コクリコ坂からのレビュー・感想・評価
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流石は宮崎駿先生の脚本だと思うが、設定が異様で複雑すぎる。それなら...
流石は宮崎駿先生の脚本だと思うが、設定が異様で複雑すぎる。それなら、最初から横浜的に見せるべきだ。少なくとも高畑勲先生の流れを宮崎駿先生がファンタジー抜きで語った事になる。
なんとなく『うる星やつらビューティフル・ドリーマー』の文化祭見たいな感じが良い。本当のこの頃は安保闘争の敗北感に苛まれて、その後の70年代の学生運動と反ベトナム戦争だったのを思い出す。それをこういった建物の存続問題に絡めて描いていると感じた。宮崎駿先生がリベラルな証拠だろう。
感想が残らない不思議な映画
雰囲気も街の景色も、主要な登場人物も好きだった。
でも感想を書こうとしても特に言葉が浮かばない…あれが良かったとも悪かったとも思わない、なかなか無い状態で戸惑ってる^^;
いくつかの物語を形成する要素がそれぞれで進んでいて、それが関わり合っていないような感じがした。
カルチェラタンの取り壊しを防止することはこの物語の中で何の意味があったんだろう?
お母さんが子供を置いてアメリカに行っていたこと、海ちゃんが一人で負担を背負って下宿屋を保っていることは、何のための設定だったんだろう。
これらが無くても核となる兄妹問題、恋愛、父への思いには何の影響もないような気がする。
独立した要素が繋がらないので深みが出ず、でもそれぞれはそこそこ面白く、良くも悪くもどこも引っかからないまま終結してしまったのでこんな感想になっているんだと思う。
だけど全然嫌いじゃないし、むしろジブリの中で好きな方かもしれない。
本当に不思議で何と言っていいか分からない作品。
高校生の切ない恋心。学園闘争という設定は高校生には無理が無いか?
皆さんのレビューを読んでいたら
ここにたどり着いた
思い出して、レビューする
主人公は高校生の女の子「松崎海」
父は早くに他界し、母は海外に単身赴任中
祖母と弟と一緒に暮らし、実家の下宿「コクリコ荘」一人で切り盛りしている
高校では、部室棟のカルチェラタンの取り壊しが計画されていて
ここで活動する男子たちが反対運動を始めていた
反対運動に参加する風間俊と出会い、次第に惹かれていく
そして海も反対運動に協力するようになる
という物語
お互いの気持ちに気付き、距離を縮める二人だが
俊は、自分たちが兄弟であることを知ってしまう
これまで通り友達でいようと言う俊
訳を知りたい海
で、結局は
「戸籍上は兄弟だけど、血は繋がっていない」
というオチ
なんか、二人の出生の秘密ばかり気になってしまい
ほかのエピソードについて理解できないままに見終わってしまった気がする
例えば、なぜ海はひとりでコクリコ荘の仕事頑張るのか?
とか
20233年7月
金曜ロードショーを録画して鑑賞
よかった
見たことあると思ってたら見たことなかった。
•学生の恋愛だと思ったらきょうだいで恋愛できないとなって最後きょうだいじゃなかったから恋愛できるという話
•掃除のシーンとか好きだった。
•主人公めちゃくちゃいい子!
