「未来人から観た『エル・トポ』」エル・トポ kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
未来人から観た『エル・トポ』
いやはや、噂に違わぬ元祖カルト映画でした。公開当初はトンでもない怪作として受容されてきたと思います。
しかし、「エンドレス・ポエトリー」を経た現在、本作はサイコマジック前夜を描いた映画と言えるでしょう。とてもホドロフスキーのパーソナルな映画で、父親ハイメとの葛藤・自分を生きる・生きる意味といった彼のテーマが思いっきり描かれていました。未来人として本作を鑑賞すると、実に解りやすい映画でした。
序盤から、父親をイメージさせる大佐と戦い、倒した後に去勢して、その直後に大佐の女を連れて、7歳の息子を捨てて旅立つという、さっそくサイコロジカルな展開。主客が入り混じりますが、思いっきりエディプス・コンプレックスの話です。これはアレハンドロがつい最近まで抱いていた根本的な問題です。
エンドレス〜以後だと、「冒頭はハイメがエルトポで、ぬいぐるみと母の思い出を埋めさせられる息子がアレハンドロね」「トポがアレハンドロになった。あー大佐がハイメね」「あっ、トポがハイメに戻ってアレハンドロが捨てられた」等々、割とはっきり伝わります。若きアレハンドロは苦悩してますなぁ。
その後、トポ=アレハンドロは、砂漠で女(母とも読めるが、これも父親っぽいな〜)に「砂漠の腕利き4人を倒せ」とけしかけられ、言われるがままに倒していきます。
「倒せ」といわれ「倒す」。これは、自分の人生を生きてないですねぇ、虚無ですねぇ。この時はエンドレス〜ばりに老ホドロフスキーに登場していただき「自分を生きろ!」と一喝してほしかったです。そんな訳で無意味な最強になったところでトポは何も得ません。
そして後半。フリークスたちの神となったトポですが、髪を切り髭を剃り、ひとりの人間に戻ります。ここはエンドレス〜でも繰り返し描写された「脱ぎ捨てる」イメージですかね。古い自分を脱ぎ捨てる=死と再生なので、この後、小人のパートナーとともにパントマイムに興じるアレハンドロは幸せそうです。自分を生きてるね!
フリークスとアレハンドロの関係ですが、彼はフリークスたちに自分を重ねていたのでしょう。同種の仲間というシンパシーを持っているので、その後もやたらとフリークスたちが彼の映画に登場してます。そうだろうなぁ、とは感じていたのですが、本作で確信しました。
そんな感じで1970年のホドロフスキーの心象風景がダダ漏れしている本作です。まだサイコマジック以前なので、終わり方も未治療!って雰囲気です。あのエンドレス〜の究極の安息をもたらす結末を描けるまでに、ホドロフスキー師匠は45年くらいかかった訳です。長い旅ですが、それだけ彼にとっては苦しい戦いだったのでしょう。
21世紀に生きて、エンドレス〜を鑑賞できる未来人たる我々は、本作を若き日のホドロフスキー師匠のドキュメンタリー映画として楽しむことができると思います。