さや侍のレビュー・感想・評価
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真正妥当性評価!
松本監督作品を過去の2作品あわせてその全てを
映画館にて鑑賞してきたが
今回のこの作品が 一番良かった!
かつ、映画館での上映レベルであり、お客様からお金を頂戴しても
何ら問題ない正当な劇場用映画の完成度であったと評価できる。
過去作『大日本人』においては、海外映画祭に出品した事を
日本映画界の恥と思えるくらいの出来で、正直な所 テレビレベルのお笑いを
映画に持ち込んで欲しくは無かった。CGに関してはそこそこ評価有ったが、
内容は酷かった。真剣にお金を返して欲しい気分にさせた1作であった。
過去作『しんぼる』においては、少しは上映用映画らしく成ってはいた。
1作目の反省が有り、見せる笑いを考えた演出を取っていたが、
内容的には今一歩な感じで有った。CGレベルは申し分ないと評価できる。
足りないのは受動されるべく 感動波が起きていない事で有った。
そして、今回の作品を観た訳だけども。
映画的受動感から判断して、『プリンセス トヨトミ』(映画作品と比べて)を
超えていると判断できると思う。
内容評価点は 実に星3個以上~4個の間ではないだろうか。
確実に星5個及び、星1個のレベルの映画では決して無いと判断できる。
映画作品として、過去2作とは比べられない程 完成度は良い。
さすが 松竹さんがバックにいるだけあって、絵が完全に出来上がっています。
良かったシーン演出ポイント。
1、カステラを城主の若君に手渡す所。献上の姿が非常に良い。
特に、若君の膝に置かず、ずっと上げたままで、若君が手を差し出して
受け取る所が丁寧に撮られていて非常によろしい。
2、ちょっと間が伸びた演出と編集で変な印象を受けるが、風車が倒れそうに
なる所を娘がすかさず支えて、そして カメラが少し振った所で
若君が立っている姿が映る所。非常によろしい。
3、切腹する事は 何となく予測が出来ていたが、切腹シーンと 及び
パッと左手を上げて待ってくれと表現する所。短刀をサヤに収める所だ。
斬首する係り 及び周囲に男気(侍魂)を見せる所は良かった。
ただ、娘の声と切腹演出をかぶせているけど あそこは再度
編集しなおした方が良いと思う。大事なシーンなのでテンポを考えないと
いけないと思うのである。
4、今回作で非常にネタとして特筆すべき点は、
川辺にて娘に対して見知らぬ坊主が 詩の朗読~そして 歌を唄う所である。
状況設定が少し甘いけども、歌謡曲を唄う事に対して賛否は分かれるが
私としては あの竹原ピストルを持ってきた事は
非常に良かった。声質も良いし映画に持ってきても問題はないと判断できる。
こういった演出が出来ている事が この作品が立派な映画作品である事を
裏付けていると思う。
5、映画としてのエンディングの余韻を正しく残している点。
父上の墓の周りで 娘と若君のほのぼのとした演出、及び
現代に残されたの墓のカットを入れている点である。
今までの松本作品の おふざけ演出の姿勢は全く感じず
映画として紳士的に仕上げている事が好感を獲ていると思う。
その他、お笑いのネタなどに関してはテレビの方が笑力点としては高いと思うが
映画に於いてはこの程度でも一応良いと判断できるだろう。
娘の精一杯の両手を高く上げての演技。
松本監督も人の子の親となって初めて表現演出できた度量ではなかろうか。
少し泣ける人も確実にいたと思うのは、そう言った経験からの演出が
功を奏しているからだと感じる。
『プリンセストヨトミ』映画版 より 遥かに
この作品の方が出来は良いのである。
難しい
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心優しく刀を持たない侍がいて、娘と共に旅をしていた。
脱藩の罪が刺客から追われていたが、ある日捕まってしまう。
そして、母を亡くして笑顔を忘れた若君を30日以内に笑わせれば無罪、
