映画 怪物くんのレビュー・感想・評価
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怪物くんパワーアップ。
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怪物大王が引退するとかで怪物君が後を継ぐことになったが、
怪物界の人々が反対し、キレた怪物君一行は別の世界へ。
そこの王女と仲良くなるが、王女は怪物君と庶民を思いっきり裏切る。
でもそれは自分一人が犠牲になって庶民を助けるためだった。
薄情な怪物君は無視して帰ろうとするが、狼男らの説得で改心。
そしたら伝説の勇者と間違えられたため、仕方なく敵と戦う。
結局悪の根源は怪物界の奴やった。そいつを倒して終了。
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何でわざわざ怪物くんを実写でやるねんと思ったが、
それほど馬鹿げたストーリーっていうこともなかったかもな。
とは言え怪物くんである必要も無かったと思うが。
原作の怪物くんはそれほど覚えてないが、
ファルコンみたいなのの背中に乗って移動するようになってたり、
火を吐くことが出来るようになってたりとパワーアップしてた。
ドラキュラも昼間出歩けるようになってたし。
あとカレー大好きになってたけど、原作でもそうやっけ?
自分勝手だが最後までその責任を取れる事が「わがまま」とのこと。
じゃあ我々が一般に使ってる「わがまま」は何って言うの?(場)
しかも庶民を守るのは自分の「わがまま」なんやってさ。こじつけ過ぎ(場)
一時はピンチに陥った王女らを無視して帰ろうとしてたのに、
たまたま勝てたからって何を偉そう言うねんって思ったわ(場)
藤子不二雄A先生を偲んで
藤子不二雄A先生2022年4月7日死去
享年88
2011年初公開作品
2010年日テレで放送された連ドラの劇場版
両方とも既に一度は鑑賞
原作は『忍者ハットリくん』『少年時代』の藤子不二雄A
監督は『アヒルと鴨のコインロッカー』『チーム・バチスタの栄光』『ジェネラル・ルージュの凱旋』『ゴールデンスランバー』『白ゆき姫殺人事件』『予告犯』『殿、利息でござる!』『決算! 忠臣蔵』の中村義洋
脚本は『アフロ田中』『映画 妖怪人間ベム』『小野寺の弟・小野寺の姉』『信長協奏曲』『響 -HIBIKI-』の西田征史
怪物ランドのプリンスが国民から国王就任を反対され怒って拗ねてかつて武者修行で訪ねた人間界に家出する話
お供にお馴染みのドラキュラと狼男とフランケンを引き連れて
辿り着いたのは目的地のかつてお世話になった市川姉弟が住む日本ではなくインドのようなカレー王国
伝説のカレーを食べるため勇者として反乱軍に拐われたという女王と王子を救うことになった怪物くん一行
なぜかカレー王国の女王と王子の姉弟は市川姉弟とそっくり
女王を連れ戻した怪物くんだったがヴィシャールこと岩石男に騙されていだことを知ることとなる
なんやかんやで怪物くんはデモキンと協力し岩石男を退治しピラリとカーはカレー王国のトップに返り咲きめでたしめでたし
怪物くんは念力使いで手足が伸びて顔を自由に変えることができ火を吐く能力
オープニングは大野くんが歌う藤子不二雄A先生作詞アニメ怪物くんのオープニングテーマ
エンドロールは嵐
ジャニーズ色が強くアイドル嫌いなめんどくさい人には向いていない
原作者は高評価のようだが頭が固い原作厨にも向いていないだろう
CGのレベルはハリウッドの足元にも及ばないかもしれない
だが僕が子供の頃やそれ以前の特撮映画に比べたら革新の進歩で子供騙しとは言い過ぎ
すぐに童心に帰ることができるこころが広い大人ならそれなりに楽しめるはず
まっ娯楽作品としてはまあまあかな
多額の資金を投入し製作された劇場版
カレー王国は贅沢にもインドでロケ
カレー王国の国民は全てインド人風に黒塗りした日本の役者だという
モスラなどでもお馴染み特撮邦画伝統的手法
