わたしを離さないでのレビュー・感想・評価
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なにかが足りない
小説を読んでから見たのがまずかったのか、インパクトにかけた。原作に忠実な感じがした一方、過酷な運命よりも三人の恋愛が中心になってしまった感じ。マダムにお願いすれば叶うと言われていた『猶予』が噂にすぎなかった辺りが哀しみを増す。
色と暗闇
人は皆“終了”する、
“生”を理解することなく命は尽きる
わたしたちが救った人々と、わたしたちと何が違うの…
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失くしてしまった物が見つかるという、
荒れ果てた草原の中で
キャシーの、問いかけは続き
そして彼女は、自らに課せられた生を全うするため
トミーもルースもいない世界へと戻っていく…
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カズオ・イシグロの作り出した異質な世界に、
映像が実態を与え
音楽が控えめに心の起伏に寄り添う。
監督がワビ・サビを意識したと言うとおり
タイトルバックと、
少し古めかしい服装には、
露草色・芥子色・浅縹色・藍鼠色など
日本古来の美しい色が使われている
原作を読んでからDVDを見たが、
本を読んで描いていた風景と、
映像があまりにも似ていたのに驚いた。
脚本は主役3人の心情に的を絞り
物語の核になる部分のみを組み替えて
すっきりと纏められている。
無数の命を頂いて生かされている私達
これは、私達が選んでしまったかもしれない世界、
決して選んではいけない世界だ。
青春残酷物語
日本生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロの小説の映画化。
イギリスの田舎の世間から隔離された寄宿学校。キャシー、トミー、ルースは共に成長し、友情や愛を育むが、ある残酷な運命の為に生まれてきた事を知る…。
若い3人の男女の淡い恋物語で始まり、美しく儚い雰囲気は文芸映画の香り漂う。
そして、唐突に知らされる秘密。寄宿学校の若者たちは、臓器提供の為に生まれてきた特別な命だった。
映画は残酷な運命の物語より、3人の青春ラブストーリーの印象が強い。
人生を決められ、限られた命の中で、3人の心情が交錯する。時に亀裂が生じ、時に赦しを乞い…。
命の代用品として生まれながらも、感情を持った同じ普通の人間。
その姿に、命の重さが深く胸に突き刺さる。
キャリー・マリガン、キーラ・ナイトレイ、アンドリュー・ガーフィールド、光り輝く若い3人が繊細で透明感のある演技を披露。作品にリアリティを与えている。
決して抗えぬ運命なのか?
時は1970年代のある寄宿舎。
主人公たち3人の子供たちは、
そこで厳重な管理の元、生活しています。
物語の「背景」は、早い段階で明らかになります。
3人の主人公の友情と恋愛模様が中心に描かれるんですが、
その「背景」にあるものを
観ている側は意識せざるを得ません。
人は誰でも、いつかは死を迎える。
それは誰にも抗うことはできません。
決して抗えぬ運命の中で、もがき苦しむ若者たちの姿を
残酷なまでに淡々と描いた作品です。
果たして主人公たちは、
本当に運命を受け入れていたのか?
それとも、諦めに近い気持ちだったのか?
子供の頃からの教育で「洗脳」されていただけなのか?
あまりにも、やるせなく、切ない作品でした。
私の心を掴んで離さない、ショックが心から離れない衝撃の問題作。
これは、近未来SF作品では無い、もしかして、知らない何処かで本当に行われているかも知れないと言う恐怖に駆られた映画だった。
医学の進歩により、本来なら助からない命を、ドナーの臓器提供により生き延びる事が可能となった現在、それは犯罪では無いし、双方が納得していれば、臓器提供するドナーは、
現在まで生きていた肉体は、死滅しても、身体の一部の臓器が、他の人の臓器となり、新しい肉体で生き始める事で、新しい命を得て生きる事になるのだ。
それ自体は決して悪い事ではないだろう。ドナーの家族も、時にそうして、命がバトンされる事で、ドナーとの死別の心の悲しみを和らげられる事すら時にはある。
海外では、脳死や事故死等で、死が判定された時、臓器提供をするドナーは、生前、臓器提供する事に同意しているので、自分の肉体の死を受け入れる。が、それはあくまでも
不慮の事態であり、ドナーが生れ付き、本人の意思で判断出来ない年齢から、ドナーとして生きる事が運命付けられているのでは決して無い。
ドナーの生産工場と言える、寄宿舎ヘールシャムでの青春物語は、余りにも残酷だ。
改めて、生命とは?生きるとは?人生の目的は?人を愛するとは?生と死とは?
生命の領域、それは人間と神との関係の領域でもあるが、敢えてこの映画は神の領域を無視している。
人間は、死を間近にすると、自己の人生の清算を誰でもするのだろうか?
2回に及ぶ臓器提供を済ませて、衰弱したルースが、キャッシーとトミーに、最後の償いをしようと試みたが、その願いも結果的には、キャッシーとトミーが一抹の夢をも叶える事が出来ない、悲しいラスト、
3人が、初めて外出したシーンが蘇る、そして、3度目の臓器提供をするトミーの笑顔が脳裏から離れない。只ガラス越しに、見守る事しか許されないキャッシーの虚ろな顔が心を捉えて離さない。
暫らくは、未だ、心の整理が付かないだろう。予告を見た時から見たかった。映画館では、怖くて無理と判断して、DVDが出る迄待ってから観たが、予想はしていても、此処まで引きずる映画になるとは・・・
片田舎の風景が、そして海に打ち上げられた、古船が、ルース、キャッシー、トミーの悲運をより印象深いものにする。
私たちは、この一瞬一瞬を、日々大切に、愛しんで、生き抜いて行きたい。
そうだ、自分の人生を大切に生きる事、愛する事は、それはきっと他の人の人生を同時に豊かに、活かす事になる。人の心は決して、離れずに繋がっているのだから!