それに失敗したら切腹というよくわからん刑罰を受ける。
笑わせるために頑張る侍を見て、父をどこかで軽蔑していた娘は、
父を誇りに思うようになり全面協力するようになる。
でも結局笑わせるのには失敗、切腹となる。
最後はその遺書を誰かがメロディをつけて読む。
そしたら侍が生き返るが、それは夢やったっぽい。
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初めて見た松本映画。
正直それほど面白いわけではなかったが、大外れでもなかった。
でも見る目のないおれは、あんまりようわからんかったわ。
結局色々やったが失敗して切腹終了ってだけで、
それってそのままやん、ってしか思わんかったなあ。
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自宅(CS放送)にて鑑賞。観衆が味方につく課程が判らないし、全体にご都合主義で背伸びをした感が残る。唐突で無理な展開が際立ち、もう少し丁寧なプロットや物語の背景が無ければ、感動出来無いし笑えない。「施しのモロコシ」と云う科白と解散した野狐禅の“竹原和生”でクレジットされている竹原ピストルの唄が佳かったが、全篇を通して大きな何かが欠落している印象を持った。ラスト近くで自転車に乗る脚本・監督を担当した松本人志の後姿は空々しく寒かったし、こんな作風や作りでは歓迎出来無い。45/100点。
・鑑賞日:2012年8月4日(土)
子役
初めて予告を観た時に今までの松本作品と少し違うなっていうのと時代劇が好きなので観たいと思ってました。
が…予告の第二弾が公開されると、やっぱりお笑い路線だったのでやっぱりやめようかなと思ったんです。
しかし、評判をみると泣ける、感動するとの声が多く悩んだ末、観に行くことにしました。
一応、「大日本人」と「しんぼる」も観たんですが、本作が普段から観る映画により近かったように思います。
まず子役が素晴らしい。
子役がいなかったらもたなかったと思います。
野見さんは一人浮いて見えましたが一生懸命取り組む姿勢は伝わってきました。
30日の業は、たぶん実際に目の前でみせられたら面白いものもあったと思いますがスクリーンからはあまり面白さが伝わってきませんでした。
内容も、かなりしょっぱいんですが要所要所で、たえが父に迫る台詞がキリッとさせてくれましたね。
30日の業が終わってからが良かったですね。
私は泣くまで行きませんでしたが周りの方は結構、泣いてました。
大半のしょっぱさが最後に救われる作品だったと思います。
お笑い芸人の見た童話
松本人志さんの良識的な部分というか
こういう味わいの作品は今後もう撮らないんじゃないだろうか?
童話だから
一人残された娘がどうなろうと、若殿が城外に出て戯れ合おうと関係がない
殺し屋の技が通用しないのも全く問題無し
道端の石碑は誰も見向きもしないけど、大昔にこんなアホな侍がいたよということの証として朽ち果てずずっと残るのでしょう
●意外な一面が見られてほほえましかったので3.0点
巡り巡り巡り巡って
映画「さや侍」(松本人志監督)から。
侍が竹林から走ってくるオープニングシーンと
最初から約9分間、台詞らしい台詞がほとんどない展開に、
ちょっぴり期待したが、「30日の業」たる変な処罰から
物語がわからなくなってきてしまった。
映画のジャンルを確認する必要を感じた、笑えないギャグが
とことん続く。
いい加減にしろよなぁ、と呟きながら、ラストシーン。
きっとこの30回目で、悲しみに浸っていた若殿がニコッとして、
めでたしめでたし、侍は無罪放免を予想していたが、
期待に反して笑わず、切腹を言い渡される。
もう一回与えられた「辞世の句」で面白いことを言い、無罪放免・・
という勝手に想像したストーリーも、裏切られた。
ただこの時から、映画の軸である、父と娘という親子の関係が
急浮上してくる。
娘に悟られないように渡された、娘に宛てた手紙。
