機動戦士ZガンダムIII A New Translation 星の鼓動は愛のレビュー・感想・評価
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改変の良し悪しは個人で…
重要な部分の、キリマンジャロ編とダカール編が無い… 特にダカールでの
シャアの演説は、作品では重要なカギを握るのに…
ロザミアの妹エピソードが欠落… しかし最後に亡霊として出る…
色々な問題があるが、一番重要なのはラストの改変
TV版がバッドエンドなら、映画版はハッピーエンド…
これがファンの間では賛否両論なのだが、やはり私はTV版の救いの無い
ラストを見ると、映画版のラストを見直したくなるので、こちらを評価している
のであろう…
TV版では不明だった「レコアは何故に裏切ったか?」の説明も
なされている
クライマックスの劇場でのシーン
「そうだな…こんな芝居じみた事は、シロッコの領分だったな…」
この、いかにも「芝居じみた男」というキャラは、後にも先にも
シロッコ1人しか居ないのだから、やはりソレを生み出した富野監督と
安彦氏は凄い!!!
宇宙で、壮絶な「生と死」を超えたバトルがあった後、地球では耳が遠くて
人とのコミュニケーションが取れなくなった、老婆を登場させるなど
「人なんて、そんなに簡単に進化できない」との、富野由悠季氏なりの
進化の解答を出したのであろう…
そしてラストに流れるGackt氏の歌!
♪その祈りは叶わないから~ さあ手を伸ばして~
正に21世紀に入ってからのニュータイプ論な感じがします!
ラストで、何故に森口博子さんではなくGackt氏であったのかが、
理解できました!… ある時に「ガチッ!」っとハマったみたいな!
よって総合的には、★は少しオマケで…
能書き多すぎ
最後に3部作トータルの感想
Zガンダムと百式がとにかくカッコいい。
本作もガクトの歌声が響き渡るが、なぜか今回は邪魔にならない感じで良かった。
ハマーンカーンが活躍するので贔屓させてもらう。
ハマーンといえばZZガンダムの劇場版の企画はないのかな?
カミーユビダンが精神崩壊するラストを変更してくれて嬉しすぎて高評価。
3部作トータルの感想。
ファーストガンダムと比較すると、宇宙戦ばかりで景色が乏しいし、やんちゃなカミーユには感情移入しにくいしで、微妙な作品だった。
だが、公式の作品でラストを大胆に変更したことがガンダムワールドの可能性を広げ、とても良かったと思う。
劇場版 3部
宇宙(そら)を駆ける
「機動戦士Ζガンダム」新約劇場版三部作第3部。
Netflixで鑑賞。
テレビシリーズは未見です。
エゥーゴ、ティターンズ、ネオ・ジオンの三つ巴の戦いは最終局面へ。思惑が交錯する中、カミーユをはじめとした登場人物たちの人間模様も入り乱れ、敵味方それぞれの事情や想いを孕みながら、スイカバー串刺しへと突き進んだのでした(笑)
テレビシリーズの結末はなんとも悲惨なものだったそうですが、本作はまさに大団円。戦場に儚く散った人々の生き様を胸に、前向きに生きていこうとするカミーユの姿は希望に満ちていて、まさにハッピーエンドだなと思いました。
ネット社会によってコメディに
アクシズが加わり地球連邦の内乱は激化。混沌と化す戦場で多くの命が散っていき…。
新訳劇場版完結編。終盤だけあって多くのキャラが死亡し辛い気持ちになる中、大トリがネットで見かけるスイカバーで死ぬ人だったので穏やかな気持ちになれました。
これはもうりっぱな恋愛ドラマだ
大筋
正月に一気見。
TV版の再編集+新規追加の構成。
よってゴチャ混ぜ感が強く、非常に見にくく完成度も低い。が…なんか物語は結構見応えある。
アムロとシャアが邂逅する1作目の終わりなんかは鳥肌もんだし、2作目でネオジオンが参戦する感じとかに期待が高まる。
なのだが…ホントに入り組んでるので、政治を絡められると途端にハードルがあがる。
乱立してる各組織の思惑が把握しにくいのだ。
しかも再編集だからシーンの中でも話がとっちらかっていく。
よく、まぁ、まとめたなぁって感じはするが。
新規に書き起こされたアニメのクオリティは高く、これを全編でやってくれたらと思うのだけど、そこまでの体力はZにはないのだろう。
TV版のラストはカミーユが廃人化してたような記憶があるので、終わり方としてはこちらの方が好き。後はもう台詞をどこまで噛み砕けるかにかかってると思う。結構皆様、トンチンカンな主張を繰り広げる。前振りがあったかどうかも不明なのだが、こいつがまた理解しにくい。
