ザ・コーヴのレビュー・感想・評価
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The Coveからドキュメンタリー作品の存在意義を考える
2010年に公開され大きな論争を巻き起こした作品。
なぜイルカは助ける存在で、牛豚はそうではないのか。
イルカは知能が高く、牛豚は知能が低いから?(それって優生思想と一緒じゃない?)
牛豚は家畜で人間に食べられる存在だから?
決して納得できるロジックではない。この作品を観ても、答えは結局見つからない。
確かに、太子町のイルカ漁は直視できないほど残酷だ。しかし、屠畜の現場もテレビでは決して放送できない残酷な映像だ。
イルカ漁を行う側は強力な「悪」で、反対する側はか弱い「善」で、まるでゴリアテに対するダビデのように描かれている。
イルカ漁を行う人間は野蛮な民で、高度な文明を持つ我々(制作側)が啓蒙する必要があると言わんばかりだ。
個人的にはイルカ漁に賛成でも反対でもない。ただし、イルカ漁だけを一方的に道徳的な悪とみなすのは、フェアではないということだ(彼らの一部の言動は、帝国主義時代のアプローチのように暴力的だ)。
イルカ漁に水銀摂取を結びつける論理には、相当の悪意を感じる(マグロ肉の摂取時とどう違うのか。具体的なエビデンスは?)。
森達也監督が言うように、ドキュメンタリー作品において主観を完全に排除して中立な位置で視点を置くことなど不可能に近い。
☆★★★ ※ 鑑賞直後のメモから あ痛たたたたたた…お金を払ってこ...
☆★★★
※ 鑑賞直後のメモから
あ痛たたたたたた…お金を払ってこの映画を観てしまったって事は、言ってみたならテロリストにお布施をしてしまった事になる。
とにかく、最初から最後まで、思い込みだらけの痛すぎる人達から見た、〝とんでも日本〟の在り方なのだが。これをマトモに受け入れてしまう人が果たして居るのだろうか?…って、居るからアカデミー賞まで取っちゃったんでしょうなあ!
映画では一切映らない撮り手側の生態が実は面白いんですけどねえ(苦笑)
懇切丁寧に、「ここですよ皆さん!ここで何かが起きますよ!」…と。CGアニメ等を駆使して観客へ訴える。
ところが水銀汚染やら、世界中で魚類の魚介量が激減したのは「日本の責任!」と、一方的に決め付ける。
映画の中身を観てもらうと解るのだけど。それらは単なる思い込みでしかない。何故ならば、ドキュメンタリーでありながら、具体的なデータなどの類いは一切作品の中では登場しないのだから。
娯楽映画として観た場合、退屈しないのだからこその採点なのですが。でもどうやら、今回は大幅にカットされたプリントによる上映らしい。本物の本編を観ると、もっと〝とんでも日本〟として描かれているのだとか…。
だとするならば、全くの別物をレビューしてしまう…とゆう、かなり間抜けな事になってしまう。
全くもって困った事であります。
2010年7月18日 シアター・イメージフォーラム/シアター2
捕鯨の賛否はナシにして
騒がれているので見た事なくなくても、そこそこに知られていると思うけども
私も、欧米人が捕鯨批判のためにと聞いて見るの渋ってたのですが
この度見て、後悔だけ残りました
いわゆる説教映画です
後、出てくるデータに関してもほとんど捏造に近いものなので
捕鯨という物に興味がある人はその部分だけ見ると楽しめるのではないかと思います
捕鯨とか残虐性とか偏見なく見れば、漁の大変さが伝わると思います
この映画はドキュメンタリーとは言いませんね
ようするに宗教映画です
この映画は、基本的に倫理観の押し付け
別にイルカである必要性がありません
キリストを信じてない人間は蛮族、かわいそうな人たち
そういった映画と何ら代わりません
下手すれば、○○真理教だとかのカルト教団が作ってる勧誘映画に近い