(竹原ピストル作詞作曲のエンディングテーマ曲)
「巡り巡り巡り巡って あなたが父の子に産まれた様に
巡り巡り巡り巡って いつか父があなたの子に産まれるでしょう
巡り巡り巡り巡って ただそれだけですがそれが全てです」
お笑いの映画と勘違いしていた私は、ここで号泣。
「父と娘」の関係って「母と娘」とは全然違うんだよなぁ。
映画「アルマゲドン」の「父と娘」の親子愛を思い出した。
ドブネズミみたいに~♪
地位も財産もない、ただ逃げ回る刀を持たないお尋ね者、わが娘からですらも責め立てられるとは、侍というには程遠く、天地雲泥の差があり、それはまるでドブネズミのよう・・だからこそのキャラ設定が面白い。
逃げ場を無くし、回りからせきたてられ、冷たい視線の中、何度も切腹を申し渡され、くりかえしおこなう30日の業、そこに観えてくるものは、さぶーい笑いを、時に身の危険を冒しながら、ただただ真剣に体当たりしゆく、物言わぬドブネズミのよう・・だからこその美しさが次第ににじみ出てくるようだ。
最後の恩赦にも応えず、侍となって切腹しゆくその姿は、迫真の演技であり、悲愴の中に魅せた美しさ・・だからこその侍の本懐、天に昇りつめた姿だ。
松本人志監督作品だからと映画館で観た時は、笑うということに注目し、だからこその裏切られた感があった。
しかしDVDで、再認識したことは、汚いおっさんが魅せた演技や笑いを超えたドキュメンタリ―作品であるということであり、だからこその汚いおっさんが素で放った、人間としての最高に美しい姿がそこにあった。
新たなる大感動がわいてきたので、だからこその感想を書いてみました。
観るべき映画だとは思うけど・・・
『大日本人』『しんぼる』と打って変わって、一応正当な時代劇。
そして監督本人は出演はなし。
さらに主役を有名な俳優じゃなくて一般の素人。
このこと自体が斬新でかつ評価されるべきところだとは思います(^_^)
ただ映画の内容的には・・・
冒頭のローリー、りょう、腹筋善之助の3人組が登場するシーンの外連味たっぷりな演出はかなり期待させたゎくo(。・ω・。)oゎく
でもその後は・・・スーパージョッキーのガンバルマンよろしく色んな方法で若様を笑わせるのに奔走しては切腹を申し渡される堂々巡りε-(´・_・`)ハァ・・
実際主役の野見さん自体が台詞がほとんどない上、かなりキャラ立ちした風貌だからその分違和感と言うか異物感が増してきているのかと思いきや、意外にすんなりと映画自体に溶け込んでて異物感がほとんどなくなってしまってる。
これは松ちゃんの誤算の部分なのかどうか分からないけど、これでインパクトがかなり消えた。
30日の行を諦めないで続ける姿に心を打たれて、庶民もさらには役人も応援していくようになるけど・・・これはほんとに松ちゃんがやりたかったことなのか?
ラスト坊さんが娘に向けて伝言を歌で伝えて、さらに墓の前に立ってたら幽霊が芸をやって・・・くどい!!(゚Д゚)
これはどっちか1つにしないと。
個人的には全然笑えないしただつまらない映画になってるのがすごく残念(;´Д`)
でも松ちゃんの監督作品で、素人を主役に抜擢したという実験的な映画としては評価できます(^_^)
正直面白くはないけど観るべきでしょう。
父って凄い。
いつもCMに乗せられて観ると後悔しますが…今回は違いました。
前半父はほぼ喋らないので何考えてるか分からない感じでしたが、最後に娘の前で父が見せた侍の姿に心打たれました。
かっこ悪くて不器用で、多くは語らないけれど、背中で語る。そんな日本のお父さん大好きです。
自分もいつか、子供に誇れる様な人になりたいなと思いました。
子供へのストレートなラブレター
松ちゃんは純粋な人なんだなと思った。
まず物語は単調だが、最後さや侍が死んで子供に手紙を読むとこから唄への流れに涙が止まりませんでした。
ストレートな作品で、子供への親心がまっすぐに表現されてると思う。
また野狐禅の歌声が良すぎました。
久々にストレートで心打たれました。
