エル・トポのレビュー・感想・評価
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冒頭のナレーションが全てかと。。
ジョン・レノンや寺山修司が絶賛したとされるこの映画、グロテスクともいえる美しい映像と強烈なメッセージが印象的です。
エル・トポとはモグラのことで、太陽を求めて生きるが、太陽を見ると目を失う。
冒頭のこのナレーションが全てを表すように、天才的な達人ともいえるガンマンたちに戦いを挑み、卑怯な手段で勝ち進むものの、最終的には自分の引き起こした結末に絶望し、自ら命を断つという悲劇的なストーリー。
ある一人の達人、老いた姿であるにもかかわらず、ピストルの玉を虫取り網で取ることができ、いくら撃っても取られてしまう。
老人は問う、なぜ戦うのかと。
主人公が答える、あなたを倒して最強になりたいのだと。。
老人は、あぁそんな事が望みなのか、それなら簡単だと自らの心臓を撃ち抜く。
死にゆく最後に主人公に問いかける。これで満足かと。
人は、希望を持つことが大切で、それが叶うかどうかではなく、その希望に向かって生きることが大切なのだと。
希望の先に幸せが待っているのか、それとも不幸があるのか、それは誰にもわからないが、人は希望なしには生きられないのだと。
後半のフリークスを穴倉から解放した結末は、現在では倫理的に許されない表現になっていますよね。
逆に、表現の世界までも、一般常識的な倫理感で批判する現代もどうかと思いますが。
美しい映像と、メッセージの強さが長く記憶に残る名作だと思います。
メキシコが作ったタコス・ウェスタン!
2回目の鑑賞になるが、初見をよく覚えていない。
初見はバブルが弾ける前だと記憶する。新宿の『ですこテック』の帰りに、小岩にあった今は無き『ビデオボーイ』のレンタルビデオで見た。
一緒に借りたのが『旅芸人の記録』で、最初に旅芸人を見たので、エル・トポも早回しで見てしまった。だから、エロ・グロ・ナンセンスな映画と偏見を持つことになった。しかも、身体障害者に対する差別と一方的に解釈したようだ。
さて、
地下の売春ルームの様な所で乱痴気騒ぎをする場面があるが、当時行った『ですこテック』に似ているって思った。だから、初見を思い出した。
結果論ではあるが、資本主義の矛盾を『ですこテック』で感じたと、今は言い切れる。
この映画、色々な仕掛けを残していると感じる。何回か見てみると、その仕掛けに気づくかもしれない。何れにせよ、大傑作だと今は断言する。
但し、どんな監督とか、カルト映画なるモノが何なのか全く知らない。僕はメキシコが作ったタコス・ウェスタンと思っている。
こじつけになるかもしれないが、身体障害者を受け入れる事の出来ない街の人達はアメリカ人で、身体障害者はメキシコからの不法入国者に見えた。勿論、監督がそんな事知る由もないだろうが。
ゴ・ディン・ジエム時代に起きたサイゴン(?)での、仏教僧の抗議による焼身自殺が監督の頭の中にあると思う。ベトナム戦争が激化する前に、日本の廃仏毀釈の様な弾圧がベトナムではあって、そういった抗議の中にこの焼身自殺がある。1963年の出来事。そして、映画は
ベトナム反戦運動の真っ只中。
未来人から観た『エル・トポ』
いやはや、噂に違わぬ元祖カルト映画でした。公開当初はトンでもない怪作として受容されてきたと思います。
しかし、「エンドレス・ポエトリー」を経た現在、本作はサイコマジック前夜を描いた映画と言えるでしょう。とてもホドロフスキーのパーソナルな映画で、父親ハイメとの葛藤・自分を生きる・生きる意味といった彼のテーマが思いっきり描かれていました。未来人として本作を鑑賞すると、実に解りやすい映画でした。
序盤から、父親をイメージさせる大佐と戦い、倒した後に去勢して、その直後に大佐の女を連れて、7歳の息子を捨てて旅立つという、さっそくサイコロジカルな展開。主客が入り混じりますが、思いっきりエディプス・コンプレックスの話です。これはアレハンドロがつい最近まで抱いていた根本的な問題です。
エンドレス〜以後だと、「冒頭はハイメがエルトポで、ぬいぐるみと母の思い出を埋めさせられる息子がアレハンドロね」「トポがアレハンドロになった。あー大佐がハイメね」「あっ、トポがハイメに戻ってアレハンドロが捨てられた」等々、割とはっきり伝わります。若きアレハンドロは苦悩してますなぁ。
その後、トポ=アレハンドロは、砂漠で女(母とも読めるが、これも父親っぽいな〜)に「砂漠の腕利き4人を倒せ」とけしかけられ、言われるがままに倒していきます。
「倒せ」といわれ「倒す」。これは、自分の人生を生きてないですねぇ、虚無ですねぇ。この時はエンドレス〜ばりに老ホドロフスキーに登場していただき「自分を生きろ!」と一喝してほしかったです。そんな訳で無意味な最強になったところでトポは何も得ません。
そして後半。フリークスたちの神となったトポですが、髪を切り髭を剃り、ひとりの人間に戻ります。ここはエンドレス〜でも繰り返し描写された「脱ぎ捨てる」イメージですかね。古い自分を脱ぎ捨てる=死と再生なので、この後、小人のパートナーとともにパントマイムに興じるアレハンドロは幸せそうです。自分を生きてるね!