バンカラ時代の上澄み
1960年代初頭。下宿屋を切り盛りする女子高生と、新聞部部長の淡い恋を描く物語。
宮崎吾郎監督のジブリ作品ですね。ネットでは割りとネガティブな意見を目にする作品ですが、金曜ロードショー放映を機に鑑賞。結果、それ程悪い作品とは思えませんでした。
作品は、恋愛物。60年代の学生運動全盛期の高校を舞台に、カルチェラタンの存続運動を絡ませながら物語は進みます。
主人公の海。いかにもジブリ作品に出てくる女性らしいキャラですね。綺麗で、逞しくて、生活力があって・・・それでも可憐で、一途で・・・とても魅力的です。
絵も流石にジブリクォリティ。キャラも安定していますし、表情もしっかり。アクションはそれ程ありませんが、動きもなめらか。
ネガティブな評価の中に、兄妹の恋愛が描かれていることで「気持ち悪い」との感想があるようですね。でも、それは流石に無理があるように思います。ず~と一緒に過ごしている兄妹ならまだしも、一度も一緒に住まず、存在も知らなかった間柄。その二人が先に恋愛感情を持ってしまったら、気持ちを抑えられなくても仕方ないでしょう。寧ろ「兄妹だからこの恋はお終い」と割り切れる人間の方がどうかしています。
ただ、宮崎監督がこの時代を描く動機、理由が分かりません。これが駿監督が描くのであれば、意味も想像出来ます。
自らが生きたバンカラ時代への郷愁。その良さと勢いを映像に残す・・・となれば、その気持ちに共感出来ます。
でも、吾郎監督は1967年生まれ。この時代を積極的に描く動機があるように思えません。カルチェラタンの生徒たちのデフォルメされた言動や、女子生徒達が大掃除に駆け付けるシーン等は、バンカラ時代の上澄みを救ったような底の浅さを感じてしまいます。
「実は兄妹ではない」の経緯もご都合主義に感じますし、海がカルチェラタン存続の中心人物になった描写も少し足りないようにも思えたのも残念なところ。
始終切ない
始まりはコクリコ荘に住む主人公。
船乗りの父を亡くし、大学の先生である母とも離れ、兄弟と共に暮らしている。
長女である主人公の声優を務めるの次女である長澤まさみ。そして主人公と同じく船乗りの父を亡くした駿の声優は次男の岡田准一。声優が次女と次男にも関わらず、長女らしい責任感と一人っ子らしさのある声ができることに驚いた。心情が籠ってて違和感がない。
どこかで見かけたのだが、コクリコ坂はメロドラマチックでありながら、映画にしてはリアリティがあるそうだ。例えば、メルが料理を作っている時の顔。普段から料理を作る人ならわかると思うが、料理を作るときに真顔でない人はそうそういない。この作品は無駄に描かないから、淡々としていると言われがちなのも納得だ。無駄のない綺麗な作品だと思うのだが、あまり惹かれないものなのだろうか。ハウルの城や千と千尋をジブリの代名詞だと豪語する人たちに魅力が伝わらないのが残念だ。アクション映画ではなく人の心情に特化した映画だと私は思う。映画ではアニメに関わらず、ドラマでもオーバーリアクションが付きものなのだが、主人公たちのリアルな表情といい街並みや時間の流れが昔を彷彿とさせるかのようにリアルだ。
難しい内容だと感じるのもわかる。おそらく、朝鮮戦争や旗の意味、カルチェラタンの歴史を知らないとわからないのかなと思ってしまうのだろう。簡単に言えば、部室取り壊しを反対する生徒たち動きと亡くなった父親が一緒かもしれない海と駿のメロドラマが並行に進んでいる。カルチェラタンを掃除したのにも関わらず夏休み中に取り壊しが決定したり、お互い惹かれあったのに父親が同じかもしれない、などとこのいい加減な理不尽さがあるのがこの作品の醍醐味。
なにをもってジブリではなくジブリとはこんな部分もあると感じた作品だった。
大好きな映画
何度観ても飽きない自分の中の名作の一つ。この時代を経験したことはないけど、誰もが経験している青春時代のお話。この映画を観る度にあの時代にタイムスリップしたくなります。なぜかというと、人の温かさを感じたからです。現代日本で疲れたりすると無性にこの映画を観たくなります。そして、主役二人の恋。甘じょっぱい恋。とても好きです。色々あったけど、二人が結ばれて良かったです。そして、主人公の旗を毎朝上げる意味を知った時になぜか泣けてしまいました。
これからも私は現代日本に疲れてしまった時にこの映画を何回も観てしまうと思います。
昭和の香りが心地よい上品な映画。…退屈だけど😅
「コクリコ荘」という下宿を切り盛りする女子高生の松崎海は、文化部部活棟「カルチェラタン」の存続のために活動する先輩、風間俊と出会う。
2人はお互いに惹かれあっていくが、とある疑惑が持ち上がる…、という学園青春アニメーション。
脚本/企画を担当するのは『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、言わずと知れた天才アニメ監督にして本作の監督である宮崎吾朗氏の父、宮崎駿。
主人公、松崎海を演じたのは『世界の中心で、愛をさけぶ』『涙そうそう』の、「東宝シンデレラ」長澤まさみ。
海と惹かれ合う先輩、風間俊を演じたのは『木更津キャッツアイ』シリーズや『ゲド戦記』の、「V6」のメンバーである岡田准一。
俊の父親、風間明雄を演じたのは『世界の中心で、愛をさけぶ』『ゴールデンスランバー』の大森南朋。
コクリコ荘に下宿する女医、北斗美樹を演じたのは『平成狸合戦ぽんぽこ』『もののけ姫』の石田ゆり子。
海たちが通う港南学園高等学校の理事長、徳丸を演じたのは『20世紀少年』シリーズや『カイジ』の香川照之。
第35回 日本アカデミー賞において、最優秀アニメーション作品賞を受賞!
