ブラック・スワンのレビュー・感想・評価
全211件中、181~200件目を表示
迷っている方、劇場へ!!
久々に、評価通りに裏切りなく感動出来る映画です。
ナタリーが凄い、これがアカデミー賞演技だって。
あっという間の2時間でした。
ぜひ、劇場鑑賞 お勧めします。
それより、役のせいもありながら、“ノニー”月日の流れを痛感。
色々あったけど、頑張って!!!!
ポートマンの白から黒への変容ぶりに、鳥肌が立ちました。
とにかくポートマンの白から黒へいきなり変容する演技が凄すぎて、息をのみました。アカデミー賞を取ったのも当然の作品でしょう。
ただポートマンだけが評価されるのは、異議ありです。本作のダーレン・アロノフスキー監督の観客を突き放しつつも、巧みに背景を推測させていく、演出の巧みさにももっと評価されるべきでしょう。そして、小地蔵がマイベストとしてリスペクトしている監督の前作『レスラー』と同様に、主人公が追い込こまれて、崩れていく描写のうまさも特筆ものであると感じました。
ちなみに本作は、元々「レスラー」の伏線としてストーリーが考えていたそうです。しかし、とても描ききれないと判断して、スピンアウトして誕生したのが本作です。どことなく二つの作品には、共通した哀しみが漂うのも、「一卵性双生児」だからでしょう。そして、二つの作品に共通するもう一つの点として、「何かに取り憑かれる人々」の物語であるということができます。
主人公のニナは、ニューヨークのある一流バレエ団に所属し、バレリーナとして人生の全てをバレエに捧げる日々を送っていました。母は元ダンサーで、今では絵画を描く日々を送っている。母は自分が果たせなかったバレリーナとしての夢をニナに託し、ニナに対して過剰なほどの愛情を注いでいたのです。そんな母の願いを受けて、ニナはプリマ(主役)を目指して努力する生真面目な女性でした。
そんなニナにチャンスがやってきます。興行動員が落ち込んでいたバレエ団は次の公演で新演出による『白鳥の湖』の上演を目指すことになったのです。しかも、芸術監督ルロイは、これまでのプリマだったベスを引退させて、新たなプリマを抜擢すると発表しました。
ニナも候補に入り、果然ルロイにアピールします。しかしニナには根本的な欠陥がありました。『白鳥の湖』の主役は、純真で無垢な「ホワイト・スワン」と官能的で邪悪な「ブラック・スワン」の二役を一人で踊らなければならない役どころ。相反することがらをひとりで表現できなければならないのに、ニナは箱入り娘で育ったせいか、潔癖症なため、全く官能的な表現ができなかったのです。
それに対しライバルのリリーは、自由奔放で男を誘惑することに長けていて、ブラック・スワンをその身で体現しているような踊りをニナに見せつけます。ニナは焦って、「ブラック・スワン」に成りきろうとすれば、自分のなかに宿るダークサイドな一面を見つめざるを得なくなります。それがラストにとても危険なことにつながっていくことを、本人も気がついていませんでした。
ニナのダークサイドな一面の端緒は、オーディションのとき、いきなりキスをしてきたルロイの唇を噛んでしまうようなところに。ニナに意外な面があることに気付ついたルロイは、自分の考えを翻し、ニナを主役に抜擢したのてす。
しかしプリマの重圧から、ニナは精神的に疲れ、幻覚や妄想といった精神病的な症状に悩まされるようになっていきました。もしもの時の代役として控えているリリーが、自分がせっかく射止めた主役の座を奪おうとしているようにも思えてならなくなっていたのです。ルロイは、ニナのブラック・スワンを演ずる時の寒々とした完璧主義的な踊りを厳しくダメだしします。相手役の王子を性的に魅了するような情熱に欠けていたのでした。
