劇場公開日 2012年3月1日

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「スコセッシの映画愛に浸る2時間6分」ヒューゴの不思議な発明 梅薫庵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0スコセッシの映画愛に浸る2時間6分

2012年3月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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幸せ

はずかしながら、この作品が3D映画初体験。そもそも、3D映画って、遊園地のアトラクション。映画ないだろ?ぐらいにしか認識していなかった。時代遅れとは感じていたけれど、「よし観てやろう」とまでは、今まで踏ん切りつかなかった。それをこのスコセッシ監督の新作「ヒューゴの不思議な発明」は変えてくれるかどうか。それが非常に楽しみで、映画としては、高校生の時以来かも、ということで初日一番に日比谷・有楽座に行った。

慣れぬ3Dメガネをかけて、上映を待つ。すると開巻、タイトルが出るまでの15分間で、長い間眠っていた映画を見ることの昂揚感を呼び覚ましてくれた。これだけでもこの作品を見る価値がある。

冬のパリの街に舞い降りる雪が、客席の方に向かってくる。カメラは空を翔ぶ観客の目となって、パリはリオン駅の構内へ。駅の時計台に隠れ住む主人公ヒューゴの日常を一気に見せる。ここには子どものころ、誰もが夢見ただろう、オモチャ箱の中に自ら潜り込んだような、ワクワクする気持ちをおこさせる。

物語は、不慮の死を遂げたヒューゴの父親(ジュード・ロウ)が遺した機械人形を巡って、映画の祖ジョルジュ・メリエス(ベン・キングズレー)と彼の作品に纏わる話となる。日本語題にあるような、何かハリー・ポッターをイメージさせるような魔法を連想させる筋立てがあるのではない。古き良きモノへの哀愁、というより、人間が人間の手のよってでしか作ることの出来ないモノへの愛情を、最新技術である3Dを使って、全編スクリーン一杯に表現したものだ。

ところでスコセッシは単なる映画監督、映画作家としてではなく、映画全般を見渡してきた映画人と言える。埋れた映画人への再評価は勿論のこと、過去の古典作品のデジタル化、カラー化(賛否両論はあったが)もすすめてきた。そして今回の作品で、満を時しての3Dだ。そこにはいずれも、幼い頃「映画」という魔法の世界に導いてくれたものへの、深い愛情がある。

その愛情、映画愛を具体的に表現したのが、この「ヒューゴの不思議な発明」であった。なかでも冒頭15分間と同様、3Dが最も効果的に使って描写しているのが、メリエスが自分のスタジオで映画を制作している場面。「映画を作るというのは、こんなに楽しくワクワクするものなのだよ」と、まるで孫に昔話を語るような語り口で、スコセッシは綴っていく。

そもそもこの作品は台詞も多い方ではないし、最初から映像と音楽(全編ほとんど途切れずに流れる音楽も目立たないが、素晴らしい)で、その「映画愛」を表現したのではないか、と思われるフシがある。無論、3Dがその手段の一つであることには間違いはないが、それは上に書いたような、ここぞ!という場面で使い、他は映画の持つ魔法の一つである「編集」を巧みに使って、観客を映像の虜にしている。メリエスが最初に映画の魅力に取り憑かれてから、映画作りに没頭する場面、終盤、メリエスが顕彰され作品がコラージュされていく場面。また冒頭のタイトルまでの、ヒューゴが時計台を巡る場面や、ヒューゴと公安官(サシャ・バロン・コーエン)が駅構内で追っかけっこをする場面、その公安官が花屋の娘(エミリー・モティマー)に想いをそれとなく話す場面がいい例だ。しかもそれらは、ロイド、キートン、チャップリンといったサイレント映画で常に何度も出てくる、いわば「定番」の場面でもある。

さらにスコセッシは、溢れる映画愛のゆえか、映画そのものを排除するものに対する批判は強烈だ。メリエスが映画作りを絶った原因となる出来事を語る場面は、ドキュメンタリーも撮るスコセッシの面目躍如といったところ。また一見、本題とは関係なさそうな公安官と花屋の娘の逸話を挿入したことで、その批判は、声高らかではないものの、まるで岩に沁み入るように効いてくる。

勿論、そういう批判精神はこの映画に関しては、スパイスのようなもの。主題は映画作りに情熱を注いだ人たちへの、深い敬愛の念、リスペクトである。題材であるサイレント映画はもとより、トーキー初期から50年代から70年代にかけて、成功した映画人たち、さらに彼らの影に隠れて、不遇な後半生を送らざるを得なかった全ての映画関係者にも捧げられている、といっても過言ではない。蛇足だが、ママ・ジャンヌを演じたヘレン・マックローリーは作品のなかで、メリエスを支える女優兼妻を演じているが、雰囲気が役柄のせいかどこか、ジーナ・デイビスに似ている。デイビスといえば、彼女の夫であり、スコセッシも尊敬しているといわれているアメリカン・インディペンデント・ムービーの監督、ジョン・カサヴェテスを思い出すといったら、言い過ぎだろうか。

純粋に物語を考えると、後半から終盤にかけての物足りなさは、少しはかんじないこともない。けれども、それに対して余りあるスコセッシの「映画愛」に圧倒される2時間6分である。

梅薫庵