今の時代だとこの国のほんの一握りしかいない連中が炎上と称するいちゃもんをつけてくるところだが当時はセーフだったのだろう
言葉の問題もありめんどくさかったのかもしれないが現地のインド人俳優の皆さんに任せて欲しかった
怪物くんのレギュラーメンバーを交えたボリウッドダンスを観たかった
北村は想定の範囲内だったが川島もインド人っぽくなっていた
山口くんにまともなセリフはなかった
ある意味チェホンマンより酷い
金魚のぎょぴちゃんだって喋られるんだから山羊顔のドラゴンだってそれくらいの知性があっても良かったのではないだろうか
わがままでカレーが大好きで特殊な能力を持つ怪物ランドのプリンス怪物くんに大野智
「〜ざます」怪物くんの家来ドラキュラに八嶋智人
「〜がんす」怪物くんの家来オオカミ男上島竜兵
「フンガー」怪物くんの家来フランケンにチェ・ホンマン
カレー王国の女王ピラリに川島海荷
カレー王国の王子でピラリの弟カーに濱田龍臣
怪物ランドを捨てカレー王国を乗っ取りヴィシャールと名乗り王を目指す魔物岩石男に上川隆也
反乱軍のリーダーのサニルに北村一輝
怪物ランドからカレー王国に連れてきてしまったドラゴンの声に山口達也
市川姉弟が住む地元のお巡りさんに三宅弘城
怪物くんのライバルで悪魔族のデモキンに松岡昌宏
デモキンの恋人でデモキンが復活を目指すデモリーナに稲森いずみ
怪物ランドの爺やに半海一晃
怪物くんの父で怪物ランドな国王でもある怪物大王に鹿賀丈史
わがままでも責任感があるならセーフらしい
たしかに一理ある
突っ込みまくりの映画
CGやスケールは、映画として見れないレベルではありません。ショボいという声もありますが、10年前の邦画にしては頑張った方では?
が
突っ込みどころが多過ぎる。
人間界で王様になりたい野望を持つのは良い。だったら、アメリカのように大きい国狙いません?
映画後半で、怪物くんはお姫様を助けようと、城に侵入。なぜ城の守衛は何もしなかったのか?
怪物くんよりも先にトリオが侵入していたら、警備はもっと厳重になるのでは?
北村一輝の存在感をここまで消した映画も、珍しい気がする。
松岡昌宏は、何がしたかったの?欲望を集めたいなら、日本にいても良かったのでは?
最後の共闘も、全く感情移入できなかったです。巨大な岩男は、そこまで脅威には感じない。単に出てきただけ感がすごい。
良くも悪くも、大野くんを堪能する映画でした。大野担なら楽しめるかも。
大人も一緒に楽しめる
子供(小学校低学年まで)と一緒に大人も楽しめると思います。大人だけで見るのは、やっぱり子供向きで物足りないかなとは思います。
衣装やCGもそれなりによく、怪物くんの手下の3人組の掛け合いも予想以上におもしろくナイスキャスティングだと思いました。
演技派俳優が出演しているので、それも大人も楽しめる理由のひとつだと思いました。
「わがまま」とはどういうことかがテーマになっていて、大人でも少し感動しました。
岩男に捕まったとき、「お前も勇者だと嘘をついただろう」など教訓的なセリフも多くよかったです。
怪物くんの性格もぶれずに最後まで筋が通っていたのもよかったと思います。
最後、敵が何であんなに強いのか闘いに派手さがないなど物足りなさもあり残念ですが、子供向け映画と考えるとこれでいいのかなと思います。
敵の岩石男の怒りはもっともであり、怪物くんがとどめを刺さず連れて帰ったのは、申し訳なかったという気持ちからの行動だと解釈しましたが、大人が説明するとしても難しい。階級社会のことはすっ飛ばして説明しないといい映画にならないと思いました。
大人こそ観るべき深いメッセージ性
この映画は一見単純な勧善懲悪もののルックスとなっていますが、それは大きな間違いです。
勧善懲悪の作品が目指すカタルシスというのは、単に悪者一人やっつけてハッピーエンドになることではありません。
その悪役の背後に実社会が抱える問題なり人間が本質的に持ち合わせる闇なりを配し、それらを滅することによって何か浄化作用を得ようという働きです。
