのだ。
なんだか映画の感想じゃなくなってきているんだけど^^;
つまりはこの作品、3Dに酔いしれるか、映画愛に酔いしれるか、
そのどちらにもならないか、なんである。
物語としてはまったく普通だと私は感じた。特異性は感じない。
俳優陣も豪華だったが、記憶に残ったのは鉄道公安官のしつこさ、
嫌味な役を見事に演じたボラット^^;のS・B・コーエン、くらいだ。
孤児の苦しみや貧困をこれでもかと喧しく表現してみせた。
親を失った悲しみ(先日観た「ありえないほど~」もそうだったが)、
何かにすがろうとする想い(鍵や鍵穴探しに通じる)は子供時代の
繊細な心に大きな影と生きる糧を与える。
ヒューゴが大切に大切に温めてきたものが、予期せぬ人に大きな
収穫を与え夢を取り戻させ、自身をも幸福に辿りつくことができた。
フワフワしていないが、こんなファンタジックな締めくくりもいい。
(今一度、往年の無声映画に乾杯。邦画もいっぱいあるんだよ~v)
「絵本好き」の方に、特にお勧めします
素晴らしい時間を過ごしました、夢の世界でした。
作品の息づかいが、なんだか絵本みたいで素敵でした。どのシーンも心をこめて描かれた美しい絵のよう。次から次へとページをのぞきこむドキドキにあふれていました。
普段映画を観ない、絵本が好きな方に特におすすめしたいです。今なら3D、飛び出す絵本仕様、本当に一見の価値ありです。
原作『ユゴーの不思議な発明』(2007、The Invention of Hugo Cabret)はイラストをふんだんに使った小説、作者ブライアン・セルズニックは絵本作家だそうです。
ああ、そうか…!きっと製作者の皆さんが、原作の世界をとても大切にしているんだな。
3Dで鑑賞しました。”20世紀初頭の紳士淑女のように”驚き楽しませてもらいました。子どもにニヤリとされてバツがわるいけど、楽しんだもの勝ちってことで。
21世紀の魔術師・パパ・マーティンにやられました、流石です。
期待せず観ると意外に良い(笑)
周囲の評判がイマイチだったので2D鑑賞。期待しなかったのが正解でした。思いがけず良かった(笑)。でも邦題は良くありませんね。「ヒューゴ」のままの方が合っていませんか?かつてムーンライダーズは「物は壊れる、人は死ね。三つ数えて目をつぶれ」と歌いましたが、人も壊れるんですよね。「壊れたら直さなきゃいけない。」「世界が一つの機械なら、要らない部品はない。」いい台詞でした。おっと、本作の主題は映画界の混沌、作家としての閉塞、映画愛でしたか?スコセッシ69歳、同時代のヨーロッパを舞台にした「戦火の馬」スピルバーグ65歳、映画愛作品「CUT」を日本で撮ったデナリ66歳、そして「アーティスト」も、そうですよね。何でしょう、この共通項。この辺を肴に一杯飲みたいものです。余談ですが、クロエ・グレース・モレッツ惚れ直しました。
夢と冒険の物語こそ映画の原点
邦題が「ヒューゴの不思議な発明」となっているが、登場する機械人形はヒューゴが発明したわけではない。
「ヒューゴ」の舞台となるのは殆どがパリ駅の構内なのだが、迷路のような時計台を絡めて、たっぷりとした空間にカラフルに彩られた人物や小物を配置し、それを見ているだけでも箱庭的な楽しさがある。
静かに舞う塵(ちり)さえも、3Dによって美しく描かれる。
スクリーンでは観たことがないが、もういつの事だったか忘れてしまった過去に、たぶんテレビだったのだろう、「月世界旅行」という動画を見たことがある。モノクロでサイレントの動画はぎくしゃくした動きだったが、顔のある月面にロケットが飛び込むシーンは忘れられないものとなった。この動画こそ、映画の原点で、映画の原点はトリックだと知った瞬間だった。
今作「ヒューゴ」は、“映画の父”と称される仏映画監督ジョルジュ・メリエスとその代表作「月世界旅行」へのオマージュがたっぷり込められた作品だ。
メリエスも「月世界旅行」も知らないという人でも、もちろん楽しめる映画だが、映画技術の黎明期の知識が少しでもあると、より一層楽しめる作品だ。
スコセッシ監督は、少年ヒューゴの冒険を通して、『映画の原点とは何か? 今一度、思い起こしてみよう』と呼びかけてくる。
映画は光と音の総合芸術であり、その原点は娯楽でありマジックだ。「空想を現実にする」のがまさしく映画だ。
このスコセッシのメッセージが解らないと「ヒューゴ」は平凡な作品に見えてしまう。
この作品に3Dは必要だったのだろうか?
