「ジブリオマージュにほっこり(^^) でも「俺はシュンじゃない、シン(新海)だ」ちゃんと新海監督本人を見よう!」星を追う子ども mary.poppinsさんの映画レビュー(感想・評価)
ジブリオマージュにほっこり(^^) でも「俺はシュンじゃない、シン(新海)だ」ちゃんと新海監督本人を見よう!
初めて映画館で見た時は、まだ新海監督が今のように有名でない時でした。
『秒速5cm』の美しさに魅了された私は、『言の葉の庭』公開時、監督のデビュー当時の思い出のつまった、とある小さな映画館で行われた、新海作品一気上映のイベントに行き、この作品を見ました。
とても美しくて、切なさのにじむ作品、でも見ながら妙にジブリの姿がちらついて内容に集中できなかった…(笑)
『君の名は。』からファンになった人には、「ちょっと雰囲気違う…」と感じるのでは。
監督がジブリに憧れと尊敬を感じるあまり、無意識に影響されてしまった、というよりは、むしろ、ジブリへのリスペクトを直接そのまま形にしたオマージュ作品。
登場人物の声、あれ この声?とすぐに気づく、島本須美さん(ジブリを代表する声優)と入野自由(ハク)。入野自由はその後の『言の葉』でも主役の少年だけど、そもそも入野自由が世間に認知されたのはハク役ですよね。 ちなみに『天気の子』でも、おばあさん役を 島本さんと ソフィー役の倍賞千恵子にオファーしてましたが、ジブリ愛(^^)が伝わるとともに、何か監督の深い考えがこめられてそうな起用ですね。
映画の始まりは、主人公はのどかな田舎に住んでおり トトロを彷彿とさせる村でサツキのような優等生として生きてる少女。ハイジぽさもあり、まだジブリ創設前の宮﨑監督へのオマージュも。
その後、平穏な日常に現れた影(クマ?事件)と 不思議な少年との出会いは、ほんのり 千と千尋のハクとの匂いがします。 猫?はナウシカのテトかなw
冒険が始まるとまさにラピュタの世界。 先生、ムスカだったなんて…。
少しずつ謎が見えてくると、むしろ もののけ姫。 シンがだんだんアシタカになります(笑)かっこいいぞ~。 伝説の神や怪物・番人などは、シシ神(デイダラボッチバージョンも含む)を彷彿とさせるイメージ、イ族は猩々に似てる。 命の危機で緑のどろどろスライムに包まれるのも もののけ姫やハウルなどジブリの定番ですね(笑)
目玉がいっぱいとか、形がちょっとエヴァンゲリオンで見たような画も(笑) まあ、エヴァンゲリオンは、新海監督の初期作品『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』、セカイ系として共通点多いし 似たような雰囲気の画も出てきますね。 (エヴァの庵野監督は ナウシカと風立ちぬの関係者だし(笑)
監督はジブリオマージュだと公言してるらしいので、むしろ、新海監督のジブリ愛にほっこりしながら あちこちにちりばめられた遊びゴコロを見つけてくのが楽しいかも(笑)最初に見た時は 何も前情報を知らなかったので、見てて戸惑いましたが(笑) TVなどで3回目みて、やっと落ち着いて見られるようになりました。
多くの人が 「既視感…これジブリのぱくりじゃね」 とちょっと冷めた感じで見てしまっているようですが、まあ ぱくり(盗作)と リスペクトを持ったオマージュとは 違いますし。 落ち着いて見てみると、絵も音楽も美しいし、心に響くセリフもあります。 批評ばかりせずに純な目で見ると、素敵な作品でした。
どことなく漂う ゲド戦記のような空気感… 虚無感や淋しさ、孤独を抱えて、登場人物はみな 強そうでもどこか儚い。新海監督は、淋しさを丁寧に描くのが上手ですもんね。そこが、芯の強いジブリ(宮﨑駿)作品とは違う。 (また、うろ覚えですが、新海監督の父親は大きな会社を経営してるとかで、後を継がずに自分の夢のアニメ監督をめざすには葛藤があったとか? ゲド戦記のアレンぽさは、ジブリに関係なく、新海監督自身から自然にかもしだされた空気でしょう)