この映画も最初のうちはそういった文脈で進んでゆくように思わせます。
岩石男という悪役がなぜ悪に堕ちたのか、それは怪物ランドに存在する階級社会において、下級怪物の家系に生まれたというだけで差別される閉塞感、その不条理さに対する反抗心、コンプレックスが暴走した結果でした。
家柄で全てが決まる。王族に生まれた者は好き勝手わがまま放題しても許される。
つまりこの映画における根底にある悪とは階級差別という現実だという風に提示されます。舞台と成っているインドは今なおカースト問題が根深く残っているのでまさにこのテーマを扱うにふさわしい設定です。
しかし、この問題は全く解決されずに終わります。
主人公の怪物君は、こいつは俺たちの国の問題だから俺たちで責任もって解決するといったようなことを言い岩石男を怪物ランドに連れて帰るわけですが、結局この暴走したモンスターを生み出した階級差別問題には一切触れません。
この物語をきちんと収束させるには、怪物ランドにおける階級制度の全面廃止を示唆するしか無いことは明白で誰しもがその予定調和を予測していたはずですがそうならなかったわけです。
「覚悟」「信念」だとか「お前らを守る」などという週刊少年ジャンプ然としたやたら温度だけは高くて軽薄な言葉、それで全ては丸め込まれてしまいます。
この映画の話の流れだと、階級制度を取り除くことによってこれまで下層で不公平に耐えていた者達を守り、第二の岩石男が生まれることを防ぐことができるのです。「お前らを守る」と大きな声で叫ぶことが実際に守ることにはならないとまともな観客ならば感じ取ったことでしょう。
これはつまり制作側があえて観客をミスリードしたということです。
そう考えると、この映画の中で至る所にちりばめられた違和感が全て紐解けてゆきます。
まず一番大きな違和感、それは主人公怪物くんの主人公らしからぬ最低っぷりです。
まず宣伝ポスターの顔からしてどうみても悪人然とした不敵かつ不愉快な笑み。
人格も極めて不快で、30過ぎてなおパパに甘やかされ人の感情に全く配慮を示せない幼稚でわがままのクズ野郎。
自分は勇者だと平気で嘘をつき、人のためには動かないが自分の欲のためには腰を上げるという自己中心思考。
自分のわがまま身勝手さは棚に上げて、岩石男が抱える、階級社会の不条理さに対する怒りや悲しみそれはわがままだと切り捨てる。後に国を治める者として、弱者に対する思いやりは皆無です。
もとあといえば怪物くんの、親の権力を笠にきた粗暴な振る舞いこそが岩石男に不条理さを突きつけ暴走にいたらしめたきっかけですらあったのに。
最終的にはヒロインが語ったわがまま論をまるで免罪符を手に入れたかのように自分勝手に解釈し、「わがまま最高」と声高に叫ぶ始末。
また、デモキンという悪魔界の王子が岩石男の悪事を裏で糸を引いており、人々の欲望を引き出していていたという流れで、人の欲の醜さといったものを描いていますが、怪物君のお供の三人は「族長になりたい」というまさにその醜い欲が行動のモチベーションとなっています。
ドラキュラに至ってはかなり重要なアイテムである魔王石を、持ってたら女にモテるという欲にまみれた理由でこっそりネコババしていました。
最終的には事件の黒幕であったはずのデモキンと怪物君サイドは手を組み共闘するという運びにもなります。
王族という恵まれた環境に生まれ好き勝手している二人が、下級階層に生まれ憎しみが暴走した哀れな者をよってたかって暴力でねじ伏せるという最低最悪な展開です。
そう、つまりこの映画における悪とは主人公側に位置していたということです。
主人公=正義の味方と刷り込まれた上で観客は作品と向き合うので、そもそも怪物というアイコン自体が悪に属するものであったことを忘れてしまっていたわけです。
思えば、やってることは間違っているにしても岩石男の主張は全くもって納得のいくものであり共感を呼びます。
魔王石を所持していることが自分の身の安全を保障するものであるにもかかわらず、婚姻関係に入るヒロインにそれをプレゼントしてしまうという愚直なまでの純朴さも、人の体温さえ感じさせます。