たしかに「ヒューゴ」の冒険そのものに不可欠だったとはいえない。
だが映画というのは、その時々の最高の技術を結集した技術革命の上に発達してきた。主なものでも、音が入り、大型画面を手に入れ、近代的なSFXとサラウンド音響を経て、現代ではデジタル技術が取り込まれている。その節目ごとに多くのエポック・メイキングとなる作品が世に送り出されてきた。
表現技術を革新してきた映画の最新技術が3Dであり、最新技術を駆使して作り上げることこそ、現代の映画師スコセッシが元祖映画師メリエスへ捧げる讃歌となりうる。「月世界旅行」など名作の数々も3Dで蘇るとは、メリエスもさぞビックリしていることだろう。
また、この作品では、映画は人類の財産であり、その保管に心血を注ぐよう訴えている。
「ヒューゴ」はアカデミー賞で、主な技術部門を独占した。
その陰で、ひっそりと受けた賞がある。
映像を500年保存可能なフィルムを作り上げた日本のF社が【科学技術賞】を受賞したのだ。今回のアカデミー賞でもっとも誇らしい素晴らしい賞だと思う。
デジタル・データは、まだまだ不安定なうえ長年に渡る保存実績もないのだ。
芸術的な工作
昔“ポンキッキ”で見たあの映像…顔の月にロケットが刺さったり、レトロ水着の女の人達が並んでたり…ずっと“ポンキッキ”で製作したんだとばかり思ってました!!
違ったんだ!!
とゆぅ驚き。
まるで箱の中の工作みたい…
美しくて脆くて懐かしくて少し退廃的…
機械人形はある時は寂しく悲しそうに、ある時は満足げに微笑むように、瞳の深さがとても印象的でした。
瞳と言えば主役の少年の瞳がまた美しい。
クロエちゃんの表情もくるくる変わってなんて魅力的。
公安員も…いぃんです。登場人物全員がさりげなく名演技でした。
映画創成期のオマージュ
表題からフアンタジックな冒険物語と思いきや、ヒューゴを通して、映画の創成期を作り上げた人物を讃える映画でした。それこそトーキーもあり、アカデミー賞を取ったアーチストとひけを取らない映画だと思いました。駅舎の時計室で父の形見のロボットと暮らすヒューゴが謎を解き明かす為、鍵を持ってる少女と活躍する楽しく、美しい映画でした。3Dがとても良かった。公安のおじさんも愛すべき人物でした。
影の主役はマキシミリアン
3Dで見ました。鑑賞して思ったのは、やっぱりこの映画は3Dで見るべきだなぁという事。2Dで見るか3Dで見るかで評価変わりますねこの映画。
まぁでもトランスフォーマーや三銃士と違って、DVDで見ても面白い内容では有ります。
まぁ大体予想通りの世界観です。ほんわかとした可愛らしい映画です。もしこの映画を子供の頃に見ていれば、大人になっても心に残る映画だったと思いますね。そう私が小学生の頃に友達と一緒に映画館へネバーエンディングストーリーを見に行った時のように。
ただし少し疑問が。この邦題の意味は???ここは明らかに邦題の付け方間違えてますね。それと父親の謎は??完全放置状態で映画が終了してしまった。
それでも結構満足いく内容でした。是非、親子で見に行って欲しい映画です。
マキシミリアン飼いたい、、、。
それとドゥークー伯爵老けたなぁ
フィクス・ユア・ハート、アンロック・ユア・マインド
話の流れにツッコミ所が多いという方々も大勢いるし、
それらの指摘に頷く部分もあるが、
それでもやはり素晴らしい映画だと言いたい。
この映画ほどに3Dである事の意義を感じた映画を僕は知らない。
世界観や登場人物に実体を持たせようとする為の3D。
そして、映画黎明期の観客の驚きを再体験する試みとしての3D。