日本一可哀想な映画監督、宮崎吾朗の第2回監督作品👏
本作は『崖の上のポニョ』公開後の2008年に、宮崎駿が計画した「ジブリ3ヶ年計画」の一環。
『アリエッティ』、ジブリ美術館用の短編を数本、そしてもう一本中編映画を作ることによりスタッフの力を育成し、満を持して長編を作るという、新人育成&宮崎駿作品のクオリティアップという一石二鳥を狙った計画のことです。ちなみにこの計画により作り上げた長編が『風立ちぬ』な訳です。
本作はこの計画の第三の矢として放たれたもの。
宮崎駿が高度経済成長の時代を描きたいと言い出し、その題材として持ち出したのが「なかよし」に掲載されていた少女漫画「コクリコ坂から」だった。
ジブリの名物プロデューサーである鈴木敏夫は、ちょうど本作の登場人物たちと同じ時代に学生時代を過ごしており、宮崎駿が鈴木敏夫から様々な話を聞き込んでイマジネーションを膨らませたということです。
だからこの映画、原作とは全く違う話らしいですね。原作は未読なので詳しくはわからないが、原作には「カルチェラタン」が出てこないというのは驚いた。アレンジしすぎだろ💦
はっきり言ってこの映画、宮崎駿&鈴木敏夫が言いたい放題で吾朗監督に作らせた映画であり、吾朗監督は「雇われ演出家」という歯車の一つになってしまっている。監督自身の意思や熱意が出発点の作品ではない訳です。
「親父に脚本を渡され、プロデューサーからもいろいろ言われて、吾朗くんにとってはしんどい仕事だったかもしれません」とは鈴木敏夫の言葉。
いや、マジでしんどい仕事だと思うわ…😅怪物みたいな爺さん2人にプレッシャーかけられ続けるんだもんなぁ。吾朗監督はドMかな?
とはいえ、吾朗監督の穏やかな気質や現場の人間に好かれる性格はこの「雇われ演出家」という立場にピッタリとマッチしたようで、制作現場は和やかな雰囲気だったらしい。地獄のような宮崎駿監督の現場とは対照的ですね。
その和やかさが作品にも表れているような感じがする。
本作は大した事件も起こらない穏やかな物語であり、それが吾朗監督の淡々としていて、かつスロウリィなテンポ感の演出と調和している様に感じられる。
上品というか、優しいというか、とにかく心地よい作風で、面白いかどうかは置いておいて、非常に好感が持てる作品なのは間違いない。
本作の白眉はなんと言っても「カルチェラタン」!この魅力に尽きる。
この『ハウルの動く城』のような、ごちゃごちゃした内装や外観も素敵だし、その中で蟲のように蠢く部員達もみんな魅力的💕
大学時代の部室棟が、まさにこんな感じだったなぁ。
ウチの部は男だらけだったし、まさに「カルチェラタン」のような魔窟だった。このシンパシーだけで、胸が熱くなってしまった。
おそらくこの「カルチェラタン」の描写は、押井守監督の『ビューティフル・ドリーマー』から着想を得ているのではないだろうか?
