「さりげなく、愛情を、絆を」わが母の記 こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)
さりげなく、愛情を、絆を
この作品をスクリーンで観ながら、私は、原作者の井上靖の実際の顔を思い浮かべていた。それは、作者本人を演じた役所広司は、あまりに優しすぎる顔をしているからだ。井上靖本人は、目付きが厳しく、顔に人生の苦労を背負ってきたシワを刻んだ、とても気難しい顔だちをしていた。その顔を頭に浮かべていたせいか、「自分は捨てられた」というわだかまりや恩讐を母に持ち続けた作者の気持ちが、リアルに私に迫ってきた。
物語が進む中、私はひとつの疑問を作者・井上靖に投げかけていた(映画の中では、伊上と名乗っているが)。
「あなたは、母にどうしてほしいのか。抱きしめて、申し訳ないと言ってほしいのか。それとも、自分の目を見て涙の一滴でも流してほしいのか」
多くの読者を虜にした、数々の小説を残した井上靖なのだから、劇的な展開を望んでいたのではないのか。と、思いながら見ていたのだが、映画は、次第に認知症を深めていく母の姿とともに、淡々と進んでいった。私を含めて、スクリーンを観る観客の大多数は、母と井上靖との関係よりも、井上の家族が中心に描かれていたのに少し意外に感じていたと思う。
しかし、この映画の面白いところは、作者の井上とその家族との交流の中に、母と作者との絆そのものが隠されているところだ。それは、気むずかしい井上を父に持つ家族たちと、父とを繋いでいたのは、井上の母の存在があったからだ。原田監督は、セリフが多い中で、井上と母とが絡まない部分に、母と井上との絆の強さを家族たちが感じるシーンを巧みに入れて、認知症であっても母の重要さを観客に語りかけている。
そして、母と井上が理解しあう瞬間は、とてもさりげなく訪れる。それは、時おり井上と家族たちとが触れ合う一時と同じく、心地良い風から画面から流れてきたかのような爽やかさだ。肉親が、恩讐を越えて理解しあう、愛情や優しさ、絆というものは、抱きしめあったり涙を流しあったりするものでなく、本当はさりげないものであることに観客は胸をしめつけられる。疑問を持ちながら見ていた私も、そのさりげなさに目を潤ませてしまった。
私も、ある時から父と話さなくなり、互いに遠ざける関係がしばらく続いた。その間も、私は子どもの頃から父の影響を受けていただけに、父と気持ちを通じ合いたいと思ってはいた。しかし、その思いが叶う前に父はこの世から去って行った。だから、この映画の井上の気持ちは、私には痛いほど理解できる。両親とあまり会話をしていない人が、この作品を観ると、人生観が大きく変わるかもしれない。