つまりは結構、困った作品なのである。
ティターンズvsエウーゴvsネオジオンvsシロッコ
…ややこしくならない訳がない。
映画版を見て、ようやくティターンズの詳細が把握できたような感じだ。
ZZまでは届かなかったんだろうなぁ。
アレはアレで、1stともZとも毛色が違うしな。
originといいunicornといい、1stに絡めたり、そのテイストを継承してる作品の方が見てて楽しい。
超駄作
“劇場版”なら、せめて全編描き直してほしかった。
エンディングには、賛否両論あるがアニメのクオリティがあれではどちらにしろそれ以前の問題と言っておきたい。
テレビ版のクオリティについては“最低”と評したい。
あのクオリティでは、どんなにシナリオが優れていても台無しである。
そのテレビ版と描き直したものを継接ぎで作った安易な作品。
Ⅰ~Ⅲに共通の感想である。 ちなみに中古市場では各作品とも500円未満の値がついている。 「宇宙戦艦ヤマト 星巡る方舟」は、\3,000は下らない値がついているというのに…
これを劇場で見た方を気の毒に思う。
改めて「起動戦士ガンダムUC」並みのクオリティでのOVAの安価な発売を望むものである。 劇場で見たファンへの贖罪を込めて…
ちょっとだけイデオンっぽい
作者の願望が込められたラスト改変
1985年のテレビアニメが原作のSFロボット戦争アニメ映画。太平洋戦争での空母や戦艦や戦闘機どうしの戦いに似せたSF宇宙戦争を描く軍記ものと若者の恋愛や人生の葛藤を描く青春ドラマを合わせたような内容である。本作は全3部作の3作目にあたる。
人類が宇宙に住めるようになった架空の未来の時代である宇宙世紀0087の話。先の大戦でジオン軍に勝利した地球連邦軍はその後エゥーゴ軍とティターンズ軍などに分裂し内戦に突入。さらにジオン軍の残党勢力アクシズ軍が活動を開始。またさらに木星の資源運送会社の用心棒の軍隊ジュピトリス軍が地球に進出しようとしていた。ある日ティターンズ軍の将校を殴ったことにより追われる身となり仕方なくエゥーゴ軍に参加した主人公の一般人の若者カミーユ・ビダンは先の大戦の英雄であるクワトロ・バジーナ大尉(正体はシャア・アズナブル)とともに宇宙巡洋艦アーガマに乗り込み、終わりの見えない戦いを転戦する。全3部作の最終章である本作の物語はエゥーゴ軍、ティターンズ軍、アクシズ軍、ジュピトリス軍がそれぞれ戦いを有利にしようと同盟交渉をしあう場面からスタートする。映画内で小難しくセリフで戦況の説明がされるのみなのでわかりやすい戦況の説明はないが現在何のための作戦を行っているのかなどの刻々と変化する戦況を理解できるようになるとこの映画の魅力がわかってくる。素人にはこの映画はすごく難しいと思う。
点数3.0。この映画版はテレビ版と見比べることを条件としてお勧めします。テレビ版のほうの機動戦士Zガンダム(1985年~1986年、全50回)と映画版3作を全部見る事をお勧めします。
この映画の悪い点は物語の省略や改変がひどすぎること。テレビ版の魅力が失われている。テレビ版は地球全体の問題や環境や戦争や政治から個人の愛情まで幅広く複雑で重厚なテーマだったがそれと比べて映画版のテーマは省略や改変のためによくわからなくなり面白くない。だがテレビ版のラストが現実であり映画版のラストが精神を病んだカミーユの見た夢と解釈することで映画版は価値がでてくる。(註※映画版のラストが夢の世界だと思う理由は私の勘です。)
ラストの比較
テレビ版: カミーユ・ビダンの乗ったゼータガンダムがパプテマス・シロッコの乗ったジオを倒す。パプテマス・シロッコは死に際にカミーユ・ビダンに呪いをかけ呪われたカミーユ・ビダンは戦場PTSDのような重い精神的症状を起こし病院送りになる。
映画版: カミーユ・ビダンの乗ったゼータガンダムがパプテマス・シロッコの乗ったジオを倒す。健康なカミーユ・ビダンは恋人のファ・ユイリィと一緒に宇宙巡洋艦アーガマに帰還する。
