劇場公開日 2011年8月27日

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「ラストで減点される人も多いことでしょうけれど、本作で何を伝えたかったかということを感じてほしい。」日輪の遺産 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0ラストで減点される人も多いことでしょうけれど、本作で何を伝えたかったかということを感じてほしい。

2011年8月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 本作の遺産といわれているのが終戦後のようにまことしやかに噂されたM資金。その出所は、元々マッカーサー一家が東南アジアで、現地人から搾取してかき集めた金銀財宝のたぐいを、山下奉文司令官がマレーで横取りして日本に持ち帰ったという設定になっていました。だから冒頭で、マッカーサーが日本に降り立ったとき、自分のものを取り返しに行かなくてはと言ってのけます。史実をドキメンタリータッチで描くなかで、フィクションを取り混ぜていくことで、抜群のリアルさが際立つスタートです。歴史ミステリーとして、終戦後M資金と呼ばれた巨大な謎を巡っての大仕掛けな謎解きが描かれるのかと期待させられました。
 ところが、その後の展開は意外にもファンタジーに近い少女たちのひと夏の物語となったのでした。

 舞台は、現代へと飛びます。原作も始まりは現代ですが、地上げ屋の丹羽と武蔵小玉市で福祉関係のNPOを切り盛りする海老沢とが、旧日本軍とマッカーサー将軍が終戦前後に壮絶な奪い合いを演じた財宝の恐るべき秘密に迫っていく原作のストーリーとは、大幅に変更されています。

 軸となるのは、学徒動員された先の軍事工場で空襲に遭った20名の女学生のなかで唯一生き残った久江の回想。その夫の金原の病死をきっかけに息子や孫に、一冊の古い手帳を紐解きながら、胸にしまっていた秘密を語り出すというもの。

 久枝が語るには、軍事工場で死んだことにされているクラスメートは、実は全く違った場所に狩り出され、極秘の任務に従事していたというのです。
 それが真柴少佐を責任者とした、マッカーサーの財宝を極秘に運び出し隠匿する作業でした。古いノートは、一連の顛末を記録した真柴少佐のものだったのです。軍部も、敗戦を覚悟して、財宝を軍備に使うのでなく、戦後の貨幣価値の安定と復興資金に使用するため、国内の戦争継続派の軍人や、取り返そうと捜索してくるだろうマッカーサーから守るため、一時隠匿したのでした。

 軍の上層部は非情にも、真柴少佐に終戦の詔勅となる玉音放送を拝聴したら、女学生に青酸カリ入りの食事を振る舞えというものでした。少女たちには全く罪はありませんでした。けれども、担任の野口はヘッセやトルストイ、モームを敬愛する平和主義に対して特高警察は危険思想の持ち主として、マークしていたのです。たったそれだけのことで、むごい極秘任務に狩り出されたしまった女学生たちの心に焼き付く幼い笑顔が印象的です。少女たちの健気な笑顔、素直で純な表情を見せるところなど見せつけることが本作の目的だったのです。

 とかく戦争映画は、反戦の主張がくどく述べられたり、悲惨な末路が強調されがちです。まして本作では、M資金を巡る旧日本軍とマッカーサーの奪い合い合戦というサスペンスとしても魅力的な原作ストーリーも用意されています。しかし佐々部監督は、本作を描く上で、あくまで可憐な少女たちの笑顔を描くことにこだわりました。そして、それを久枝の回想とすることで、現代からの視点として描いたのです。これは監督の前作『夕凪の街 桜の国』でも使った監督の得意な演出方法です。
 少女たちの悲惨な最期を敢えて見せず、久枝の回想として笑顔だった少女たちの映像で終わらせるます。その笑顔は現代の久枝とその孫たちまでが見ることになります。久枝が息子や孫を連れて、少女たちが自決した財宝の隠し場所を訪れたとき、少女たちが霊となって復活するのです。その時一家は、少女たちの笑顔を目撃します、少女たちの国の再興を願う思いが現在に繋がっていることを感じさせる巧みな演出です。時代を交差させて観客の心にも少女たちの笑顔を焼き付けるのです。その結果、彼女たちがいのちを落とすことに仕向けたものへの憤りを感じざるをえなくなります。彼女たちが歌う軍歌『出てこいミニッツ、マッカーサー~♪』が心に焼き付いて離れなくなるのは、そんな可憐な笑顔だからこそのもの。
 あまりネタバレしたくないのですが、少女たちは殺されたのでなく、自ら服毒したようなのです。その思いは具体的には全く語られません。担任の野口も、財宝の秘密を守るために自ら死を選びます。そんな犠牲を払ってまで、何を守って、どんなことを願って散っていったかということに思いを寄せるとき、深い感動が突き抜けていきました。

 これがもしM資金の秘密を掘り下げていったら、戦後の政商などが跋扈するドロドロとした政治劇となって、少女たちのピュアな思いがかき消されていたことでしょう。ラストのマッカーサーの対応や通訳を担当していたイガラシ中尉が語る後日談には、無理に辻褄を合わせたような疑問が残るでしょう。あれはたぶん監督はわかっていて、わざとケムに巻いているのです。もし突っ込むと、終戦後の生臭い暗部をこじ開けなければいけなくなります。それは何としても避けたかった。つまりは、皆まで語るなというところでお茶を濁しているわけです。そこで減点される人も多いことでしょうけれど、本作で何を伝えたかったかということを感じていただければ、仕方ないなぁと思われることでしょう。

 出演者たちの演技はすこぶる良いです。級長の久枝を初めとする森脇学園の女学生たちは、まるで天使が降臨したかのような可憐さを終始ふるまいていました。ユースケ・サンタマリアは、柄にもなくインテリで信念ある教師役を熱演しています。
 後に久枝の婿となる鬼曹長の望月を演じた中村獅童は、気骨ある軍人ぶりを熱く演じて見せてくれました。大蔵省から出向してきた小泉主計中尉は、軍人としてはヒビリでしたが、国家の財政再建には表情を変えて、真剣な目付きで政策プランを語るところが素敵でした。難しい役どころを福士誠治が好演しています。
 でもやっぱり凄いのは真柴少佐を演じた堺雅人です。特に久枝を殺そうとした謎の伝令の軍人に相対し、この子には未来があるんだとたたみ掛けるように言い放つシーンには、グッと胸が熱くなりました。少女たちを殺す命令と、少女たちを助けたい気持ちで揺れるときの表情も堺ならではのポーカーフェイスな表現でしょうね。

流山の小地蔵