軽蔑のレビュー・感想・評価
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五分五分
この「軽蔑」というタイトルですが、誰が誰に対しての軽蔑なのかが良くわからなかったです、どうしてこのタイトルにしようと思ったのでしょうか。
まずそもそものところなのですが、最初にトップレスポールダンスショーパブに一彦(高良健吾)が劇場内で騒動を起こして、そこからダンサーの真知子(鈴木杏)を連れ出すところからストーリーが始まります。何だか一彦は借金があって、その返済に困って(実際には一彦よりも兄貴分の方が困っているようです)その騒ぎを起こすのですが、これをやる事によってどうして借金がチャラになるのでしょう。仕組みというか、どうしてなのかがよくわかりません。
その後一彦たちは一彦の実家のある田舎(和歌山県?)に逃げます。一彦は資産家の息子のようで、お金のない一彦にとっては良い状況なのかもしれませんが、あまり実家からは歓迎されていないようです。そうだとしたら二人で全く違う土地で暮らした方が幸せになるのではないのでしょうか。一彦が実家の地元にこだわるのが良くわかりません。
顔見知りもいるのですが、若い時の悪友的な仲間で、真面目に働こうとしている一彦にとってはいい存在だとは思えません。
一彦の実家で歓迎されなかった真知子は一人新宿に帰ってダンサー業を再開します。ここで良く分からないのは、真知子を取り戻そうと新宿の店に来た一彦を黒服たちが捕まえて、一彦を痛めつけます。そのあとに何の事はなく、真知子のいる楽屋に出入り出来るのは何故なのでしょう。普通だったら、そんな騒動を起こした人間をそのダンサーの楽屋に入れさせてしまうセキュリティーの甘さというのはどういう事なのでしょうか。
全般的にセリフが聞き取りづらく、字幕をつけて見直しました。リアリティを追求するのは良いのですが、セリフが聞き取りづらいと内容が良く分からなくなります。
一彦の真知子の思いは良くわかるのですが、その割には親に包丁を持って襲ったり、ギャンブルで借金したりと自分で自分の墓穴を掘っているような部分が多く、真剣さが伝わりません。それが一彦のキャラといったらそれまでなのですが、その一彦についていく真知子まで頭の良い人には見えません。
全体的に肝心なシーンがかなり省略されていて、深いところまで感情移入が出来なかったというのが、実感です。
一彦がバカラで負けたシーンがないので、一彦が何故山畑(大森南朋)にあそこまで狙われるのかが良く伝わってきませんでした。
バカラを襲撃するシーンもその前後の計画性もなく、どんな金を目当てにしたのにそんなに金がなかったかが良くわかりませんでした。
仲間たちが山畑たちに襲われるところも、海岸のシーンの残酷さはわかるのですが、一彦に彼ら仲間がどうしてここまでされるようなことまでやったのかが分かりません。
アルマンのママで一彦の祖父の妾だった千代子(緑魔子)が本当の身内よりも一彦の事を心配しているのが、良く伝わってきました。
ラストには山畑にアルマンに火をつけられ、千代子はその火事で亡くなってしまいます。
そこまでする山畑というのは何者なのでしょう。
アルマンが火に包まれて、プレイヤーにレコードがかかって熱でひしゃげていき、その音楽の流れる中で死んでいく千代子は感動的でした。
鈴木杏さんは熱演しているのですが、身体が細いのでトップダンサーには見えないのは私だけでしょうか。
ひたすらカズが悪い
良家の一人息子カズ(高良健吾)と、ストリップダンサーの真知子(鈴木杏)は、新宿で出会って恋に落ち、カズの田舎に戻って二人で新生活を始める。
しかし真知子の職業柄、周囲からの目は冷たく、カズの両親からも破門にされてしまう。
さらに、新宿で作った借金の返済が思うようにいかず自暴自棄になるカズは、田舎でも賭博で多額の借金を重ねる。
真知子や仲間たちが借金返済に奔走するも、あまりに額が大きく誰も太刀打ちできない。
金もない、頼れる人もいない。
自分たちにもはや未来がないと知りつつもなお、互いの孤独を分かち合った二人の愛は痛いほどに深く、決別できるわけもなかった。
ちーん。
壮大な失楽園的展開を想像していたけど、なんのこたぁないチンケで安っぽい人迷惑極まりない話だった。
「百円の恋」のレビューにも書いたけど、まず鈴木杏のポールダンスが下手。からだ重そう...