躍動感溢れる美しい映像の数々に思わず目を見張った。
本作は、父との想い出にすがる孤独な少年が新たな絆を見出だすまでの物語としても感動的だ。
しかし何よりも、一度は夢を棄てたエンターテイナー・
ジョルジュ・メリエスの最後の姿に胸を打たれる。
考えてみて欲しい。
幾つもの戦争や天災を経験し、悲惨な現実の前では
空想など所詮は無力だと何度も嘆いてきた僕らなのに、
どうして僕らはそれを捨て切れないでいる?
どうして映画や舞台や音楽や小説や絵画などという、
根本的な生体活動にとってはそれこそ毒にも薬にもならないものを渇望する?
現実逃避? それだけだろうか?
断じて違う。
映画を見てくれ。
映画は悲惨な現実を憂い、嘆き、怒り、笑い飛ばす。
映画は人生の美しさを見出だし、歌い、それに恋い焦がれる。
あなたの知らなかった新たな知識を、視点を、感情を与えてくれる。
世界に、そしてあなた自身に新たな可能性を提示する。
現実に立ち向かうだけの希望と勇気を与えてくれる。
それが映画の、いいや、人間のイマジネーションが有する巨大な力だ。
フィクス・ユア・ハート、アンロック・ユア・マインド。
(人の魂が宿る機械人形は、人の夢を描く映写機と同義であり、
無機物に生命を吹き込む人間のイマジネーションの化身だ)
そして考えてみて欲しい。
この陰惨な世界を少しでも明るく照らそうと、作品を作り続ける人達がいる事を。
その人達もまた、同じ夢を見たいと願っている事を。
メリエスが映画の最後に語った言葉を覚えているだろうか?
彼は自信に満ちた笑顔と共にこう言ったのだ。
「Come and dream with me(私と一緒に夢を見ましょう)」
この作品が映画ファンの為の映画と思われてしまう事が、僕には残念でならない。
ここで語られているのは決して映画のみに限った話では無いからだ。
この映画は、夢に夢見た全ての人々に捧げられた作品。
人間が持つ無限のイマジネーションへの賛歌だ。
<2012/3/4鑑賞>
機械人形が素晴らしい!
駅構内にあるさまざまな時計台を動かす大小の歯車たち、年代を感じさせる調度品たち、精巧で光沢があり慈悲に満ちた表情を持つ機械人形(これがすこぶる良い!)、時計台の中の鉄骨階段の昇り降り、乗降客が多く行きかう構内を追いかける・逃げまわる、部屋中に飛散したデッサン絵の数々、一人一人の登場人物たちの豊かな表情、水槽の魚たち、降りしきる粉雪、これから売り場に置かれるだろう出来立ての色鮮やかなクロワッサンたち。それらの映像が3Dメガネを通じて圧倒的に自分の目の前に迫ってきます。何回観ても見飽きません。音楽も良い。久しぶりにのめり込んでいる映画です。
映画最高
マーティン・スコセッシの映画愛がすごく伝わってきた。エイサとクロエが魅力的でとてもかわいかった。映画創世記の作品が映し出され、映画好きにはたまらなく嬉しいものがあった。映画を始めて観ている人が、汽車が自分の方に迫ってくる時によけるシーンが面白かった。
ニューシネマパラダイス
前知識を持たないで映画を観た。
勝手なイメージで冒険ファンタジー映画だと思っていたが、
全然違っていた。
ニューシネマパラダイスと同じ匂いを持つ映画だった。
邦題に似合わず、正統派の王道映画で安心して観れる。
若いて言えば、波が穏やかで少し退屈する。
大人向けの作品で子供は理解できないで退屈すると思う。
観終わった後に邦題と作品のギャップを凄い感じる。
もっと違った邦題にできなかったものなのか。
思ったほどじゃなかった(;´Д`)
『ヒューゴの不思議な発明』とあるが・・・
どこに不思議な発明が???