トマスのアパートに立ち寄ったニナに、ルロイは自身で性的な喜びを追求することが必要だと言って、ニナを帰してしまいます。女としても、見てくれないことにショックを抱くニナでした。
帰宅したあとのオナニーシーンが色っぽかったです。またリリーとレズビアン的なセックスもあり、まさにポートマンは役に体当たりしています。
「レスラー」同様、舞台裏の楽屋や狭い廊下で主人公を追うのは、主に手持ちカメラです。しかし「レスラー」のドキュメンタリー・タッチに対し、こちらはまるでホラー映画のようです。ニナの狂気は具現化され、「エクソシスト」で悪魔に取り憑かれた少女のように、邪悪な黒鳥に変わっていくのです。その映像は圧倒的。
バレエのスタジオや楽屋に無数にある鏡が、ニナの姿を様々に映し、やがて合わせ鏡の中の像が無限に分裂していきます。同時にニナの中の白鳥と黒鳥も分裂し続け、決して止揚されません。ついには黒鳥がドッペルゲンガー(もう一人の自分)となって暴走しだします。不安定な手持ちカメラの生々しさ。鏡の中の顔が悪魔の形相に変わるショック。ホラー映画のテクニックを駆使し、ニナの見る幻想が異様な緊張感と官能で描かれます。
本作で、鏡は重要なシンボルです。ニナはいつも鏡を通じて自分を見ていました。鏡は、時としてニナとは違った行動をとったり、そこに写るべきものが写さなかったり、不思議な描写をします。それが意味するのは、「鏡を通じて作られた自分」であり、鏡とは自分をコピーのように育て上げようとした母親を意味するのではないでしょうか。「鏡」の一部で行うラストの衝撃的な行動は、母親からの自立を目指したかったからではないだろうかと思えました。それをふりきるためには、数多くの苦悩とこれほどまでの犠牲が必要だったのです。「私、感じてたわ。完璧よ。私、完璧だったわ」という最後の言葉は、やっと母親に認められて、母親から卒業できた安堵の言葉だったのかも知れません。
圧巻は公演シーン。ほぼ完璧にバレリーナになり切ったポートマンの演技が本作に命を吹き込んでいました。撮影前の10か月間、毎日5時間に及ぶトレーニングを積み、9キロの減量をして、たっぷりとある踊りの場面のほとんどすべてをこなしたそうです。
少女時代にバレエの経験があるとはいえ、本物に見せるには超人的な努力が必要だったでしょう。演技というレベルを超えた、狂気すら感じさせます。ポートマンもまた、ニナという役に取り憑かれたのではないでしょうか。
観客もまた、主人公と共に取り憑かれて、迷宮をさまようことになった2時間でした。
追伸
但し、引きのショットは極力回避されているものの、群舞などの引きのシーンでは、ナタリー・ポートマンの顔面をCG合成しているようです。バレエでは、全般的にバストアップの構図を多用することで、表情などの演技に観客の視線を集中させ、彼女の踊りの未熟さを上手くカバーしてしまっているところが、上手い撮り方だなと思えました。
ポートマンに埋もれてしまった格好ですが、ヴァンサン・カッセルもなかなかプレイボーイぽい舞台監督を好演していたと思います。
切実な痛さ
皆さん、こんにちは(いま5月19日10:50頃です)
皆さん、大絶賛されてますね。
だから、僕は違う切り口でこの映画を評価したいと思いました。
それは「痛さ」です。
たとえば、