笑えないくらいに真剣な笑い
『大日本人』『しんぼる』で賞賛(と、同じくらいの困惑)
の声を浴びた松本人志監督の第三作。
上映も終了した時期なのに今更レビューです。
前作『しんぼる』を観た時も考えたが、松本人志という人はきっと、
“笑い”ってものに対して笑えないくらいに真摯な人間なんだろね。
『三十日の業』はエンターテイメントを生業とする人間にとっちゃ
絵空事でも何でも無いだろうから。
『必ず観客を楽しませなければ』というプレッシャーに耐え、
それこそ死に物狂いでネタを練り続ける。
お笑い芸人であれば、自分が笑いのネタにされる事にも耐えなきゃならない。
難儀な仕事だね。こないだの27時間テレビを観てたせいもあるかもだが、
ちょっとした崇高さすら僕は感じます。
最初は「三十もネタがあるならひとつくらい
笑えたらいいなあ」くらいの感じで映画を眺めていた自分。
はたして登場するギャグは“どじょうすくい”や“人間大砲”等々、
伝統芸と呼んで差し支えないくらいにベタなネタばかりで、
必ずしも大笑いできたとは言えない(観る方によりますけど)。
だがいつの間にやら、その『笑いたい』という気持ちが、
『笑ってあげたい』という気持ちに変わっていた。
映画を観る内、あの野見という男を応援したい気持ちになってたんだろう。
笑えない男が、人を笑わせよう・人に笑われようと必死になって頑張る——。
みっともないけどカッコ良い。
や、みっともないくらいに一生懸命だからカッコ良い。
そして、物語でも演出でもまさかの展開を見せる終盤。
いつも俯かせていた目をきっと上げた野見には鬼気迫る迫力があった。
(あのシーンだけはとても素人さんにゃ見えんかった)
三十日目で失敗した時点で彼は切腹を覚悟したんだろう。
与えられた業は果たせなかったのだから、失敗は失敗。
辞世の句までハッタリに使い、侍としてのプライドを汚す事は出来なかったのかも。
辞世の句は、若君ではなく、未来の娘を笑わせる為に残していた。
野見にとっては、侍として死ぬこと自体は
必ずしも重要ではなかったんじゃないか。
娘に誇ってもらえる父親として死ぬことこそが一番重要だったんじゃないか。
ハッキリ言って身勝手な最期だよ。娘残して死ぬなんて。
けど父親ってのは、自分の生き死によりそういうものを大事にする生き物かもね。
以上!
今回もユニークな映画でした。
次回作も楽しみにしてます。
<2011/6/19鑑賞>
う~ん、、、
往年のまっちゃんの笑いを期待して臨むと、たぶん残念ってなるかも。
親子のあったかい絆や、こどもに親としてこう思われたいっていう願望だったり、
こどもに対しての愛情の深さだったり。
こういったことを笑いよりも伝えたかったのかな、、、
そう思っていなくても、自然とそうなっていったのかなって思いました。
野見さんの一生懸命さがとてもけなげに見えたし、
体を張って挑んだシーン、ちょっとケガしちゃってたりかわいそうだなって思ったりもしました。
素人さんにそこまで求めるのも、、、うーん斬新と言えばそうだし、
やりすぎ?と思えばそうかもしれないし、
野見さんや、子役の熊田聖亜ちゃんのがんばりが光った映画でした。
首が・・・
松っちゃんの映画は初めて見る気になったので見た。
他作品は知らないが、
興行的には失敗なのかな。
映画を観るまで主演は松っちゃんだと思っていた。
わかりやすい笑いもあれば、
よくわからない笑いもある。
最終的にこの作品で伝えたかったことは親子愛なのかな・・・
家庭を持って心境が変わったのかと、勝手に想像してしまう映画。
今後の作品が楽しみ。
多分、私が愚かなのでしょう
誰かの注目作の欄には、『これ観て面白くないと思う奴は映画観賞の趣味はやめろ』みたいな事も書いてありましたので…私は映画を観ちゃいけない事になってしまいました。とても残念です。だけど、この映画の良さが理解出来ない私が愚かなのでしょうね。
私はこの映画を観て、主人公の身勝手さに呆れてしまいました。怒りさえ覚えました。
