「100,000年後より、まず今やろ」100,000年後の安全 全竜さんの映画レビュー(感想・評価)
100,000年後より、まず今やろ
静岡は停止中の浜岡原発を抱えており、漠然と包囲する原発への恐怖や仕組みを学ぼうと、講義気分で臨む。
しかし、途中で睡魔の大津波が第3波ほど襲われ、あえなく撃沈…。
そう言えば、大学時代、マトモに起きて講義を聴いていた試しが無い自分を今さらになって思い出した…。
議論の中心が、10万年間、保持される設計の地下施設の運営・保管方法に対する嫌悪感や矛盾、保証etc.ではなく、10万年後の人類に原子力の恐怖・危険をどう確実に警告できるか?理解できるかという、途方もない抽象的かつ哲学的な問題提示を淡々と進むため、思考力がメルトダウンし、爆睡してしまった。
隣のおっさんや前列のオバサンコンビも同様で、劇場内は高レベルのイビキが漏れ出す非常事態と化したのは云うまでもない。
現代人でさえ、この有り様なんやから、10万年後の人類に伝えるのは到底ムリなのではなかろうか?
原発の恐ろしさを後世に伝えたいのなら『チャイナシンドローム』や『東京原発』を観せた方が効果的やと思う。
そういえば数年前、実際に『東京原発』を観に、静岡東映(現・静岡ピカデリーZero)へ出掛けた時、観賞後、ロビーに浜岡原発反対派グループが操業停止を訴えるビラを配りまくっていた。
「フィクションはフィクションやと割り切って娯楽映画にしている作品やのに、楽しんだ矢先に現実へ引き戻すのは野暮やないか。映画と政治活動とを強引に混合させるのはマインドコントロール以外の何ものでもない。魂胆見え見えで不愉快や」
と憤り、私は署名に拒否したのを今でもハッキリ覚えている。
しかし、10年も経たぬウチに、あれだけスッタモンダした浜岡原発は、無責任総理の一声であっという間にストップした。
では、あのロビーで、けたたましく叫んでいたオバサマ方の必死な訴えって、何やったんやろ?
止まって、結局、何が解決できたのだろう?
節電の訴えの方が遥かにウルサい現在、虚しく汗を拭いながら憂う夏の昼下がりに短歌を一首
『文明を 灯し葬る 灰のあと 危険と刻む 未来(あす)への標(しるべ)』
by全竜