フィクションとして見ても展開が大雑把で退屈でした
海洋生物映画として1.5って所です
映画『ザ・コーヴ』に見られるオリエンタリズム
映画館上映から一年以上経っているにもかかわらず、いまさら取り上げるのもナンセンスだとは思うが、今日鑑賞してみて気になった点があったので、そのことを少々。
この映画で挙げている問題点は以下のとおり。
1:人間よりも知性のある(と考えられている)イルカを、和歌山の大地町にいる漁師たちが食用として乱獲している。(これが主題)
2:イルカには多量の水銀が含まれており、食べるのはかなり危険であるが、多くの日本人はこのことを知らない。
3:イルカの殺し方が極めて残酷であり野蛮である。
ただこの映画は、途中で1から2へと、制作者側の主題が大きくすり替わっている。つまり、彼らの本当の目的は1を阻止するためであるが、後半から2へ方向性をシフトすることで、あたかも「我々は“日本人のためを思って”こういった反イルカ捕獲活動をやっているのだ」といった形にうまく仕立て上げている。そして観客に自分たちの「善意」を伝えたところで、今度は3に主題が切り替わり、イルカの大量虐殺という「むごたらしい」映像を流してこの映画は終わる。
で、イルカを食用とすることやその殺し方が、生命倫理に抵触するのかどうかについてはさておき、ここに故エドワード・サイードの指摘する「オリエンタリズム」が垣間見られるのではないか、というのが個人的な感想だ。つまり、「理性ある西欧人」から見た「非論理的で野蛮な東洋人(日本人)」という構図が、この映画のフレームになっているのである。
彼らが世界的に反イルカ捕獲活動を展開しているのであれば、あえて日本にだけその焦点を当てるのはおかしな話だ。実際、日本以外にもイルカを捕まえている国はいくらでもある。映画の前半では、日本以外の国のイルカ捕獲事情も取り上げられているが、それはほんのわずかだ。残りはすべて日本にのみ話題が集中している。
人間は生きるために他の生き物を殺して栄養をとるわけだが、殊にイルカに関してはその知性の高さを主な根拠にして、食用とすることを彼らは認めない。しかし、この映画ではその認めない理由を、イルカの知性の高さよりも、ほとんど2や3とすることで、見る者の感情に訴えようとする。その背後には、日本人(東洋人)の「無知」(大方の日本人が、イルカに水銀が含まれていることや、そもそも日本でイルカが食用にされているのを知らないという事実)や「残虐性」(イルカを船で網の角まで追い込み、入江を文字通り血の海にして殺す漁師たちの姿)を描くことだけに終始している感が否めない。
また、そんな「未開人」である日本人たちを「啓蒙」し、「道徳心ある善良な国民」にすべく、我々はこのような反イルカ捕獲活動を続けているのだ――こうした、一見もっともそうな大義名分をこの作品に託し、自分たちの論理(それ故、立入禁止の場所に勝手に入ることも、そこでの現状を隠し撮りすることも許されるという考え)を全面に出しておきながら、日本側の論理は否定するという姿勢も見受けられる。
さらに、大地町における捕鯨活動(イルカも鯨の内に含まれる)には古くからの歴史があるのだが、彼らが「日本人の多くが知らないものを伝統文化と呼ぶのは間違いだ」としている点も、結局のところ、「何をもって“伝統文化”とするかどうかの基準は、我々西欧人にある」というオリエンタリズム的なメッセージに他ならないのではないか。
ちなみにウィキペディアによると、和歌山大学でイルカ漁に反対する学生の数が、この映画を見る前と比べて4倍に増えたと報じているが、それは「日本人による日本人へのオリエンタリズムが形成された」という視点で見れば、制作者側にとってこれ以上の喜びはないだろう。
ドキュメンタリーは、嘘をつく・・・のか?
