「ハリウッド版芦田愛菜」キック・アス 13番目の猿さんの映画レビュー(感想・評価)
ハリウッド版芦田愛菜
この作品は映画というメディアの恐ろしさを私たちに楽しく教えてくれる逸品だ。そして、もしこの作品を単なる痛快エンターテイメントとして観てしまった人は、自身の映画というメディアに対する免疫の無さを心配した方がいいだろう。何の特殊能力を持たないヒーローオタクの少年が、セルフメイドのヒーローとなって悪と戦おうとする本作は、アクションヒーロー映画という装いを一皮剥けば、おぞましいまでのスプラッター映画であり、そしてロジャー・イーバートが批判するように「道徳的にふとどき」であること請け合いの作品だからだ。
映画を振り返ると、ヴィラン(悪役)であるマフィアよりも、ヒロインの少女、ヒットガールとその父、ビッグダディが殺した悪人の数の方が遙かに(ホントもう、遙かに!)多いことが分かる。マフィアが人を殺した描写があるのは一人だし、殺した理由も、組織のコカインをその人間がパクった疑惑があるという、マフィア的には納得の理由がある一方、ヒットガールとビッグダディはなぜその悪役を殺すのかが明らかにされない。もちろん、ビッグダディが警官時代にマフィアにハメられて、そのショックでヒットガールの母が自殺してしまうという痛ましい過去はあった。しかし、物語冒頭で最初の虐殺の憂き目にあう、アパートでコカインを使用している不良達は、単身乗り込んできたアホなコスプレイヤー、キック・アスに何度も帰る様に促していたのに、彼が発射式のスタンガンで不良を攻撃したために逆上するのである。そのマフィアが卸したコカインを使用する、警察に通報を入れればいいだけの不良達を、ヒットガールは長刀で問答無用に殺害していく。殺害シーンでは、児童番組向けの Dickiesの「banana splits」をパンク風にカバーした曲が流れ爽快感が演出されるが、ろくすっぽ武装していない不良達の殺されっぷりは、相手が少女とはいえ間違いなくカタストロフだ。
そもそもこの『キック・アス』の原作は、ヒーロー賛美の作品ではない。ヒーロー狂いのオッサンが、嘘の過去で娘を洗脳し、何の因縁もないマフィアを殺していくという、ちょっとしたアメコミヒーローのスプラッターパロディなのだが、そんな内容が物語の一部改変や演出、予告編の煽り、そしてカワイイ女の子を使用してビックリするほどの毒抜きが謀られ、エンターテイメントとして仕立てあげられているのである。これを映画の恐ろしさといわず何といえるだろうか。一体、どういった意図を持ってブラッド・ピットは本作をプロデュースしたのか、何らかの教訓を含んだ意図があったのだとは願いたい。そうでなければ、映画製作者達もヒットガールと同じく、無邪気な狂気の持ち主だということになってしまう。
「こまけぇこたぁいいんだよ!」と笑い飛ばすには、あまりにも薄ら寒い笑顔にならざるを得ない作品ではないだろうか。まぁそれが良いのだと仰るのならば、こちらとしては返す言葉がございませんが。