①ささくれ立った指先の皮をむくことだったり
②なぜか、背中についた擦り傷だったり
③背中に刺さっていた棘だったり
④バレエダンサーの職業病のような足の爪が割れたり
⑤おなじく、足の指がくっついて離れなくなっちゃったり
と「痛さ」が満載です。
精神的に追い詰められるニナだけど、
肉体的なところからも、これでもか、これでもかと攻め立てくる。
実に痛いんです。ひとつひとつは耐えられないことはないけれど、
波状攻撃にようにやられると参ってしまう。
僕もその痛さに耐えられなくなって顔をしかめてしまったのです。
アロノフスキー監督は前作「レスラー」でも痛さを表現していた。
流血の場面やイスでぶん殴るシーンなんかはリアリティたっぷりでした。
それがある意味、虚構であっても。いや虚構であればあるほど、
リアルな感覚が必要なんですね。
その監督のサディズムの耐えたナタリー・ポートマンもまた見事。
ずいぶん、やせましたもんね。
そして、ブラックスワンになりきった。
アカデミー主演賞は当然でしょう。
白鳥から黒鳥へ、ジェットコースターのような映画でした。
評価A+
追い込まれる
狂気の満ちた執念
なりきるが為に…
これはバレエ映画であってバレエ映画ではない
ニナの深層心理を描いたスリラー。ニナを追い詰めるのは、大役を演じることへのプレッシャー、役を奪われることへの恐怖心、そして過保護の母に対する嫌悪と苛立ちだ。
仲間に役を奪われるのではないかという猜疑心は、とくに新鋭のリリーに向けられる。リリーには、自分にはない天性の才能があることを察しているからだ。ましてや、自分がプリマドンナに抜擢された陰で、ベテランのベスが半ば追放のような形で引退させられたばかりだ。
自分を恨んでいるに違いないベス。私生活を知れば知るほど妖艶な魅力が炸裂するリリー。両者の板挟みでニナの心はずたずたになっていく。
そもそも根本にあるのが本作の題名でもある〈ブラック・スワン〉だ。清楚な白鳥は踊れても、生真面目なニナに黒鳥は踊れない。黒鳥を踊るためには、ニナ自身の闇に潜む魔性を解き放たなければならない。
だが、そもそもニナにそれほどの魔性があるのか、ナタリー・ポートマンからは魔性の怪しい香りはかけらも漂ってこない。これも演出なのか、最後は一気にテンションを高めてみせる。ナタリー・ポートマンの迫真の演技と効果的なCG処理によって、我が身を傷つけてまで狂気の世界へと羽ばたくニナの姿が描かれる。
湖をすすむ優雅な白鳥。その漆黒の湖面の下で渦巻く心の葛藤。完璧を求めること自体が自信の無さの表れと気づかないひとりの女の性。
これはバレエ映画であってバレエ映画ではない。
ナタリー・ポートマンの魅力が炸裂
白鳥が孕んだ黒鳥
ラストのどんでん返しは、昔からよくあるパターンだ。
心理スリラーとしては、ほぼ完璧な映画だろう。
(敵役のミラ・クニスの踊りはバレリーナに見えないが・・)
生真面目な人間ほど、プレッシャーに弱く、壊れやすい。
少女漫画にも、この映画に似た心理劇は何度も描かれていて、
映画を見終わって、山岸凉子の「天人唐草」を思い出した。
人格が、少しづつ壊れていく様の凄まじさを
山岸凉子は手を変え品を変えて描き出している。
バレエのテクニックを楽しむ映画ではない事はわかっていたが
母と子の繋がりが「ターニング・ポイント」(邦題は「愛と喝采の日々」)
のシャーリー・マクレーンとレスリー・ブラウンを思わせる。
「ターニング・ポイント」はミハイル・バリシニコフの「海賊」を見る
