「日常の不穏」白いリボン Garuさんの映画レビュー(感想・評価)
日常の不穏
ノンフィクション的な演出によって、 フィクションの世界にあえて鮮明な現実感を持たせようとしているかのようだ。 ミヒャエル・ハネケ監督の作品に特有の生々しいインパクトが、このモノクロ作品では特に際立って見えた。
医者が歳をとった妾を罵倒する場面など、観ていて不快になるほど惨たらしい。 しかし、作品中に登場するそうした類のシーンはいずれも、 実際に誰もが経験している日常の一コマではないかと思う。
力関係が上の男が、恨めしそうな表情で耐える女に向かい、憎悪を込めた蔑み言葉で傷つけようとしている場面。
確かあれは、両親の夫婦喧嘩で見たような…。
いやいや、あれほど酷くはなかった、と言いたいところだが、実はそう思いたいだけで、 日常生活における争い事の類いは、 まずあのシーンに等しい。 人は、都合の悪い現実を客観的に見せられると、無意識に心を逸らすものなのだ。
平和で清浄に思える日常生活、しかし、その底には、醜悪な生活の垢が澱む。
我々は自分の人生を、美しく、楽しく、幸せな面だけで彩られているようにしか見ないし、記憶しようともしない。 しかしその裏では、直視されず処理もされない生活の垢が溜まり続けていく。 そして、堆積した沈殿物は容易に巻き上がり始め、 やがて生活全体の透明度を失わせていくのである。
歴史の専門家が、「近年の世界を取り巻く状況は、第一次世界大戦前の状況に酷似している」と言い始めたのは、何年ぐらい前からだっただろうか。 以来、世界は確実にキナ臭さを増している。
この作品が描く小さな村の不穏な日常は、人間社会が不気味な運命へ落ちてゆく時の、リアルな前触れを写し出しているのではないだろうか。