吾朗監督は『風の谷のナウシカ』より『ビューティフル・ドリーマー』の方が面白かったと発言したこともあり(この2作は同年公開で、放映開始日もかなり近い)、相当思い入れがあるんじゃないかなぁ。勝手な想像だけど。
メガネがこっそりあの中に混じっていても絶対に違和感無い🤓。
哲研とかアマチュア無線部とか新聞部とか天文部とか数学研究会とか、側からみたらガラクタみたいな部活動に青春を燃やす学生たちって、なんであんなに魅力的に映るのか?
最近だと『映像研には手を出すな!』がまさにこんな感じで、この作品にも非常に心地良さを感じたなぁ。
とにかく、この「カルチェラタン」が好き過ぎるのでそれだけでこの映画合格!💮…と言いたいところなんだけど、やっぱりつまんないだよなぁ😅
メイン・ストーリーである海と俊、2人の恋愛がどうでもよ過ぎる。なにこれ?
実は2人は兄弟かも!?という問題提起と、それに伴う不器用なすれ違い描写は良かったのだが、問題の解決描写があまりにもおざなり。
終盤になって海のお母さんとか、俊と海の父親の友達とかが突然出てきて、「いや、実は云々…」という会話だけでミステリーが解決してしまうのは如何なものか。
俊の出生の秘密を、もっとドラマチックに、もっとサスペンスフルに描くことだって出来るはず。
大体、海の親父さんが口ベタ過ぎるが全ての問題なんだよっ💦明雄さんにちゃんと説明をしろ、説明を!とは誰もが思った筈。
思い切って、海と俊の兄弟疑惑を完全に捨てて、カルチェラタンを巡る学生運動に重点を置いた学園ドラマにしてしまった方が面白くなったのでは?
そうすると「コクリコ坂から」を原作にした意味全く無いけど😅
あと、細かいところだと海が友達や近所の人から「メル」って呼ばれている点。これなんの説明もないから初見の時には混乱してしまった。「ん?海とメルっていう名前の双子?」みたいな感じで。
海はフランス語で「メール」というから「メル」という渾名で呼ばれている。なるほど〜…。
いや、それを作中で説明せんかい!
こういう細かい所、すごく気になってしまう。説明しないのなら渾名という原作設定は無くせば良いし、渾名で呼ぶなら説明すべき。
あと、美大生の広小路さん。この人めっちゃ可愛い😍
…というのは置いといて。この人が描いた画を見て、旗に応答している船があることに海が気付く。このことは良いんだけど、広小路さんの絵がアーティスティックすぎて、観客の目からはあの絵が海で、あのモニョモニョしたのが船だとは到底思えない。
もっとわかりやすい風景画で良かったんじゃない?
海の家庭環境や「コクリコ荘」の描写は、複雑な割には説明が不足しており、鑑賞時のノイズになるところが多かった。
過剰に説明的にしないというのは映画の鉄則だけれども、その分設定や背景をわかりやすくする努力はすべきだと思う。
決して嫌いな映画ではないし、好感が持てる作品なのは間違いない。
でも、宮崎駿監督作品や題材が似ている『耳をすませば』など、他のジブリ作品に比べ優れているかといえばそれはやっぱりNOと言わざるを得ない。
吾朗監督は親の七光りだとか言われるけど、色んな意味で注目すべき監督の1人なのは間違いない。
近年の吾朗監督はCGアニメを手掛けている。その分野での飛躍を願ってます👍
余談だが、『耳をすませば』にすらあったファンタジー要素が、本作には一切ないのは一種の実験らしい。
つまり、ファンタジー要素が無い作品でもお客さんは来てくれるのかどうか、宮崎駿監督は試したかったのです。
Q:それは何故か?