だけで一見の価値があったなあと、また見たくなった。
清楚な白鳥のようなニナの中に、醜い欲望の権化である黒鳥はいつ
住みついてしまったのか
母親との確執が発端なのか、彼女の脆い心が強い自分への変身を
無意識に望んだのか
そのあたりを掘り下げてくれていたら、ニナの苦しさがずっと重く
心に残ったのだろうが・・
エロすぎてイッちゃう映画
すごーくエロい作品です。
“I FELT IT. PERFECT...I WAS PERFECT”と言うラストのナタリーの表情は“恍惚、エクスタシー”そのものです。
それと同時に観客もエクスタシー感じることのできるラストです。
映画で昇天するような体験をさせられるなんて、この監督は凄いと思います。
でも間違いなく監督はド変態だと思います。
本当に拍手したくなるようなラストです。
美と官能とトラウマと闇
どこからどう感想を伝えたら良いのでしょう。
主演のナタリー・ポートマン、清純さ漂う美の表現に始まり
大人のようなまだ幼さも残すような官能的なシーン。
そして母親との葛藤。
それらが織り混ざって、終盤の心の闇との、現実とも幻覚とも
つかない闘いへ。
この全ての表現が、主演のナタリー・ポートマン素晴らしかったです。
特に終盤の黒鳥の眼。
魔性、狂気入り混じる迫力ある眼。
これを観た時に、スクリーンに引き付けられ、時間が過ぎるのを
忘れるように魅入りました。
観る前に思っていた想像とのギャップは、良い方に見事裏切られました。
私の中の、今年一番の映画になりそうです。
美しき悪夢
バレエを題材にした映画と言うと、華麗な映画を思い浮かぶが、それを覆すようなダークで愛憎渦巻くスリリングなスリラーだった。
とにかく凄い衝撃作。
まるで「愛のむきだし」を見た時のような。
ナタリー・ポートマンの演技については、もはやあれこれ語る必要は無い。
言葉で語るのが表現出来ない程、圧巻。
母親の必要以上の愛情、監督のプレッシャー、ライバルからの嫉妬…それらを目の当たりにした無垢だった白鳥が、自らの心の闇によって解き放たれ、黒鳥へと変貌していく。
その終盤への盛り上げ方、叩みかける演出は凄まじく、名曲の素晴らしさと共に興奮さえしてしまった。
「告白」同様、並のホラー以上にホラー。
一番怖ろしいのは、人間の心の闇なのだ。「ミスト」もそうだった。
そこに華麗なバレエがコラボされ、怖ろしくも美しい映画が誕生した。
ナタリー・ポートマンを観る映画
2011年の第83回アカデミー賞でナタリー・ポートマンが主演女優賞を授賞。合わせてナタリー・ポートマンは、この作品で出会ったフランス人振付師との婚約・妊娠を発表しています。
繊細で、傷付き易い若きプリマ=ニナをナタリー・ポートマンが、非常に上手く演じています。って言うか、物語冒頭から、ニナが非常に神経過敏であると言う事が、伏線どころか、はっきりと示していて(ちょっと、過剰かな?という気もしますが)、その後の物語の理解を助けています。そんな神経過敏の子供に育ててしまった原因が母にあるんですが、母の、言ってはならないセリフ(「あなたのために、夢を諦めた」)もあり、「そりゃぁ、神経過敏に育つよね」とも思いました。
ニナを抜擢する監督が、ヴァンサンカン・カッセル。『オーシャンズ12』『オーシャンズ13』では、ダニー・オーシャン達にコケにされる役どころを演じていますが、この作品では、堂々たるバレエの監督を演じています。スリムだし、確かに、バレエの監督と言う雰囲気。ついでに、女好きと言う設定は、彼がフランス人だからでしょうか?
