劇場公開日 2011年12月23日

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「若い人に触れてほしい作品」永遠の僕たち マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5若い人に触れてほしい作品

2012年1月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

幸せ

この映画を観ていると、なぜかレナード・ホワイティングとオリヴィア・ハッセーの「ロミオとジュリエット」(1968)を思い出す。
愛するふたりを分かつものが家柄とか敵味方という時代ではないが、大人社会への反発の中で愛と死を見つめ、十代にして成さぬ恋に落ちるという作品が持つベクトルと、若くて清々しいコンビ、ヘンリー・ホッパーとミア・ワシコウスカが放つオーラに、似通ったものを感じるからかも知れない。
臨死体験を経て、旧日本軍の特攻隊員ヒロシが見えるようになったイーノックが、他人の葬儀に列席する日々を送るのは死後の世界に興味を持ったからだろうか? ストーリーが進むにつれ、それだけではないと分かってくる。死を迎えた者がこの世でどう弔われるのか、遺された者はその死にどう向い合っているのか、その答えが知りたくて葬儀を巡り歩くのだ。

そんな彼が、死を目前にしたアナベルに恋してしまう。運命といえばそれまでだが、取り残される恐怖と無念さが次第に膨らんでいく。対するアナベルは輝く最期のひとときを過ごしたいと願う。
ひとつの死に対する思いに開きが出てくるところを、ヒロシの存在が溝を埋めてくれる。イーノックにとって本当に大事な話し相手は誰なのか、身を持って教えてくれる。ヒロシとはそういう存在だ。加瀬亮が兄貴分的な雰囲気を出して好印象。惜しむらくは、冷たい空気の中、ヒロシの白い吐息だけは後処理で消してほしかった。彼はこの世の人間ではない。

ふたりが横になって路面にチョークで人型を描くシーンがある。予告篇でも印象的なカットだ。
よくドラマで事件現場に描かれるアレだ。チョークで描かれた人型は、そこが息絶えた場所であると同時に、そこで生きていた証でもある。
ふたりが路面にチョークで人型を描くのは、ふたりでそこに居た、ふたりがそこで生きていたという証しなのだ。

イーノックの頭をアナベルと過ごした日々が走馬燈のように駆けめぐる。過去の思い出に浸るのではない。それはふたりにとって一瞬一瞬が光り輝いた“時空”の存在であり、今このときにイーノックの中にあるものだ。それが解かったとき、自然に笑みが浮かぶ。

この映画を観るポイントは、イーノックの目線で観ることだ。

この作品、自分が前述の「ロミオとジュリエット」という映画に触れた時のように、十代の人が観たなら忘れられない心に残る作品の一つになるかも知れない。

マスター@だんだん