「笑えないくらいに真剣な笑い」さや侍 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
笑えないくらいに真剣な笑い
『大日本人』『しんぼる』で賞賛(と、同じくらいの困惑)
の声を浴びた松本人志監督の第三作。
上映も終了した時期なのに今更レビューです。
前作『しんぼる』を観た時も考えたが、松本人志という人はきっと、
“笑い”ってものに対して笑えないくらいに真摯な人間なんだろね。
『三十日の業』はエンターテイメントを生業とする人間にとっちゃ
絵空事でも何でも無いだろうから。
『必ず観客を楽しませなければ』というプレッシャーに耐え、
それこそ死に物狂いでネタを練り続ける。
お笑い芸人であれば、自分が笑いのネタにされる事にも耐えなきゃならない。
難儀な仕事だね。こないだの27時間テレビを観てたせいもあるかもだが、
ちょっとした崇高さすら僕は感じます。
最初は「三十もネタがあるならひとつくらい
笑えたらいいなあ」くらいの感じで映画を眺めていた自分。
はたして登場するギャグは“どじょうすくい”や“人間大砲”等々、
伝統芸と呼んで差し支えないくらいにベタなネタばかりで、
必ずしも大笑いできたとは言えない(観る方によりますけど)。
だがいつの間にやら、その『笑いたい』という気持ちが、
『笑ってあげたい』という気持ちに変わっていた。
映画を観る内、あの野見という男を応援したい気持ちになってたんだろう。
笑えない男が、人を笑わせよう・人に笑われようと必死になって頑張る——。
みっともないけどカッコ良い。
や、みっともないくらいに一生懸命だからカッコ良い。
そして、物語でも演出でもまさかの展開を見せる終盤。
いつも俯かせていた目をきっと上げた野見には鬼気迫る迫力があった。
(あのシーンだけはとても素人さんにゃ見えんかった)
三十日目で失敗した時点で彼は切腹を覚悟したんだろう。
与えられた業は果たせなかったのだから、失敗は失敗。
辞世の句までハッタリに使い、侍としてのプライドを汚す事は出来なかったのかも。
辞世の句は、若君ではなく、未来の娘を笑わせる為に残していた。
野見にとっては、侍として死ぬこと自体は
必ずしも重要ではなかったんじゃないか。
娘に誇ってもらえる父親として死ぬことこそが一番重要だったんじゃないか。
ハッキリ言って身勝手な最期だよ。娘残して死ぬなんて。
けど父親ってのは、自分の生き死によりそういうものを大事にする生き物かもね。
以上!
今回もユニークな映画でした。
次回作も楽しみにしてます。
<2011/6/19鑑賞>