ルイ・シホヨス監督が、和歌山県太地町で行われているイルカ漁を追いかける事で、捕鯨の実態を見つめていくドキュメンタリー作品。
ドキュメンタリーとしての演出法は、堅実だ。是と非、異なる立場の意見を積み重ね、観客に対して一つの問題を考えていくきっかけを提示する。観客の睡眠を促すような念仏の如き一方的説法は敢えて排除し、観客の作品への興味を刺激し続ける仕掛けも、効果的に働いている。
だが、この作品には素直に絶賛するには、頭を捻ってしまう点がある。
一つは、巧妙な操作だ。
捕鯨という行為に対する警鐘であったり、その問題点を提示するのが本作の目的であるはずだ。しかし、その根拠を重ねるうちに、その本質が次第に日本という国家への批判に巧妙にすり替わっている。政治操作、会議でいやらしく微笑む日本の代表、そして捕鯨と離れた漁業市場への猛烈な批判。観客は知らぬうちに、この危険なプロパガンダ効果に頭が支配されていく。
はて、このドキュメンタリーは真実なのか。
もう一つ、映像自体の芸術的視点である。
暗闇を秘密作戦と題して潜伏し、カメラを仕掛けていく工程。そこには赤外線カメラを用いた極めて劇的な美しさなり、技巧が張り巡らされ、観客の好奇心を刺激する。そして、イルカ漁の瞬間。入り江に拡散していく鮮血、最期の声を張り上げるイルカたち。色彩の鮮やかさと、意外性に満ちた工夫。
冷静に捕鯨について考えようとする観客の思考は、この芸術的演出に心を奪われる。それが謀ったものでないとしても、ドキュメンタリー作品には入れてはならない要素であるはずだ。作り手は、映画にかかわるものならば理解していて然り。そこには、違和感以外に何も残らない。
はて、このドキュメンタリーは真実なのか。
「ドキュメンタリーは、嘘をつく」著名なドキュメンタリー映画作家が語った台詞である。本作をみると、この言葉が真に迫ってくる。捕鯨というテーマを純粋に扱ったというには、異質な要素と意識、目的が巧妙に撒き散らかされた危険性をもつ本作。本作は、嘘だ・・・と、いえない自分がもどかしい。ただただ、怖い。怖いのだ。
見る価値が無い映画・・
誘われて行ったのだが、見るに価値が無い映画だった。
糞映画だった。
見て、損してしまった。
これが映画なら、他の映画が可哀相だ。
見た時間を返して欲しい。
製作者・監督・出演者は、謝罪と賠償を私にしてほしい。
こんな糞映画を二度と見たくない。
製作者の免罪符に付き合わされる
TVドラマ「わんぱくフリッパー」で世界初のイルカトレーナーが手のひらを返してイルカの保護活動に走る。
元業界人がその業界を批判する性質の悪い告発映画。
「私の生きている間にやめさせる」と使命感に燃えているようだが、
自分の過去を棚に上げ、他人を攻撃することで「赦し」を得ようとしている。しらける…。
製作者の手法や主張では共感も協力も得られないと思う。
劇中、保護団体からも見放されている様子に納得する。相手にされないよ、あれじゃ。
出し抜かれた太地町の方々は怒るでしょう。
感情的な問題にしちゃ一番いけないのに煽っているだけでは問題解決に結びつかないですね、残念ながら…。
製作者の主張が全て事実だったとしても、私の思想や志向に全く影響を与えない低レベル。
上映禁止は感情的な対応をしてしまったと思います。
広告やコピーも持ち上げすぎ、そんなに崇高な理念じゃない活動ですよ。
劇場に限らず鑑賞の機会を解放すれば、興味を示されない事実が浮かび上がると思います。
誰から免罪符を受け取ろうとしているのか?
目標に対して、活動が稚拙でチグハグです。
もっと自分の過去や地元で出来ることがあるんじゃない?
