「キリスト教批判」アレクサンドリア kossykossyさんの映画レビュー(感想・評価)
キリスト教批判
いきなりローマ時代の中に引きずり込まれるほど感覚が麻痺してしまいそうな映像。なにしろレイチェル・ワイズの女性像が古代の彫像のような雰囲気なのだ。そんな彼女は哲学者として功績を残し、集まった弟子たちに講義をする。コペルニクス、ガリレオ以前の天文学。星は決して落ちてこないが、物体は落下するという万有引力の法則をも解明しようとしているのだ。彼女に恋する男は奴隷のダオス(ミンゲラ)、弟子のオレステス(アイザック)など・・・
ダオスは奴隷の身分なので求愛はできないが、彼女の講義をしっかり聴いていてプトレマイオスの天球儀を作ったりして注目を集める。愚か者だと評されていたオレステスは公衆の面前で音楽を使いプロポーズするが、ヒュパティアは受け入れない。月経の血を沁み込ませた布を見せ、私には調和なんてないと答えたのだ。
キリスト教徒たちにアレクサンドリアのセラピスをはじめとする神々を侮辱されたとして、武器をもって報復しようとする偉いさんたち。その中には図書館長でもあるヒュパティアの父親テオンもいた。彼女は弟子たちに戦いに加わらぬよう説得する。弟子たちの中にもシュネシオス(ルパート・エヴァンス)などのクリスチャンがいたし、奴隷のダオスもキリスト教に傾倒していたのだ。暴動の際、「武器を取れ」と怒られた奴隷の一人が長老(?)を剣で殺してしまい、テオンも深手を負った。圧倒的な数に膨れ上がっていたキリスト教徒。戦いきれなくなったアレクサンドリアの民は図書館へと避難するのだ。
やがてローマ皇帝の使者がやってくる。ローマ皇帝はクリスチャンだ。反乱を起こしたアレクサンドリアンの罪は問わないが、神殿と図書館を破壊し、クリスチャンが所有することを求めたのだ。慌てたテオン、ヒュパティア、そして弟子たち。せめて重要な書物だけを運び出して自らの学問を守ろうとする。しかし、ダオスはキリスト教徒の群衆へと赴き、神々の石像を破壊し、なんと自分の作った天球儀まで壊してしまった・・・なにかに怒った目。奴隷制度への怒りなのか?その足でヒュパティアの元へ行き、彼女を力ずくで奪おうとするが、できない・・・ヒュパティアは彼の首枷をはずし、彼を奴隷から解放した。そして数年後、ローマは東西に分裂。アレクサンドリアはキリスト教徒たちの町へと変わった・・・ここまでが前半。
ほとんどの者がキリスト教に改宗し、今度はユダヤ教徒が新たな火種となっていた。共存はしていたものの小さないざこざが至る所で起こり、殺戮があちこちで繰り返された。そして主教キュリオス(サミ・サミール)がヒュパティアを魔女だと決めつけ、彼女を隔離する。女は従順であれ、男に教えを説くなかれ、などという理由でだ。それを神の言葉として全員にひざまずかせるのだ。今では長官となっていたオレステスだけがひざまずかなかった。しかし、キュリオスに対抗するにはキュリオスが力を持ちすぎていたのだ。
やがてヒュパティアが魔女裁判のように複数の教徒に連れていかれ、拷問を受けることになるが、自由民となっていたダオスは彼女に近づき、苦しむことのないように気絶させ、やがて信徒によって虐殺されるのだ。
レイチェル・ワイズはもちろんいいし、助演の2人が前半と後半では違った顔を見せてくれるのがとてもいい。特に愚か者と言われたオレステス!彼女に振られたにもかかわらず、依然崇拝していて、守りきれないことに苦悩する姿がいい。
これだけの力作がなぜアメリカで賞を取っていない?理由は簡単、狂信的なキリスト教徒への完全なる批判となっているからだ。神の言葉を受け入れない者は死に値する。信仰の押し付けに最後まで抗っていたヒュパティア。本当は単に学問に打ち込んでいただけなのだが、それに対しては女性蔑視という点で強引に処刑へと導いている。この事件の後、アリスタルコスが公言した地動説を唱える者は16世紀まで登場しないほど、科学を否定するキリスト教の強大さは凄まじかった。そして異教徒への迫害、宗教を盾とする戦争、どうして宗教のために人々が戦わねばならぬのだという理不尽さや虚しさをこの映画は教えてくれる。久しぶりにいい映画に出会えたけど、できれば映画館で観たかったなぁ。