原題通り『ヒューゴ』で良かったんじゃないか?
正直期待して観に行っただけに残念(;´∀`)
まずテンポが悪過ぎる。
主役の子は黙りこくってるだけで一体何を考えてるのか。
ノートを取られた時になぜ内容を説明しない???
とにかく返せと言うだけで秘密にする理由が全く分からない( ゚Д゚)ハァ?
そりゃあ~ジョルジュおじいさんも業を煮やすわ。
冒頭の雪が降ってるシーンは『クリスマス・キャロル』を彷彿とさせ、さらに奥行きのある街並みは『タンタンの冒険』を彷彿とさせる3Dで、個人的には楽しめた。
機械人形にお父さんのメッセージが隠されてるという話だけど、その結果があの月面にロケットがささった「月世界旅行」の絵って・・・
何がメッセージなのか分からんしお父さん関係ないし(;´Д`)
さらに言うとそれをなぜ機械人形に仕掛けたのかも分からんし(゚Д゚)
ジョルジュ爺さんは戦争に突入して娯楽が禁じられたから映画を捨てて嫌いになって・・・でもマジックは続けてるわけだよな???
何で映画は駄目でマジックは駄目なんだ????
まあそれはいいとしても、それで映画を捨てて、さらに奥さんや養女の子にまで映画を観るな!!!って・・・映画に愛情がねえじゃねえか!!!ヽ(`Д´)ノ
おばさんも「盗人に用はないわ」みたいなことを言ってるけど、何であんたがそれを知ってるんだ???
おじいさんから聞いたなら分けるけど初対面だろ!!!
警官役のサシャ・バロン・コーエンもどういう役どころなのか分からんε-(´・_・`)ハァ・・
コミカルな役どころの割には残酷性を強調してるし、花屋の子に告白しようとしてなかなか言い出せないシャイな性格を見せるシーンも何のためにいれてるのか分からんし。
あと無意味に走るシーンが多過ぎる気が・・・
大人の雑踏に踏みつけられるってのもわざとらしいし。
そもそもなぜ警察が身寄りのない子供をトっ捕まえて孤児院に移送してる???
その時代は浮浪者の子供を探して捕まえて・・・ということはあったのかも知れないけどどうも説明が足らな過ぎて何が何だか┐(´д`)┌ヤレヤレ
あとこの映画の設定って恐らく19世紀だと思うだけど、あの冒頭と中盤あたりに移してる夜景の早回しってどう見ても現代だろ???