自己満足の活動記録に付き合わされた印象です。問題解決に邁進する活動家ではありませんね。
一人の「人間」として全ての人に見てほしい
「日本人」の視点で見るのではなく、一人の
「人間」として全ての人に見てほしい映画です。
「日本の文化がバッシングされている」と反日の一言で片付けて
しまうのは事実を背ける事と同じ。一方的な押し付けだという声も
多いこの作品ですが、私には最後まで観る者に意見を委ねた作品と
して感じられました。それは映画の構造にも表れていて、この作品の
大半は自分たちを被写体にするセルフ・ドキュメンタリーという形を
とっています。自分たちとイルカ漁を行う漁師たちを対比させるような
善悪二元的なものではなく、この映画から伝わってくるのは
イルカ漁を取り巻く現実を伝えたい、というとてもシンプルなものでした。
この映画は日本の問題だけに焦点をあてたものではなく、イルカ(動物)を
取り巻く全体の問題として捉えるべきではないか?と思えてなりません。
日本がクローズアップされただけであって問題は世界共通のはず。
(映画の中でも大きく言及されている水族館やイルカショーは全ての
人間が考えなければならない問題のひとつ)
イルカに的を絞った映画だけに、イルカという種の保護ばかりに目を
向けがちですが、動物の利用に疑問を投げかける姿勢は、人間として
決して間違っていないと私は思います。(生きていく上で犠牲は避けられない。
だからそれで全て良い、という0か100かの思考では何も変わらないし、
考えることをはじめから放棄しているのと同じです)
動物を娯楽や食用として利用するのが当たり前という世の中、イルカ
に限らず 必要以上に動物を苦しめてはいないか? 立ち返る必要性を
強く感じさせられました。
私は、この映画を家族みんなで見れて良かったと心から思います。
※ヤフーの方のレビューが荒れていて酷く、レビューが原因でこの映画
を観る人が限られるのは悲しいことなのでこちらにも投稿しました。
製作者の悪意が感じられるいやな作品
テレビでも撮影時のドキュメントをやっていたが、製作者側の都合のいいようにとられている気がする。
私は、画面の合成などドキュメンタリーとして認めないです。
また、日本人として大地町の人が、今まで長い歴史のもとでやってきたことを世界がだめだということで、同じ日本人が、批判するのはどうでしょうか...
もし、イルカ、クジラ漁がだめで、食べてはいけないということであれば、私たちが日ごろ食している、牛豚鳥ひいては野菜などに関しても食してはだめだということではないのでしょうか?
私は、この映画を見て、まず、JapanBashing及び西洋人の白人至上主義が見て取れました。
ちゃんとした思想のもとで作られたものであるならば、ちゃんとした大地町の方の言い分も伝えるべきだし、保護する方の意見もちゃんと伝えるべきだと思う。
だからこの映画は。悲しいと評価しましたが、映画が悲しいのではなく製作者の悪意が悲しいということです。
問題提起に成功した時点で使命達成
ドキュメンタリーとして良質。良い映画。
撮影手法や一面的・断定的な視点には批判もあるでしょうが、
それらを含めて活動家なりの義憤に基づく問題提起。
映画のテーマはイルカ漁や捕鯨そのものよりも「隠蔽」に重きがあり、
地元や日本政府やマスコミは耳を傾ける必要があると思いました。
そりゃ勝手に撮られたのは不快だと思いますが。
あと、日本版テロップは不要と思いました。
データの信憑性などは観客にやはり委ねるべきだったのでは。
「扇情的な」血の海には特に何も感じませんでした。
世界中の市場や屠殺場で同じ光景が観られるはず。
カンガルー映画、誰か作らないですかねー。
表現には表現で対抗を。
事実の一端
試写会にて拝見。
単純に映画としてみると、意外と面白い。音楽や編集がうまくて、絶妙に緊張感をあおり立てる。そういう技術的な意味でアカデミー賞受賞も分からなくはないが、でも、これって本当にドキュメンタリーと言えるのか?
しかし、どんなドキュメンタリーにしろ、ある程度は作った人間の視点や思想が入り込むもの。それは差し引いたとしても、これはちょっと一方的すぎる気はする。明らかに彼らの主張ばかりが強調されて、太地町側の意見は、一部の怒って荒々しい態度をとる人だけを切り取ってる。