私がこの映画を観て流した涙は、亡くなった主人公の奥さんの無念(可愛い娘を残して先立たなければならない無念や主人公と同じ墓にも入れて貰えない無念)さに対してのモノだけです。
主人公は妻に先立たれた事を理由に刀を抜いて、鞘に収めようとしなくなります。仕事サボって逃げてばかりの毎日になります。娘がいるのに、です。鞘は侍への未練でしょうか? プライドなんか捨てて、娘の為に働こうとするのが普通の父親の責任だと思いますが、主人公はただ逃げるばかりです。凡人の私には理解出来ません。
遂には刺客に襲われる度に娘に助けて貰います。この娘への甘えは、主人公が捕まった後更にエスカレートしていきます。そして、その甘えはいつしか周囲の者や仕掛けの為に使われたであろう税金にまで広がっていきます。
そこまでして苦行を続けるという事は、生への執念という事でしょう。死にたいのなら、さっさとギブアップして切腹すればいいのに、そうせずに笑いの為に大掛りな装置を他人の金で他人に作らせて、結局は笑わせるという目的を真っ当出来ずにただズルズルと日々を過ごします。
この主人公は、全く成長しません。死にたくないのなら最初から逃げずに働けばいいだけです。それをせずに、娘や周りに甘え続けるだけの奴に同情出来るわけありません。。
そして、ラスト…この映画を観た多くの方を涙させたクライマックスで、主人公はまた逃げます。娘を残して。『あの世で妻と仲良く暮らしてるから心配するな』と娘の養育を放棄して、人生からも逃げてしまいます。取り残された娘はどうしたらいいのですか?
私は恐ろしくなりました。
ここまで身勝手な親がいる事に。ここまで身勝手な親を見て感動の涙を流してしまう観客がいる事に。
笑い、そして人間の素晴らしさをこの作品から感じて欲しい!
『これは、時代劇ではない!!』完全なるコメディーだ。時代考証が、とか、江戸時代にあれはあり得ないと、言い出し、あら探しをしているとこの映画の本当の良さを楽しむ事は出来ない。それは丁度、チャップリンの『独裁者』で突然、踊りだすシーンがあるのは、リアルでない、嘘だ!と云い張るのと同様に愚かな事である。正直、前作の『しんぼる』は何や分からん映画でしたが、本作は『しんぼる』と同様コメディーと言っても、その出来は、似て非なる作品だ。松本監督の代表作として今後も、これは高い評価を受ける作品となる事だろう。文句無く素晴らしい作品だ。未だ見ていない人の為には、お笑いシーンも満載なので、ネタは明かせないのが残念だが、この映画、江戸仕立てではあるけれど、そこに描かれている人間像は、正に今の日本人の心を一刀両断!この現代の我が国に今蘇って欲しい和の美徳がずしりと胸に突き刺さるのである。思わず背筋がシャキっと伸びる思いで映画を観終えた。『さや侍』、この作品、刀は確かに誰の目にも見えないけれど、心を静めて、映画をよく見ると、その刀がしっかりとさやに納まっているのだ。誰にも見えない筈の刀が姿を現しているのであった。侍にとり、刀は魂であり、とりもなおさず武士の生命であり、その侍の心そのものなのである。
映画は娯楽であるから、客を笑わせ、大いに楽しませる事が、その最たる使命かもしれないが、同時に観客の人生の大切な時間を費やすのであるから、客を楽しませるだけではなく、もう一歩、踏み込んで『ああ、この映画に出会えて、自分の人生にプラスになった、今日も、良い時間を過ごす事が出来た!』と言う気持ちで、映画館を観客が後にする事が出来れば、その作品は映画として、それは大きな役割を果たした秀作と言えると思う。
その意味でも、映画に携わる作者も、作家としての誇りを、魂を作品に込めると言う、気概を持って今一度作品作りに臨んで欲しいものである。
この作品で松本人志監督は、コメディアンとしてのサービス精神と、映画作家としての作家魂を作品に注入するという、これまでのコメディアン生命を懸けた、作品であると見た。黒澤映画『椿三十郎』で良い刀は、さやに納まっているものだと言うセリフがあるが、是非この作品を観て、貴方も目には映らない、その良い刀をしかと、さやに納め、剣を手にして欲しいものである。
