「未来へ一言、「幸運を」」100,000年後の安全 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
未来へ一言、「幸運を」
ドキュメンタリー作家であるマイケル・マドセン監督が、フィンランドで開発された高レベル放射性廃棄物の処分場を問いただす一本。
呆れて声も出ないのである。貴方が勝手な解釈を持ち込み作り上げた安全だけが頼みの綱となっている、現代最新鋭の施設。その危険性を理解できないかもしれない我々の子孫に、何か一言を。「気をつけて、施設には入らないで、幸運を」。何かが、間違っていないか。
フィンランドで開発が決まった高レベル放射性廃棄物処分場。その施設が示す意義を観客に提示することに、本作の表向きの軸がある。劇的に加工された映像の美しさと、理知的に施設の存在理由を語る関係者。ドキュメンタリー作品として、極めて基本に忠実に、事実を積み重ねていく姿勢が貫かれている・・・と、解釈していた。
だが、明確かつ冷静な語り口は中盤、施設の危険性を未来の世代にどう示すかに触れようとしたとき、唐突に暴力性を帯びて牙を露わにする。
それまで建設的に根拠を示し、作り手の質問に笑顔で、自信満々に答えていた関係者の口調が、澱み始める。「それは・・知らない」「分からない」「ああ・・えっと、それはだね・・」まるで作品が途中で入れ替わったように、作り手の質問が棘を持ち始める。少しずつ、かつ確実に、物語は熱を持ち、落ち着いて問題を見つめる視点を巧みに否定し始める。
観客は、その予想外の変貌に戸惑いながらも、胸の高鳴りが抑えられない。知られざる施設の全貌に向かっていた関心は、関係者の陳腐な釈明と言い訳に移る。大丈夫なのか、心配だな・・いい加減過ぎるだろ、苦笑い。ドキュメンタリーとして見れば異質な作り方だが、観客を一気に事実の危険性に引きずり込む引力を信じた作り手の姿勢は、稚拙と片付けるにはあまりに惜しい。
この作品を、原発の諸問題を抱えた日本において緊急上映する企画を打ち出した配給サイドの姿勢には賞賛の拍手を送りたい。曖昧な根拠と、無理な解釈の上で成り立つ原子力の安全。観客が今、この時、知っておくべき真実と現実がここに、ある。今となってはもう、他人事では済まされないのだから。