とはいえ、あの入江でイルカ漁がおこなわれていることは確かだろうし、こういうこともあるという事実の一端として受け止めるにとどめておくくらいでちょうどいいだろうと思う。
気になった人は、あとは自分で調べてみればいいのではと。
対象者に対し不遜だが、上映中止はやり過ぎかと
上映中止問題が世間を騒がせているドキュメンタリー。
その理由に「反日だから」というものがあるが、反日というレッテルは少し違うのではという気がする。彼らは「反日」ではなく「反捕鯨」である。捕鯨に関しては色々と複雑な問題があるが、まずは見てから作品の真価を問うべきかと。これはどの芸術作品についても言えることだけど、知ることがなければ批判も肯定も存在しないのではと思う。
ドキュメンタリーとしての価値はあまり評価できないが、エンタメ作品としてうまく作っている。それを証明するかのように、オスカーを獲っているし、当事者でさえ「オスカーはエンターテイメント・バリューを決めるものだ」と言っている。
兎にも角にも、捕鯨反対派も捕鯨肯定派も映画を見て、議論のキッカケになればいいのではと思う。
事実を見ることが大切
映画「THE COVE 」を観た。
シドニーでは 2009年8月22日に公開された。
日本で公開が制限され、大幅に遅れたことを残念に思う。
2009年 ロバート レッドフォードのサンダース映画祭でオーデイエンス賞、カナダ(HOT DOGS)ドキュメンタリー最優秀賞、シドニー映画祭オーデイエンス賞、ブルーオーシャンフィルム最優秀賞受賞作。
和歌山県太地町のイルカ追い込み漁で 年2300頭のイルカが捕獲され、水族館に売られる一部を除いては、殺されて鯨肉として市場に出回るという。その様子をフィルムに納めたもの。
製作者は、リチャード オーバリー。
1970年代に米国TV番組「フリッパー」(邦題「わんぱくフリッパー」)で主演したイルカ達の捕獲と調教をした人。マイアミの水族館で たくさんのイルカを調教して イルカショーを主催して人気を呼んだ張本人。テレビ局の思惑どうりにイルカを調教することに何の疑問も感じていなかったが、「フリッパー」の主役だったイルカが ストレスで弱り果てて リチャードの腕の中で息を引き取ったことで、考えを改める。以降、私財をなげうって、捕獲されたイルカを海に戻してやる活動に打ち込む。ハイチ、コロンビア、グアテマラ、ブラジルなどで水族館や劣悪な環境で見世物になっていたイルカを 大海に返す運動をしてきた。1991年には 国連の環境プログラムから、業績を表彰されている。著書に、「BEHIND THE DOLPHIN SMILE」1989年、「TO FREE A DOLPHIN」2000年がある。
WWW SAVEJAPANDOLPHINS.ORG
監督は ロイ シホヨス(LOUIE PSIHOYOS)。ナショナルジェオグラフィック誌のカメラマン。優秀なダイバーでもある。「フューチュン」、「デイスカバー」、「GEO]、「タイム」、「ニューズウィーク」、ニューヨークタイムズ誌などの表紙カバーの写真を撮っている人。2005年に海洋保護協会を設立。
カメラクルーは 世界最高のフリーダイバーと言われる マンデイー ロー クラックシャンク(MANDY RAE CRUICKSHANK)。彼女は水深90Mまで 6分間息を止めて自力で潜って 上ってこられるそうだ。彼女とカーク クラツク(KIRK KRACK)が、ダイバーとして水中カメラをもって撮影に参加。
これに ハリウッドの特殊撮影グループ カーナーオプテイカル社(KERNER OPTICAL)が加わり 岩に埋め込んだ高解像度ビデオカメラで、崖の上から 追い込まれるイルカ漁の様子を撮影した。また、鯨の形をした飛行船を造り 遠隔操作で上空から イルカ漁の様子を撮影することに成功。一連の撮影を 特殊カメラのセンサーで 警備員達の妨害を 避けながらゲリラ的に撮影が行われた。
2007年に 環境保護団体「シーシェパード」に 太地町のイルカ漁が撮影され 世界に紹介されて以来 太地町では環境保護団体や外国人やフイルムクルーに神経を尖らせている。警備員を沢山雇い、撮影や見学にも介入して 妨害をしている。
撮影には大掛かりな撮影機具が要る。「オーシャンイレブン」ならぬ、かくし撮影チームが太地町に入ったとたんに、24時間の尾行、警備官による嫌がらせ、執拗な追跡と一挙一動への介入が入る。ものすごく人相の悪い私服警官ともヤクザともいえない男達。