他の人のレビューで、登場人物の行動原理が弱くて、感情移入も理解もできない、ジブリのような思想が無い、という意見がありました。その人、ジブリと比較しすぎて、新海監督を見てないなあと思います。
新海監督はいつも、等身大の現代の普通の思春期の少年少女、しかも繊細でややおとなしめ、心に迷いを抱えてる人達の感情を丁寧に描く。ジブリのような強いヒーロー・ヒロインではない。
一番描きたいものが宮﨑監督とは違うだけのこと。新海監督は新海監督。今作は見た目がジブリっぽさ全開だけど、中身はやっぱり新海監督なんです。
新海監督はきっと、悲しみや淋しさ、迷いの中にこそ人間らしさがあり、それを美しいと慈しみ、その感情の機微を大事に描きたいんです。でもセリフ説明は少なく、美しい風景の絵で。 登場人物が見ている景色は美しい。ずっと下ばかり見ていたら目に入らないから、人物は悲しい時でも希望は失っていないことも伝わってくる。そして登場人物が生きている世界は美しい。自分に悲しい事があっても、世界は終わらずに、美しく広がって続いている。新海作品はその描き方が魅力。 悲しさや切なさを抱えてる少年が、同じように淋しさを抱えてる少女と出会い、1人じゃないんだと知り、心が響き合う。その心の機微を美しい風景の中で描くBoy meet Girl物語、それが新海作品。今作はいつもの新海作品とちょっと違うけど、そのテーマは同じ。ジブリと違って思想が無い、なんて批判はおかしいと思う。一番描きたいものが違うだけなのだから。
「それは、さよならをするための旅。」
異世界で冒険し成長して帰る物語は定番だけど、今作は違う。たくましく成長した千尋と比較する必要なんてない。このキャッチコピー通り。大切な人の死を忘れるのではなく、きちんと悲しみ、悲しみと共に、それでも前を見てほほえんで生きて行くこと。さよならを言って、素直な自分を取り戻して帰ってくるための冒険物語だったんです。
アスナは十分強い子。がんばりやさん。でも幼い頃に父を亡くし、ぽっかり胸に穴があいて淋しさを抱えてる。でも母親の泣く姿を見て以来、きっと彼女は家でも学校でも泣いてない。必死でいい子を演じてる。 シュンが生きていると信じたい。不思議世界にいれば、生まれ変わりとか信じたくもなる。
シンは、能力も人望も評価される兄が死に、代わりに自分が頑張らなきゃと戦うけれど、比較され低評価でコンプレックスも感じてる。戦わなきゃ国を追われる、泣いてる時間はない。
アスナがシュンの死をやっと理解し、子供らしく泣きじゃくった時、シンはきっとアスナの淡い恋心を察し、また兄と比較されるコンプレックスも感じつつ、そんなことよりも、 能力評価じゃなくシュンという人間を慕うアスナの涙に、兄を慕うのは自分だけじゃなかったと気づき、素直に泣くことができた。1人じゃなく、一緒に。ここが大事な場面。
(無理にジブリと比較するならば、きっと監督は、姉としてずっと張りつめていたサツキが「お母さん死んじゃったらどうしよう」と泣きじゃくる場面や、張りつめていた千尋がハクのおにぎり食べて大粒の涙を流しながら、忘れかけていた自分の名を思い出す場面、好きなんだろうな)
有能な兄シュンと比較され続けるシンの言葉 「俺はシュンじゃない、シンだ」
シン=新海、と感じました。 そういえば シュン→ 駿という漢字はシュンともハヤオとも読めるんだよな? 漢字変換したら同じ字が出たぞ。 監督の遊びゴコロ?(^^) ここ気づいた人、レビューではほかに誰もいないみたいですが?私だけ?