一方主人公側は思考回路がどうかしてしまっている者ばかりです。
怪物君はもう言わずもがなの最低なクズで、お供の三人も怪物君と壮絶な喧嘩別れをした直後のシーンで「ぼっちゃんのためなら~」と楽しそうに歌っているという精神分裂ぶり。
ヒロインも、自分が飛び降り自殺すれば民衆の洗脳が解けると何の根拠も無い謎のひらめきで本当に身投げを実行に移すというイカレ具合。
岩石男の陰謀をまだ食い止めたわけでもないのにまるで全て解決したかのように皆でカレーパーティを始めようとする全員の意味不明な行動。
彼らの感覚はまともではありません。
以上のことを踏まえた上で浮かび上がってくるこの映画が発しているメッセージ、真のテーマとは「正義とは何か。悪とは何か」という問題提起です。
現在の娯楽産業には安直な勧善懲悪が溢れています。その中で受け手は何をもってして正義と悪を判別するのでしょうか。
ある新聞広告コンテストで賞をとった、こんな短い文章があります。
「僕のお父さんは桃太郎というやつに殺されました」
鬼の子供視点に立ったこの文章を読む時我々は何が正義で何が悪なのか考えざるを得ません。
思えば桃太郎という人物も決して純粋な正義とは呼ぶことができません。わるさをしていると噂で聞いただけで、鬼達の根城に家来を引き連れて行き大暴れし、鬼から奪った財宝はもとの持ち主に返却するでもなく故郷に持ち帰るという、結局鬼達と大して変わらないようにすら受け取れるわけです。
描き方次第でいくらでも正義や悪というものの印象はコントロールできるということをこの一文は端的に示しています。
主人公が何か悪いことをしている感じの奴をやっつけるような感じの話を物語れば、受け手は主人公を正義であるとみなしてしまうという危うさを、勧善懲悪ものの物語は孕んでいるということです。
その錯覚は時に善悪を歪め人に悪影響を及ぼします。
この映画は主人公をゲスに描いて悪役に同情できる作りにすることで、そんな危険に対して警鐘を鳴らしているわけです。
主人公として描かれているからといって安易にその人物を肯定的に捉えるのではなくて、善悪に関する確たる基準を各々が持ち裁量を下すべきという教訓を逆説的に与えてくれるたいへん意義深く志の高い映画であったと思います。
えっ
すごく、わかりにくいです。
小学生低学年を対象としたような話です。
キャラ設定が変わりすぎというか…何というか…
スペシャルドラマで、良かったレベルです。
辛口目に、言うとスペシャルドラマでも、見なくてよかったかな…って思うレベルです。
うたことひろしは、最後までよくわからない存在です。
実写版怪物くん
まず、キャラクターが弱すぎやしないか。狼男、ドラキュラ、フランケンの3人組が、ただいるだけになっている。
牢屋に捕まった時に、フランケンではなく怪物くんが鉄格子を力任せに開けようとしたとこは、さすがに参ってしまった。今こそフランケンの出番じゃないのか?!
他にも色々とあるが、一番ひどいのは、その身分に生まれたらその一生を生きるしかないという怪物界がイヤになったという岩石男に対し、実力行使でだまらせて「帰るぞ」の一言、みたいなストーリーの流れ。
それで良いのか?!子ども向きの作品とはいえ、子どもだましもいいとこだ。
とはいえ、そのへんをツッコマなければ、もう一回観に行っても良いぐらいの楽しさはある。
また何より、そもそもが実写版怪物くんという無茶な企画なのに、とにもかくにもぶつかって自分のものにした大野くんは素晴らしいと思う。
後悔だけが3D以上に飛び出す始末の茶番
終始、グダグダなノリがTVドラマの持ち味なのかは解らない。
っていうか、解りようがない。
何せ観客が私1人だけだったからだ。
スタッフのオネエさんと1対1で3Dメガネの使用注意を聞かされた時、CMで《大ヒット御礼》云うてるけど、どこがじゃ!?と、我がツッコミの方が3D以上に飛び出す始末。
ストーリーはほぼゼロに近い。
ドラマ性も特撮技術も学芸会レベル。
どこが怪物なんだ?
