日輪の遺産のレビュー・感想・評価
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ラストで減点される人も多いことでしょうけれど、本作で何を伝えたかったかということを感じてほしい。
本作の遺産といわれているのが終戦後のようにまことしやかに噂されたM資金。その出所は、元々マッカーサー一家が東南アジアで、現地人から搾取してかき集めた金銀財宝のたぐいを、山下奉文司令官がマレーで横取りして日本に持ち帰ったという設定になっていました。だから冒頭で、マッカーサーが日本に降り立ったとき、自分のものを取り返しに行かなくてはと言ってのけます。史実をドキメンタリータッチで描くなかで、フィクションを取り混ぜていくことで、抜群のリアルさが際立つスタートです。歴史ミステリーとして、終戦後M資金と呼ばれた巨大な謎を巡っての大仕掛けな謎解きが描かれるのかと期待させられました。
ところが、その後の展開は意外にもファンタジーに近い少女たちのひと夏の物語となったのでした。
舞台は、現代へと飛びます。原作も始まりは現代ですが、地上げ屋の丹羽と武蔵小玉市で福祉関係のNPOを切り盛りする海老沢とが、旧日本軍とマッカーサー将軍が終戦前後に壮絶な奪い合いを演じた財宝の恐るべき秘密に迫っていく原作のストーリーとは、大幅に変更されています。
軸となるのは、学徒動員された先の軍事工場で空襲に遭った20名の女学生のなかで唯一生き残った久江の回想。その夫の金原の病死をきっかけに息子や孫に、一冊の古い手帳を紐解きながら、胸にしまっていた秘密を語り出すというもの。
久枝が語るには、軍事工場で死んだことにされているクラスメートは、実は全く違った場所に狩り出され、極秘の任務に従事していたというのです。
それが真柴少佐を責任者とした、マッカーサーの財宝を極秘に運び出し隠匿する作業でした。古いノートは、一連の顛末を記録した真柴少佐のものだったのです。軍部も、敗戦を覚悟して、財宝を軍備に使うのでなく、戦後の貨幣価値の安定と復興資金に使用するため、国内の戦争継続派の軍人や、取り返そうと捜索してくるだろうマッカーサーから守るため、一時隠匿したのでした。
軍の上層部は非情にも、真柴少佐に終戦の詔勅となる玉音放送を拝聴したら、女学生に青酸カリ入りの食事を振る舞えというものでした。少女たちには全く罪はありませんでした。けれども、担任の野口はヘッセやトルストイ、モームを敬愛する平和主義に対して特高警察は危険思想の持ち主として、マークしていたのです。たったそれだけのことで、むごい極秘任務に狩り出されたしまった女学生たちの心に焼き付く幼い笑顔が印象的です。少女たちの健気な笑顔、素直で純な表情を見せるところなど見せつけることが本作の目的だったのです。
とかく戦争映画は、反戦の主張がくどく述べられたり、悲惨な末路が強調されがちです。まして本作では、M資金を巡る旧日本軍とマッカーサーの奪い合い合戦というサスペンスとしても魅力的な原作ストーリーも用意されています。しかし佐々部監督は、本作を描く上で、あくまで可憐な少女たちの笑顔を描くことにこだわりました。そして、それを久枝の回想とすることで、現代からの視点として描いたのです。これは監督の前作『夕凪の街 桜の国』でも使った監督の得意な演出方法です。
少女たちの悲惨な最期を敢えて見せず、久枝の回想として笑顔だった少女たちの映像で終わらせるます。その笑顔は現代の久枝とその孫たちまでが見ることになります。久枝が息子や孫を連れて、少女たちが自決した財宝の隠し場所を訪れたとき、少女たちが霊となって復活するのです。その時一家は、少女たちの笑顔を目撃します、少女たちの国の再興を願う思いが現在に繋がっていることを感じさせる巧みな演出です。時代を交差させて観客の心にも少女たちの笑顔を焼き付けるのです。その結果、彼女たちがいのちを落とすことに仕向けたものへの憤りを感じざるをえなくなります。彼女たちが歌う軍歌『出てこいミニッツ、マッカーサー~♪』が心に焼き付いて離れなくなるのは、そんな可憐な笑顔だからこそのもの。
あまりネタバレしたくないのですが、少女たちは殺されたのでなく、自ら服毒したようなのです。その思いは具体的には全く語られません。担任の野口も、財宝の秘密を守るために自ら死を選びます。そんな犠牲を払ってまで、何を守って、どんなことを願って散っていったかということに思いを寄せるとき、深い感動が突き抜けていきました。