ジャンルとしては、サスペンススリラーらしいですが、どうなんでしょう? あらすじうぃ詳しくは記しませんが、物語終盤に、ニナが現実と夢の区別が付かなくなっていく辺りは、確かにスリラーかも。最後の最後が、あのままと言うのは、文字通りサスペンスではありますが・・・。って言うか、実は、痛かったり、グロかったりするシーンは苦手なんですが、意外に、痛かったり、グロかったりする作品です(苦笑)
実は、観に行くかどうか、迷いました。ですが、今日はTOHOシネマズだと1000円で映画が観れるので行くことにしました。それにしても、この作品は、ナタリー・ポートマンに尽きますね。アカデミー賞で主演女優賞を授賞しただけのことはあります。終盤に見せる充血した目は、中々怖いものがあります。結論としては、行って良かったです。
圧巻の苦悩と狂気
星1つか5つか両極の評価しかできない激しい作品
白鳥の湖の黒鳥役を演じるのにここまでする必要があるの?もっとクラシックバレエの作品らしくきれいにまとめることもできたのではないの?と最初は思った。しかし、観終わった後に反芻すると、この作品は単なるオカルトと、芸術作品の間を隔てる塀の上を歩き、かろうじてオカルト側に落ちなかった、究極の芸術作品のような気がして、5つ星の評価になった。
それにしても疲れた。完全に主人公の内面に入りきって、観てしまった。あそこまで表現しないと、観客はここまで没入できないのかもしれない。
白鳥の湖のバレエ公演は一度も観たことのないひとはつらいかもしれない。黒鳥の激しさ、それに負けない瀕死の白鳥。
この映画によって「白鳥の湖」ってすごい作品だったのだなと改めて思った。
監督とナタリーの技量に圧倒された
誰もが一度は聴いたことのある音楽「白鳥の湖」。
その悲しげなメロディーにのせて、ストーリーは進む。
心理サスペンス&ちょっとスリラーという内容。
こういう作品、好きです。
前半、少し「あれっ?!」という既視感を覚えたり、途中で、「あっ!きっと、こうなのね」と気づいたものの、後半からは、息つくヒマもないくらい、怒涛の勢いでラストへと。
純真で儚く、母の期待を一身に背負い、それに応えるべく頑張るニナ。
白鳥と黒鳥を演じ分けろ!!
白と黒。
善と悪。
光と闇。
真と嘘。
家と稽古場。
母と監督。
ニナとリリー。
人間の持つ背中合わせの二面性。
ラストの黒鳥への変身ぶりは、お見事!!
監督とナタリーの技量の賜物でしょう。
アカデミー賞も納得。
思い返せば、「レオン」の少女から、すっかりおとなの女性へと変身され、時は流れていたのですね。
ナタリーは、マチルダから脱皮できる作品に出会えたのでは・・・。
バレエ劇中のオデットの運命とニナとナタリーが重なって、圧倒された。
ウィノナ・ライダー。前回見たのは、浮気する人妻役。
今回は、引退するバレーリーナ。
旬を過ぎたような役だけど、こうしてスクリーンに登場してくれるのは、嬉しい。
見終わった時、バレエの王子のように、黒鳥に胸を鷲掴みにされたようだった。
「映画館のための」、映画
「レスラー」などの作品で知られるダーレン・アロノフスキー監督が、ナタリー・ポートマン、ヴァンサン・カッセルを迎えて描く、サスペンス映画。
この作品を、単純に名門バレエ団に起こる愛憎劇と考えてはいけない。もちろん、大きな軸としてバレエという身体芸術を巡る嫉妬と悪意がある。だがそれだけに収まらない本作の魅力こそが、ナタリー・ポートマンを絶賛の演技へと導いたのだということを忘れてはいけない。それは、何か。
「人間の閉じきった感覚を全力でこじ開ける、衝動」だ。
作り手はバレエという究極の身体芸術に対して、時間と手間を惜しまずに向き合ったのだろう。その世界から生み出される己の肉体一つで作り上げる色気と可憐、弾け飛ぶ汗と指先一つの迫力という多様な美的要素を認識し、一本の作品にぶちまけることで、人間の肉体が表現し得る最大限の喜びと可能性を、提示してみせる。そこには想像を絶する美しさと恐怖が満ち溢れ、観客の予測を飛び越える奔放な魅力がある。
加えて、視覚、聴覚はもちろん、母の指を舐めて味わうケーキの味覚、主人公の身体をいやらしく這う指の触覚、そして無機質な楽屋の嗅覚と、観客の五感全てを刺激して物語に引っ張り込もうとする暴力的なまでの力強さが全編に溢れ出し、物語を超えて観客の心身共に感じる開放感へと繋げている。
映画館という暗闇がもつ、想像力増進と異次元への開放という可能性を存分に理解し、利用し尽くそうとする作り手の心意気が嬉しい作品だ。どうか、DVDやBDで味わおうとは思わないで欲しい。この映画は、まさに「映画館のためにある」映画なのだから。
研ぎ澄まされた演技でした。
全211件中、181~200件目を表示