イルカを追い込む入り江には、高い崖に囲まれた 小さな入り江で、トンネルを越えないと たどり着けない。イルカの追い込み漁が始まると、トンネルが閉鎖され、崖の上の公園も立ち入り禁止になり、人一人追い込み漁の様子を見ることが出来ない。
イルカ漁を 空から、崖の上から、海底からと、3方向から撮影する為に部隊が秘密行動を開始する。明かりもない深夜 岩に埋め込んだカメラを設置するために崖をよじ登るクルー、囲い込まれたイルカ達を海底から撮影する潜水クルー。そして、空から飛行船を飛ばすクルー。執拗に監視する警備員達から逃れながら行動する。
そして、撮れたフイルムは 血、血、血 の海だ。人と同じ 家族とそれの属するコミュニテイーを持って暮らしていたイルカが群れごと捕獲され 人と同じ豊かな感情を持ったイルカが 身動きできない狭い網に1昼夜囲われた末 一頭一頭 刺し殺されていく。水中カメラで捉えた赤ちゃんイルカ達の絶叫ともいうべき叫び声。親達を求めて泣き叫ぶ幼いイルカの声、、、とても、正視できない。
リチャード オーバリーが言う。日本には立派な環境保護団体や、科学者、良心的な海洋学者、グリーンピース、それを支持する人々がたくさんいる。WHERE ARE THEY?どこに行ってしまったんだ、と。
彼は何人もの日本人にインタビューする。毎年9月になると2300頭ものイルカが 殺されて食肉にされることを知っていますか?道行く人々、誰もが答えはNONだ。
IWCで、日本代表が 写真を見せながら ミンク鯨は年々増えています、、、と説明している。そのフィルムの前で、太地町のイルカの血に染まった海で男達がイルカを突き刺して殺しているフイルムを映し出したコンピューターを腹にくくって 躍り出るリチャード。これを即座に激写するニュースマンたち。
日本がクジラとイルカを捕獲していることについて 世界中から批判されて、孤立している状況を認識すべきではないか。現状では、IWCで、日本は商業捕鯨を中止させられ 調査捕鯨についても 厳しく中止を求められている。しかし日本は札束にものをいわせて IWCの票を買って アジアやバハマ島などの小さな国から日本支持票を買い、辛うじて調査捕鯨を続けている。このことについて、先進諸国からは、厳しい糾弾を受けている。南極海での捕鯨については ワシントン条約にも違反するということで、毎年国際法に訴えるとの諸国からの圧力がかかっている。オーストラリアは、今回、日本の捕鯨を国際法に提訴することになった。
西オーストラリアのブルーン市は イルカ漁に抗議して、太地町と姉妹都市であることを中止した。この8月 市議会が全会一致で 太地町がイルカ漁を続けるかぎり交流を中止することに決定。
ブルームは戦前から日本から潜水夫がきて真珠を取って地域の産業に貢献してきたが 日本の鯨とイルカ漁が問題になって以来 日本人墓が荒らされたり、日本人アタックが起きて問題になっている。日本人は 日本にいるかぎり何をやっても何を言っても安全と思っているかもしれないが 海外に住む日本人が 襲われたり 嫌がらせを受けるなど、被害が出ていることについて無視してもらいたくない。
南極海での日本の調査捕鯨にも、日本近海のイルカ追い込み漁にも反対する。
IWCでは一定程度の大きさの鯨を対象に保護基準を設定していて、大きさが違うだけで イルカは保護から外されている。イルカも鯨も鯨類(クジラ目)で、同じ大型野生動物だ。イルカは、社会のなかで、社会的役割をもち集団行動をとる 高度な知性を持つ。その生態や生息範囲など、まだわかっていないことも多い。
鯨もイルカも 高い知能と社会性をもった野生動物だ。人とともに生きてきた家畜とも ペットとも異なる。自由に大海に生きる 大型野生動物は 保護の対象であって、殺して食うものではない。
鯨とイルカの捕獲、食肉することに反対する理由は以下の通り。
1)他に蛋白源となる食品が豊富な日本で鯨肉を食べ続けなければならない理由がない。鯨肉を食べるのは日本の伝統文化だ というのはウソだ。都市に住む多くの日本人が鯨肉を食べ始めたのは戦後であり、鯨肉が日本人の蛋白源だったという歴史はない。
2)海は誰のものでもない。そこに生息する野生動物を 世界中のひんしゅくをかいながら捕獲 食肉すべきではない。鯨は 食べるたも飼われて殺される家畜ではない。
