劇場公開日 2011年3月5日

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「見えていた宇宙が違う」アレクサンドリア マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0見えていた宇宙が違う

2011年11月3日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

ヒュパティアは、奴隷も分け隔てなく弟子として受け入れる。だが、決して自分とも対等であるという扱いをしているわけではない。あくまでも下級階層と見なしている。
それがわかった奴隷のダオスは、ヒュパティアに目を掛けてもらっていることに感謝しながらも、神の前では皆平等であるという教えを持つキリスト教に惹かれていったのだろう。

ではキリスト教徒たちはどうしたのかというと、改宗しない人間は異端児として扱い冷遇していく。神の前では平等という教えが、どこかで捻じ曲がってしまっていることに気づいていない。

暴徒と化した教徒たちが、人類の知恵の宝庫であるアレクサンドリアの図書館を襲い、数多の書物が失われた損失は計り知れない。
人類の知恵によって蓄えられた知識をゴミ扱いし、自分たちこそ世界の中心にいるという愚かしい行為だ。

だが、この愚行そのものにキュリロス主教は関わらない。けっきょく、何も知らない民は、政治の主権を争う駒としてしか扱われないのだ。
人の道をはずさないよう生まれた教えも、それを受け継ぐ者しだいで、元の考えそのものが変わってしまう。
それを許さないようにするには、すべての人類が知恵を持つことだ。愚かしいことを愚かしいことと判断する知恵を持つことだ。

この作品の原題「Agora」は古代都市国家の“広場”を指す。ここで行われた火の上を歩くというパフォーマンスを、当時の人間と現代人が見たとき、受け取り方はまるで違うだろう。
現代人と古代人では、見えていた宇宙が違うのだ。

すべての惑星が完璧な円軌道を描かないように、この世に完璧なものなど存在しない。
この映画では、人類と科学、その双方の矛盾点を描いているように思えてならない。

哲学者として、史上初の女性天文学者でもあるヒュパティアの、科学に身を捧げるという信念の生涯を描いた作品だが、新興のキリスト教に傾倒しながらも、自身の判断で行動する勇気を備えるまでに逞しくなった奴隷・ダオスの物語でもある。

マスター@だんだん