あしたのパスタはアルデンテのレビュー・感想・評価
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イタリア南部で描かれる今どきの家族模様
イタリア南部の街の家内工業から始まった老舗パスタメーカーで、今どきの事情(性的指向)による跡取り問題が発生、切ない恋の物語にからめて描かれるファミリードラマ。全体としてコメディタッチなのであちこちに笑えるところがあり、気軽に観られる。イタリアだけでなくドイツやフランスでもウケたということは、それらの国でも似たような光景が見られるのかもしれない。
キャストについては、さすがはイタリアンブラピ、まずは次男くんの美しい眼差しに吸い寄せられてしまう。長男も違うタイプのイケメン。切ない恋の主人公となってしまった女友達も、切ない恋の元祖のおばあちゃんも、若い時のおばあちゃんも雰囲気があって美しくてよかった。
一つだけ気になったのは、おばあちゃんが最期の晩餐をしてしまったこと。次男のカミングアウトを見届けて肩の荷が下りて、自分は人の望む通りの人生をここまでよく耐えて生きてきたし神さまもうお役御免でお願いしますということなのか、旧い時代の生き方は自分があの世に背負っていく、自分の遺言なら頑固頭の息子も言うことをきくだろうと思って最期の大仕事をしたのか。きっとその両方の理由だし、早く最愛の人に逢いたかったのかもしれないけれど、ちょっと残念だった。
ブルジョワジーの秘かな性欲♥地雷映画。
親の理解とLGBTQの問題は別だと思うけどね。
糖質制限と性欲を一緒にしているようだが、それは違うたろう。カミングアウトをする事を我慢する事、つまり、性欲に正直になれない事と、甘い物を食べる事を我慢する事は違うたろう。 それに糖質制限をかけられた者が甘い物を食べ過ぎて死ぬ事は無い。全く誤った解釈をしている。
ブルジョワジーの秘かな性欲。ご都合主義。自虐的に描くからにはきちんとしたリテラシーを持つべきだ。突然、Gについて理解を求められても、ストレートの者は理解出来るわけがない。理解していないのに、理解したふりをする方が相手を傷つけると思うが。
演出家は、Gであるようだが、Gであれば女性や深刻な病人を理解しているとは限らないと言う事だ。
LGATQは性的な志向の多様性と考えている。つまり、性欲だと思うが、性欲と言う表現は差別や偏見なのだろうか?
この映画の中で、母親の甘い物に対する欲求とカミングアウトをする勇気を比較していたので、同じ同性どうしが愛し合う事は逢瀬になる。従って、性欲と判断した。何一つ偏見は無いと思う。また、僕が指摘するのは、食欲と性欲を比べで良いのかと言う事と、糖質制限は、甘い物を取るべき時に取らないと起こる障害で、甘い物を取り過ぎて直ちに死ぬ事は無いと指摘した。偏見だろうか?
なぜなら、LGBTQは病で無いのだから、病と比較する事に寧ろ偏見があると僕は感じた。だから、地雷映画にしたわけである。
以上。
なにもはじまらない
本人たちには深刻だけど、回りは笑えるという状況から、面白くて切なくてジーンと来る話かと思いきや、終わりはなにも始まらない夢で、肩透かし。結局長男は次男に怒りをぶつけたままで、家族の絆がどうとかいう話でもなさそうだし、ただ流れるままではなくて、ちゃんと自分の人生つかもうというのはなんとなく感じるけどよくわからない。
おばあちゃんが最後に大好きな甘いものを食べて自殺するのは、イタリア流ユーモアなのかよくわからなくて、怖い。
ただずっと見飽きないのは、出演者と、背景の古い町並みがそれだけで絵になっていて、これがイタリアの強みだと思う。
カミングアウト問題
何となく気になるタイトルに惹かれて鑑賞。ところがパスタやイタリア料理の映画でもないし終始ゲイに悩む兄弟のお話でした。
カトリックの本山だからゲイに対する風当たりが強いのも頷ける、もっとも「薔薇の名前」のように司祭の少年愛事件などもあるのだから神を持ち出しても如何わしさが付きまとう、映画では唯一兄弟の秘密を知る理解者の祖母の若き頃の不義密通エピソードや父親の不倫までいれて愛の形に罪など無いのよと諭すのだが微妙。
総じてLGBTへの励まし映画かと思ったら、案の定フェルザン・オズペテク監督自身もカミングアウトしているし、友人の兄弟の実話に触発されて作ったものらしい。
古い世代の父親像なんてまさに典型的、ただ母親の使用人を見下す高慢さやご婦人方の醜聞好きには閉口する、色情ぎみの老婦人や風変りな美人実業家など女性の描き方に癖が強いのも監督の女性観なのだろうか・・。
原題のMine Vaganti(浮遊魚雷から派生して近づくと危ない人物を指すらしい)から転じてのこの邦題、見事に騙されました。ゲイの話としてもせめて「キンキーブーツ」のようにパスタ工場の再生物語であれば楽しめたのですがメッセージ性が強すぎて困惑です。
映画ならではの視点
同性愛映画ずきとして本作は公開時にチェックしてはいた。
だが、予告と邦題が興味をそそるどころか、観客の期待に応えない映画であることが確信されるものだった。
深夜テレビでの放映を観て、劇場に足を運ぶ値打ちはあったと感じた。
ステレオタイプに描かれる保守的な父親や、その父親に意見できない母親などに不自然さを感じたものの、そのプロットの面白さとそれの描き方が良かった。
自分の長年の秘密を家族に告白しようとした矢先に、兄が同様の秘密を告白してしまう。このことによって主人公は、もし自分が告白をしていたら、家族からどのような扱いを受け、家族がどんなふうに動揺するのかを客観的に経験することになる。
そのほとんどが事前の予想通りなのだが、自己に関する出来事ではなく、他者に関する情報となることで、主人公の行動は予定されていたものとは異なるものになる。
映画が得意とする表現を、奇をてらわずにきちんと映像にしている。
明日のパスタはアルデンテ
トンマーゾが秘密を隠しながら頑張る姿や、ゲイを全否定する父親、ゲイを受け入れてくれたお祖母ちゃんなど、それぞれの個性があって良いと思う。
人間誰しも何かしらの問題やコンプレックスを抱えてるんだなと思った。
ラストのお祖母ちゃんが語ってる部分など何か考えさせられる事もあった。
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