ヒューゴの夢の内容も良く分からんし。
あと本屋意味あったか??「デヴィッド・コパーフィールドに恋しちゃいそうになりました」とかいう台詞もいちいち説明的だしいかにも台本の台詞っていう感じだし。
でも映画創世記の頃の実際の映画作りのシーンを現代の3Dで再現させてるという演出は秀逸だと思う。
ジョルジュ・メリエスが始めた映画製作の手法は現代にまで連綿と続いてるということがうまく表現できてると思うし、スコセッシの映画愛と過去の映画人へのオマージュは大変素晴らしいとは思う。
しかし物語の作り込みが雑。
もう少し自然な会話とかカタルシスを持たせて欲しかったです(・∀・)
どうもスコセッシ監督とは相性が悪い。
「ギャング・オブ・ニューヨーク」「ディパーテッド」「シャッターアイランド」と観てきましたが、
どうも撮り方が古典的というか・・・。
ハリウッドの王道的な撮り方なのかもしれませんが
まどろっこしく感じ、残念ながら私はどれも眠くなります。
今作は謎解きのような雰囲気を醸し出しつつ
最後に伏線がなんだったのか理解できず・・・。
どうも脚本のアラばかりが気になって・・・。
あと、映画の内容には関係ないのですが
肝心の機械人形が・・・(別の方も言っていましたが)
「帝都物語」の学天則にしか見えませんでした・・・。
いじけた登場人物苦手
主人公が浮浪児で気の毒な境遇なのはしかたがないにしろ、それにしても不幸せな登場人物ばかりで、特におじいさんに至ってはそんなにいじけなくてもいいじゃないかと思うほどであった。ちょっと会話すれば瞬時に解決する問題を引っ張っている点や、クライマックスになくても成立するようなとってつけたようなアクションも虚しい感じがした。
ヒューゴはそもそもメンテナンスだけで何も発明しないし、ロボットの仕掛けもすごいものを期待していたら絵を描くだけだった。それも凄い技術だとは思うけど、もっと何かあると思った。
映像は圧倒的でした。とにかくいじけて不景気な登場人物ばかりで元気が出ない映画だった。そういうものとして見ればまた印象は違っているかもしれない。
あまり泣けず
こんにちは(いま3月5日11:25頃です)
スコセッシ監督は僕のフェイバリットのひとりであり、
こんどのアカデミー賞で5つも賞を獲った作品だし、
間違いなく、感動させてくれるものと思いました。
3Dに関しても、3回目で、いい作品(トイスーリー3)
とそうでもない作品(アリスの不思議な旅)に別れていたけれど、
ここは間違いなく素晴らしいものになっているだろうと思ってました。
でも、なぜか?
感動は薄かったのです。
確かに3Dの立体感はありすぎるくらいあったのだけど、、
人物が薄っぺらく(物理的に)見えてしまう。
人物に立体感、厚み、温かみが希薄なような・・・
それがとても気になってしまったのです。
マジックからファンタジーへ、舞台から映画への深化は
わかるのだが、おじいさんが映画を封印してしまう、
その心境の変化がいまいち伝わらなかった。
もっともっと、深い理由があってほしかった。
へんかな。僕の感想・・・。
結局この映画、僕にとっては、児童文学的映像として、
ファンタジックな映画としてみることが正解だったような気がした。
そうやってみれば、スコセッシ監督の映画愛は疑わないし、
レトロなフランス的エッセンス、時計台や駅や雑踏は心地いいし、
主人公たちの、特にイザベルの笑顔には癒されたし。
ちょっと期待しすぎた感がありましたね。
スコセッシが撮る必要があったのだろうか?
この手の毒にも薬にもならない映画は、もうヤキの回ったスピルバーグあたりが撮れば良かったのではないのでしょうか。児童文学に題材を求めるとはアメリカでも良い脚本の書き手が激減している証左なのではないのでしょうか? 観終わった後、劇映画ではなく、退屈なアメリカのアニメ映画を観たような気分になりました。それから、これは声を大にして言いたいのですが、舞台がフランスなのに全編、英語で押し通す、甚だしい英語中華思想には、もう、うんざりです。この映画をフランス人はどう見ているのでしょうか。決して愉快な気持ちではいない筈です。スコセッシに関してはディカプリオを起用して、遠藤周作の「沈黙」を映画化する計画がある、と数年前から話題になっています。とても心配です。全編英語の「沈黙」でしょうか。昭和46年に篠田正浩が撮った傑作が既に存在していることをこのイタリア系アメリカ人は知っているのでしょうか。スコセッシが黄金の70年代を頂点として、次第に力が衰えていっているのはもう、誰の目にも明らかでしょう(「最後の誘惑」や「グッドフェローズ」といった佳作もあるにはありましたが・・・)。スコセッシ様、どうか、死に花を咲かせて下さい。
屋根裏から表舞台へ
これ、公開前頻繁に流れてた予告編、結構な罪作りじゃないですかね?