A:ファンタジー作品ではない『風立ちぬ』を作りたかったから。
ノー・ファンタジーのアニメにどれだけ観客が来るのか、息子の作品を試金石にして見定める宮崎駿の悪魔っぷり…。あな恐ろしや😱
これからのジブリ
ちょっと前に映画館でジブリを観まくったので、その勢いで連休中に観ていなかったジブリ作品を観てみよう個人的キャンペーン。というわけで「コクリコ坂から」を観ました。
正直宮崎吾朗監督だったので何も期待していなかったのですが、あれ?面白い‼️「ゲド戦記」の時より全然レベル上がっているんじゃないでしょうか?吾朗監督は無理してファンタジーっぽいの撮らないで、これでいいと思います。色々な作品を一気に観たんでどうしても比べてしまうのですが、個人的には「風立ちぬ」より全然こっちの方が面白く観れました。
自分も学生の頃はメッチャ部室でダベってた人間なので、部室棟が壊されるかも知れない事に大騒ぎする気持ちはとても良くわかります。今では懐かしい思い出ですが、部室っていいんですよね~。気心しれた友人達と無駄にダラダラできる時間は若者の特権だと思います。
宮崎吾朗監督自身は知らないだろうに、昭和初期の雰囲気も良くできていたのではないでしょうか?もしこれが実写だったらかなり暑苦しい見た目になってたような気もしますが、アニメなんでけっこう爽やかに観れます。先輩と良い仲になりそうだったのにいきなり距離を置かれて戸惑う海の描写とか、事実を聞いてもそれでも先輩が好きって言える真っ直ぐさとか、若者の恋愛っていいですよね!
ご都合主義と言われても仕方ないかなっと思えるストーリーではありますが、そうだとしても若い時代だけに許される青春劇を楽しく観る事ができました。変に悪人が出てこないのも良い!ジブリだからってファンタジーにこだわる必要はないですよね。これからのジブリの方向性が伺える良い作品だったと思います。
当時の情熱
"金曜ロードSHOW!" で3回目の鑑賞。
原作マンガは未読です。
輝かしい青春がこれでもかと詰まっていました。利害関係の介在しない純粋な友情。無鉄砲と言えるほどの行動力。汗水垂らして泥臭く、一生懸命物事に取り組む姿勢。…
カルチェラタンを存続させると云うことはそのスピリットを未来永劫継承せしめんとする行為であり、何ものにも代え難い経験を人生に与えてくれる場所を守る尊い事業です。
ところが今の若者(私も含めて)に彼らのような情熱があるかと問われれば、返答に窮してしまいます。若い世代が本作を観てピンと来ないのはそのせいかもなと思いました。
当時と違って、世の中が豊かになり過ぎたからなのかもしれません。ならば今の時代とはなんなんだろう。本作に描かれている若者たちの姿を心底羨ましいと感じました。
[以降の鑑賞記録]
2023/07/14:金曜ロードショー
※リライト(2020/08/28)
※修正(2023/07/14)
爽やかな青春映画
何回か地上派で見流したけれど、
今回はしみじみと鑑賞。
1963年の横浜、港の見える丘にあるコクリコ荘が舞台。
時代的に想像がつかないけど、多分戦後の高度成長期って頃でしょうか?
三輪車が走ってたり、スーパーじゃなくて魚屋さんやら肉屋さんに買い物してた頃。
楽しい時代と想像できます。
16歳の少女・海。
通称「カルチェラタン」の取り壊しに反対する学生たちの運動に巻き込まれる。
1学年上の新聞部の少年・俊との運命的な出会いにドキドキです!
自転車の2人乗り、エスケープ、プラットフォーム、、、胸きゅんシーンを織り込み、素敵な作品だった。
あんな時代にセーラー服着て、女学生をしてみたかった。
9年前の長澤まさみさんが海、岡田准一さんが俊、のボイキャス。
観ている間、2人とも似合ってて素晴らしい溶け込み。
映画を通して、自分が知らない色んな時代に行けるんだな。
と、今更ながら感動。
初恋、友情、家族愛、海と坂道…昭和の風を感じながら心が洗われました。
あの2人の続きがみたい!
と、胸はずむ映画でした。
心が洗われた
丁寧な暮らしぶり、熱い思いを持ちつつも礼儀正しく明るい学生たち。その時代が丁寧に描かれており目が離せなかった。
現実のイヤな部分は描かれていなくその時代のいい所がフューチャーされていて、深く考えずに見るのにいいかなと思う。さわやかな映画でした!