フリークスとアレハンドロの関係ですが、彼はフリークスたちに自分を重ねていたのでしょう。同種の仲間というシンパシーを持っているので、その後もやたらとフリークスたちが彼の映画に登場してます。そうだろうなぁ、とは感じていたのですが、本作で確信しました。
そんな感じで1970年のホドロフスキーの心象風景がダダ漏れしている本作です。まだサイコマジック以前なので、終わり方も未治療!って雰囲気です。あのエンドレス〜の究極の安息をもたらす結末を描けるまでに、ホドロフスキー師匠は45年くらいかかった訳です。長い旅ですが、それだけ彼にとっては苦しい戦いだったのでしょう。
21世紀に生きて、エンドレス〜を鑑賞できる未来人たる我々は、本作を若き日のホドロフスキー師匠のドキュメンタリー映画として楽しむことができると思います。
神と人の間で
偉大な才能と自信を持つ男は神の村の女を助けることにより神格性を得る。
男は子を捨て神になる道を選ぶ。しかし女の村は一神教の村のため、「神は一人だ。お前が神になるためには他の神を倒さねばならない」という。
男は神としてまだ未熟である。他の神々には遠く及ばない。男は神々を越えるのではなく卑怯な手段で殺す。
しかし、男は神々を殺すことで神々を越える機会を永遠に失う。世界に神は男しかいなくなるが、男はいまだ未熟な唯一神であり、そしてこれからも未熟なままであり続けるしかないことに絶望する。
男に愛想を尽かした女もすでにいない。
男は弱く貧しい奇形の洞窟に拾われる。男はそこで徐々に人としての感情を取り戻す。
男は奇形の恩人を洞窟から街に出してやろうと奮闘する。
しかし男の宿命は「与えるつもりで奪っている」だ。
男は善意から奇形を穴蔵から出したが、奇形は日の光の眩しさに死んでしまう。
男は街に復讐するが、その中で無敵の肉体という神格性を再び発露させてしまう。
だが、神になることにもはやなんの気概もない、というか神より人であろうとした男は、まだ自分が人であるうちに自殺をする。
よかった
物語は三部構成になっている。
第一部は子供と砂漠を旅して、大佐と5人の部下と闘う。ここでエル・トポは無敵の強さを見せる。ここで出会った女を選び、子供を置き去りにする。
第二部は4人の達人と闘う。女が一番の男を求めたためだ。女はセックスをした途端そんなことを言い出して、エル・トポは4人の達人に嫌々挑戦する。エル・トポの実力は達人には及ばないのだが、卑怯な手を使って全員を倒す。しかしもう一人の女が現れて、女同士で旅立ち、エル・トポは置き去りにされる。
第三部はエル・トポを助けた奇形人間たちと過ごす。彼らは洞穴で暮らしていて、町に出るには何日もかけてよじ登らなければならず困っていた。エル・トポは横穴を掘るために街に出てお金を稼ぐ。町の人々はとても心が醜く、我欲むき出して退廃的な生活をしていた。そこでかつて捨てた息子と出会う。横穴が完成すると、奇形人間たちが町に押し寄せる。町の人々は、奇形人間を射殺し、エル・トポも蜂の巣にする。ところがエル・トポは何発撃たれても鬼人のような強さを発揮して町の人々を殺戮する。
昔、見た時は分けの分からない映画だと思ったのだが、落ち着いて見るとしっかりと筋が通っていた。時折鮮烈な映像があって、驚くのだが、必要なカットが足りない場面もあり、悪く言えば素人っぽい。エル・トポが何発も銃弾を受けながら、立ち上がり町の人々を殺戮する場面はとんでもない迫力で本来描かれるはずなのだが、とても淡々としていて、凄惨な印象があまりなかった。
私事で恐縮なのだが、オレも運命には素直に乗る方で、エル・トポの人生を見ていると特に自分で何かを強烈に選ぶわけではなく、流れに流されるまま行動を選択している感じがした。しかし、「やり始めたことは最後までやり遂げるんだ」という強い意志があり、見事に実践していた。そしてそれが最終的に悲劇を招いてしまうのだが、それは結果としてそうなっただけの事なので、だからと言って彼が間違っていたわけではない。その場その場で懸命に取り組むことが重要であることを強く感じた。
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