光のほうへのレビュー・感想・評価
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生きる姿をありのまま映しているだけ
静かできれいな映画だと思うよ。
大切なひとを思うやさしい気持ちが常に描かれていて
それがまたやってることのエグさや、失うことの悲しさとの
対比でとても美しくて悲しい映画だった。
希望も笑いもない。夢も情熱もなにもない。
派手な演出も激情的な演技もない。
底辺で生きる姿をありのまま映しているだけ。
だけどそのありのままの生き様が、目を離させない。
ものがたりの進め方も面白い。
母の葬儀をきっかけに二人の兄弟は再会して
その後の生活を描いていくのだけど、
兄のパートと弟のパートは完全分けて描かれる。
だけど、電話やTV番組、ある男が路上で暴行を受けるシーンが鍵となって、二人の生活はリンクしていく。
そして別々に描かれていた物語が、また最後に一つに重なる。
葬儀の後、二人はまたある場所で再会する。
このシーンが二人の関係性を象徴するものなのかな。
その時の二人の物理的な距離と、交わされる少ない言葉の意味。
ほとんど接点を持たずに生きてきた兄弟。
だけど、いつも想っていた、と。
最後まで、弟の名前、明かされないんです。
エンドロールにもない。
ニコライの弟、マーティンの父、としかない。
おそらく意図的に名前を呼ばなかったのでしょう。
ニコライも、幼稚園の先生も呼ばなかった。
どうしてだろう?
最後の台詞は、
「お前の名前の由来を教えてやろう」
なにか鍵が隠されている気がするんだけど・・・
なんだろう。
それは、あまりにも小さすぎる「希望の光」だった
こう言う衝撃的な作品に出会ったのは10数年ぶりである。この映画を観終わって初めに思い起こしたのは、「ダンサーインザダーク」を観終えた時のあの陰鬱感と同様の衝撃。
暫らくの間、映画館の席を立つ事も出来ずに、今観終えたばかりの作品の意味を理解しようともがき、苦しみ、言語に言い尽せないその映画の衝撃に完全に完敗したあの瞬間が、またそのまま蘇って来たのだ。「ダンサーインザダーク」のヒロインの救い無き人生の衝撃に打ちのめされ、身の置き場も無い、狼狽した自分が一人寂しく映画館に取り残されていたあの感覚の再来。
本作は、単館系の映画館での予告編でその存在を知り、要チェックマーク作品として記憶の隅に止めたが、他の話題作に気を取られているうちにいつの間にか、上映期間を過ぎて見逃していた事を、今回に限ってはどれ程幸運に思ったかしれない!
もし大画面でこの映画を観ていたら、数日間は、引きずり続ける事になる主人公の衝撃の物語を共有する哀しさが更に長引いたに違いない。今回は自宅のレンタルだった分だけでも、少し救われていた気がする。
監督のトマス・ヴィンターベア氏のプロフィールをみてみると98年にカンヌ映画祭で、「セレブレーション」と言う作品で、審査員賞を受賞し、代表作は「ダンサーインザダーク」の監督がシナリオを担当した「Dear WENDY」だという。私はこの監督の作品を観るのは今回が初めてだが、やはりあの「ダンサーインザ」と繋がりが有ると言う事で何か納得出来た気もする。
物語の舞台は、デンマークのコペンハーゲン。デンマークと言って思い出す事はアンデルセン童話や、クッキーや菓子パンの数々、そして「ゆりかごから墓場まで」(‘From the cradle to the graveと言うスローガンの下に行われている福祉システム)と言う言葉で表現されているような手厚い福祉制度の整った国家のイメージだった。私があまりにも、デンマークやヨーロッパ、特に北欧の文化の知識に乏しいのかも知れないが、あの福祉国家でも、こんな下層階級の苦しみだけの人生を送る人々の生活が現存している事を知った衝撃である。何もこの国が他国と比較して特別に劣悪な社会と言う事では決して無い。
日本でも、或いは欧米社会でも、国の福祉制度からこぼれ落ちてしまい、保護を受けたくても、その恩恵にあずかる手立ても無いままに生きて行かなければならない子供たちや、社会の底辺での生活を余儀なくさせられている多くの人達が、今もこの同じ世界の時間軸の中で生活している事実である。アルコール依存症の親に虐待を日々受ける子供たち。母の愛情も知らず、父の存在も知らず、家庭の温もりを知らずに成長した子供。その子供たちが大人になり、麻薬・酒に溺れ、その世界から抜け出せないジレンマ。自力では決して這い上がる事が出来ない苦しい生活。それでも人は希望を求め、愛を掴もうと、あがきもがき苦しむ。植物が太陽の光の方向に向かってその身体を自然に伸ばして育っていくのと同様に、「光のほうへ」と向きながら、生きようと絶望のみの生涯でも、何時の日か、希望を持てる日が巡り来たるその日を信じて、生き延びること、何の希望も持てない人生でも、一日、一日を辛うじて生き延びていくことが、生命体そのものの本来の姿なのか?
ニックとマーティンの将来を想う時、そこに待ち受ける運命にほんの少しばかりでも良いから、幸せの種の芽がふき、育ち始めてくれる事を願わずにはいられない。何故なら、私たちの知らない世界で、いや、知ろうとしたがらない世界の何処かに必ず、マーティンや、
ニックは生きているのだ。これは決してフィクションではない。
必ず、何処か自分たちの知らない世界で、ニックと同じ境遇の人が生きている事を心にとめて置かなければならない気がした。
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