みんなカブリもんやんけ。
くだらないネタ1つにいちいちクドく絡みやがるから観ていて常にイライラする。
“我が儘”をキーワードにしているのは解るが、延々と言われるとさすがに耳障りだ。
第一、責任を負えば我が儘して良いっていう解釈は、いくらなんでも違う。
支配者(上川隆也)の正体が魔物・岩男で裏で怪物くんのライバル・デモキン(松岡昌宏)が暗躍しており、企みを達成するや、デモキンは岩男を平気で見捨てる。
裏切られた岩男は当然、激怒し大暴れ。
手がつけられなくなると、なぜかデモキンは怪物くんの味方に鞍替えし、共闘。
「オレはお前を許さない!!」
…って、そもそも岩男をそそのかしたのはデモキン本人やないか。
英雄気取りでエエ格好してる身分ちゃうやろ。
対する怪物くんも
「他力本願はしない!自分の力で乗り越えなきゃダメなんだ!!」
と叫んでおきながら、結局、魔力と手下で全て片付けている。
魔力って他力の最たる物やろ。
っていうか、コレ言うたらオシマイだが、元々、大野くんが怪物くん演る事自体ムリが有る。
どう考えたって“くん”ではない。
怪物ランドのプリンスというより、怪物ランドの若旦那である。
敵を倒してメデタシ、メデタシと行きたいところだが、岩男は怪物界の廃れた身分制度に憤ったわけで、ボッコボコに成敗ても、根本的な問題点は何も解決しちゃいない。
つまり、銭払ってまで観る価値は無い。
今作を教訓に、今やってる『妖怪人間ベム』は映画化なんて云わないで欲しいもんやと心配しつつ、最後に短歌を一首
『王冠を 前に飛び出し 月に吠え 我が儘(魔々)光る 華麗(カレー)なる噴火』
by全竜
ユカイツーカイ。
藤子不二雄の原作漫画はかなり古く、アニメ化もされている。
確かに読んだ・見た記憶はあるんだけど^^;特にこれといって
ハマったということはなく(爆)絵柄が可愛かったんだよな~
というくらい。ちなみに怪物くんってすごく小さかったわよね^^;
なのでその後の実写版ドラマも見ておらず、なんで大野~??
という疑問(ゴメンね、今さら)しか感じなかった劇場予告編。
頭の中に記憶されていた怪物くんのイメージが…意外な方向へ。
じゃあ、なんで観る気になったのかというと、理由はただ一つ。
監督が中村義洋だったから、というそれだけの理由だったりする。
このヒト、ヘンな作品も撮っているけど(すいません^^;)
ここ最近の作品はほとんど好きなものばかりなのだ。ただしかし、、
なぜに?怪物くん??(謎)
いや、でもこれ、けっこう面白かった。
遅れて再放送したドラマ版をチラリと(一回分だけ)見てみたけど、
あ~映画とさして変わらないのね^^;そのまんまじゃん、皆さん。
ここまでベタでローカルな描き方を映画でやってしまうなんて(爆)
しかも3Dにする必要性があるのか(爆)…もちろん私は2Dで^^;
ふざけるにも程がある!といいたくなる感じなんだけど、
お話の方はめっぽう普通に子供向けで、それも懐かしいくらいの
ベタ盛りの嵐、ここまでセット内でコントを真面目にやられちゃうと
観る方も真剣モードになってしまうのだ。昔のドリフを観るようで。
わがままな坊っちゃん(爆)に振りまわされる三人衆がイイわv
要は助け合いの精神で、怪物くんにそういう心が備わるのを待つ、
怪物ランドの面々も、人間界の姉弟も、皆いい人ばかりなのだ。
伝説のカレーがちっとも美味しそうに見えないのが難点(狙いか?)
だけど、考えてみれば何もかもが「現物らしくない」描き方の本作。
その、らしくない世界観の中で、人としての基礎を学ばせるという
奇々怪々な発想もまた面白い。ドラマ挿入歌で、映画でもかかる
「ユカイツーカイ怪物くん」は、本当に気持ちいい痛快ソングである。
(さあ、はじまるざますよ。ってソックリだったなぁ^^;アニメ版と)
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