劇場公開日 2011年12月17日

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CUT : インタビュー

2011年12月12日更新
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秀二は「映画は芸術だ」と言い切る。そう言い切ってしまうことは容易なことではない。「秀二はナデリ監督そのもの。撮影中はもちろん同じものを食べたし、彼がどういう人生を歩んできたかを知るためにたくさん話し合った」という。その上で、「映画全体に対する愛情豊かなセリフもたくさんあったけど、よりストレートに、ブレのない直接的な表現をしようとその多くが編集でカットされた。決してエンタテインメントの映画が悪いわけではなく、アート系映画の場がなくなっていることが問題で、実際その通りだと僕も感じている」と商業主義に偏重気味な映画界の現況に警鐘を鳴らす。「アート系のスクリーンも減り、撮りたい企画も通らなくなっている。何よりオリジナル脚本の映画がなくなっているということはかなりの驚きで、僕は監督の視点であるオリジナルの映画を見たい」と本音を漏らした。

一方で、「僕はアート系の映画もやるし、大きなバジェットの映画もやるし、テレビドラマもやる。秀二が批判しているような作品もやる。どんな作品にだって面白いものはあって、もし僕がやりたいことだけやっていたらすぐに手詰まりになる」と冷静に分析している。「でも、俳優であるということを抜きにしても、ずっとインディペンデント系のアートフィルムを大事にする気持ちは変わらない。『どうしてこんなカットが撮れるんだ!』っていうすごい映画たちに、自分も近づきたいという思いがいつも胸にある」と飽くなき探求は続く。

そんな過酷な撮影を経て完成した本作は、第68回ベネチア国際映画祭でワールド・プレミア上映され、惜しみない拍手と喝采を浴び、同時に議論も巻き起こした。「撮影に入る前から、これを映像化するのは難しいって言われていました。今、こうして凄まじい映画が完成したことはとてもうれしいです。すごく満足しています」と胸を張る。

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西島とナデリ監督が出会わなければ、生まれることはなかったであろう本作。ナデリ監督が「おまえはオレと似た魂を持っている」と西島に言い切るように、2人を俳優と監督という単純な関係性で言い表すことはできない。「イランの巨匠に対してこんなことを言うのはおこがましいかもしれないけど、僕は彼のことが人として単純に好き(笑)。ナデリ監督と話しているとエネルギーを吸い取られてゲッソリしちゃう人も多いけど、僕はそんなこと全然なくて、監督も僕と話しているとすごくテンションが上がってます」とすっかり同志だ。「映画に命をかけている、人生を捧げているという人は結構いるけど、実際本当にそんなことができる人はなかなかいない。映画のために国まで捨て、カサベテスのように人生をかけて映画のために生きているナデリ監督と仕事がしたかった」と敬愛してやまない。

映画の中で、数多くの名画の“カット”が秀二の心の支えとして断片的によみがえる。西島自身にも、人生を変えた映画がたくさん存在するという。「ナデリ監督が、『この映画はジョン・カサベテスについての映画だ』って言ったとき、妙に腑(ふ)に落ちました。好きな監督はいっぱいいるけど、僕はカサベテスの映画に出合って再び“生きはじめた”というくらい、彼によってどうしようもなく自分が変えられて、いまだその呪縛から逃れきれていません。どの現場に立つときでも、そのことはいつも頭の片隅にあって、おかげで苦労ばかりしています」とうれしそうに話した。

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