その街のこども 劇場版のレビュー・感想・評価
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阪神淡路大震災 「その街のこども」
その街のこども 劇場版
大阪十三の映画館「シアターセブン」で鑑賞。アンコール上映 2024年1月18日
パンフレット入手
「街」は一瞬で破壊され、ぼくたちは生き残った
2010年1月16日 小学校4年生頃に震災を体験し、今は東京で暮らす勇治(森山未來)は、同じ建設会社に勤める先輩(津田寛治)と共に出張先の広島に向かう新幹線の中にいた。
電光掲示板をぼんやり眺めていると、明日は震災の日だという。ちょうど新神戸駅に停車したところで勇治は思わず新幹線から下車してしまう。15年ぶりの神戸。
中学1年生の頃に被災を体験している美夏(佐藤江梨子)は、気持ちの整理がつかずこれまで参加できなかった”追悼のつどい”に、今年こそ参加しようと、東京から神戸へ13年ぶりに帰ってきていた。偶然出会ったふたりは、自分たちの境遇が似ていることを知り、三宮までの道のりを一緒に歩くことになる。
三宮の居酒屋に入ったふたりは、お互いの震災体験について少しずつ語り始める。
勇治は屋根の修理をしていた父親が当時の震災特需で大儲けした結果、学校で無視されるようになったという。そして神戸には思い入れなどなく、今回も”なんとなく”下車しただけだと。
一方で美夏は明日17日に東遊園地で行われる”追悼のつどい”に参加したいのだが、震災が残した心の傷に向き合うのが怖くて、なかなか決心がつかないのだ。
「じゃあ行かんかったらいいじゃない」と言う勇治に対し美夏は「だめなんです、行かなだめです」と一蹴する
終電を逃したふたりは、”追悼のつどい”が始まるまで神戸の街を歩いてみたいという美夏の強引な誘いに勇治は付き合うことに。
美夏の祖母が住む御影まで行き荷物を置き、三宮まで戻るその途中、父親が屋根を直した家が立ち並ぶ西灘駅周辺で、当時の記憶がよみがえってしまう。今は幸せそうな家庭を築いている同級生の家をみて勇治は「俺は幸せやなかった」と呟く。
御影の美夏の祖母の家に荷物を置いた美夏は、その途中の公園で、震災で死んでしまった親友のゆっちと生き残ったゆっちの父親のことを想っていた。
どんな善人だろうと一瞬にして人を死なせてしまう地震というものが理解できず、娘を亡くしボロボロになっているゆっちの父親がずっと怖かったと打ち明ける美夏。神戸に戻ってきたのは逃げ続けたゆっちの死と震災に向き合うためだった。
しばらく歩くと、、美夏は夜中だというのに一部屋だけ明かりがついているマンションを見つける。そこはゆっちの父親が住んでいるマンション。
美夏はしばらく悩んだが、「ここにおってくれへん?」と勇治に言い残しゆっちの父親に会いに行くのだった。
そしてしばらくして夜が明けてくる。東遊園地の”追悼のつどい”に間に合ったふたり。美夏は「一緒に行かへん?」と勇治を誘うが、勇治には心の準備がなかった。
「ありがとう また来年」と言い、ふたりは別の方向に歩み出した。
1995年1月17日午前5時46分 ”追悼のつどい” が始まった
昔ドラマ版を見た。もはや痴呆が入っている私が覚えているというのは、...