テレビ版でシロッコがカミーユに呪いをかけたときカミーユは青白い光を見る。この青白い光を見たカミーユは精神がおかしくなるがこの瞬間カミーユは映画版の内容の夢を思い描いたという解釈はどうだろうか。またはカミーユが己の精神と引き換えに新しい映画版の世界を作り出したと私は解釈する。テレビ版の現実のカミーユは戦いから元気に生還してファ・ユィリィと一緒になる自分の理想通りの映画版の世界を作ったのだ。人はつらいときに明るい未来の世界を心の中に創造してつらいことを乗り切ろうとするがこの映画版はカミーユがつらい現実から逃避するため新しく創造した世界だったのかと思う。カミーユ自身が現実とは異なる世界の新しくハッピーエンドの世界を作った。そしてこういう世界を視聴者にも新しく作ってほしいという作者の願望が込められたラスト改変だと私は思った。
視聴:液晶テレビ(有料配信Amazon Prime Video内 有料レンタル) 初視聴日:2025年6月25日(映画版Zガンダム 星の鼓動は愛)、 かなり昔(テレビ版Zガンダム) 視聴回数:1(早送りあり) 視聴人数:1(ひとりで見た)
追記:セクハラ上司が最後の敵の理由
本作品の主人公の最後の敵パプテマス・シロッコは不倫、セクハラなどをする悪い上司として描かれている。彼はエゥーゴ軍にいたレコア・ロンドをたらしこみさんざんにもてあそぶ。また彼は若手社員のサラ・ザビアロフの精神的幼さにつけこみ欲望のままに利用する。本作品の最後の敵パプテマス・シロッコはセクハラ上司で非情な悪党である。男性の主人公カミーユ・ビダンは1作目の劇中で「女の名前なのに男か」とライバルのジェリド・メサに挑発されるのだが監督はカミーユをほんとうは女性の主人公にしたかったのかもしれない。そうするとセクハラ上司が最後の敵のこの作品の結末に納得がいく。
追記2:ロザミア・バダムがいない理由
本作品はテレビ版にはあった強化人間の少女ロザミィことロザミア・バダムのエピソードが省略されている。これは良くないと思った。強化人間は人工的に作り出されたニュータイプであるが機動戦士Zガンダム最大の魅力は強化人間の存在だと思うからだ。(ニュータイプとは死んだ人が見えたり未来がわかったり相手の心が読めたり無敵のモビルスーツパイロットであったりする超能力者の人種であるがカミーユ・ビダン、アムロ・レイ、シャア・アズナブルなどがニュータイプ人種である。---※モビルスーツは本作品に登場する有人人型ロボット兵器のこと---) 前作品の機動戦士ガンダム(1979年~1982年)にはララァ・スンというニュータイプが登場したがロザミア・バダムはララァ・スンに相当するキャラクターである。ララァ・スンのようなキャラの登場しないガンダム作品はガンダム作品らしくないと思う。しかし監督はなぜララァ・スンやフォウ・ムラサメやロザミア・バダムを生かさなかったのか。それはセイラ・マスやフラゥ・ボゥやファ・ユイリィのような正規のヒロインと対比してララァたちは悲劇のヒロインという役目を担っているからだと思う。本作品にはエマ・シーンという悲劇のヒロインがいるのでロザミア・バダムはいらないと監督に判断されたのかもしれない。
追記3:ニュータイプ(強化人間含む)とは妄想する人であると思う理由
私はテレビ版Zガンダムが現実の主人公の姿を描いていて本作の映画版Zガンダムは主人公の妄想の世界だと思っている。主人公のカミーユ・ビダンはテレビ版ではラストシーンで戦場のストレスに耐え切れず重いPTSDを発症し精神がだめになるニュータイプという設定である。このラストシーンに監督が表現したかったニュータイプの本当の姿があると思う。通常ラストシーンでは監督の言いたいことが集約されている。テレビ版と映画版を合わせたこの作品群で監督が言いたいことはつまりニュータイプとは現実のストレスに耐えきれず妄想の世界に入ってしまう人々のことだと言いたかったと思う。そういう定義をすると現実世界に存在する宗教や映画などの創作物すべてが妄想の産物であるので映画鑑賞や宗教などで妄想の世界に入る人々は皆ニュータイプということになる。世界中の妄想する人々は皆ニュータイプである。ニュータイプであるカミーユが幸せな妄想の世界を作ったり戦場で死んだエマ・シーンなどの幽霊が見える妄想をしたりといろいろな妄想をする本作品のラストが監督の言いたい事なのでニュータイプ(強化人間含む)とは妄想する人であると思う。
追記4:戦争と妄想の関係が密接の理由
