「無言のもたいまさこ、雄弁にばーちゃんの気持ちをハートで語る!」トイレット 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
無言のもたいまさこ、雄弁にばーちゃんの気持ちをハートで語る!
荻上直子監督作品が進化しています。
これまでのテーマは、どちらかと言えば主人公が癒される側でした。けれども本作は、積極的に癒す立場に変わり、さらに繋がっていこうとするメッセージまてで感じさせてくれます。
けれども、そこは荻上監督だけにひとくせありました。主人公が「ばーちゃん」というと何となくホームドラマを連想されることでしょう。しかし、本作では「ばーちゃん」を日本語の全く通じないアメリカに住まわせてしまい、言葉による意思の伝達が出来ない状況に置いてしまったのです。孫たちは、みんなネイティブのアメリカ人。しかも、オタクだったり、引きこもりだったり、みんな訳ありの人たちでした。そこに言葉が通じない祖母が突如日本からやってきて同居するわけですから、冒頭ではまるで「異物」がいるかのようでした。
それでも言葉の壁を越えて「家族」として繋がっていく様を描き出して、とても感動しました。
驚異的なのは、荻上監督のミューズとなってしまった、もたいまさこ。全編通して一箇所しか台詞のあるシーンがありません。のこり全て沈黙しつつも、その表情と仕草で孫たちとちゃんと意思の疎通を図ってしまうところを演じきってしまうのです。そのばーちゃんの存在感を生み出す、もたいまさこの強烈な個性が、本作を成立させたといって過言ではありません。
それにしてもアメリカ人の孫たちが独特のアクセントで呼ぶ「ばーちゃん」の発音の何と温かいことでしょう。日本人としては、何となく懐かしい響きも感じますね。
ストーリーは、冒頭で「ママ」の葬儀が行われます。後に残されたのは、ひきこもりのピアニストの長男モーリー、ロボットオタクの次男レイ、詩を研究している大学生の妹リサ、そしてセンセーという名の猫。そこに死ぬ直前に「ママ」が日本から呼び寄せた祖母、「ばーちゃん」が同居していました。
ただでさえ強烈に個性が強い兄妹の暮らし。日本語しか話せず、愛想もない「ばーちゃん」の存在は、つなぎ役となる「ママ」がいなくなった今、共同生活を混乱させてしまう
要因に。言葉が全く通じない祖母と孫との奇妙な組み合わせが引き起こすドタバタな日常は、なかなかユーモラスです。
そんなバラバラだった家族が、「ばーちゃん」を軸に障害を越えていくなかで、少しずつ関係を築いていく過程に、心ひかれることでしょう。きっかけを作ったのは、心優しいリサでした。「ばーちゃん」を歓迎するために、スシを用意して、一緒に晩餐しようとしたり、センセーのエサを街へ買いに行って迷子になったときも、一番熱心に探したり。
そんなリサの計らいで、他の兄弟も、「ばーちゃん」に近づこうとします。モーリーは、ママの古いミシンを引っ張りだしたことから、急に手作りのスカートが作りたくなって、布地を買うお金が入り用になります。モーリーは、勇気を出して英語で、一生懸命「ばーちゃん」にお金が要ることを声明します。するとどうでしょう。何かを感じた「ばーちゃん」はおもむろに財布を取り出して、モーリーにお金をあげるのです。
その後今度はリサが、エアギターのコンクールに出場するのに参加費が必要になったときも、モーリーのアドバイスで、「ばーちゃん」に相談したら、ちゃんとまとまった資金を提供してくれました。英語はわからなくても、何となく相手の気持ちが読めてしまう「ばーちゃん」なのでした。
それでも、レイだけは「ばーちゃん」に懐疑的。血縁関係まで疑っていました。
そんなレイが落ち込んだとき、「ばーちゃん」が焼いてくれたギョーザをきっかけとなって心を開いていきます。その味が忘れられなくなって、レイも加わってみんなで作ったギョーザパーティーを開く頃には、完全に打ち解けていました。みんなの心を一つにまとめた手作りのギョーザは、とても美味しそうで、お腹の虫がギョーって泣くほどでした。
そんな家族の絆が強まることで、モーリーの自閉症も軽くなって、数年ぶりにピアノコンクールに出場することになります。緊張のあまりに、吐き出しそうになるモーリーに、「ばーちゃん」が優しく名前を呼んで、親指をグーと差し出す仕草をするシーンには、泣けてきました。言葉なんかなくったって、ちゃんと気持ちで伝わるのですね。
ところでタイトルの「トイレット」とはどんな意味が込められていたのでしょうか。それは、この祖母と孫の一家のような異文化が融合する象徴ではないかと思います。
トイレットは、お国柄が変わっても、いつも家族の中心にあるものです。土地によってこそ形態が違っても、欠かせないものです。その反面こだわりもあります。毎朝トイレットを出るたび、「ばーちゃん」がつくため息が、何とも意味深です。
レイはそのことを気にして、ガンダムのレアな模型を購入するために貯金してきたお金を、ウォシュレットの購入資金に充ててしまいます。レイがウォシュレットのことを日本のハイテクの象徴みたいに崇めて語るところは、日本人としてチョット誇りに思いました。レイがウォシュレットを初めて試すところは、微妙に肛門が感じてしまうのか可笑しかったです。
ちなみに本作のスポンサーは、TOTOでした。なるほど(^。^)
ラストは、少々あっけなかったけれど、暖かい気持ちになって見終えることができました。 「西の魔女が死んだ」のサチ・パーカ主が、謎の女性役で出演しているのも見どころです。また、荻上作品ではおなじみのフードスタイリスト、飯島奈美が作るギョーザが、家族が集まる食事の楽しさを、見事に演出しています。