俺、この映画ずっとファンタジーだと思ってましたw違うんですね。
ピザ食べたいお腹なのにラーメン出されたみたいな感じ。
いや、別に映画自体は全然悪くないんですけどw
つか、むしろ面白かったです。
何でしょう、破格のイマジネーションと超絶視覚の3D効果と様々な群像模様と底なしの映画愛が詰まったスコセッシ流ヒューマンドラマ?て表現すれば分かり易いですかね。
あ、分からないですかそうですか。
もう初っ端、オープニングの縦横無尽なカメラワークからのめり込みましたし。
最近の3D映画だと『タンタンの冒険』や『クリスマスキャロル』なんかを彷彿とさせて、もうアトラクションさながらというか。
主人公ヒューゴが建物の裏を歩き回る描写も、童心を喚起させるというか、何故か『ネバーエンディングストーリー』の主人公が屋根裏で本を読み耽って物語と現実がシンクロしてるあの感じを思い出しました。
淡い恋心?なボーイミーツガール的な程よい甘酸っぱさもあって、クロエ・グレース・モレッツちゃんがこれまた可愛いのなんのw
ファンタジーではないけれど、紡がれる映像はまさしく幻想的。美しい。
物語も泣かせる。
あと、結構賛否の分かれてるらしい『ヒューゴの不思議な発明』という邦題なんですが。
不思議な発明とは?何ぞや?という。
「屋根裏から表舞台に飛び出すチャンスは老いも若きも関係ない」というメッセージ性を自分は受けたので。
それこそが発明だったのかな、とかぼんやりと解釈しました。
いや、本当楽しめました。傑作。
世界で1番美しい映画
一言で言うなら、題名の通り。
①
これまでのスコセッシ作品と異なる部分もあるが本質的には紛れもなくスコセッシの映画だった。
②
3Dの新境地を切り開いた。
「トランスフォーマー3」がカッコいいジェットコースターなら、「ヒューゴ」は美しい美術館。
(これはあくまで双方の違いを表現したもので、どちらが上、どちらが劣っているという意味ではありません)
③
この作品を名作たらしめたのは、スコセッシの“愛”だ。
ヒューゴのセリフの引用になるが、この映画に無駄な部品は1つもなかった。
この映画に出会えて良かった。映画が好きで良かった。
偉大なるMr.マーティン・スコセッシ 心からの感謝と敬意を。
※本当はこの10倍ぐらい長い内容だったのですが、内容を確認するボタンを押したら消えたので書く気が失せました。
これは作品ではない。監督自身の声を聞け。
巨匠マーティン・スコセッシは今までに様々な秀作を世に送り出してきたが、それでも監督は3Dという新たな挑戦を始めた。これまで3Dは観客を興奮させ異次元を見ているかのようにさせていたが、今回マーティンは真逆の事をしている。3Dを駆使し、自然にそして静かに映画に誘い込み、観客の心を捕え離さない。なんといってもあのカメラワークにはびっくりだ。ファンタジー張りの時計台のセットや汽車から降りうねるように行き交う人々の中を這い回る主人公を違和感無く撮り尽くす。カメラを移動させるにも複雑な機械のようなセットが施されているのが想像つく。
映画好きだった少年は様々な体験を通して映画を製作する側に憧れを抱く。これを見た後妙に納得できることがある。監督は世間に「映画とは」という問いに大々的に答えたと言えばいいのか。つまり「映画とは、素晴らしいもの。」というメッセージを伝えるためにこの作品を作った。もしかしたらヒューゴはマーティン自身なのかもしれない。観客は映画を見終わった後、監督の「ほらな、だから映画は面白いだろ?」と言う声が聞こえるに違いない。
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