シンをシュンだと信じたくて 何度も名前を間違えていたアスナが、初めてちゃんと シンの名前を呼んだ時、シンも初めて笑顔を見せてくれましたね。
もしかしてここ重要ポイントでは! 新海監督もきっと、駿監督に憧れ背中を追い続ける中、世間では必ず比較され、兄のように慕い尊敬しつつも、自分自身であろうと苦しんだことでしょう。 今作でジブリ(宮﨑駿)へのリスペクトを前面に出しつつも、それでも彼とは違う、自分は自分なんだ、と言い切ったのでしょう。ジブリと対比させるためにあえて、ジブリ風味を全面に出したのでしょう。レビューで言われてるような比較酷評は、きっと監督は最初から予想していたかも。それでもあえて作るという覚悟をもっていたのでしょう。『天気の子』でも、『君の名は。』とあえて同じシチュエーションを繰り返して対比させて描き、そこをディスる人はたくさんいたけれど、そんなのお見通しであえてぶつけてきてる、わりとニヒルな視野をもってる人なんだなと思います。最初は監督の作風から、思春期の少年そのままのピュアで壊れそうな美しい感性の持ち主、と思っていたけれど、やっぱりちゃんと大人で、監督という仕事をやり遂げるだけの強さをもった作家なんだなと思います。
他の人のレビューで、タイトルが意味不明だとディスってる意見を見かけましたが、私は別に違和感なかったです。 星って、そんな直接的に 天体の星のことだけを指すわけじゃないでしょ。
主人公は最初 きらっと光るものを見かけて、なんだろうと不思議に思ったのが すべての始まりですし、星のように光る光を追ってきたんです。 星は古今 夢や憧れの象徴でもあり、好奇心や不思議を追って 冒険の旅にまきこまれるきっかけになります。 そして死と生が物語のテーマであり、彼女も幼い頃に父親を失っています。 「人は死ぬと空の星になって ずっと見てるよ」「誰かが死ぬとき 流れ星が一つ流れるんだよ」なんて言い伝えを、誰もが一度はどこかできいたことあるのでは。 『星を追う子ども』って言葉を一言きくだけで、そういうイメージがぱっと広がるじゃないですか。
そもそも、映画も小説も歌もあらゆる作品が、本編に直接的でないタイトルをつけるなんて、ありふれてることなのに、そんなこと言う人がいるなんて謎すぎます…。詩を読んだ事とかないのかな…。想像力のかけらもない人なのかな…。謎。
きっと、その人は「この映画はジブリぱくり」と決めつけてしまってたのかな。ジブリ映画は あえてすごく直接的なタイトルをつけているけれど、 新海監督はそういうスタイルじゃない。 デビュー作『彼女と彼女の猫』は直接だけど。最近の『君の名は。』『天気の子』も内容と直結してわかりやすいタイトルだけど。 『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』『秒速5cm』あたりから知っていれば、新海監督は詩的な美しい言葉を好み、タイトルのつけ方に関してジブリとは違うスタイルだとわかるでしょうに。
ずいぶんと低く酷評されてる本作だけど、美しい映画ですよ。確かに、すごく面白い!とは感じなかったけど、新海作品はもともと、落ち込み疲れた時に美しい景色を見て 少年のモノローグにちょっと「自分だけじゃない」と心がやわらぐ…そういう作品。『君の名は。』でファンになって期待して過去作品を漁った人には受け入れられないかもしれないけど。
1つだけよくわからないとこ。森崎先生の過去。 森崎先生が夢の中で昔の記憶を見ていたけれど、異国風で現代の日本じゃなかった。(ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの戦争時代みたいな)。
普通に現代だとすれば、自衛隊で外国で戦ってたのか? いやでも雰囲気的には、実は先生は昔アガルタにいて 地上人とアガルタ人の戦争に参加していて…な風に見えた。 アガルタ出身で地上に来た? 地上から 研究好きでアガルタにたどり着き 現地の女性と恋に落ちた?
妻の名はリサ? あの幼い子マナの母親はリナで父親は地上の人間のようだけど、名前を聞き間違えた?もしやあの子の父親が森崎先生? …ってあたりが謎です。誰か知ってたらヒントほしい。
コメント失礼します。酷く酷評される今作も自分も描き込みの素晴らしさには感嘆します。謎の解決策ですが、おそらく穢れ子の父親は地上人で、母親がアガルタ人(りな)。森崎先生が地上人で、奥さんが恐らくアガルタ人(りさ)。部屋はフランス🇫🇷コルマールっぽいです。昔の思い出で森崎先生が戦争🪖参加している国は、架空の腕章アーチエンジェル。使ってる銃は1970〜のM16アサルトライフルっぽいので連射は不向きです。舞台は恐らく架空の市街戦で、東ヨーロッパかスペインっぽいです。そらから教師をしているので年齢不詳・元傭兵・既婚独身者って感じで如何でしょうか?因みにイングラムM11など使う場面があり、連射出来る銃が好きなんですね。少しでも謎の解決策に繋がれば幸いです。長々と失礼しました。