ガンダムは戦争が主要テーマの作品である。では戦争はなぜ起こるのか、なぜ人は戦い・争い・傷つけあうのか。それは人が現実を見たくないゆえに妄想するからだと思う。たとえば人類が戦争を起こさずに現実に富や土地を平等に分け合うと仮定すると皆が貧しくなり現実が嫌になり人類は現実を見なくなる。そこで人類は妄想に逃避し富や土地を独占しようとし互いを傷つけあい・争い・戦争をしたり永久に経済は成長し続けると妄想したりする。ゆえに妄想が戦い・争いを生む原因であると思う。いま世界中の人々は映画、ドラマ、アニメ、フェイクニュースなどを毎日見て妄想している。ガンダムという妄想を見続ける限り皮肉にも戦争はなくならないのである。
追記5:主人公の乗るゼータガンダムが美しいと思う理由
本作品には1980年代が生んだ奇跡のような美しさのデザインのロボット兵器ゼータガンダムが登場する。主人公の乗るゼータガンダムの変形する姿には美しく感じる。ゼータガンダムは宇宙空間から地球へ降下するために追加装備を用いず単独で大気圏に突入することができるウェイブライダー形態と呼ばれる二等辺三角形状の飛行機形態にヒト型ロボット形態から瞬時に変形することができる。ラストバトルでゼータガンダムはウェイブライダー形態になるがその姿は大きな美しい剣(つるぎ)のようである。大きな剣になったゼータガンダムはパプテマス・シロッコの乗るジオに突き刺さるがこの剣のような姿が美しいと私は思った。映画版のラストシーンとテレビ版の最大の違いはジオに突き刺さったゼータガンダムがゆっくりとヒト型に変形して戻っていく映画版とウェイブライダー形態のままヒト型に変形して戻れないテレビ版の違いにある。テレビ版での大きな剣になったゼータガンダムは二度とヒトには戻れないということは戦場で戦い消耗した兵士は平和な社会に復員できないことを暗示している。それに対して映画版のゼータガンダムはヒト型に戻る、つまり兵士は平和な社会に戻ってこられることを暗示している。変形することで人間性復活の可能性を示すメッセージを伝えるゼータガンダムは美しいと思う。ゼータガンダムは戦いで傷つき精神の壊れたヒトを生かして再生できる可能性を秘めた夢のロボットなのだ。テレビ版と映画版のラストをひとつとして観ると本当に美しく思う。
追記6:映画版Zガンダムは再評価されるべき素晴らしい作品であると思う理由
私は当初この映画版Zガンダムに否定的であったがあらためて考えるとこの映画版ができたことでよかったと思う。テレビ版(主人公カミーユの現実の世界)と映画版(主人公カミーユの妄想の世界)の2つの世界のストーリーが提示され視聴者は最初は混乱させられるがZガンダムという作品を深く理解できるようになったと思う。テレビ版は主人公カミーユが過酷な戦場を経験し精神がボロボロになるラストだが映画版では主人公カミーユが元気に戦場から復帰できる妄想という救いを得て精神的に救われるラストであることがゼータガンダムという作品にとってプラスとなった。二つの結末はこの世の理(ことわり)を正確に表していると思うからだ。2つの結末は古代中国の陰陽思想にもとずいている。陰陽思想は「陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる(Wikipediaより引用)」思想である。私は陰がテレビ版ラスト、陽が映画版ラストであると思う。主人公カミーユは現実の世界で精神が死んだが妄想の世界で精神が再生され救われたのは素晴らしいことだ。
追記7:機動戦士Zガンダムの作品群をぜひ見てほしい
テレビ版と映画版をぜひすべて観てほしい。この作品を見ると魂が救われたような気分になります。ゼータガンダムのウェイブライダー形態はかっこいい飛行機のようであり、自由な鳥のようであり、悪を討つ大剣のようであり、そして天国へ送ってくれる棺桶のようにも見える。まさに子供から老人まで楽しめる作品群だと思う。
テレビ版 1985年~1986年 機動戦士Zガンダム 全50話 (25分×50 = 1250分)
映画※ 2005年 機動戦士ZガンダムI A New Translation 星を継ぐ者 (95分)
映画※ 2005年 機動戦士ZガンダムII A New Translation 恋人たち (98分)
映画※ 2006年 機動戦士ZガンダムIII A New Translation 星の鼓動は愛 (99分)
※注意 映画版機動戦士Zガンダムはテレビ版機動戦士Zガンダムから古い映像を部分流用している。古い映像と2005年に新しく作り直した映像が混ぜられている。古いカットと新しいカットが混在し鑑賞には慣れが必要。
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