これがもしM資金の秘密を掘り下げていったら、戦後の政商などが跋扈するドロドロとした政治劇となって、少女たちのピュアな思いがかき消されていたことでしょう。ラストのマッカーサーの対応や通訳を担当していたイガラシ中尉が語る後日談には、無理に辻褄を合わせたような疑問が残るでしょう。あれはたぶん監督はわかっていて、わざとケムに巻いているのです。もし突っ込むと、終戦後の生臭い暗部をこじ開けなければいけなくなります。それは何としても避けたかった。つまりは、皆まで語るなというところでお茶を濁しているわけです。そこで減点される人も多いことでしょうけれど、本作で何を伝えたかったかということを感じていただければ、仕方ないなぁと思われることでしょう。
出演者たちの演技はすこぶる良いです。級長の久枝を初めとする森脇学園の女学生たちは、まるで天使が降臨したかのような可憐さを終始ふるまいていました。ユースケ・サンタマリアは、柄にもなくインテリで信念ある教師役を熱演しています。
後に久枝の婿となる鬼曹長の望月を演じた中村獅童は、気骨ある軍人ぶりを熱く演じて見せてくれました。大蔵省から出向してきた小泉主計中尉は、軍人としてはヒビリでしたが、国家の財政再建には表情を変えて、真剣な目付きで政策プランを語るところが素敵でした。難しい役どころを福士誠治が好演しています。
でもやっぱり凄いのは真柴少佐を演じた堺雅人です。特に久枝を殺そうとした謎の伝令の軍人に相対し、この子には未来があるんだとたたみ掛けるように言い放つシーンには、グッと胸が熱くなりました。少女たちを殺す命令と、少女たちを助けたい気持ちで揺れるときの表情も堺ならではのポーカーフェイスな表現でしょうね。
戦争中の少女達がけなげで思わず、涙が・・・
「夏が来~れば、思い出す~」それは、毎年恒例の夏のイベントと呼ぶのは、おかしいが、敗戦記念日の8月15日に合わせてこの時期は、TV、映画共に、戦争関連の作品が、目白押しになるのですが、戦後66年も経つと、また一段と戦争体験者が減る為に、特にドキュメンタリー作品以外の、ドラマ作品の場合になると、映画俳優及び、スタッフの殆んどが、戦後生まれの為に、何となく映画を見ていても、映画が描き出すその世界観が、「甘いし、リアリティーに欠けてしまうと思い、どん引きしてしまう!」と言ったら失礼だろうか?
子供時代に、両親や、祖父母から毎年浴びるように、戦争体験談を聴かされていたし、当時の新聞記事などを読まされた私には、本作は、綺麗すぎる気がした。
私は子供時代の影響があってかどうか、理由は定かではないが、数年前イラク戦争に参戦した米兵士の聞き取り調査の為に、渡米した経験がある。
戦地と言う現場に於いては、敵を大量殺戮しなければならない、米兵達の苦悩がそこにみてとれた。彼らの緊張感とか、彼らの胸をえぐり取り出される程の苦しみが殺す側にさえ存在していた。しかしこの映画では残念な事に、その様な当時の日本兵の本当の気持ちが全面には、描かれる事が無く、観客の胸に無理矢理短剣を突き刺す様な、衝撃的な戦闘シーンも無ければ、全編に渡り、戦時中という緊張感が得られないのは、残念であった。
しかし、とは言うもののこの作品は、原作が浅田次郎氏であるだけに、先の戦争の善悪や、開戦までの過程の是非を問う様な、戦争を批判して、戦争の無い平和な社会の必要性を訴えているのでは無い点が、やはり素晴らしいと感動するお話であった。
例え、戦争中であろうが、なかろうが兵士である前に、一人の人間として、いかに清く、懸命に、理性を持って生きるか、或いは、兵士に限らず皆、人それぞれの生き様こそ、大切であると、この作品は、教えてくれる事が、何とも素晴らしいと思う。そして、生き残る事の重荷、戦死せずに助かる人の悲哀が、胸に迫ります。八千草薫さんの芝居が素晴らしい!
勤労奉仕として、動員させられる20人の少女達が、けな気で、何とも愛しい。戦争時代は、みんな学生は、軍需工場に駆り出され、勉強どころでは無かったのだから、今は本当にその事を思えば、天国だろう。いくら受験戦争でも、勉強が出来る幸せが今ここには有るのだから。
そして、私達は良くも悪くも、本当に多数の先人の人々の犠牲の上に今日の社会が成立している事をいつでも知る必要が有ると思う。8月だけでは無く、何時でも、自分達ノルーツや、過去を知る事は、大切な事であると思う。そして、今の価値基準だけで、過去の過ちを批判してはいけないと思う。
何時の時代も、善人も、悪人も同居しているのだ。今、私達に求められているのは、「自分は、どんな人間として、この生を全うすれば良いのだろうか?」と言う事ではなかろうか?
千年に一度の震災を経験した日本人は、この先どう生きるのが良いのだろうか?受け継がれて行く私達の、生命と日本文化。この作品を見て、明日の貴方の生き方を模索出来たら、きっと素晴らしい人生の生涯学習をした事と思う。貴方なりの答えをこの映画から見つけ出して欲しい!
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