愛する大切な人と、是非一緒に観て欲しい作品だ。
生きる事、命の尊厳についての映画なら、『ミスタ・ノーバディ』や『最高の人生の見つけ方』そして『ミリオンダラー・ベイビー』『サイモン・バーチ』と観比べてみても、良いかも知れない。
どうしようもない彼女の世界。
原作は読んでいません。
原作も映画同様、こんなに諦めと切なさの漂う世界観なんでしょうか。
読むのは辛いなあ。躊躇いますね。
もし、現実だったとしたら?という薄ら寒さを、更に強くしてしまいそうで。
ここまで倫理感を取っ払った世界。
それを許容された世界。
それを受け容れるが如く、どこか超然とした態度の主人公達、三人。
諦め?達観?虚無?挫折?
生きるとは?
終了とは?
何故に生きる?誰の為に生きる?何で生きる?
『彼(彼女)ら』と『自分ら』の違いは何?
そんな疑問すら、抱いているのかいないのか…。
主演のキャリー・マリガンの静かで細やか、且つ情感豊かな表情。それを見てるだけで、この行き詰った閉塞感が“暴れても逃げても仕方ない”“どうしようもない”世界を体現してて…もう。もう、何だろう。
こんな世界と倫理感はとても迎合できないですよね。
自分には出来ない。
このモヤモヤ、暫く続きそうです。
近未来の出来事でないところが怖い
予告篇を見れば、特異な寄宿学校で暮らす生徒たちの生い立ちと、その目的はおおよそ見当がつく。本篇でも隠さない構成になっており、シャーロット・ランプリングが怪しげな空気を発散しつつも、早い段階で秘密は暴かれる。
この作品は隠された秘密を暴くミステリーものではなく、未来を奪われ未来を決定づけられながらも、この世で賜った生を懸命に全うしようともがく若者達を捉えたヒューマン・ドラマだ。
少年時代のトミーはよくイジメにあう。だが、イジメも未来があってこそだ。未来のないイジメは虚しい過当競争に過ぎない。何をやったところで、皆、同じ運命をたどるのだ。
造られた肉体とはいえ、彼らは肌のぬくもりを持っている。度重なる手術で命尽きたとき、もう用はないとばかりに医者は縫合もせずに手術室を出て行ってしまう。特定の人種に対する冷淡な行為は、なにやらアウシュビッツに重なるものを感じる。
どんなに抗っても運命から逃れられない医療の裏社会。これが近未来の出来事ではなく、もう数十年も前から行われているという設定が逆に怖い。
自らの宿命に憤りを感じながらも、“終焉のとき”を受け入れる道しか選べない3人の姿に、その代償で救われ手に入れた命とはどれほどの意味があるのか。医療と倫理の狭間に投げ掛けられたメッセージは、人類への大きな宿題と化す。
子役がいい。とくにキャシーの子供時代を演じたイジー・メイクル・スモールは、キャリー・マリガンへの繋がりが抜群だ。
キーラ・ナイトレイは相変わらず同じ表情しか出来ない。
ずしりと重い印象を残す映画です
この悪夢のような物語を書いた作家と映画にした監督を恨み・感謝します。
悪夢から覚めてふと考えると、現実に似ている気がする。
よく考えると、現実と区別がつかない。
短い生をしっかりと生きなければと思いました。
やるせなさ過ぎるじゃんか…。
タイトルとかチラシの印象から、
『切なくて儚い恋愛の物語』かと思ってたけど…
いやいや、確かに
『切なくて儚い恋愛の物語』なんだけど…
なんとまぁズッシリ衝撃的でございましたわ。
臓器を提供するためだけに生まれて…いや作られて、俗世間から隔離された寄宿学校で生活する子供達。
彼等は『大きくなったら何になりたい?』なんて、そんな質問があるコトさえも知らないまま成長していくんだ。
『死』を『complete/終了』と呼び、それを恐れることはなく、
管理されるままに臓器提供を繰り返し、もうそれ以上提供出来なくなれば『終了』。
もしかしたら『命』という概念自体、彼等には無いのかもしれない。
でもね、そんな彼等にももちろん感情はあるし、恋愛だってするんだ。
愛する人と、少しでも長く一緒に過ごしたいって当たり前の感情だよね。
それでも、
『そんな自分の意識の入れ物であるこの身体は』
『自分の意志でどうにかしようだなんて考える対象ではない』
『コレを必要とする誰かの為にあるんだ』
っていうのが、
『純粋培養』されてきた彼等にとっては、微塵も疑うことのない事実なんだよ。
やるせなさ過ぎるじゃんか…
うわっ!予想とぜんぜん違ってた…
4月6日、日比谷シャンテにて鑑賞。
「女の子2人と男の子の甘酸っぱい青春物語」って感じの映画なのかなと思っていましたが、ぜんぜん違ってました。
冒頭の字幕を見忘れると中盤くらいまで置いてけぼりを食らいます。
おもしろくもなく、かといって駄作でもないと思うし、いろいろ突っ込みどころがあると思いますが、こういう映画って結構記憶に残るようなきがしました。
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