「ゆるゆる、ぴしゃり、なるほど、にやり。」まほろ駅前多田便利軒 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
ゆるゆる、ぴしゃり、なるほど、にやり。
「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」で注目を浴びた大森立嗣監督が、瑛太、松田龍平を主演に迎えて描く、群像劇。
ニコラス・ケイジは不機嫌である。ジョージ・クルーニーは言葉に棘がある。ハリソン・フォードは歯軋りが少しうるさくなる(かもしれない)・・。ギャラ低下の話ではない。ハリウッドで現在進行中の喫煙シーン自粛の動きである。渋い男の秘密道具を奪われた男達の心は、渋柿の如し・・。今日も、しぶしぶ口寂しくスクリーンに佇むのだ・・ご愁傷様です。
なんて事を思ったのは、本作の主人公である男二人、多田と行天がひっきりなしに煙草を吸い続けているためである。車の中、部屋の中、バス停でもすぱすぱ・・。このご時勢にあって、この場面は明らかに異質である。何故にここまでぷかぷかと吸わせるのか。しかし、物語が進むにつれ、この時代錯誤の描写がその意味を主張し始める。
クスリに送り迎え、太陽に対する月に煙草。本作には、随所に「依存」の象徴が散りばめられている。緩やかに同居を始めていく二人の男もまた、寂しさと同情から来る「依存」が関係を築いている。短編の繋ぎ合わせのようでいて、巧妙に共通の要素を紛れ込ませていく。
そして、後半にすぱっと消え去る喫煙シーン。前に進み始める世界。分かりやすい。気持ち良い。淡々と日常を描く構成を貫きながらも、観客を丁寧に理解へと導いていく親切さが際立ち、群像劇を上手にさばく才能が光る。
終盤に、男二人の隠された身の内を明かしていくシリアスな展開が持ち込まれるが、それまでに物語に投げ込まれた人間達が、見事に神妙な顔の似合わない脱力感みなぎる雰囲気をもつ役者陣が勢ぞろいしてざわざわしており、観客は変に沈むことなく、「何とかなるさ」の空気を美味しく味わっていける。
「依存」を自覚し、自問自答に悩む前半から、「寄り掛かる」ことを赦し、「共存」へと向かっていく優しい再生へ。この明解な設計図を辿るうえで、説教臭さを排除し、ユーモアを最大限に張り巡らして楽しんでいく姿勢が嬉しい。
瑛太に松田。いつもの力の抜けた兄ちゃんぶりが今作でもばっちりはまる。潔さ、親切さ、そして的確な遊び。完成度の高い娯楽作品の傑作となっている。