オトコが武士になる時。
このヒトの作る作品は、取っつきやすいか取っつきにくいか、
理解できるか理解できないか、ドラマ性があるのかないのか、
という観点で私は捉えてきたんだけれど、今回はその全てを
網羅してしまった感じだった^^;
ただ時代劇、という観点で見るとずいぶん遊んでいるようで
そうでもなく、結局お定まりの部分はしっかりとそのまんま。
お笑い芸を縦横無尽に取り入れた前半と、泣かせる後半で
ガラリと様相を変えて魅せてはいるのだが、この主人公が
あくまで侍=武士であることを考えれば、ラストはあれが然り。
なので僧がいきなり歌い出す後半以外はほぼ予想通りだった。
観やすかったし、いい作品に仕上がっていると思う。
それにしても、子供が生まれるとこんなにまろやかになるのか^^;
松ちゃんもごく普通の男だったんだなぁ、と思った。
人間を遥か遠くに突き放すような、シニカル目線で語るところから
ずいぶん市民目線にまで下がってきたのね、という印象を受けた。
と同時に、父親とは何か。娘から見て尊敬できる生き方とは何か。
なんというか、自分の娘に語りかけているような説教性を感じる。
板尾の台詞、「父を途中で見捨てた娘が何を言いやがる。なぜ
一緒に考えてやらんのだ。」には娘には理解できないだろう父の
業に対する想いや執念、行き詰った人生とその終焉に相応しい
業と武士としての生き様をしっかり見届けてやれ!の想いが詰る。
言い換えると、
この先、お父ちゃんの仕事ぶりを(良い時も悪い時も)見守ってくれ!
と、松ちゃんが娘に語りかけているようにも感じられるのである。
この主人公が刀を捨てるのは、最愛の妻を失くした失意からであり
主人公に刀を持たせるのは、最愛の娘からの叱咤激励なのである。
オトコは自分を支えてくれるオンナ如何によって武士になる…かな。
主人公、野見勘十郎を演じた野見隆明は素人さんなのだそうだ。
ま、普通の。ではないけど^^;確かに台詞は唐突な言い回しだった。
ところが。ラストでキッと斬首役を睨みつけ、止めるところがある。
このシーンの表情は立派な役者顔で、娘役の熊田聖亜も誉めてた。
思うに、ここで野見さんは↑オトコになったんだなと(爆)
僧が河原で詩を詠みながら、だんだんと歌い始めるシーン、
墓参りの娘と笑わなかった若君が笑いながら走り回るシーン、
現代になって変わらず残る墓とそこを通り過ぎる(!)自転車…。
まぁおそらくどの映画でも描かれたようなシーンをサラリと流し、
ごくごく普通の余韻を残して今作は終わる。まぁ後味はいいかも。
と思っていたら「うどんすすり指導」のエンドを発見して噴き出した。
これが松ちゃんの業なのね。
(大きくなったら娘に観せてあげるといいね。ダメ出しされたりして^^;)
この映画じゃなきゃできないこと
前半の薬草を煎じてるシーンはどう見ても泥で黴菌だらけだったりと
松本さんらしい笑いがあったりもしてましたが、
笑いとしてはベタなものが多かったかと思います。
野見さんが切腹をして侍になるっていうのは
予想はしていたところでありますし、
最後の遺書のシーンも、松本さんの子供への愛情が濃すぎて
ちょっと引いてしまいましたけれども、
(昔は子供ができても学校に行かせないだとかガキうるさいだとか言ってたのに…w)
なんといっても私が一番好きなシーンは
最後の最後、
野見さんが、墓の後ろから
「首が~戻った。」といって戻ってきたシーン。
これは、お笑い映画じゃなきゃ絶対にできないシーン。
ライフイズビューティフルで同じように最後に父親が出てきたら
誰も感動しないし、台無しだろう。
でも、この映画だと自然なんですよね。すごく後味がいい。
お笑いって魔法なのかもしれない。なんて思ったりしました。
お笑いの素晴らしさを改めて感じましたね。
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