「八日目もその先も。」八日目の蝉 ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
八日目もその先も。
原作も、NHKドラマの方も見ておらず、
まったく白紙の状態で劇場へ…レディースデイのせいかほぼ満席。
どうだろうかと思いつつ、ほぼ中盤からは涙と鼻水がツツーっと…
今作は内容的に、どのキャラクターにも感情移入できる立場を設け、
もし自分がこの人の立場だったら…を考えさせてくれる。
とにかく辛いのは、やはり、子供だろうか。。
私がいちばん移入できたのは誘拐された娘、恵理菜=薫だった。
大人の犯した過ちを一手に担い背負うのはこの子である。
生まれてすぐに自分の傍で愛情を注いでくれる人を母親だと思う。
人間の子供でなくても(例えば動物でも)それは同じだ。
健やかな愛情は何にも代えがたい。それがあって、子供は成長する。
善悪を問うと限りなくなるが、この子の場合、最も嫌悪すべきは
まず父親、その愛人だった希和子、愛を注げない母親。となるが、
心でいちばん受け止めたいのはおそらく母親だろう。
いちばんの苦しみは、夫の不倫やら愛人の誘拐劇やら、そして自分の
子供に懐いてもらえない絶望…女に生まれてこんな体験をするなんて。
すでに精神を病んでいるとしか思えない実母の行動は(森口瑤子熱演!)
なぜか希和子を被害者だと思わせるほどの恐ろしさだが、ではもし、
自分が彼女の立場だったら、普通の精神状態でいられるだろうか…。
家に子供を放置した自分を責め、そもそも不倫に身を投じた夫を憎み、
果ては幸せの象徴であったはずの子供まで、愛人共々恨んでしまう。。
こんな母親に傍にいられたら、子供は…一体どうしたらいいのか。
私は恵理菜が「ごめんなさい、ごめんなさい。」と謝る姿に涙が出た。
母親の心を掻き乱さないように、この子は貝のように口を閉じていく。
誰が、誰の傍にいても、哀しくてやりきれない。本当の家族なのに…。
その暗い現在と行き来して過去の回想が流れてゆく。。
逃亡の末、辿り着いた小豆島では二人にとって穏やかな日々が続き、
観ている側にも、このまま時が流れて二人が幸せになってくれたら…
などと思ってしまうほどの説得力がある。実の親子ではない二人に、
ずっと笑顔でいて欲しいと願ってしまうのである。どうにもここまでが
波乱に包まれているため、もういいから、お願いだから、と何故だか
母子を弁護したい気持にもなるのである。この不思議が分からない。
希和子という女性も、勝手極まりないのは事実、不倫も中絶も自分の
決断で行った(最終的には)のだから、子供を抱けないのは自業自得。
でも…母性というのは他人の子供にまで及ぶことを、今作では実際に
描いてみせてしまうのである。それが説得力を帯び、より切なさを増す。
もしも彼に出逢わなければ、彼の子供を身籠らなければ、彼女もまた
普通に恋愛、結婚し、幸せなお母さんになれていたかもしれない。
おそらく子供好きであろうその姿に、子供のいちばん欲しい顔がある。
愛情は…どんなに受けても受けすぎだとか貰いすぎだというのはない。
たくさん貰って、たくさん吸収して、子供はどんどん成長するのだ。
最も可愛くかけがえのない時期を愛人に盗られてしまった母親だが、
娘は父親と同じような人間を好きになり、果ては希和子の立場となる。
…これもまた。なんて言ったらいいのか。更に気が狂いそうな展開。。
しかし娘は、違う選択をとる。つまり母性を自分の子供に注げる立場で
貫こうと考えるのだ。もう誰も苦しませ、哀しませないで、済むように。
(でも子供はまた同じように疑問や苦しみを味わうだろうけど)
蛙の子は蛙。とはよく言ったもので、娘は父と同じような男を夫に選ぶ。
こればかりは、、、親にはどうすることもできないことかもしれない。
切なく哀しいことばかりがフォーカスされる展開かと思いきや、
母親の愛情をたっぷり受けて育った子どもの未来が決して暗くはない
ことも明示する。身を寄せたホームで女だらけの暮らしを余儀なくされた
ことで男性恐怖症に陥った千草を演じる小池栄子が抜群の演技を発揮、
彼女とまた出逢ったことで転機が訪れ、恵理菜の運命は大きく変わる。
過去と対峙するのはかなり勇気がいることだったろう。
だけどそこを乗り切ることで、自分が決して虚ろな立場にいないことや、
幸せの果てに課された責任を実感できたと思う。まだまだこれからだ。
七日で死んでしまった蝉には見えない未来が八日目には広がっている。
(どこまでも母性を問う展開に、男性陣は立場がない状況ですね^^;)