昔ドラマ版を見た。もはや痴呆が入っている私が覚えているというのは、私が地元の人間という以外にも理由があると思う。
今回、職場になぜかDVDがあり、改めて見ることに。やはりいい。
ここから少しネタバレあるかも。ご注意。
あの震災、人生を変えられた人がたくさんいると思う。15年ぶりに神戸に帰った若者が自分たちの心に向き合う。朝までに御影に行き三宮に戻るのはかなり無理があるが、ロードムービーになっていて面白い。そして訪れる泣かずにはいれない友の父との再会。結末もまたよし。トラウマを乗り越えられた者とまだ道半ばの者。
今となってはもはや12年前の神戸の風景も懐かしかった。
長い夜
ふたりと一緒に徘徊したような気持ちになってくる。過敏で屈折した彼と、率直でガサツな彼女。合わないふたりが忘れてきた神戸の空気を一晩かけて吸い込んで一体感が包み込む。背負ったものがどこまで重いのか軽いのか分からない。被災者にとってもさまざま。当時は直撃しなくても、その後に引き取った重荷もある。重さを感じるためにただただ歩く。疲れを感じて得る悟りもある。
全てがアドリブのようでもある自然なやりとり。サトエリの関西弁が愛おしい。夜はくねくねは関西の得意分野かもしれないが、思いきった構成はテレビドラマとしても大胆。そこから得られる共感は重荷を追って前に進むしかない全ての者に普遍的なものだろう。合掌。
その事との距離感の最適。
初見。支持。
甚大過ぎた災厄を撮るに選んだその事との距離感の最適を評す。
バディものだがベタつかない心地良さに傑作スケアクロウを想う。
上品だからこそ胸に迫るという表現が映画に可能だと示した功績は大きい。
一晩だけのロードムービー
今作ほど心を捉えて離さない作品も滅多にない。
映像ではない、その心理描写が
いつまでも忘れられない。
確かに悲しい現実。でも未来は明るい。
多くの人に見て欲しい一本。
手ブレカメラダメな人は、ちょっと酔うかも。
あの日
意図した訳ではない。偶然、今日鑑賞した。
当時4歳、揺れ以上に必死に私を守ろうとした母親が印象的だった。
そんな大袈裟なと思いながらもう一度眠りにつき、目を開けると、まるで特撮の世界にいる様で不謹慎ながらワクワクした。
知らない世界にどれだけの祈りを捧げる事が出来るだろうか。
言葉にならない。
これは映画なのか?
型にはまった映画ばかりを観てきた私には、「これは映画なのか?」と、ちょっと疑問に感じる部分がありますが、とても考えさせられる良作でした。
思い出で語るのではなく、被災者として語る。これは阪神大震災を風化させないための映画なんだと思うと、とても感慨深い。定期的にテレビ放送すべきなんじゃない?
森山未來くんの演技が上手い。こんなヤツいるよな〜って感じの嫌な、でも、どことなく自分とも似ているような、そんな絶妙なキャラを演じていました。
佐藤江梨子は、個人的にはとても好きなのですが、森山未來くんと並べると見劣りする感じがしました。熱演していて、良かったんだけどね。特に、よっち?のおじさんに会いに行くくだりは、もどかしくて、切なくて、泣けました。
観る度に新しい発見がある傑作
1.17が近付くと観たくなり劇場に足が向くが,その度に新しい発見がある傑作.良い音楽だなぁと思ってたが大友良英さんだったか!監督の井上剛さんとの「あまちゃん」つながりがこの時からあったんだなぁ,,,と.
再会。
1/16夜〜1/17朝まで、その街・神戸を歩く袖触れ合ったその街のこども、男女二人のロードムービー。
前半の二人のぎこちなさ、決して意気投合している訳ではないけれども、薄々気づいている、互いに抱えているであろう過去の記憶という共通項。
人間ってめんどくさい、でも、憎めない。
ドラマとして、徹底して落ちていってもおかしくない、暗さや深刻さのトーンだけで色塗られてしまいそうな処を、ギリギリのラインで回避している脚本の妙。
ロッカー、自転車、野球、…。その他、盛り込んだモノの活かし方が見事でした。
泣きました。
役者の演技はとてもいい
今の若い子ってこんな風にやりとりするかなとやや脚本に違和感を持ってしまう。焼き芋の話ひとつとっても若い人に対するイメージがやや浅はかな印象がある。もっと繊細で複雑な人物造形で映画を見たかった。
この作品のすぐ後にまた大きな地震があったことを思うと、建築の話とか感慨深いです。
佐藤江梨子にイライラする
その一点、見るのがシンドイです。高評価のわけが理解できません。震災の伝え方としては複雑さを包摂しており悪くないですが、別の存在の仕方もあったはず。ベタな酷い演出。
わたしには、ただ、涙を流すことしかできなかった
すみません、
涙が止まらないんですけど.
パンフ、立ち読みで済ませたくなくて購入.
