BOX 袴田事件 命とはのレビュー・感想・評価
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熊本元裁判官の苦悩
この映画は昭和43年9月11日に袴田さんが無罪であることを確信しているにもかかわらず、裁判官同士の合議により死刑判決を書かなければいけないこととなった熊本典道元裁判官の苦悩を描いた物語です。
現在(R7.1.1)、袴田巌さんは無罪となって姉の秀子さんと自由に暮らすことができています。無罪となったことについては、熊本元裁判官がH19.3.9に守秘義務があるにもかかわらず、袴田さんは無罪と確信していたということを記者会見で公にしたことにより、再審に道が開いたということも大きな要因となったと思っています。この映画の監督及びスタッフの皆様が映画を制作したことにより、袴田さんが無罪となる機運を高めたと思っています。深く感謝申し上げます。また、監督及びスタッフの皆様も袴田さんが無罪となったこと、喜んでいるのではないかと思っています。拙いコメントをお読みいただきありがとうございました。
熊本元裁判官のことをもっと知りたい方は「完全版 袴田事件を裁いた男」(尾形誠規 朝日新聞出版 R5.8.30)が家族との生き別れについても描かれており、参考になると思っています。
裁く側、裁かれる側どちらも同じ列車に乗っている
人を裁くということ
主任裁判官に選ばれた熊本典道(萩原)。他の二人の判事、裁判長(村野)と高見(保坂尚希)は有罪を主張するが、熊本だけは無罪を確信していた。自白偏重の警察取り調べと状況証拠のみなのに“疑わしきは被告人の有利に”という裁判の原則をも無視した杜撰な裁判。しかも公判開始後1年経ってから新たに血痕の付いた衣類という証拠の提出により決定的となってしまった。そして全員一致の原則をも破り、多数決により有罪判決を述べなければならなくなった熊本・・・
反対しているのに死刑判決文を書かねばならない熊本。自らが死刑を宣告したような扱いとなり、自責の念にとらわれ、辞職する。味噌樽の底に1年漬かっていた衣類がどう変化するか、小刀で30数箇所刺すと刃がどうなるか、逃走時の閂・・・自ら無罪を証明するかのように奮闘する姿は感動的だ。「人を裁くということは、同時に自分も人に裁かれている」と裁判官の苦悩を学生に教え、自らは殺人犯と同じ心境になる。
ネットで調べると、この裁判と熊本については全て事実のようだ。司法試験を主席で突破するほどの優秀な人間がここまで捨て身になれるのか。単なる美談では済ますことができない男の生き様を感じるのだ。
惜しいのは、もっと熊本中心の映画にしてもよいのではないか?ということ。それでも満点つけましたが。
裁判の結果は事実とは限らない
随分と前にboxを観ました。
平成26年10月から起訴されて裁判が始まり、第一審で勝訴、控訴され第二審で敗訴、最高裁まで戦いましたが平成30年7月19日棄却されたと弁護士から連絡が入りました。
原告の本人証言のデタラメな回答、複数コピーされただけの子どもらの陳述書、恐喝、脅迫、警察官、暴行、全てなかったことにされました。
裁判官は何を見ているのか・・・見ていないのか?
裁判はなんのためにあるのか?
冤罪が生まれる意味を身をもって知らされました。
裁判では何も見てくれない。
これから裁判を起こす方、考えてる方、もう一度考え直して本当に勝てる裁判か見直した方がいいです。
正義は必ず勝つ〜なんて事はありません。
裁判は意味のない物だと痛感しました。
本当に悔しいです。
最高裁棄却の連絡を受けて気持ちのやり場がなく、この作品を思い出しました。
昨日ほぼ冤罪確実の袴田事件の再審決定が取り消されました。やってくれ...
昨日ほぼ冤罪確実の袴田事件の再審決定が取り消されました。やってくれたな、この世に正義はあるのか?
過ちを認められぬ権力、そしてそれにおもねる犬ども。袴田氏の人生は潰されました。そして今また回復しかけた名誉まで踏みにじられようとしています。最高裁が正しい判断をしてくれることを祈るばかりです。
それにしても当時の警察の横暴ぶりは完全に犯罪です。過激な拷問は当たり前、証拠の捏造は朝飯前。罰せられるべきはこいつらです。
類似の事件は狭山事件他まだまだあります。冤罪のまま死刑執行されたとおぼしき事件まであります。
本作を観て改めて怒りがこみ上げてきます。しかし自分の生活が奪われるとしたら、私も犬に成り下がるかもしれない。現実に何もできぬことお許しください。本作を観てこんなことがあるんだと世間に広まって欲しい。しかし現実はもっともっと悲惨です。
今日は米朝首脳会談が行われた歴史的な日、拉致問題等でも過ちを認める正義が行われることを信じたいものです。
実話
実話をベースとした物語。
元裁判官の主人公が冤罪立証するシーンは、実際には弁護団がやった事を集めたものだそうですが、話の流れはほぼ事実だそうです。
「冤罪」と言ってしまえば簡単ですが、それで済む話でもありません。
警察の捜査手法や裁判の様子など、色々と思う所はあります。
が、これを観て思うのは、私がこれを”知らなかった”という事。
事件発生当時に生まれていないので何とも言えませんが、もしその場にいたら、犯人逮捕の報道に喝采を送っていた側かもしれません。
悪者を社会から排除するカタルシス。
実際に「悪いことはいけない」のですが、では、それにどう向き合うか。
物事の本質を直視しようとするのは難しく、労力もかかります。
何かに責任を押しつけて、本質には目を背けて「臭い物に蓋」で満足していないだろうか。
新聞に載っているから、テレビが言っているから、それは正しいのか?
皆が「暗黙の共通の正義」を持つと信じる日本人ですが、本当にそうなのか?
バスに乗る前に、乗ろうとしているバスがどんなものかを確かめる勇気が必要かなと思いました。
人が人を裁く難しさ
本来ならもっと拡大公開されてもおかしくない映画、いや、そうであるべき映画。
こういう隠れた傑作を見れた嬉しさがある一方、実に考えさせられた。
冤罪事件というと「足利事件」が有名だが、こんなにも痛々しい事件があったとは!
いや、冤罪事件は他にも沢山あるだろう。
人が人を裁く難しさ。
もし僕がリアルタイムでこの袴田事件を知っていたら、袴田巌氏を犯人と決め付けていただろう。
が、この映画やネットの情報などで冤罪と叫ばれている為、冤罪なのでは?と考えてしまう。
人が人を裁く事は本当に難しい。
だからこそ、公正な法が必要なのだ。
しかし時として、その法も味方になってくれない。
有罪と決め付ける検察、違法な取り調べを行う警察にはらわたが煮えくる思い。
そのせいで、今も尚獄中に居る袴田巌氏に胸が張り裂ける思い。
法に正義は無いのか?
事件から半世紀近く経ち、多くの人たちによって再審請求の声があるとか。
袴田巌氏の失われた時は決して戻らないが、いつの日か必ず、真実が明らかになって欲しい。
重苦しいですが、見て良かったです!
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