冬ソナ
高度成長時代における文化的背景。そして、高校での学生運動の集会など、どちらかというと回顧主義に近いものが感じられる。当然吾朗監督には学生運動の経験はないわけで、もしや、また父上に媚を売るかのような精神で作ってしまったんじゃないか?それとも、むしろ高畑勲に対してか?とも感じてしまう。
安っぽいメロドラマだ!という台詞もあったが、実は2人は兄妹だったなんて・・・しかも、母親がアメリカから帰ってきて、その秘密が明かされる。兄妹じゃなくて、親友の息子だった!ややこしいけど、澤村という彼女の父親が親友立花の息子を養子縁組してしまって、それを風間に託したという事実。まぁ、『冬のソナタ』の世界のようにドロドロじゃなく、さわやかにエンディングを迎えたけどね。ジブリらしく。
良かったですよ
ずっと何故か、食わず嫌い的に中々観なかったジブリ映画。レコーダーに何年も前に録画済状態で放置。
嫁さんが途中まで観てたので、消されては困ると思い、大急ぎで観賞。
ジブリ映画の大好きな時代の昭和初期の戦後を生きる複雑な人間関係。
学生時代の学生運動的な展開。そこに主人公の二人が惹かれ合う。
惹かれ合うものの、どうも生き別れた姉弟の関係らしいと勘違いし、二人の関係は微妙な関係になる。
真実を知る二人の親の仲間に真実を教えてもらう。
惹かれ合う二人には血縁関係はないことが判明し、恋仲の関係に支障はなくなった。
学校の文化部の入るカルチュラタンという建物の取り壊し問題は主人公の二人の活躍で回避される。
意外と面白かった。
う〜ん…
見たことないと思っていたら、しったり見ていた…たぶん既に2回ほど(笑)
亡くなったお父さんの代わりに船に向かって旗を揚げ続ける少女。
その娘の恋の相手は腹違いの兄弟だった?! 学校の男子サークル塔?のような明治からの古い建物を取り壊すか否かで揉めたり…
宮崎さんにはいろんな思いが込められていたのかもしれないけれど、私には汲み取れなかったなぁーー
穏やかな気持ちになれる
この映画は単なる恋愛青春ストーリーではありませんでした。「ひと昔前の時代背景」をリアルに体感しているような感覚になる、そんな映画だと思いました。平成生まれの私が見たことのない昭和の世界を、下手したら当時の写真や動画よりも鮮明に、そして細やかに見せてくれます。
戦後20年の昭和の時代、今とは違った背景で今と同じ恋心を抱く青年と少女。変わってきたものと変わらないものを同時に目のあたりにしたように思いました。
映画自体は静かに始まり静かに終わる、という感じで、終始穏やかな気分で観られる映画だと思います!
風間さん…!私のところにも現れて…!
そして私と恋に落ちてくれ…!(^^;;
泣けるしノスタルジー感じた
最後の船長さんのシーンと、
母親から風間の生い立ちを聞かされるシーンが泣けました。
ノスタルジーもしっかり感じられました。
ジブリ映画でも1.2を争う好きな映画です。
ジブリだと思わなければいい映画
先週地上波で、もののけ姫をしていたから
余計にこれもジブリ映画!初めて見る!と期待しながら見てしまったので
ちょっと物足りなさでいっぱいになりました…
ハウルとかに比べるとシンプルでわかりやすいストーリーだったことが救い
ご飯があまり美味しそうに描かれていない
食事が作業化してたのが残念
ジブリだと思わなければ楽しい映画だったのかもしれない
話の内容にも、いろいろ不満が残ったし
なぜか、ノスタルジーの押し売りみたいに感じてしまった…
ところどころの映像は素敵なのになんでだろう…
引き込まれる
他のジブリ作品と比べると物足りないけど、でもどこか引き込まれてしまう魅力がある。青春映画。カルティエ・ラタンの掃除のシーンを結構見せられていたから、その分綺麗になって、直談判が通った瞬間は涙がこみあげた。
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