3)殺生方法が残酷きわまる。日本側はIWCで 瞬時に殺しているというが、逃げ回る野生動物にモリで突き 力尽きるまで泳がせて引き上げて殺す鯨、岸に追い込んで一昼夜網で囲み、突き棒で一頭一頭突き刺して殺すイルカ。自由に大海を泳ぎまわっていた動物を瞬時に殺す方法があるわけがない。
4)調査捕鯨に毎年5億円の調査費が税金から仕払われているが それに見合う調査のフィードバックがない。 調査捕鯨の結果が国際的に権威ある英語論文雑誌に まったく成果が発表されていない。科学研究のために億単位の国庫補助を受けて調査捕鯨していながら 何ら研究発表が行われていない このことについて、IWCからも、先進諸国からも激しく批判されている。
5)調査捕鯨予算の多くは 捕獲した鯨を売りさばいた利益でまかなっていることが明らかになっている。これでは公正な調査ができるわけがない。賄賂を取り締まる警察部署で、その予算が賄賂をもらった金で運営しているようなもので 取り締まろうとすればするほど、賄賂をもらわなければならない という滑稽な図式になっている。
6)鯨やイルカなど大型海洋動物の肉は水銀汚染されていて、小児、妊婦などは 食べるべきではない。政府、厚生労働省でさえ、週40グラム以下に抑えるべきとしている。一食分の鯨肉カツレツで 約100グラム。危険とわかっている食べ物を、食べ物の選択肢のない子供に食べさせてはいけない。
以上。
一人でも多くの人に、この映画を見て、事実を知って欲しいと思う。
あちらからの景色
観る前は、反捕鯨の視点に立ったただの日本バッシングかと思っていたのですが、いろいろな意味でよくできた映画でした。そもそも日本人の私が知らないことが多いし、それがあちら側からの景色だとしても、そっちに立ってこっちを眺めてみるのも悪くないと思います。その上でどう考えるかは人それぞれですが、この映画はその貴重な機会になるので、ぜひ一見をお勧めします。
一見の価値あり
日本人は見ない方がいい、と言う人の大半はこの映画を見ていないのではないかと疑ってしまいます。あるいは単に見せたくないのかな。白人がこの映画を作ったのは日本人の多くがこの事実を知らされていないからではないかと。
自分も「どうせジャパン・バッシング映画だろう」とあまり期待せずに見たけど、映画として純粋に楽しめました。暗視カメラや赤外線カメラを使った撮影は自分も一緒に潜入しているかのような臨場感があります。問題の入江(cove)で何が起きているのか知りたいと思わせる提示の仕方もうまかった。
水銀を含んだイルカの肉を鯨肉として売っているのが問題ないなら、なんで情報を開示しないのでしょうか。
白人の最低の品位をみた
この映画を金を出してみる価値はないですね。前編欧米価値観の押付と、正当化のための画像編集。批判したいからみるか、スプラッター映画ファンか、どMですという日本人以外は見ないほうがいいです。
欧米の映画館を想像すると、"F**K JAP!"という叫び声と下品な笑い声が聞こえてきます。
追伸)
先入観なしに見たいという方も、事前に予備知識を持って見に行ってください。この映画はまっさらな状態の人をプロパガンダで染める危険性があります。以下のことは覚えて見に言いましょう。
1.水銀問題はこの映画以前なら情報公開されていて、国家的隠ぺいは彼らの無知か歪曲によります。また、イルカ肉が水俣病の原因のように表現されていますが、水銀レベルなどは異なり、発症例もありません。
2.出演している大学の準教授は、使われ方に意義があり出演シーンのカットを要請したが無視され、訴訟を考えている。
3.この映画が欧米人の意見を代表してはいない。内容が偏り過ぎていて、ドキュメンタリーと言うべきかについては賛否両論あり、ハリウッド系は支持しているが、プレス系は否定意見が多い。
4.映像が実写でも、編集方法でイメージをどちらにでも誘導できるので、事実が真実とは限らない。
5.イルカ漁自体は、太地以外に日本や海外でも行われており、白人国家でも行われている。また、鯨やイルカの主な人為的殺傷は捕鯨やイルカ漁ではなく(1割程度)、トロール漁の巻き網に巻き込まれるほうが8割、船との衝突などが1割ともいわれている。(韓国は捕鯨をしないが、鯨肉が大量に流通している理由)
これらの客観的事実を頭にいれ、監督がシーシェパードのお友達ということを考え併せてみないとだまされますよ。
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