帰りの、地下鉄車内で読みながら涙が止まらなくて、
大変でした.だって、何人かの人に「大丈夫??」って
表情をして、顔を覗かれちゃいましたからね(苦笑)
〈 忘れよう忘れようとすると心が冷たくなる 〉
名古屋に住んでいた16年前のあの日。
こちらでも、長い時間、大きく揺れ。
この揺れ方はおかしい、と胸騒ぎがし、
父と2人で布団を抜け出しNHKにチャンネルを合わせました。
震源地がわかるまで、父と二人で、
「また長野県じゃないか。それとも東京か」とニュースを見ていると、、、
神戸。
そして小さい頃、博覧会や水族館に行った三宮近辺、
そのとき乗った、阪神や阪急が、、、街そのものが、、、
我が眼を疑うような光景に包まれている。
幼い頃の思い出が詰まった街が
ほんの一瞬で姿を変えてしまう。
あの光景は頭から消えません。
そして当時の映像を観るたびに涙があふれそうになります。
◇ ◇
今作、主演の、
森山未来さん、佐藤江梨子さん、
おふたりとも、実際に被災者です。
脚本を担当した、
『ジョゼと虎と魚たち』でブレークした
渡辺あやさんも、震災が発生したときは、
別の土地にいたそうですが、兵庫県の出身。
森山さん、佐藤さんの、
実体験の、話も参考にしながら、脚本を書かれたそうです。
ただ、作品は、
ノンフィクションと
フィクションのあわせ技
とでも言えばいいのでしょうか。
現場では
「スタート」「カット」の声はかけず撮影。
事実、神戸の街を2人が歩くシーンは、
ほぼ、手持ちのカメラで撮影され、歩く途中には、
地元の人が入り込んでくる場面もあり、どこまでが、
脚本で、どこまでがアドリブ(実体験)なのかわからない。
全部が、全部、本当のように見えてなりませんでした。
◇ ◇
あるおじさんが佐藤さんに手を振るシーン。
佐藤さんが東遊園地に向かい、森山さんが映るシーン。
この二つは号泣でした。
家でテレビを見ていたら、
絶対に嗚咽していたと思います。
衝撃を受け止めきれない
自分の中で整理しきれない
俺は全然幸せやなかった・・・
人の心に残した深い傷
あまりにも深くて重くて
でもどうしようもできなくて
ただ、ただ、、泣くことしかできませんでした・・・
☆彡 ☆彡
翌日の1月17日の月曜日。
午前5時46分、NHKラジオを
聞きながら、黙祷をささげました。
それくらいしか、わたしにはできないから。。。
しみでるう
一昨年、NHKで放送された阪神・淡路大震災15周年を機に製作された作品に、未公開のシーンを再編集して映画化。
森山、佐藤の自然体を地でいく爽やかな演技も楽しませていただいたが、それ以上に本作で光るのは、脚本、渡辺あやの作り出す気持ちよさにある。
「ジョゼ」や「天然コケッコー」でも発揮されていた良い意味での田舎臭さが今作でも見事にはまりこんでいる。現代の脚本家において、ここまで自然に、無駄なく方言を使いこなせる名手はそうはいない。何気ない言葉の中にあるやるせなさ、苦しさ、相手に対する優しさが違和感なく、穏やかに物語の中にしみだしてくる。練りに練った硬い台詞のもつ重い雰囲気も大事だが、これだけほんわかと柔らかく幸せが溢れ出す関西弁もまた捨てがたい。
震災を超えて、それでも生きていく若者を突き放さず、寄り添い過ぎず、微笑んで見守る。何かと沈痛な同情が付きまとう被災者を描く物語とは違う開放感は、非常に心地よい。
ああ・・・幸せが、喜びが、しみでるう。知らずに、笑顔になる作品です。
いろんな視点から
「世間知らず」さんのレビューもとてもすばらしいと思いますし、劇場版のホームページに掲載されたコメントにも感動のさまが伝わってきます(僕もちょっと書いていますが、他のかたのものにくらべて艶っ気の乏しい、とても拙いものになってしまいました)。その一つ一つがそれぞれのかたがピックアップした、ちょっとした情景、森山未来さんと佐藤江梨子さんの絶妙の掛け合い、森山さんのセリフ、佐藤さんのセリフ、などなどから多角的に論評されているのです。テーマにしているポイントが一人一人、全く違います。びっくりするほどです。
淡々とした街歩きをベースにしたとても静かなものにもかかわらず、ワンシーンすらゆるがせにできない、息の抜きどころのない濃密な展開で進行していきます。
そして、佐藤さん演ずる美夏の心のくさびをとり放ったイベントを経て、進行は一気に加速しつつ軽やかなものとなり、そしてこの上もなく爽やかでふくよかなラストシーンをむかえることになります。
全編これスタティックの極みなのに、この印象的なラストによって、前段の重々しい進行の中のひとつひとつのイベントが各人の感性や人生経験の違いにより、異なったシーンに逆方向的に印象づけられ、評する者すべての個性を引き出すことに奏功していると思われます。
こういうのが、とても完成度の高い、素晴らしい映画というものなのでしょうね。
としかコメントしようのない、感性や人生経験に加え才能にも乏しい僕なのでした。5点より落とす気は、さらさらありません。
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