でも濡れ場(特に最初の旅館での)はとっても色っぽくて、新宿でのシーンは場末感を漂わせつつ一定の品格は保ってる感じがして、自然体だし、笑顔可愛かった。
ってか私、鈴木杏と同い年でしかも誕生日2週間違いなんだ!(謎の自慢
そしてこのカズなる人物のクズっぷりは本気で嫌悪感を催すレベル。
自分が原因で仲間を巻き込み、最後まで見捨てないでいてくれた人物をも巻き込み、彼ら全員を漏れなく不幸にし、中には死んでしまった人もいて、それを目の当たりにしてもまだわかりませんか己のクズさ加減が?
この後に及んでまだ「なんとかするから」って言っちゃうあの感じね。
心の何処かで本気でそう思ってそうだし、たとえ強がりだとしても不快すぎる。
「なんとか」って言いつつ、最後は結局盗むとか殺すとかそういう発想にしかならないのはなぜなんだ。
とりあえず真知子と別れたフリしとくとかさ、なんかもっと他にあっただろうよ方法がさ!
先がない二人の絶望的な愛、って映画としてはすごく魅力的なテーマ。
でも一方がこんなクズじゃあねぇ。。。
八方ふさがりになってお父さんに土下座するシーンもあったけど、あれだけじゃ必死さが伝わらない。
縋り付くとかさ。何回も行くとかさ。
そもそも最後まで微妙に小綺麗な格好してるのが納得いかない。
カズがもっと必死だったら、頑張れって思えるような人物だったら、もっとマシな映画になったでしょう。
あと小林薫が「天皇の料理番組」の人にしか見えなかった。
こんなクソ息子がいたからあんな仏頂面だったのか、道理で、、、と。笑
愚かでない女。
中上健次の遺作を映画化。
またも私は読んでないのだが、原作の雰囲気はどうだったんだろう。
こんな綺麗な作風にしないで、もっと泥臭くて男女が匂い立つような、
昭和の青春物語なら良かったのになぁと思った。もちろん日活でね。
軸となる話は古臭いのに、それをわざわざスタイリッシュにしている。
せっかく今をときめく若手俳優を使うのだから!!は分かるんだけど、
彼らにその風情を求めても空回り、せっかくの熱演が勿体ない気がする。
鈴木杏が新宿でナンバーワンのポールダンサーって?^^;え~マジで。
彼女はどんなに頑張ってもそういうキャラじゃない。脱いでもHしても
彼女が繰り出す演技の巧さは、真知子という女のずっと上をいってる。
つまり…愚かな女には見えないのだ…。頭が良くても失敗はするけど、
自身の生活を捨ててまでカズについてゆく壊れた女には見えないのだ。
高良健吾。彼もかなり巧い演技を見せるのだが、やっぱり若いので^^;
小林薫や大森南朋あたりが出てきた時点で影がどんどん薄れてしまう。
いい加減で甘ったれのボンボン息子というよりは、ただのお調子バカ、
さらに押しが弱く、受けだけ面のいいちゃらんぽらん、この男のどこが
そんなに良いのか私にも分からない^^;真知ちゃん、なんでやねん??
まぁ…それを言ったらダメですかね、青春モノが成り立ちませんね^^;
なんかこう~それを補う?んだか、誤魔化す?んだかで、変な音楽が
劇中でしょっちゅうかかるんだけど、アレ、かなり私には邪魔でした。
あんな音楽(ゴメンね作者さん)ない方がいい。なんだか耳障りだった。
おかしな楽曲で映画が散々といえば(汗)最近の角川映画の特権項目?
なんで二人の演技を潰すような音楽が必要になるのか、全く分からない。
彼らの演技に集中したいのに、その音楽に邪魔されてしまった理不尽。
映画の完成度は、どの時点で決まるんだろう。
もともとがこんな青春地獄放浪記みたいなお話なので、もの凄い感動や
胸に迫るラストを期待したわけではない。
でも、世界がこの二人を愛さなくても、観客には愛される二人を描いて
欲しいのだ。軽蔑に値する人間でも、どこか尊敬できる一面をもっている
はずだと愛する人に乞うてしまうのは、もはや自分ではどうしようもなく
相手に依存し、骨の髄まで与えてしまった馴の果てだと思わせて欲しい。
今作でその姿を見せてくれたのは、祖父の妾だった千代子役の緑魔子だ。
やんわりと語る仕草に相当の覚悟を秘めた女。
真知子にもその覚悟があったのに、そこを描けていないのがとても残念。
物語も配役も決して悪くないのに、勿体ないとしか言いようがない作品。
(まずはカズの魅力がもっと前面に出ないと苦しい。なぜ?が消化されない)
メロンとは、スプーンで食べると思っていた
「ヴァイブレーター」などの作品で知られる廣木隆一監督が、高良健吾、鈴木杏を主演に迎えて描く、野蛮な妖しさに満ちたラブストーリー。
幼い頃、マスクメロンを一人で食べ尽くしてみたいと思っていた。瑞々しい果肉、その中心で蠢く白い種を掻き出し、スプーンで一気にほじくりかえす。スイカよりも、キウイフルーツよりも、最上の贅沢と信じて疑わなかった。
私の夢は心底幼かったのだと思ったのは、本作を観賞した後であった。主人公である「カズ」と、「真知子」が初めて結ばれる印象的なシーンで唐突に出現したもの。それが、半玉のメロンであった。
男と女と、メロン。この何ともイヤラシイ描写に興奮を覚えていたら、おや、「スプーン」が、ない。カズは当たり前のように、指で果肉をほじくって真知子の口に入れる。果汁が・・指を濡らす。「おいしい?」「・・・美味しい」この間合い、妖艶な微笑み。もう、観客は目を背けられない。
この場面、下手な交接描写よりも相当に、エロティックな空気に満ち溢れている事に、観客は容易に気が付くはずである。垂れる水分、涙を流して食べる真知子、生物的な音。様々な作品を通して、男女の葛藤と愛情を描いてきた作り手の、真骨頂がここにある。
破滅へと突き進んでいく一組の男女を描く本作。この「指ほじりメロン」に限らず、舌足らずの鈴木が時に、ふわりと漏らすうめき。くぐもった声が、画面に妖艶な魅力を滲み出す高良。そして、和歌山弁の中に都落ち水商売嬢のいかがわしさを発散する緑魔子。あぐら姿にすら、男の無常観とキナ臭い薫りがぷんぷんする小林薫。個々のキャストが持つ危険な味わいが物語を強烈な色彩に塗りたくり、観客の緩んだ五感を刺激する。
廣木監督作品の常連、大森と田口も求められる空気と、危険な痛々しさを具現化して本作のもつ世界観を力強く支える。新しい世代のキャストが挑む大人の匂いと、ベテラン俳優陣への作り手の厚い信頼が、確かな日本製フィルム・ノワールの濃密な空気を作り出す。その熱くも、頼もしい完成度の高い創造世界に胸が震える。お子さまには、ちょっと薦められない・・いや、薦めたくない。
二時間強の、純愛世界。この究極のエロチシズムに溺れる価値は、ある。
ママゴトだからこそ放っておけない2人の愛
覚悟の高飛び云うても故郷に帰り、親父のマンションに転がり込むすねかじりの目論みやから、そんな愛、たかが知れている。
踊り娘とヒモの恋ゆえに当然、周囲は冷ややかで、満たされない欲求から地元でもまた博打にのめり込む。
程なくして、たちまち借金まみれ。
大森南朋演ずる高利貸しの親分に引きずり回されるハメとなる。
東京での失敗が一切、教訓になっていない愚行の代償はあまりにも大きく、仕事も妻も、そして、親や友人まで犠牲となってしまう。
誰もが祝福を拒みたくなる彼の愛欲は、破滅的であり、利己的でもあり、同情する余地は微塵も無い。
両親から「二度と敷居を跨ぐな」と勘当されるのは当然である。
結婚ってぇのは名ばかりで、所詮、ママゴトに過ぎない。
しかし、2人の迷走を絶えず放っておけない眼で観てしまった。
後先考えずに転がり落ちても、なお愛撫し続ける男女に対する若さへの憧れにも似た嫉妬心が我が胸を小突いたからだろう。
今作では鈴木杏と高良健吾が一糸纏わぬ大胆なベッドシーンが話題となった。
彼女の、存在感あるフェイスに反して小ぶりな乳房と可愛らしい腰回りが男性本能をそそる濃厚な絡み合いをキケンに奏で、想わず息を呑む。
妖艶な色気に咽せる一方、どこか純真無垢なあどけなさを漂わせる小悪魔のような裸体が印象深い。
未完成な身体による未完成な情事は、時として醜く、時として美しい。
2人の恋なぞ、如何にガキっぽく、成就しない関係であるかを象徴している気がして、切なさが後味を残す。
二日酔いの朝に呑み干す赤ワインとよく似ている。
路地裏の酒場でクダを巻き、ママさんに慰めてもらいたい夏の帰路であった。
では、最後に短歌を一首
『夜走る 裸足の男女(ふたり) 濡れる路地 椿焦がして 雨かぶる恋』
by全竜
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